【44】 車掌2:乗務した車両の種類

 私が車掌職の期間(専務車掌になるまでの期間)に乗務した車両(編成中に連結されていた車両)は 客車:旧型客車(ナハフ10、オハフ33、45、46、スハフ42、ナハ10、オハ35、46、47、スハ40) 荷物車:(マニ36、44、50、60、スユニ50、60、61、オユ10、ワキ8000) 上記の牽引機 DD13 DD51 電車:103系、111系、113系、117系、153系、155系、165系、381系 、クモニ83 気動車:キハ30、35、45、40、48、55、28、57、58、65、キロ28、キニ28 名古屋地区で当時活躍していた車両のほとんど全種類に乗務していたことになります。 これはキハ35。関西本線、伊勢線、武豊線で乗務しました。写真はすでに役目を終えて亀山に留置されていた車両の写真です。 乗務した列車の編成両数も伊勢線の超ローカルキハ30単行や荷物電車クモニ83単行から165系などの電車やキハ58系12両編成までありました。 乗務した165系には急行折返し間合運用のサロ165組込編成もありました。 写真は名古屋駅までの普通列車から折り返し急行つがいけ号への変身中の様子です。サボ(行先表示板や種別表示板)を取り換えるために左右両側のドアが開けられているのがお判りでしょうか。今思うとたいへん危険なことと思うのですが、字幕のない当時の名古屋駅を始め、折り返し駅では「ホーム反対側のドアが開きます」という車内放送をするだけで当たり前のよ…

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【43】 車掌1:転勤と乗務範囲

 私が列車掛の養成を受けたあと配属された職場では、貨物列車のみの乗務を受け持っていました。ずっと貨物列車の乗務で過ごしたい人や、さらに上級職を受けるつもりで乗務員を一時の腰かけだと考えている人はこの職場に留まっていましたが、大半の人は通勤に便利な自宅に近い線区の乗務員職場や、旅客列車を受け持つ職場を希望して、各々転勤希望を出していました。  希望先の職場で退職や上級職への試験合格などで欠員が出ることがわかると、転勤希望提出順に声がかかり転勤できるのです。  私も列車掛の養成課程を修了したことによって車掌の資格があるわけですので、旅客列車に乗務できる職場を希望しました。そして旅客列車の車掌として転勤した職場は、列車掛の養成課程の試験を受けるまで荷物列車に乗務していた同じ職場でした。約1年半ぶりに戻ってきたのでした。       (写真は乗務掛として在籍した当時のものです) <<車掌在職時の乗務範囲>> 東海道本線 浜松~米原         大垣~美濃赤坂 武豊線    大府~武豊 岡多線    岡崎~新豊田 中央本線  名古屋~中津川 関西本線  名古屋~亀山 伊勢線    南四日市~津  岡多線は民営化後の昭和63年1月に第三セクター愛知環状鉄道の一部となっており、国鉄時代に未開通だった新豊田~高蔵寺間も同鉄道の経営で同時開業しています。  伊勢線は国鉄分割民営化直前の昭和62年3月に河原田~津間が第三セクター伊勢鉄道に移管されました。このうち南…

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【42】 MICRO ACE の マニ60

 先日購入したNゲージのMICRO ACE製「国鉄 郵便・荷物列車6両セット 」(ブログ記事はこちら)ですが、ちょっと気になることもあり、いろいろ比較してみました。  このセットには荷物車のうち最もポピュラーな形式といってよいマニ60が3両含まれています。このマニ60は一昔前に発売されたMICRO ACE製「61系客車6両セット 」他にも含まれている形式です。手持ちの「61系客車6両セット 」に1両含まれているマニ60と比較すると、こんな具合に違いがありました。 まず、この写真は「61系客車6両セット 」に含まれるマニ60です。車掌室窓下に「車掌」の文字。これは昭和30年代までの標記だったと思います。運用番は印刷されていません。所属の「東スミ」表示が異常に大きく目立ちます。 こちらの写真は今回購入した「国鉄 郵便・荷物列車6両セット 」に含まれるマニ60のうちの1両です。車掌室窓下に「車掌」の文字はなく、運用番「東荷7」が印刷済です。所属の「東スミ」表示も実物に近い大きさになりました。40年代後半は鉄道管理局の組織変更で運用番が「北東荷○」、所属表示が「北スミ」にそれぞれ変更されますから、説明書にあるように昭和40年代初頭の時代設定ということになります。 上の写真は、一番上から MICRO ACE「国鉄 郵便・荷物列車6両セット 」に含まれるマニ60 MICRO ACE「61系客車6両セット 」に含まれるマニ60 GREEN MAX マニ60(自分で…

