【90】 鉄分の多い日本酒?:西日本編

日本酒に鉄分があったら…などと考えると、きっとおいしいものではないと思いますよね。 けれど、こんな日本酒であればそうでもない。鉄道と酒 まったく結びつかないものではあるけれど、自分が各地の鉄道をを訪問したとき「鉄分のある」日本酒を見つけてきましたよ。 中身は飲んでしまったのでコメントできませんのでごめんなさいm(__)m 瓶からはがして保存してあるラベルをご覧ください。 まずはこれ! 蒸気機関車で有名な大井川鐡道(買った当時は大井川鉄道)。 なにやら腰高でバランスがよろしくないC11ですがここの鉄道最古参227号機です^^; つづいて、これ! 嵯峨野観光鉄道のDE10がデザインされています。なんか実物とは色が違うような??? つぎはこれ! 信楽高原鐡道。それにしても車両は実物とは似ても似つかないですね。桜の花のデザインは開業当初のもののようですが・・・。台車枠がなくて、ボックス車輪。 ここまではカップ酒です。 ここから先は300ml瓶のラベルになります。 次は四国! 土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線開通記念酒。 各駅のキャラクターがデザインされていますね。 余談ですが、後免から列車に乗って、安芸の駅でこのお酒を買ったあと終点奈半利まで乗り通しました。そのあと室戸岬回りのバスに乗り継ぎ、バスの中でこのお酒を車内で飲んだんです。揺れるバスに乗ってすっかり酔いがまわって、終点甲浦に着きました。阿佐海岸鉄道の列車までの時間つぶしに港でフラ…

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【89】 鉄分の多い日本酒?:東日本編

日本酒に鉄分があったら…などと考えると、きっとおいしいものではないと思いますよね。 けれど、こんな日本酒であればそうでもない。鉄道と酒 まったく結びつかないものではあるけれど、自分が各地の鉄道をを訪問したとき「鉄分のある」日本酒を見つけてきましたよ。 中身は飲んでしまったのでコメントできませんのでごめんなさいm(__)m 瓶からはがして保存してあるラベルをご覧ください。 東日本編いってみます^^ まずはこれ! 会津線。ではありますが、会津線に乗ったわけではなく、飯山線、磐越西線、只見線の豪雪地帯乗り鉄旅の際に会津若松で仕入れたものです。ときは平成3年。このときの同行者は私を含め5人で、私以外はJRに残った鉄分あふれる現役車掌さんでした。よく休みが取れたものだと思いますが、5人は車内での雪見酒を堪能し、このお酒もあっという間に空になりました^^; 続いて、 由利高原鉄道です。鳥海山と車両の写真で、いかにも高原を走ってるみたいですが、合成写真のようですね。社名にあるような「高原」らしいところを走ったようには思えなかったのですが^^; 最後になります。 銚子電鉄の「でんでん酒」です。 中京地区に住んでいる身としては非常に遠い位置にある鉄道なのですが、私は3回訪問しています。 2回目の訪問でノーマルヴァージョンを購入。売店でなく仲ノ町駅の「事務室」で酒を買うという不思議な体験???をしました。 3回目の訪問では新たに発売された桃鉄ヴァージョンを、このときは犬吠駅…

