【60】 車掌5:電車の入換

 列車掛が貨車の入換作業を行っているお話は以前にさせていただきましたが、入換作業は操車掛が配置されていない小さな駅では貨車客車を問わず車掌の仕事です。当然、旅客列車の車掌でも入換作業はありました。  私の職場での毎日の乗務で定期的に入換作業があった駅は、武豊線の武豊駅、中央本線の土岐市駅と釜戸駅でした。武豊駅では気動車でキハ35。土岐市駅は103系電車、釜戸駅は113系電車でした。  作業内容は、いずれもそれらの駅が終着となる列車の電留線や側線への転線作業で、翌朝は逆にホームへの転線作業でした。武豊駅では、朝は転線して、そのまま本線に留置してある車両への連結作業も加わりました。朝は3両編成を2編成連結し6両編成として運用し、通勤通学輸送に備えるわけです。  それでは中央西線釜戸駅での入換を例として作業内容をを見てみましょう。 当時の釜戸駅の配線です。  677M列車は釜戸駅下り本線に到着します。ホームで待ち構えていた駅員から入換通告券を運転士の分も含め2枚受領します。  駅員はそのまま客車内の忘れ物がないか、乗客が残っていないか、車内点検をします。その間に車掌も駅員とともに最前部へ移動し、運転士に通告券のうち1枚を渡し「8両持って下り本線引上げ。下り1番持ち込み」と作業内容を通告します。  駅員の点検が終了すると、駅員からの合図でドアを閉めます。ここでの入換作業では貨物列車のように無線機は使用しません。線路の番線を示す数字と上り、下り、連結、前、後、など入…

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【59】 清酒ん18きっぷの旅2010.8.28:松本

 私は、同じ会社のおっさん2人との計3人で、青春18きっぷが発売されるたびに、車中で酒を飲みながらの日帰り旅に出ています。  その旅を始めてこの夏で6年経ちました。青春18きっぷは春夏冬の年3回の発売されていますが、その間1回だけ行けなかったので、単純計算で18-1=17回も、この3人で出かけたことになります。目的は、お城、酒蔵訪問、温泉といったところです。  回を重ねれば、日帰りの範囲だとさすがに行き先が限られてきますし、この旅を始めたころは40代だった3人もすべて50代になってしまいました。体力的に無理がきかないようになるだけでなく、自分のみならず、親や家族の病気をはじめ諸事情が重なって、いつまで続けられるかわからない様相を呈してきました。 そんなこともあって行き先も、最近は近場に落ち着くことが多くなってきました。  そんなわけで、この夏も予定をしていたのですが、出かける予定だった日が諸事情で2度にわたって延期となり、昨日8月28日、やっと3人の予定が揃い「清酒ん18きっぷ」の旅ができました。行き先は信州、松本です。  私たちの信州方面への定番である中央西線下り1番列車に乗りましたが、神領始発松本行のこの列車、唯一、中津川で乗換せず松本へ直行できる普通列車です。まだ朝の8時前というのにこの状態です^^; ↓  そして松本に着きます。  朝の駅前の様子です。左のほうには私の一人旅の場合の「お食事処」松屋があります^^ 今回は3人でもあり、朝っぱらからビ…

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【58】 夏の終わりのチョコボール

一昨日8月25日、家内が「いつもと違うスーパーへ行ったら変わったキョロちゃんの絵のチョコボールがスーパーにあったよ」といって2個買ってきました。 見ますと、キョロちゃんが法被(はっぴ)を着ています。花火も描かれ夏祭りバージョンのようです。 1つはキャラメル、もう1つはいちご味でした。これは初めてみる箱絵です(^O^)/ 家内は、まだほかにも種類があったけれど、あんまり買うと無駄遣いになるのでやめたといいます。旦那が安月給取りですから日頃から無駄遣いを慎むよう教育されているので殊勝なものですが、こういうときは全種類を買ってきてもらわないと困ります…と勝手のいいことを思います。 夏祭りの箱絵から察するに、もう時期外れになりつつあり、あるときに全部買っておかないといつ店頭から姿を消すかわかりません。気になるではありませんか。ほかのはどんな絵なのだろう?そういえば定番のピーナッツがあるはず!と思いを巡らせます。 家内はそのスーパーにはしばらく行かないと言います。 他人に頼ってはいけないと、昨日26日、昼休みにJR中央本線勝川駅前の某スーパーへ行ってきました。 そして、そのスーパーにあったのはこの2箱。 まず1つは夏祭りの絵でピーナッツでした。夏祭りのシリーズは前日の2種と合わせて3種類のようです。すべてに「はんにゃ」の2人が違う表情で登場しています。 もうひとつは、前述のシリーズとはまったく別で、ホワイトチョコの大粒バージョンのようです。 大粒でデカいことからキ…

