【105】 鉄分補給2010.11.27:中央西線へ入線したDD51

先週11月22日、いつものお昼休みのウォーキングの途中、春日井駅近くにある愛知電機の専用線に大物車シキ800とヨ8000のコンビが停まっているのを発見しました。またトランスの輸送があるようです。 (今年6月にも春日井から大物車の発送がありました。拙ブログでその様子を記しました。よろしければご覧ください。) 鉄分補給2010.6.17 大物車シキ800 鉄分補給2010.6.19 大物車シキ800その後 その後様子をうかがっておりましたら、2日後の24日朝にはシキは積荷の積載のために車体を分割されていました。 25日には積み込み作業を行っていました。 26日にはすでに積み込み作業を終えていたものの動きがなく、11月27日には発送されそうな雰囲気でした。 春日井駅からのトランス輸送は私の知る限り今年に入って3回目となります。前回と前々回は、いずれも、その輸送用機関車はワムハチを連ねてくる下り春日井貨物673列車で春日井まで回送されてきました。おそらく今回も同じと思われます。27日は実家へ行く日ではありますが、その前にちょっと寄り道です。 大曽根~新守山間の矢田川鉄橋が見える河川敷で列車を待ちますと、現れたのは最初の写真のように、EF65PF+DD51のコンビでした。 この列車の後のほうにはワムハチが連なっているのですが、コンテナが前位に連結されていますので見えません。 前述のように今年3回目の回送ですが、1回目はダイヤ改正前で本務機の運用が現在と異な…

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【104】 乗務した車両:キハ35系気動車

キハ35系は通勤型のディーゼルカーでした。 片側に3つの両開き外吊りドアを持っていて戸袋がない異色の車両でもありました。 通勤型なので車内はロングシートで旅行向きではなく、この車両に好んで乗る人は少数派だと思います。 私が乗客としてキハ35が連結されている列車に乗るとき、他の車種と混結されている場合は、必ず他の車両に乗りました。そんなキハ35系ですが、仕事では何度も乗ることになりました。 私がこの系列に乗務していたのは、 東海道本線~武豊線(名古屋~大府~武豊) 関西本線(名古屋~亀山) 伊勢線((四日市)~南四日市~津) 以上の区間でした。 【武豊線】 朝夕に急行間合い運用の急行型が入ってくるのを除くと、すべて名古屋第一機関区のキハ35によって運行されていました。 3両編成と4両編成とがありましたが国鉄末期になると、1両ずつ減車されました。 昭和57年11月16日 武豊線~東海道本線921D 運転区間・乗務区間とも 武豊~名古屋 キハ35 91 名ナコ キハ35 53 名ナコ キハ35 48 名ナコ キハ35 50 名ナコ キハ35 52 名ナコ キハ35 54 名ナコ (前3両・後3両とも名52) この編成は朝1往復半だけ存在した、3両編成を2編成連結して6両とした列車です。 この921Dは武豊駅の一番列車です。発車前に前夜からホームに留置してある3両編成に、側線の3両編成を連結する入換作業がありました。この入換作業…

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【103】 乗務中見えるもの

 列車に乗務していると、沿線の風景はいやでも目に入ります。  乗務掛のころ乗務していた東海道本線の荷41列車は、一般の荷物のほか、翌日の朝刊を始めとする新聞や雑誌類を汐留で積載し、深夜の東海道を下る列車でした。 深夜の列車なので車窓を眺めることもなく、特に運転業務に関係ない乗務掛は気楽なもので、乗務中とは言え仮眠することもたびたびありました。荷物室に入り、適当な大きさの荷物を並べてベッドを作り、貸与されている厚い前掛けをシーツ代わりにして横になるのです。  深夜の東海道を走り抜けて、名古屋には朝7時前に着きました。ここから西は別の乗務員と交代し、勤務解放となります。車掌区に着くと蒲原の警察署から電話が入っているといいます。こちらは蒲原あたりでは自作のベッドで仮眠していましたので、その間になにか運転上の事故でもあったかとドキリとしましたが、話を聞くと、ちょうどこの列車が由比付近を通過していた時刻に、東海道本線と並行する国道で交通事故があったらしく、乗務員がその事故を目撃していないかということなのでした。 まさか、勤務中に寝ていたのでわからないとは言えないので、執務中で外を眺めている余裕はないのでわからないと荷扱専務が答えました。  それだけのことですが、由比あたりは日中であれば、富士山や潮の香りのする漁港を眺め、東京名古屋間のほぼ中間地点なので、あと半分だなと思いながら車窓を眺めている場所でした。  乗務中に撮影した富士山です。東海道を往来する列車は今は変われど…