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【88】 乗務した車両:155系電車

155系は修学旅行用として定員確保のため片側に3人掛け6人ボックス座席を装備するなど特異な電車でした。 修学旅行が新幹線へ移行したために不要となり、一般用に転用されて普通の4人ボックス席に改造され、塗色も湘南色に変更された状態で、関西地区から大垣電車区に転入してきました。大垣での155系は、従来の153系の定期運用に165系とともに混用されました。そのため、「比叡」や「東海」といった急行にも運用されていました。 写真は大垣へ転属してくる前(大阪鉄道管理局所属車)の団体臨時列車で、中央西線恵那駅での撮影です。 153系によく似ていますが、スカートがなく、屋根が低く平たいのが外観上の大きな特徴でしょう。 私が155系に乗務していた区間は153系と同じです。 昭和56年11月25日 中央本線681M 8  クハ153-553 名カキ 7  モハ153-159 名カキ 6  モハ152-159 名カキ 5  サハ153-216 名カキ 4  クハ155-19  名カキ ←155系 3  モハ153-63  名カキ 2  モハ152-63  名カキ 1  クハ153-76  名カキ (垣105) 乗務区間:名古屋~高蔵寺 この編成例では4号車にクハ155が混入しています。余談ですが最後部のクハ153は0番台の低運転台車で、すでに少なくなっていた2種類の低運転台車が含まれていたことになります。 座席は4人ボックスに改造されているとはいえ、車内に入…

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【87】 乗務した車両:153系電車

153系は新幹線開業前に東海道本線の準急や急行の主役として活躍した車両です。 その後登場した165系と外観はよく似ていますが、正面の塗り分けが異なっていました。 中京地区では大垣電車区に配置され、私が乗務していた昭和56年ごろは、主に東海道本線で快速運用を中心に活躍していました。朝夕に中央西線でも運用されていました。 写真は乗務区間とは関係のない山陽本線瀬野を通過する低運転台のクハ153-0番台車を先頭にした急行「山陽」です。このように東海道新幹線の開業によって東海道筋の急行列車は削減され、山陽本線に転用されていった車両もありました。 私が153系に乗務していた範囲は 東海道本線 浜松~米原 中央本線  名古屋~高蔵寺 以上の区間でした。 当時の大垣電車区には153系のほか165系や修学旅行用から転用された155系も配置され、飯田線直通の165系限定の4両運用を除き、これらが8両編成で共通運用されていました。 153系の客室設備は165系の元となった形式ですから大差なく、車掌の仕事の面においては153系だから特別違う取扱というものはありませんでした。しいて挙げれば、まだ非冷房車が存在したこと、ドアを開閉する車掌スイッチが旧式であったことで操作が少し異なっていたことぐらいでした。 クハ153には0番台の低運転台クハ153-0番台と高運転台クハ153-500番台との2種類があって、低運転台クハ153-0番台の乗務員室(運転室)は、外観ともども165系とは雰囲…

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【86】 「回想」列車・長野行1991年

先日、長野へ行ったことをブログに書きました。(こちらになります。) 長野では毎年行っている善光寺のほかに、19年ぶりに「城山動物園」にも行ってみました。今回の訪問で、そこには長野新幹線E2系あさまを模した形のモノレールがあって、長野らしいなと思ったのでした。 しかし、記憶では19年前にもモノレールがあって、そのときはまだ就学前の子供2人といっしょに乗ったはずでした。その当時はまだ長野新幹線はありません。当時はどのようなものであったのか気になってきます。その時の様子は「ソニーハンディーカム8ミリビデオ」(←古っ^^;)で撮ったはずなので、その映像を探してみることにしました。もう8ミリビデオは壊れてしまい捨ててしまいましたので、残っているのはVHSビデオテープにダビング編集し,DVDにコピーした映像だけです。 何枚かDVDを早送り再生して、ようやく見つけた映像はコレでした。 (以下は古いビデオテープからのキャプチャ画像ですので不鮮明なことをご了解ください) これは当時の新幹線の主力100系を模したものですね。時代背景を調べてみると当時300系新幹線はすでに完成していたものの、まだ営業運転には供されておらず、試作車が高速試験中だった時代です。先頭に乗っているのは私と次男。長男は進行右側にいるので写っていません。 ちょっと待った!!窓周りの青は0系の塗り分けですね!窓下のラインがない^^; ところで下の画像をご覧ください そして先日のE2の写真と比べてみましょう…