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【41】 サボコレクション

トミーテックからこんなものが発売されています。 昔のホーロー引き鉄製サボの10分の1サイズのミニチュアです。 写真のとおり、実にリアルな表現です。すでに第7弾とかで、これは中央線関連のサボ12種+シークレット1種のうちどれか1枚が入っているというブラインド商品です。材質は鉄でなくステンレスに焼付塗装。 内容はポピュラーなものでなく、むしろレアなものが選択されているようです。 裏面はこんなふうに違った行先になっています。  色彩や字体も忠実なように思います。私が車掌をしていたころ本物はほとんどプラ製のサボに変わっていましたが、子供のころ見た列車のサボはホーロー引き鉄製の重いものでした。  高校1年生の7月まで、通学や中央西線の蒸気機関車撮影に使っていた客車列車のサボの写真をお目にかけます。その当時でも、非常に古さを感じる字体で、松本客貨車区所属の客車に取り付けられていました。  この中央西線塩尻電化で中央本線は全線電化となり、普通客車列車は中津川以北での荷物列車併結の1往復だけが残りました。さらに中央西線の名古屋口普通列車に関しては中津川以北とは運用が分離されてしまい、中津川乗換が基本となりました。このため普通列車で名古屋からは直通で信州へ行けなくなり、このサボも使用されなくなったのです。  見かけなくなったホーローのサボは、ほとんどが廃品として処分されていったのでしょうが、私の国鉄在職当時、某駅出身の後輩車掌が、駅の倉庫の奥から廃棄されずにあったのが…

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【40】 チョコボール・ハイクラウン・ハイソフト

 今回はまったく鉄道と関係がないお話です。  日本酒のラベル集めのお話は以前にいたしましたが、私の場合ほかにも一般的に収集の対象にならないものを集めることがあります。  日本酒の場合、その結果として飲んだ酒の記念としてのラベルが集まっていくということが起こるわけですが、同じ感覚で、行った飲食店のマッチ箱、箸袋の類、それから飲んだコーラの缶、食べたキャラメルの箱、チョコレートの箱といったものが集まってきます。  こうした菓子類だと限定品とか復刻版というものが発売されることがあって、高価なものではないだけに食べるという本来の目的とは関係なく、ついつい買ってしまいます。  このような収集物は整理せずに放置してあるものもあるし、集めたものの結局はまとめて処分してしまうこともあり、何をしているか自分でもわからないわけですが、暇をみつけて整理したりもしています。  先月はセブンイレブンで「ちびまるこちゃん」の絵柄入りのチョコレートとキャラメルが発売され、買ってしまいました。 チョコボール、ハイクラウン、ハイソフト。 このなかで、桃味のチョコボールというのはチョコボールの歴史の中でも初めての発売ではないか?と思います。 これらとは別に普通のチョコボールをスーパーで見ていたら、最近の箱絵にはキョロちゃんの顔が何種類もあることに気がつきました。 おもしろそうなのでこれも買ってしまいました。 以前は顔の表情が異なるものが同時に発売されているようなことはな…

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【39】 MICRO ACE 国鉄 郵便・荷物列車6両セット

 ずいぶん前に予約しておいたマイクロエース製Nゲージ模型「国鉄 郵便・荷物列車6両セット」が、やっと発売され、一昨日我が家へ配達されました。  こうした荷物車のように一般受けしないと思われる商品はなかなか模型化されません。荷物車マニや郵便車オユといった単品での発売はこれまでもありましたし、セットの中に1~2両荷物車や郵便車が含まれるといったものは存在しましたが、郵便荷物車ばかりの完成品セット販売というのは初めてではないかと思います。  編成は6両でスユ42+マニ37+マニ60+マニ60+マニ61+マニ60。模型に機関車は含まれていません。  時代設定は自分が乗務していたころよりさらに一昔前の昭和40年代初頭の東海道本線の郵便・荷物車を再現するセットであることが説明書に記載されています。そうなると当時の牽引機は何がよいのかわかりませんが、自分が乗務していた昭和50年代前半では、一般的だったのが青のEF58でした。昭和40年初頭あたりであれば茶色のEF58でよかろうと勝手に決め付け、我が家にある飯田線のトロッコ列車牽引機のEF58 122号機に牽かせてみました。  セット内容で、昭和50年代と違うのはスユ42で、昭和50年代には東海道で見かけることはなく、郵便車の主流はオユ11になっていました。このほか運用番の表示があるのが泣かせます。マニ60は同形のものが3両入っていますが、それぞれ運用番と所属表示が「東荷7」(東スミ)、「東荷24」(東スミ)、「大荷5」(大ムコ)と区別…