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【102】 車窓のたのしみ

車窓を楽しむだけの旅をすることがあるくらい、電車やバスに乗ることは好きだ。 上の写真は、室蘭支線に乗りに行った時のもの。SLがいる!と気がついて、車窓から撮ったもの。わかりにくいが、小さくSLが写っている。 どうでもいいようなことが、気になる。それが車窓から見た風景だ。 なぜかと言えば、一瞬しか見られない宿命にあるということに尽きるのではないか。 こういう人間がいるとか思えば、旅先の電車やバスの車中では多くの人が新聞や本を読み、携帯をいじり、あるいは寝ている。こんなにおもしろい車窓を見ずにいるなんて、運賃がもったいないではないかとさえ思う。 そういう私でも多人数での旅の場合は、車窓は気にしつつも、車中では話に花に咲かせ別の楽しみとなる。それがリアルタイムで車窓を見ながら、見える風景についての話題であればなおよい。 この写真は、愛知高速鉄道リニモから見た「愛・地球博」跡地の車窓。 たとえば多人数の旅で、こうした車窓を見れば「愛・地球博」に行った時の話題で盛り上がることになる。 車窓の旅で最も憤りを感じるのは、私が通路側にしか座れなかったときに窓側の人がカーテンを閉めているとき。そんなときは、ほんとうに席を代わってほしいと思う。まさか席を代わってくださいとか、カーテンを開けてくださいなどと言う度胸は私にはないから、その列車に乗った意味の大半を失うことになる。そういう意味において、私にとって「指定席」とは「不自由席」であるのだ。 指定席には、シートピッチと窓割が合ってい…

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【101】 鉄分補給2010.11.20ちょっと寄り道 明知鉄道1往復

私が田舎の実家に毎週通うようになって4ヵ月以上が過ぎました。その事情は先月のブログ記事トトロの森のとおりですが、父親も、軽い後遺症はあるものの、今のところ脳梗塞の再発もなく、無事に過ごしています。 たいてい土曜日に実家へ行くことにしているので、昨日も中央西線の快速に乗って出かけました。 秋晴れを絵に描いたような大変よい天気でしたので、その前に恵那駅で下車し、ちょっと寄り道をして、明知鉄道に乗って終点の明智駅まで1往復してまいりました。 明知鉄道の切符はこれです。 私の実家は明知鉄道沿線ではありませんが、比較的近くなので自動車ではその沿線はよく通りますし、国鉄明知線時代に遡れば、蒸気機関車の撮影をするため、高校時代には実家から自転車で出かけたりしていたものですから、その沿線風景はめずらしいものとは映らないのです。 ところが第三セクター移行後の明知鉄道に乗ったことは何回あるかと問われると、平成4年に一部区間(岩村~明智)に1往復乗った経験しかありません。国鉄明知線時代でも、近くに住んでいたにもかかわらず乗車したことは非常に少なくて、沿線への移動手段は自動車でした。おそらく沿線住民も大同小異で、ほとんどの人が、通学に使ったくらいのものでしょう。しかしながら自動車の運転ができない人々にとっては今でも重要な足となっているわけです。 中央西線の恵那駅に降り立つと、すでに2両編成の明知鉄道の列車が停まっていました。いつもは1両なのにどうしたことかと思いながら、JR恵那駅に…