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【85】 トトロの森

このブログを始めて2カ月弱が過ぎた6月下旬、私の父親が脳梗塞を発症して2週間入院しました。退院後は右手に少し後遺症が残りましたが、幸い大きな障害ではありませんでした。 それでも年寄り2人だけの生活は何かと不自由ですので、週に1回程度、私が実家に通うことにしました。私の住む愛知県内の家から両親の住む岐阜県東部の実家までは、自動車でも中央西線を利用してもほとんど同じくらいの所要時間で行くことができます。列車の場合乗っている時間は45分くらいで、両最寄り駅からは徒歩になります。 歩こう歩こう わたしは元気~ となりのトトロの主題歌「さんぽ」は歩きながら歌うと元気が出ますね^^ 子供のころに遊んだ場所や列車を見た場所を寄り道しながら歩いて巡るのも一興で、ちょっとした旅行気分で出かけられるので最近は自動車でなく回数券を買って列車で行くようになりました。 私が育った岐阜県東部を離れ23年。これまでは月に1回程度自動車で帰郷することがほとんどでしたので、歩いてみると新しい発見があるものです。駅からの田んぼ道を歩いていますと、夏休みに魚を捕りに行った川は河川改修で立派な護岸工事がされ、かわりに川を覆うようにあった竹藪もすっかりなくなっていました。 でも、自然は豊富に残っていました。 みつばち ぶんぶん はなばたけ ひなたにとかげ へびはひるね ばったがとんで まがりみち そして今になって私は子供のころから全く知らなかった風景に気付いたのです。 田んぼの向こうにある…

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【84】 2つの効績章

前回「効績章」のお話をさせていただきました。 実はYahoo!オークションで落札したもののほか、もうひとつ同じものがあります… 一つはヤフオクではなくて、正真正銘30年勤続によって、ある人に直接授与されたものです。 表彰状もご覧のとおりあるのです。日付が昭和52年10月14日になっています。私が国鉄就職後2年目の年ですから、私のではないのは明らかです。 実はこれ、私の父親のものなのです。 ということは、私は2代目だったのか、と早合点されてはいけません。 私の祖父も国鉄職員(就職当時は鉄道省)でしたので私は3代目の鉄道員になるのです。 ただし、私は祖父のことは全く記憶にありません。なぜなら、私の両親が結婚したときには、祖父は国鉄に在籍していたものの病床にあって休職中でした。そのまま定年を迎え、50代で他界しているからです。 それでも祖父は名古屋鉄道管理局管内の運転職場や検車職場に勤めたらしいです。機関助手から機関士にならず事務職や検車業務に従事し、勤務地を稲沢、米原と移り、退職時は中津川機関区の助役であったといいます。今となっては詳細不明ですが、機関助士時代にはお召列車を牽いたこともあるやに聞いています。その転勤のたびに転居を伴い、当時子供だった私の父親は2回転校しています。 戦後、私の父親も国鉄に就職し、そのほとんどを車掌区で勤務し昭和58年に定年退職しました。車掌区では荷扱手(後の乗務掛(荷扱))に始まり、貨物列車の車掌、その後貨車の検査業務も行…

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【83】 鉄道の日と「効績章」

「鉄道の日」の前身である「鉄道記念日」は国鉄にとっては、まさに記念日で、多くの表彰の類はこの日に行われていました。文化勲章が文化の日に行われるのと同じような意味あいでしょうか。 一般職員に縁のある表彰は「効績章」でした。一般に言われるところの「永年勤続表彰」です。 名古屋駅は現在ではセントラルタワーズと呼ばれる高層ビルになりましたが、国鉄時代には古いながらも国鉄駅としての格が備わった駅ビルがあって、2階以上は名古屋鉄道管理局の庁舎として機能していました。その中には広い講堂もあって、効績章はじめ多くのセレモニーはここで行われていました。 普通、効績章は勤続30年で受章し、奥さん同伴で授章に臨む職員もありました。勲章のような効績章と表彰状のほか、記念品としての腕時計と花瓶、さらに金一封が贈られました。 上下3㎝にも満たないような小さなものですが純銀製らしく、動輪をデザインしたものです。 私は就職後約11年で分割民営化を迎えることになり、これを機に退職しましたので、効績章を受章することはありませんでした。国鉄からそのまま引き続きJRに採用された社員も、国鉄時代を通算して類似の制度があるようですので、私がもしJRに在職して(無事故で)いたならば、数年前に受章していたはずです。 ところで、Yahoo!オークションには、ほんとうにさまざまなものが出品されているものです。 3年ほど前になりますが、私も効績章バッジを入札してみようと…