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【57】 国鉄時代の検測車

国鉄当時は主要な鉄道管理局に設備検査測定用としての事業用車が配置されていた。 私が所属していた名古屋鉄道管理局管内では架線と信号系統の検測車としてキヤ190と191の2両編成と、軌道試験車としてマヤ34が主に従事していた。 普段はいつでも見ることができない列車なので、地元で運転されることがわかると時刻を調べては写真を撮った。 まず、明知線(現在は第三セクター明知鉄道)。 まだ貨物列車が走っていた頃の検測は貨物列車に併結して行われていた。マヤ34は車籍上も客車で自走できないので、DD16ディーゼル機関車が牽引した。 普段はキハ52気動車ばかりで、機関車が牽く客車列車が運行されていない明知線。貨車と併結される検測列車は写真で見ると客貨混合列車を思わせる。 明知線では、のちに貨物列車が廃止されてしまうと、検測のため臨時列車が仕立てられた。マヤ1両だけをDD16が牽引。 マヤ34は東海道本線などは荷物列車に併結されたし、客車列車のある線区では客車併結で運行された。 客車列車も電車化や気動車化が進み、貨物列車も削減されていくとこのようなマヤ1両だけを機関車が牽くといった形態が多くなった。 上の写真は中央西線。EF64がマヤを牽く。 続いて架線と信号系統の検測車キヤ190と191。これは気動車。パンタグラフも装備しているが、検測用のものであって、電車ではない。 これも中央西線での撮影。運転台が特急電車みたいでカッコいいと思ったものだ。 このキヤは…

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【56】 MICRO ACE の キヤ95系ドクター東海

「マイクロエースのキヤ95系ドクター東海DR1編成改造後3両セット」を買ってしまいました。 またマイクロかよ(;一_一) の声も聞こえてきそうではありますが、この手の製品化があるとマイクロ信者ならずとも買ってしまうものです. この車両、JR東海エリア以外の方にはなじみがないと思います。 実車は検測試験車で、信号・通信・電気・軌道を高速で走行しながら検測するというすぐれものです。定期的にJR東海エリアのみならず、愛知環状鉄道・あおなみ線・樽見鉄道などでも検測のための入線が見られます。 ただ、毎日、違うところを走っているわけで、乗客を乗せるわけではないので時刻表にもダイヤが掲載されず、その姿を見るのは難しいものです。それでも名古屋車両区に所属しているので、近鉄名古屋線、あおなみ線、関西本線に乗ると、名古屋駅に入る少し手前で、休んでいる姿を見ることがよくあります。 JR東海では2編成があって、その両方が今回模型化されたのですが、私が買ったのは第一編成のほうです。 3両で組成され、軌道試験車である中間車には3つも台車が装備されます。 さて、早速走らせてみましょう。 第一編成はディーゼルカーのくせにパンタグラフがあります。写真では一番後ろの車両です。ちょっと見にくいですが、これは実車では検測用で走行用ではありません。 走行は軽快で音も静かでした。 パンタグラフ付近の屋根上には検測用の照明があります。 中間車の台車を照らすため同様に床下にも検測用の照…

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【55】 車掌4:切符の発行誤り(-_-;)