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【100】 鉄分の多いキャラメル?スポーツマンクラブキャラメル

鉄分が多いといっても貧血が治るキャラメルではありませんよ。 鉄道とキャラメル まったく結びつかないものではあるけれど、自分がスーパーの菓子売場で「鉄分のある」キャラメルを見つけてきましたよ(^O^)/ 今回ご紹介するのは相当前に発売されていたものばかりで、箱は保存スペースの都合上解体されていますが、ご覧いただけくだけで、キャラメルそのものを食べなくても「鉄分補給」できますよ←ホントかよ(;一_一) 以前、森永のハイソフトを取り上げましたけど、あれはターゲット的には女性中心のお菓子ですかねえ。くどいですが、50代のハゲジジイは普通はそんなもん買わんわな。 今回はお菓子を必要とする最たる人種である子供むけのキャラメルだよ(^O^)/ いずれもかなり前のやつなんで、今は売ってません。 発売当時の新鋭の新幹線たちが描かれていますねえ。 スポーツマンクラブキャラメルという名前ですけど、鉄ヲタキャラメルとしたほうがいいんじゃない? 実は、このキャラメルご承知の方もあろうかと思うんですがオマケ付だったんですね^^ そのオマケとはこんなものだったんです。 このようにオマケは鉄道車両のマスコットだったんですね。キャラメルの箱とオマケの箱がセットになって売られてました。 このオマケのマスコットは保存しておりませんので悪しからずm(__)m 我が家の子供たちに買い与え、箱だけを保存しているもんで、オマケのマスコットは子供の手に渡ってしまい、すでにこの世には…

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【99】 乗務した車両:117系電車(3)JR東海移行後

117私が国鉄時代に実際に乗務した車両は、今日ではそのほとんどが現役を退いています。 その中にあって117系は未だ中京地区での活躍を続けている数少ない車両のひとつです。 JR東海に移行した117系は外部色がコーポレートカラーのオレンジ色の帯を巻いたアイボリーに塗り替えられました。 最初は上の写真のような塗り分けでしたが、新快速運用をJR世代の新型車両に譲るようになってくると、現在のような簡易的な塗装に変わっていきました。次の写真は現在の塗装です。雨どいがオレンジ色ではなくなったのと、窓下のオレンジ色の帯が2本から1本になっています。 近年の117系は日中には留置されていることが多く、朝夕の通勤輸送中心の運用で、そのほかには臨時列車に使用されることもよくありました。 臨時としては「さわやかウォーキング」の臨時列車として中央西線や飯田線にも運用され、昨年閉園した佐久間レールパークへのアクセス列車として名古屋からの直通列車や、その最終日に設定された何本もの臨時列車の多くは117系が使用されました。 昨年1編成が国鉄当時の色に塗り戻され、佐久間レールパークがあった中部天竜駅で、これも国鉄時代の塗装に塗り戻された119系と並ぶというイベントが実施されました。117系の先頭字幕にはすでに国鉄時代の絵入り快速表示はありませんでしたので、その絵入りの字幕を模したシールを貼られて展示されました。 しかしながらJR東海の117系も、続々と新製される313系に押し出される形で、先月…

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【98】 乗務した車両:117系電車(2)その国鉄時代

私が117系に乗務していたのは、 東海道本線 浜松~米原間 中央本線  名古屋~中津川間 でした。 いずれも快速を中心に普通列車にも使用されていました。前回記しましたように当初は大垣電車区(名カキ)に配置され東海道本線だけに6両編成で運用されていました。 昭和57年9月19日 1525M 浜松~名古屋間乗務 1 クハ116-29 名カキ 2 モハ116-58 名カキ 3 モハ117-58 名カキ 4 モハ116-57 名カキ 5 モハ117-57 名カキ 6 クハ117-29 名カキ (垣103) 昭和61年8月25日 3125M 浜松~名古屋間乗務 1 クハ116-23 名カキ 2 モハ116-46 名カキ 3 モハ117-46 名カキ 4 モハ116-45 名カキ 5 モハ117-45 名カキ 6 クハ117-23 名カキ (垣105) 上が普通列車、下は「東海ライナー」快速です。 中京地区の117系は国鉄最後の昭和61年11月のダイヤ改正で4両編成化されました。その手法はクハ116とクハ117を新製し、これまでの6両編成を3両ずつに分割したところに、その新製車を1両ずつ連結して4両編成化するというものでした。これによって編成数だけでみれば倍増することになります。これで快速列車の増発をして分割民営化への体制を整えたのでした。さらにこのダイヤ改正時には117系の所属が大垣電車区(名カキ)から神領電車区(名…