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【82】 鉄道の日と日本鉄道発祥の地「汐留」

今日10月14日は「鉄道の日」。 「鉄」であればご承知のように、日本で初めての鉄道として新橋駅(のちの汐留駅(貨物駅でしたがすでに廃止))~横浜駅(現桜木町駅)の間が開通したのが太陽暦の1872年10月14日であるということだそうです。 「鉄道の日」と呼ばれるようになったのは、国鉄の分割民営化のさらにあとのことで、そんなに古い話ではありません。国鉄時代は「鉄道記念日」と呼ばれていて、国鉄関係者以外にはそれほど認知されていなかったように思います。 私は国鉄就職後約3年のあいだ、この日本鉄道発祥の地「汐留」まで荷物列車で週に1回程度乗務していました。 ここが旧汐留駅構内にあった日本の鉄道発祥の地。それを示す碑と車止がありました。 国鉄最末期1987年の撮影です。 旧汐留駅は銀座に隣接する一等地でした。分割民営化の大きな目的の一つであった債務処理のため、その跡地は売却され、更地になってしまいました。 上の写真はその後の1999年の撮影です。正面は「ゆりかもめ」の新橋駅です。貨物駅だったとは思えないほど何もなく、浜松町の世界貿易センタービル(左端)まで何も遮るものがありません。 その左(海側)です。いかに広大な敷地であったのかと驚くばかりです。 これは現在の復元されたホームですが、土地自体が嵩上げされていて、この直下に実際のホームの遺構があります。実物が見られるよう一部分をガラス張りにしてありました。 現在のように高層ビル群ができてしまっても、鉄道発…

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【81】 鉄分補給2010.10.10:長野行いいわけ列車しなの3号

3連休の中日10月10日、長野へ行ってきました。 そもそも私は基本的に連休や盆正月といった人が集中する時には極力出かけないことにしていますので、当初は連休中の天気が悪そうだったし、どこにも出かけるつもりはなかったのです。 私は毎年欠かさず善光寺参りに行くことに決めているのですが、今年はまだ行っていません。そろそろ行かないと今年中に行けなくなってしまうと思うのが例年この時期で、近年は11月ごろ行くことが多くなっています。 そのまま年末になってしまい12月24日になって出かけた年もありました。信州に用事がないとそういうことになりがちで、ちなみに昨年は御開帳の年であったので、その期間中の4月に行けました。 家で、そろそろ行ってこないと!と言っていたら、家内が連休中に「おやき」を食べに行ってもいいねと言いだしました。出かける必要もないのに、まことにどうでもよい「出かけるためのいいわけ」みたいな動機で善光寺参りに行くことになりました。 かくいう私にも「いいわけ」はあるのです。しなの鉄道で先月から169系を国鉄湘南色に塗り戻して運転しているというので、どんな具合か見てみたい。 とにかく2人ともこじつけの動機ができ、出かけることになったので、連休中の169系の運用をしなの鉄道のHPで見ると、連休中9~10日には日中に篠ノ井線姨捨までの運用があって、朝、家を出れば篠ノ井駅でその姿が見られるはずです。 一日中雨だった9日、翌日は天気も回復傾向らしいとの予報だったので早朝、駅の窓…