 車内補充券(略して車補)や車内片道乗車券(車内券)はすべての列車の乗務が終わった後、所属する車掌区の車補担当内勤者に引継書を作成して、使用しなかった残り片と使用した控え片とを、現金とともに引き継ぎ、受領印をもらいます。  上の写真は車内片道乗車券の引継に付属して付ける内訳表です。発行済みの車内券の薄い控え片を発駅着駅別に並べ替えて、この表に金額と発行枚数を書きこみ集計します。このため、この内訳表は車内券に記載してある駅順と同じになっています。参考のため、車内券の写真も下に貼っておきましょう。  計算した金額が領収した現金金額と一致するまでは不安で、一発で金額が合うとうれしいものでした。  車内補充券の場合も含めて、車内での限られた時間内で、現金の収受と何種類もの切符を発行をしますから、間違いも皆無ではありません。こうした車内券の間違いはパンチによる穴の入れ忘れや入れ間違いだけですが、車内補充券の場合は書きこむ箇所が多いですから間違いがよくおきます。単なるケアレスミスはもちろんありますし、恥ずかしいのは規定を知らないことによる間違いでした。  帰着後必ず車補担当でのチェックが入ります。特に新米車掌の書いた切符となれば、なおのこと厳しい目でのチェックとなります。  車掌区という職場はどこでも内勤者の事務机と乗務員の「たまり場」の間は銀行にあるようなカウンターで仕切られていました。銀行の窓口で預金するのとまったく同じように、カウンターごしに車補と現金の引継ぎをします。…

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【54】 変なコレクション2(松屋の食券 後篇)

今回も、前回の続編で、ほんとうにどうでもいい話で恐縮です。 前回は集まった松屋の食券で、その歴史を少しご覧いただいたわけですが、今回はめぐった店舗に注目してみましょう。 まずは地元は愛知県の春日井店から。期間限定価格250円。 その次は自動車の街豊田。次の2枚の写真の店名は違いますが同じ店です。知らない間に「248号線豊田店」から「豊田十塚店」へ店名が変わったのです。電話番号は変化なし。BSE問題で豚めしが主流となった時代が終わり新作牛めしとして牛めし復活。 同じく愛知県の長久手店。仕事の途中でした。 牛肉が豪州産になった時期です。 名古屋駅近くの 名駅西店。仕事の帰り道でした。 以下安価な豚めしが多くなります。 関東へ行って千葉我孫子店。関東鉄道竜ヶ崎線ほか乗り鉄のときでした。 東京 巣鴨南口店。中山道徒歩踏破最終日の途中でした。 なお、画像はありませんが、裏面にはクロネコヤマトの広告入りでした。 埼玉県 浦和店。中山道宿駅めぐりの途中でした。 群馬県 高崎駅前店。中山道宿駅めぐりの途中でした。 長野県 松本駅前店。中山道宿駅めぐりの途中でした。 三重県 津北店。紀勢本線全通50周年記念キハ181系展示を見にいったときでした。 非常にしょ~もないお話にお付き合いいただきましてありがとうございました。 感熱紙ですもんで、自動券売機の切符同様、年…

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【53】 変なコレクション1(松屋の食券 前篇)

今回は、ほんとうにどうでもいい話で恐縮です。 私は食べるものにあまりこだわりがありません。 微妙な味の違いがわからない味覚の持ち主ですので、食べ物に関してはこだわりの逸品とかに投資をしても猫に小判、豚に真珠の類です。 一人旅の場合、私は食事時間を短縮する目的で、食事は車内での弁当を愛用していますが、駅弁にはこだわらずスーパーやコンビニ弁当の場合も多々あります。しかし、この場合、往々にして普通列車ではロングシート車であったり、通勤時間帯に当たってしまうなど車内での飲食行為が、よほどの太い神経の持ち主でなければでき得ない場面にも出くわします。そのような飲食に不適当な条件に当たるかどうかについては日頃の研鑽???によって、使用されている車両の種類や車両数を予想し、自らの怪しい経験によって、ある程度見当がつきますので、判断によっては駅周辺のファストフードを選択することになります。 そうしたときに、駅そばはもっともありがたい存在で、よく利用します。駅そばは日本のファストフードの元祖ではないでしょうか。しかしながら量の関係もあって、ご飯ものがほしいときがあります。その場合、駅の近くにある牛丼チェーン店が便利です。 さて、皆さんは牛丼店というと、どこがお好みでしょうか。私は老舗の吉野家には昭和50年代前半の国鉄時代乗務の出先だった汐留に隣接する新橋駅のC11機関車近くの店舗には何度も世話になったものです。当時はコンビニもなく正月などは乗務員にとっては食事は悩みの種でしたが、吉野家の存在…