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【38】 大切な道路地図帳

 前回記しましたように、自動車での走りつぶしをしていたころ、走破した道路にマーカーを付けていた地図帳はこれです。 昭和53年出版となっています。  自動車免許を取得後しばらくして母親が買ってくれたもので、今も残っています。ボロボロで、1枚ずつページが分離してしまったりしています。 赤は国道。緑が主要道で印刷されていますが、その上にオレンジ色やピンクのマーカーでなぞるのですが、もう色あせてしまい、わかりづらくなってしまいました。 ※下の画像はボロボロの様子とマーカーの色あせ具合をを現わすために掲載したものです。地名などは分からない程度に画像サイズも小さくして地図としての内容を現わしたものではありません。  もう走りつぶしをやっているわけではないのですが、この地図には別の利用法があるので重宝しました。それは道路でなく鉄道路線にあります。今は廃止されてしまった多くの鉄道路線が描かれているからなのです。  その活用例としては、鉄道乗りつぶしの旅の途中、初めて乗る線区で、すでに廃止された路線が分岐駅のどちら側へ分岐していたのかがわからないとき、これを見れば車窓からその廃線跡を確認するのが容易になるわけです。  私は国鉄在職中には意識していなかったのですが、退職後に意識的に旧国鉄の未乗路線に乗るための旅を始めました。多くのローカル線が国鉄分割民営化前後に廃止されてしまい、残念ながら乗ることはできませんでしたが、現在残っている旧国鉄路線のうち、JRに移管された全路線と、第三…

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【37】 自動車による国道乗りつぶし

鉄道の乗りつぶしをやる人はけっこうあるようですが、自動車で道路の走りつぶしっていうのもあるんですかね? 私は国鉄在職中には自家用車で今日は国道×号線走破とか、今日は○号線走破とか、走りつぶし?にいったことがあります。走破した道路は帰宅後に道路地図帳にマーカーで印をつけていきます。この感覚は鉄道の乗りつぶしと大して変わらないと思います。その際、自分の運転でないといけないと条件をつけていました。 実際には長続きせず、気がなくなってしまいましたが、乗り鉄が駅の写真とか駅名標の写真を写すように、県境の標識のところでよく写真を撮りました。 小海線 野辺山付近の国鉄最高地点です。 東京都青梅市と埼玉県飯能市との県境です。このようなところへ何の用があったかというと、青梅鉄道公園が目的地の一つだったりします。 国道303号線 滋賀県と福井県の県境です。 当時の自動車にはいろいろ醜いものを貼り付けていました。リアガラスの左上は国鉄のシンボルマーク。バンパーには機関車の書体でこの自動車の型式「AE70」・・・・今考えると赤面ものですね。

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【36】 列車掛6:入換

 列車掛は小駅での入換作業の責任者でもあります。  引き続き、前回の列車(昭和55年8月8日 東海道本線960列車(大垣~稲沢間)) を例に、ご説明します。  この日は穂積駅で2両解放、岐阜で19両を連結しますが、小駅である穂積駅での解放作業は列車掛が担当します。 穂積駅の構内配線は次の写真のとおりです。 列車はプラットホームのある上り本線ではなく、上り1番線に入ります。 到着すると、すぐ駅員と入換作業の打ち合わせをします。作業内容は駅員が、機関士分と複写で2枚作成してくる「入換通告券」によります。 この通告券の記載事項を要約すると、 入換作業は直ちに開始。 最後部のワフの前で切り離し、3両を上り1番線を53番のポイント(配線図赤丸印)のところまで引き上げます。ポイントを切りかえ、上り2番線にバックして押込みます。 ここでォホキを2両切り離し、機関車は最前部のヨ1両を連結したまま、再び上り1番線へ引き上げます。ポイントを再び切りかえたあと、バックして残してあるワフに連結するのです。  この作業での要注意事項は、引上制限両数にあります。今回の例のように短い場合はよいのですが、長すぎると引き上げたとき、上り本線側のポイントを支障してしまいます。このチェックは事前に始発駅で現車と貨車解結通知書の確認によって行います。  このほか当時のマニュアルを読み返しますと、穂積駅の入換作業の注意点として、上り3番線に「架線終端標識」があることが記載されており、…