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【97】 乗務した車両:117系電車(1)中京地区への導入

117系はそもそも京阪神間の複数の私鉄との競合区間に対応するために昭和54年(1979年)から製造された電車でした。私鉄との対抗上、近郊型としては破格の装備でデビューしました。それが私が乗務していた中京地区にも昭和57年(1982年)に東海道本線の快速用として新製されたのでした。 大垣電車区に配置され6両編成で東海道本線の快速を中心に運用されていました。京阪神地区の117系とは仕様が少し違っていましたが、外部色は同じで京阪神間の伝統色といってよいクリーム色に茶色のラインでした。このへんが当時の国鉄らしくて、地域的な新色を採用するような計らいはないのでした。それでも先頭の大型字幕の快速表示は、三河湾をイメージしたと思われる独自の絵入りになったのでした。 愛称も公募で、「東海ライナー」と決まりましたが、実際に駅や車内放送でこの愛称を使うことは少なく、浸透したとは思われませんでした。 名古屋近郊には東海道本線とほぼ並行して名古屋鉄道(名鉄電車)があります。当時は国鉄は名鉄には全く歯が立たない状況でした。それは運賃面、冷房などの車両設備、利便性すべてにおいて名鉄が勝っていましたので、やむを得ないところでした。活気のある名鉄駅ホームを横目に、乗客の少ない煤けた国鉄駅から古びた非冷房の153系が無駄に長い8両編成に少ない乗客を乗せて出ていく昼下がり…といったのが日常的な風景で、そういう状況下で117系はデビューしたのです。 東海道線は朝夕はそれなりに混雑するのですが、乗客の多く…

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【96】 鉄分補給2010.11.3 そよ風トレイン117(後篇)

<<前回からの続きです>> 中部天竜での折り返し時間は次駅の佐久間駅まで歩いて往復し、つり橋へ寄り道をして過ごして、中部天竜駅に戻ってきました。 快速「そよかぜトレイン117」の発車時刻まで15分くらいになっているのに、駅には乗客らしい人は少なく、活気がありません。改札を出てホームに行くとすぐに、さきほど側線に留置されていた「そよかぜトレイン117」の転線入換作業が始まりました。辰野方へ引上げていき、しばらくして上りホームに据え付けられたのが発車の9分ほど前でした。 この時点での乗客は私を含めて4人だけでした。 最後部のホームで手持ち無沙汰な様子の車掌氏に、「今日は何枚売れてます?」と聞いてみたら、 「中部天竜発時点で売れてるのは12席ですねえ。」 「へぇ~~、いつもこんなんですか?」 「この前なんか中部天竜から無人でしたよ」 「私3号車ですが、適当に席を移動しますけどお願いします。」 「どこでも空いてるところへどうぞ。もしかしたら東栄・湯谷温泉・本長篠でツアーのお客さんが乗ってくるかもしれませんけど。」 と、こんな感じでしたので、のんびりできました。 指定券を買う時に、駅の窓口に置いてある時刻表で「そよかぜトレイン117」の時刻を調べようとしたのですが、JR時刻表の飯田線本文には掲載がなく、時刻は巻頭にあるJR東海のお知らせページに掲載されているだけでした。 あまり宣伝に力が入っていないように思います。 それでは車両を見てみましょう。 これ…

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【95】 鉄分補給2010.11.3 そよ風トレイン117(前篇)