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【52】 宮脇俊三と今泉駅・・・終戦の日

時刻表昭和史という著書は紀行作家宮脇俊三の代表作の一つである。 時刻表を軸に据えた、大正末期生まれの筆者の終戦までの自叙伝であり、戦前戦中の日本を描き出している力作である。 この最後の場面が、昭和20年8月、前日に日射病になった後どうにか快復した筆者が、父親と2人で15日正午、米坂線と長井線が交わる今泉駅の玉音放送を聞き、列車に乗って帰るところ。 父親は筆者に「いいか、どんな放送であっても黙っているのだぞ」と念を押し、今泉駅前で雑音だらけのラジオから聞こえる昭和天皇の難解な言葉による放送を聞く。 『放送が終わっても、人びとは黙ったまま棒のように立っていた。』という。しかし『時は止まっていたが汽車は走って』いて全国民誰もが天皇の玉音放送を聞かなければならなかった『昭和20年8月15日正午という予告された歴史的時刻を無視して、日本の汽車は時刻表どおりに走っていた』と記述がある。 6年前山形鉄道訪問の際、この場面の舞台、今泉駅前に立った。思ったより狭い駅前広場。閑散とした駅前であった。 当時は米坂線にはキハ52や28、58も健在だった。特にキハ52は高校生時代に通学で使った美濃太田所属の車両が生き残っていて、何年ぶりかの再会をした。 美濃太田のキハ52のナンバーは全部覚えていた。何年かまえは飯山線で会ったな。内装もちょっと変わった。会うたびに色が変わりエンジンも変わり・・・ 私も、高校生から国鉄、そして今の仕事へ、長い年月の間にお互い変わっ…

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【51】 鉄分補給2010.8.11 広島更新色EF64 1046

先週、ネットで広島更新色のEF64 1046号機が、東海地区で運用を開始したとのニュースがありました。 笠寺とか春日井への小運転の貨物列車運用に就いているようで、本来新鶴見区のEF65の運用である春日井への運用には先週以降この1046号機が複数回入っているようです。この春日井駅をお昼過ぎに出て行く670列車は、私の昼休みのお楽しみ列車です. もうお盆休みで運休かなと思いながら8月11日、春日井駅まで行ってみることにしました。 すると、遠くから列車が停まっているのがわかりました。64かな?65かな?  近付くと、 中央西線では初めてお目にかかる広島更新色の64 1000番台です。 この広島更新色ですが、車体側面下部に白のラインが入って、かつてのお召機EF64 77号機の更新前の塗装を彷彿させます。私は77号機に国鉄在職中乗務列車を牽引してもらったことはありませんでしたが、八王子から稲沢へ転属してきて、地元で見られるようになってうれしかったものです。 連なるブルーのワムハチともベストマッチングではないですか! でも、のんびり見とれている暇はないのです。発車時刻が迫っています。 駅から少し離れ、小さい踏切で走行シーンを捕えます。 コンデジ使いの素人写真ですが、足の遅い貨物列車。なんとか写真にはなりました^^; さて、すぐ職場に戻らなくてはなりません。でも、この670列車、この3月のダイヤ改正前はもっと遅い時刻に春日井を発車していました。ダイヤ改正以後、…

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【50】 車掌3:車内切符の発行

 今は、地方ローカル線では短編成のワンマン列車が当たり前で、都市圏でさえワンマン列車が見られます。国鉄当時にはなかったことです。ただ、無人駅は国鉄末期にはかなり増加し、そういった駅からの乗客には車掌が車内で切符を発行し、また下車する乗客からは切符の回収と精算をしていました。このため、無人駅のあるローカル線の乗務では頻繁に車内へ入り、切符の発行と精算をする必要がありました。  これまでの自分のように、貨物列車専業の列車掛だった者からすれば、列車の運転に関する規則のほかに、旅客営業規則・旅客取扱基準規程といった旅客営業に関する規定類の習得が欠かせませんでした。これらの規定は列車掛の養成課程で教え込まれていましたが、修了後列車掛の期間が1年半ほどありましたから、改めて復習する必要がありました。規定類が頭に入っていないと乗客の問いに答えることができません。それより、正しい切符の発行ができません。乗務範囲が広いだけでなく、幹線の東海道本線を乗務エリアに持つ私どもの職場では長距離利用の乗客も多く、特に重要なことでした。  車掌になって、初めて現金を扱うことになりました。そして乗務中は命の次に大切な「車内補充券」を持たされました。以前に少し記しましたが、車内補充券は車内で運賃料金を精算するときの車内切符で、車内で発売するあらゆる切符に対応できるものです。この「車内補充券」は1冊に50枚が綴じられていて、万一盗難や紛失によって、それを悪用されたりしたら、高額の切符で払い戻しをされてしまったり、大変な事…