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【35】 列車掛5:貨車解結通知書

前回は始発駅を発車するまでの作業について記しましたが、機関士にも渡した貨車解結通知書の内容を読み取ってみましょう。 わかりやすくするため、あえて簡単な事例を実例としてとあげます。 昭和55年8月8日 東海道本線960列車(大垣~稲沢間) <<大垣発車時の編成>> EF65 24(稲二) ヨ    8691(天リウ) ォホキ 1659 ォホキ 1657 ワフ 35017(新ナソ) ォホキ2両は空車で、次駅の穂積で切り離す車両です。 穂積駅には線路に散布する砕石を積み出すための設備がありました。この2両は砕石輸送のために回送される貨車なので空車です。 大垣駅で貨車解結通知書を受け取ります。 駅の控え、列車掛用、機関士用の3枚複写です。年月を経て、複写した文字が経年によって見難くなっていますのでご了承願います。写真のみ拡大表示していただかないと内容はわからないと思います。また、携帯でご覧いただいている方には、写真の内容がわからないと思いますがご容赦ください。 「貨車数」欄の1.0はヨ          1.2はワフ          1.8はォホキ(2両) 合わせて4両編成であることがわかります。これは貨車解結差引計の 実現車欄の「4」に反映しています。 その隣の欄は6.0となっていますが、列車の長さを表します。2軸車の標準長8メートルを1両と換算します。ォホキはボギー車で車長が長いので2.0と決められています。右側の「実現車のうち」の「2…

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【34】 列車掛4:発車前の作業

 列車掛は乗務する列車に乗るときは、まず始発駅の指定場所で「貨車解結通知書」を機関士の分と合わせて2枚受け取ります。これによって列車の全容を把握するのです。これには列車の重量、長さ、途中駅の切り離しや連結予定両数が書かれています。  これが貨車解結通知書です。写真のものはもっとも簡単な内容の例で、途中駅での連結開放がないものです。  緩急車に乗りこみ、尾灯を点灯させます。そのあと始発検査といって列車としての整備状況の検査確認をします。緩急車から前の機関車に向かって徒歩で長々とつながった貨車の連結器の状態、ブレーキホースの連結状態、ハンドブレーキやフットブレーキの緩解状態、エア漏れ、有蓋貨車の扉の施錠状態、無蓋貨車の積み荷の積み付け状態などを異常がないか1両ずつチェックしていきます。先頭の機関車まで行き、機関士と当日の列車における時刻や着発線の変更事項などの確認照合をし、「貨車解結通知書」を1枚渡します。  写真は機関士に貨車解結通知書を渡す列車掛です。貨物列車は旅客ホームから発車するわけではないので、機関車の運転室はものすごく高い位置になります。  これで機関士も列車の状態を確認します。決められた重量(牽引定数)をオーバーすると、勾配を登ることができなくなったり、列車が遅延することになります。一方、決められた長さを超えると、行き違いや追い抜きができなくなり、ダイヤが大きく乱れる元になります。すべて列車掛が列車の組成と運転の責任を負って列車が運行されるのです。  さて、先頭…

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【33】 列車掛3:その仕事の概要は…

 解結貨物列車に乗務すれば毎日列車の長さや車種、行先が違うわけです。そのため列車掛は常に「貨車解結通知書」で自分の列車のどの貨車を何両どの駅で切り離し、どの駅でどのような貨車を何両連結する予定かを把握する必要があります。  列車の重量は決められた重量を超えることはないか、列車の長さはすべての停車駅の線路の有効長以内になっていて、行違い列車や追い越される際に支障することはないか、ということを見極めるのです。前述のように貨物取扱駅ごとに停車して連結解放を繰り返しますので、その作業が極力簡易にできるよう、途中駅の連結位置を何両目にするかを決め、停車時間を利用して、中間駅へ事前に「予報」といって、入込両数、切り離す車両数、切り離し車両の連結位置などを電話連絡します。駅によっては切り離しする車両の車種や積載品名を予報で求められることもありました。  さらに途中駅の入換作業は大駅を除いて作業責任者は列車掛でした。中間駅で、機関士・駅員と連携して作業をします。通常は無線機で機関士に前進後進停止ほかを通告し誘導、駅員には入換で進むべき進路構成を通告し、ポイントと入換標識の操作をしてもらいます。 写真は関西本線八田駅で機関車の転線入換作業中の様子です。このときは列車掛見習の指導中だったので2人が機関車のデッキ部分に乗っています。常時入換作業がある駅では無線機を使用して作業をしますので手旗は通常使用しませんでした。当時はこの八田駅でもセメントなど貨物扱いがありました。現在は高架化されるとともに駅その…

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【32】 鉄道あちこち訪問記2:国鉄越美南線(現長良川鉄道)後篇