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【80】 鉄分の多いキャラメル?Hi‐SOFT

鉄分が多いといっても貧血が治るキャラメルではありませんよ。 鉄道とキャラメル まったく結びつかないものではあるけれど、自分がスーパーの菓子売場で「鉄分のある」キャラメルを見つけてきましたよ(^O^)/ ご覧いただけくだけで、キャラメルそのものを食べなくても「鉄分補給」できますよ←ホントかよ(;一_一) キャラメルの代表格でもあるハイソフトです。このキャラメルの右に出るキャラメルは食べたことがない。本体のキャラメル¨も”味、柔らかさともGOODで大変おいしいんですが、ここで注目すべきは本体ではありません(^_^;) 箱です。 このパッケージから鉄分が漂ってきます。3両編成の電車は何処の車両なのでしょう。3両ともダブルパンタだぞ???こんなんあったっけ??? 変電所大丈夫かしらん??? いったい何処の電車なのか私には考えつかないですね^^; 旧タイプの駅名標は「ハイソフト」という駅名になっています。 「旅にハイソフト」と購買意欲をそそるお言葉。 でも50過ぎのハゲのオッサンが買うことなど想定外でしょうね。 実はこの夏だったか、さらにハイソフトの鉄分がアップしたのですよ。こんなふうに! 駅名標とベンチの代わりに「ローカル線で行く鉄旅カード入り」と来ました!! これは完全に鉄子さんをも意識してのことかと(^_^;) その「鉄旅カード」とはこんなやつでした。 津軽鉄道です。ほかにはどんなのがあるかは知りませんが、あえて日本のローカル鉄道を志向して海…

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【79】 中央西線670列車(後篇):過去の春日井貨物

中央西線の稲沢~春日井間の小運転貨物列車は、私が列車掛をしているころにすでに存在していました。 当時は春日井駅だけでなく新守山駅でも貨車の解結を行っていました。牽引機は稲沢第一機関区のDE10またはDE11でした。私が乗務していたのは稲沢から春日井への下り列車でした。 昭和55年10月17日 中央本線665列車 運転区間 稲沢~春日井 乗務区間 稲沢~春日井 DE10 35(稲一) 《発駅~着駅》 ハワム 80684  茨木~千種(新守山解放) ハワム 88536  茨木~千種(新守山解放) ハワム285825  茨木~千種(新守山解放) ハワム185620  左沢~新守山  ワラ   8576  小山~新守山 ハワム285503  中条~新守山 ハワム284808  鶴岡~新守山 ハワム183994  西岡山~新守山   ワラ   7468  稲沢~春日井  ワム 64769  稲沢~春日井   ワム 71506  稲沢~春日井 ハワム285296  稲沢~春日井 ハワム284447  稲沢~春日井 ハワム 86804  稲沢~春日井 ハワム180090  稲沢~春日井 ハワム280238  稲沢~春日井 コトラ  90892  西長岡~春日井 ハワム 88505  稲沢~春日井 ハワム188804  西岡山~春日井 ハワム282549  稲沢~春日井 ハワム282111  稲沢~春日井 コトラ  90905  渋川…

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【78】 中央西線670列車(前篇):帰ってきたPF

このブログを以前からご覧頂いている方はご存知かと思いますが、今年3月のダイヤ改正で通称春日井貨物と呼ばれる中央西線670列車の時刻が変わって、会社の昼休みの時間帯に見られるようになりました。昼食後のウォーキングを兼ねて春以降、よく沿線へ見に行くようになりました。 この列車はワム80000とコキで組成された列車で、春日井にある製紙工場から紙製品を輸送している貨物列車です。 以前にも書きましたように、私にとってはEF65やEF66は中央西線には場違いな印象を持ちますが、それと同時に、地域で分割されてしまったJRの各旅客会社には少ない広域運用が私を楽しませてくれるのです。首都圏の機関車がこのような中央西線に入線し、わずかに残されたEF65PFの国鉄特急色をこの沿線で見るようになることなど国鉄時代には想像もつかなかったことなので、何とも言えない想いがするのでした。 私がこの670列車を見に行けるのは週に1~3回です。しかし国鉄特急色にはほとんどお目にかかれませんでした。毎回期待して行っても、会えるのは貨物更新色のPFばかりだと、さすがにちょっと出かける気が失せるのでした。 7月に入ってからはEF65PFそのものを全く見なくなりました。やってくる機関車は代走の愛知機関区EF64の1000番台ばかりになってしまったのです。 そのEF64 1000番台も数日同じカマが続くことが多くて、いったいどんな事情でどんなやりくりをしているのか疑問に思いながら、3か月ちかくも代走が続くと、…