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【49】 入場券集めのお手伝い

 武豊線の武豊行普通列車に乗務していたときのこと。  始発の大府駅で若い鉄道ファンが話しかけてきた。話を聞くと入場券を集めていて、これから武豊線を一往復するのだという。 話の内容は行き違いの停車時間の長い駅があれば、その駅で改札を出て入場券を買ってきたいという趣旨であった。  当時の武豊線は列車本数も少なく、日中でも乗り遅れたりしたら1時間は待たないと次の列車はなかった。入場券を売っている駅は、緒川、東浦、亀崎、乙川、半田、終点武豊の6駅あった。 武豊は折り返し駅だから問題はないとしても、あいにくその列車は中間駅での長時間停車もない。それに駅の構造上、武豊行に関しては中間駅すべてにおいて、改札口へ行くには跨線橋を渡らねばならない構造で物理的にも不可能なことだった。こちらとしても走って怪我でもされたら困るし、列車が遅れるのも困る。          これは半田駅。跨線橋がある。  その旨を伝え、あきらめてもらったが、帰路の大府行であれば、乙川、東浦、緒川の各駅はホーム直結で改札がある。しかし列車が到着すれば改札も出札も同時に1人でこなすような小駅ばかりで、それも相当危険な芸当である。  自分もその道の人の気持ちは解るが勧めるわけにはいかない。武豊行の車内でどうにかならぬものか考えた結果、ある案を思いついた。前述のように大府行なら、乙川、東浦、緒川の各駅はホーム直結で改札があるから駅には武豊駅の折り返し時間を利用して改札係に電話をしておいて、自分が乗る折り返し列車に、事前…

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【48】 鉄道あちこち訪問記5:奥羽本線~田沢湖線1996.2.4

<<前回からの続き>>  花輪線を全線乗りつくし、大館に着くと、下り列車のダイヤがおかしい。 日本海側は昨夜からの大雪で下り日本海1号が大幅な遅れで運転中で、運休になった日本海3号の時刻より、さらに遅い時刻で運転中という。  大館から秋田へ向かうために乗った快速しらかみ4号は味気ない701系トップナンバーのクハ700-1だった。が、それよりもダイヤが気になる。この快速は遅れの日本海1号行き違いのため途中駅で臨時停車し7分遅れた。わずか7分であるが、遅れはそのままで終点の秋田についた。ここでほんらいなら3分連絡するはずの盛岡行たざわ14号は残念なことに待っていてはくれず、乗り継ぐことができなかったのだ。私のほかにも乗換の客はあったが、1時間後のたざわ16号に指定券の変更をしますと案内があった。秋田の3分連絡は夢に終わった。  絶妙の乗り継ぎで、ウイークエンドフリーきっぷの効力を最大限に使い、帰路は高価な東海道新幹線に乗ることなく、JR東日本の中央東線経由で、塩尻から先の別途片道運賃としなの号の特急券のみの追加で、その日のうちに名古屋まで帰る予定がこれで崩れてしまった。ちなみにこの時点では長野新幹線はまだ開通していない。  もしも秋田でたざわ14号が快速しらかみ4号のわずかの乗り換え客を待つとなると、たざわ14号も5~7分は遅れる。そうすると盛岡で新幹線の4分連絡が問題になり、新幹線を待たせる必要が起ってくる。新幹線のダイヤにまで影響を及ぼさないようにした運転指令の判断は正しいと…