前回の越美南線乗り鉄後3年、分割民営化も現実味が出てきたころのことです。 国鉄は赤字解消のため、貨物営業などの縮小が相次ぎ、遊休車両や余剰人員と言われた過員が出てきました。 そういう車両や人員を活用して各地で様々なイベントや臨時列車が運転された時期、この越美南線では、名古屋鉄道管理局では初めての試みとして美濃太田から美濃白鳥の間でトロッコ列車が運転されました。 機関車は明知線(現明知鉄道)の貨物列車廃止で職を失ったDD16 トロッコ車両は、貨物縮減で職を失ったチップ輸送用のトラ90000 客車は関西本線の電化で職を失ったオハフ46 いずれも本来の職を失った車両たちの第二の舞台となったのでした。 このときは撮り鉄で、自動車で美濃白鳥へ向かいました。 美濃白鳥駅到着後のトロッコ列車です。トロッコ列車というより、DD16が旧型客車を牽くことと、ふだんはディーゼルカーしか運行されない越美南線に機関車牽引の列車が走ることに惹かれました。 入場券も手に入れました。 走行中の姿はこんな感じです。 美濃相生(現相生)~深戸の撮影です。現在は通称トリプルトンネルのあるあたりです。 その後第三セクター化でこのトロッコ編成は飯田線に転用されてしまいましたが、のちに長良川鉄道が新編成で復活させました。除雪・保線用動車と旧国鉄のヨ6000、ヨ8000、トキ25000の組み合わせで美濃市~美濃白鳥間の運転でした。 これは美濃市駅での撮影です。当日はまだ幼稚園に…

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【31】 鉄道あちこち訪問記1:国鉄越美南線(現長良川鉄道)前篇

 拙ブログでは、ここしばらくは国鉄の貨物列車の列車掛について記しておりますが、ちょっとお休みさせていただき、国鉄越美南線について記したいと思います。今後も随時、過去に訪問した鉄道のことなども思い出しながら書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。 私が初めて北濃駅を訪問した時の写真を発掘しましたので、ここにご紹介したいと思います。  当時は名古屋から急行のりくら号併結のおくみの号という列車があって、名古屋から直通で終点北濃まで行くことができました。美濃太田ではのりくら号と分かれてキハ28とキハ58の2両編成でした。  このときは、列車掛養成時の同期の者たちと乗り鉄に出かけました。記憶が定かではないのですが、太多線で美濃太田へ出て、美濃太田始発の越美南線普通列車に乗車し、北濃で折り返し名古屋行き直通おくみの号に乗って岐阜経由で名古屋まで来たもので、この写真は北濃で名古屋行きにサボを変えた直後に撮影しました。当日は偶然、美濃太田からの車掌が同期の者でした。折り返しの北濃駅で記念撮影をしました。 訪問後30年近く過ぎております。北濃駅舎の写真も出てきました。  この写真から判断すると駅にはまだ職員がいるようで、写真では暗くて確認しにくいですが手小荷物窓口も営業しているようです。  私は当時入場券も集めていたので、このときも北濃駅で入場券を買いました。 入場券収集の楽しさはやったことのある人にはわかるものです。日付が残る点もさることながら、その一枚…

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【30】 列車掛2:乗務範囲と緩急車

列車掛の職務については、以前記しましたが、貨物の車掌で車両検査も受け持つものでした。 私の場合、乗務区間は次のとおりでした。 東海道本線:東静岡~吹田操 東海道本線・中央本線: 稲沢~中津川 東海道本線・関西本線: 稲沢~亀山操 東海道本線(名古屋港線):稲沢~名古屋港・白鳥 東海道本線(西名古屋港線):稲沢~西名古屋港 岡多線:岡崎~北野桝塚  現在東静岡といえば旅客駅ですが、国鉄時代は旅客駅は存在せず、貨物駅でした。今は貨物駅のほうは「静岡貨物」駅と呼ばれるようです。  吹田も今は操車場跡が整理されつつあるようで、昔の面影がなくなっていくのを感じます。  亀山も操車場跡は荒れたまま放置でしょうか。  白鳥は名古屋中央卸売市場のあるところで、名古屋の地下鉄日比野駅が最寄りの貨物駅でしたが廃止され、跡地には名古屋国際会議場などが建って、まったく面影が見いだせません。  名古屋港駅も貨物駅で、ここはまだ存在しています。  西名古屋港駅は名古屋臨海高速鉄道あおなみ線の車庫があるあたりにあった貨物駅でしたが今はなく、西名古屋港線自体も全線が高架になって貨物線時代とはまったく別の線に生まれ変わりました。  この範囲を乗務していたのですが、列車の種類はさまざまでした。  特に東海道本線では、時速100㎞で走る高速貨Aと呼ばれる速度種別の列車があり、これには機関車はEF66、貨車はレサ10000形式など一部の高性能ブレーキ装備の「高速貨車」に限定されていました…

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