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【77】 乗務した車両:113系電車(3):JR東海へ移行後のこと

JR東海神領車両区の113系が中央西線での最終運用に就いたのは2006年11月のことでした。 愛知万博のとき、会場へのアクセス列車エキスポシャトルで愛知環状鉄道へ乗り入れるなど211系に混じって大活躍をしたものですが、それが引退前の大きな仕事になったようです。 愛知環状鉄道瀬戸口駅での113系。すれ違うのは愛知環状鉄道の100形。どちらの電車も、もうここで見ることはできません。 そのほかにも万博輸送中、愛知環状鉄道では所有車両をフル稼働させて対応しましたが、定期検査の際にはJR東海から借り入れた113系が愛知環状鉄道車両の代走をしたのでした。こうした113系での運用に備えて、万博開催前には愛知環状鉄道線内で113系の試運転列車が連日運転されました。 上の写真は、その試運転列車です。新豊田駅での撮影です。 エキスポシャトルは愛知環状鉄道のうち新規開業区間への乗り入れでしたが、こちらの自社線車両の代走列車は国鉄旧岡多線部分も含む愛知環状鉄道全線での運転でした。国鉄岡多線時代には毎日113系が見られたもので、(のちに165系に変更された)約20年ぶりの返り咲きとでもいえましょうか。私もいつも乗務していた線だけに、国鉄改革で切り離されて第三セクター化された旧岡多線の新豊田で113系が見られたことには感慨一入でした。 国鉄当時と変わらない色の座席 他のJR各社では座席モケット地を明るい色に換えることが多かったですが、JR東海では最後まで国鉄時代から変わらない青いモケットの座…

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【76】 乗務した車両:113系電車(2)

神領車両区に113系が配置され中央西線で運用に就いたのは、私が高校生のとき中津川~塩尻間が電化されたことによって中央本線が全線電化完成した昭和48年でした。 ※それまでも一部区間に静岡の111系が入っていました。 配置されたのは新車ではなく、首都圏からの転属車でしたので最初は湘南色と横須賀色が入り混じった編成も見られました。以下の写真はすべて画像は転属間もない中央西線での横須賀色113系です。 走っている自動車やバスにも時代を感じます。黒塗りの自動車はセドリック、右端の白いのはクラウンの2ドアHTでしょうか。 少しずつ湘南色に塗り替えられていったので横須賀色は減ってゆき、この写真が最後の1両だったと記憶しています。 それまで中央西線の電化区間は中津川まででした。名古屋口で運用されていた主な電車は70系や72系で、これらは横須賀色でした。私は113系も当然横須賀色になるものと考えていたのですが、実際には湘南色へ統一されました。神領の113系は東海道本線にも乗り入れていましたので、今思えばこれでよかったのでしょう。 国鉄在職中に私が113系に乗務した線区は、 東海道本線 米原~浜松         大垣~美濃赤坂 中央本線  名古屋~南木曽 関西本線  名古屋~亀山 岡多線    岡崎~新豊田 以上のように乗務担当区間のうち電化区間の大部分にあたります。 前回のブログで記しましたように、中京地区の113系は神領電車区と大垣電車区所属…

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