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【47】 鉄道あちこち訪問記4:花輪線1996.2.4

《前回からの続きです。》  岩泉を訪れ、その晩は盛岡で泊った。  翌日は、未乗の花輪線~奥羽本線~未乗の田沢湖線とくるりと一周して盛岡に戻ってくることになっている。 とりあえず朝食の確保が必要なので、駅弁の世話になる。 特製とりめし。製造販売「村井松月堂」は同駅のもうひとつの駅弁業者「むつ弁」とともに現在は駅弁から撤退しているという。  盛岡駅を6時59分発の大館行に乗る。昨日に引き続いてキハ58の2両編成。 現在はIGRいわて銀河鉄道となった旧東北本線を約20㎞北上し好摩駅から花輪線に入る。2月ということで雪が心配されるが雪国の鉄道なので少々のことでは遅れたりはしないのが心強い。  花輪線といえば、私のような50代にとってはSL活躍当時の8620形の三重連で有名になったところだが、駅名がいくつか変わっており、駅名から昔を偲ぶことができない。JR化後に岩手松尾→松尾八幡平、龍ヶ森→安比高原、湯瀬→湯瀬温泉、陸中花輪→鹿角花輪と変わっていて、安比高原といわれても龍ヶ森と脳内変換しないと実感が湧かないのが困る。  それでも高原状の大地を右へ左へとくねりながらゆっくりと雪の峠を越える列車からは、SL時代であれば相当な苦労と同時に迫力があったであろうことがうかがい知れた。  峠を越えると荒屋新町。機関支区のあったところだ。ここで行き違い待ち。反対列車はキハ52とキハ58の混成だった。 まだ閉塞方式も非自動でタブレットの授受がみられた。  駅…

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【46】 鉄道あちこち訪問記3:山田線・岩泉線1996.2.3

<<岩泉線の早期復旧を願って・・・の訪問記>>  先日脱線事故があった岩泉線。私はこの岩泉線には1996年2月に乗りに行った。行程は一泊二日。  名古屋を朝一番のひかり号(当時は100系)に乗った。 金券ショップで買った新幹線回数券利用で東京駅に降りると、こうしてJR東日本エリアでないと買えないフリー切符を買ってから東北新幹線に乗り込むパターンだった。 この手のフリー切符はこの当時は使用日当日に買うことができたが、その後、前日までの発売に制限されるようになり非常に不便な時代を迎えることになった。  東京での乗換えと切符の購入時間で30分弱。 東京8時52分MAXやまびこ(E1系)に乗り換え。 これで盛岡へは11時44分。 ここで岩泉線に負けず劣らずの超ローカル線の山田線に乗り換えるのだが、山田線の列車は盛岡発13時42分と待ち時間が2時間くらいある。この間に夜のビジネスホテル探し。当時は私もインターネットというものの利用をしていなかったので、宿泊ガイド本が頼りで、事前に宿泊予約をしない場合は現地を見てビジネスホテルを決めるようなやりかただった。  盛岡では時間があったのでホームで列車の写真を撮ることができた。 はつかりの並び。手前は4つ目玉の1500番台。 運よくオリエントサルーンがホームにいた。  盛岡からの山田線はキハ58の2両編成。アイドリング音からしてエンジンはすでに国鉄時代のものとは換装されているのがわかる。国鉄キハ58とは違うエンジ…

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【45】 岩泉線の事故

 昨日31日の朝、JR岩泉線で茂市発岩泉行きの普通列車が線路内に流出した土砂に突っ込んで脱線し、前面の窓ガラスが割れ、9人(乗客7人と乗員2人)中3人が打撲などの軽傷を負ったとのニュースを見た。  テレビで見ると、落石防護シェルターから顔を出したキハ110が線路の土砂にぶつかっている。シェルターも土砂をかぶっていて、横から見ると列車が土砂にまるごと埋まっているように見えるが下は谷のようで、怪我をされた方にはほんとうにお気の毒だが、最小限の事故に食い止めたとの感想を持つ。  それと、ここはワンマン化されてないのだろうか。車掌も乗務していたとのこと。テレビ報道では、現場は無線も通話できない区間で、運転士は事故と救護の連絡のため線路沿いに設置されている沿線電話機へ走り、その間車掌は怪我をした乗客の応急処置に当たったとのことだった。  こんな事故があると、ワンマンカーだったら乗務員の苦労は大変なのだろうと感じる。運転室の窓ガラスも割れたそうだが、運転士が事故後も動ける状態であったことで外部へ連絡を取ることができたが、なにぶんにも「秘境駅」として名高い駅の前後での事故である。先日私が乗った名松線と同じような境遇の岩泉線。今後JR東日本がどう対処していくのだろうか。テレビでは開通まで数日かかるようなことを言っていたが、存続なら再発防止のための工事に加え、いずれは非常時の対策として無線中継局の整備が必要になろう。それと引き換えにワンマン化か。  これまでこの区間の無線が通じないままになっ…

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