JR東海の117系の活躍も残りわずかと思われます。10月には2編成が浜松工場送りとなり、ほかの複数の編成も運用から外されているのです。自分が乗務した車両ですので、廃車されてしまう前に、ぜひ乗りに行きたいと思いました。 私は混雑するところは嫌いなので、できるだけ混んでない状態で乗りたい。今のうちなら空いているはずです。 そう考えて早速乗りに行くことにしたのですが、すでに東海道本線での日中の運用は大垣・米原間の普通列車が中心で名古屋を通るのは朝晩だけになっているようでした。 そこで思いついたのが、飯田線の豊橋・中部天竜間に11月までの土休日1往復運転される全車指定席の快速「そよかぜトレイン117」という列車。 すでに佐久間レールパークが閉園して1年が過ぎているなか、このような列車は何のために運転されているのかよくわからないのですが、4両編成中の1両はトロッコ車両とは呼べないまでも、「ウインディスペース」と呼ばれフリースペースとして開放されています。そのほかの車両は指定席とされて、座席は4人ボックス席に改装され大型テーブルが備わっているという列車です。 前日の仕事の帰りに、その上り列車(中部天竜→豊橋)の指定席券を購入しました。そのとき駅員に「いくつ空いてますか?」と聞いてみました。 普通の客は自分の席さえ確保できれば、あとどれだけ空いていようか関係のないことでありましょうが、「117系に乗る」そのこと自体が目的ですし、こんな列車にどのくらいの人が乗車するのか大変興味があったので…

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【94】 武豊駅からズームイン!!

その日の仕事は名古屋で泊まり、翌朝は武豊行きの2番列車922Dで終点まで行き、同じ車両で折り返す927Dで名古屋へ帰る行路でした。 出勤して出発点呼を受けたとき、「明日の927D、中京テレビの全国生放送で武豊駅の発車風景の撮影がある」との伝達がありました。そして念を押すように「全国生中継だから、「急行」とか出てないかサボ確認して!」との注意。 その列車922D~927Dはキハ58系9両編成で急行間合い運用の普通列車でした。名古屋から急行のりくら号になる車両です。いつも急行として運用されますから、こうした間合い運用では前後の字幕に半分くらい「急行」と出ていることがあったものでした。当時はこの字幕とサボは下請の整備会社の作業員が扱うことになっていましたが、当時のいい加減さがわかります。 中京テレビは、名古屋にある日本テレビ系のローカル局です。927Dの武豊発車時刻は7時13分。「ズームイン」の時刻です。当時は番組名が「ズームイン!!朝!」で総合司会は徳光さんでした。その番組中で終着駅シリーズみたいな企画があって、その日は終着駅である武豊駅での生中継の日だったのです。 ちょうどビデオデッキが普及してきた時期だったので、家に電話しておいて録画してもらうことにしました。いつも乗務している武豊線がどんなふうに紹介されるのか、それにひょっとしたら少しぐらい自分が映るかもしれないとも思ったのです。名古屋駅ではもちろん正面字幕とサボをすべて点検したのはいうまでもありません。 武豊線はローカ…

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【93】 「名古屋港線」~JRのナイター輸送と国鉄時代の貨物列車

国鉄民営化後、JR東海によって、前回すこし触れた貨物線を使って名古屋駅からナイター輸送の臨時列車が運転されるようになりました。 ナゴヤ球場に近い貨物線の本線上に仮ホームを造り「ナゴヤ球場正門前」駅が誕生したのです。間合い車両や遊休車両を使用してのピストン輸送でした。特筆されるのはすでに特急仕業を失ったキハ82系が使用されていたことでした。 グリーン車も連結されていましたが、これは普通車として開放されていました。たった数分の短い区間ではありましたがキロ80に140円で乗れるとあって、私は長男を連れて乗りに行きました。 遊園地の乗り物感覚ですが、私にとってはキハ82系のお別れ乗車になりました。その時は野球を見に行ったのではなく、乗り鉄としての乗車でした(^_^;) のちに近くの東海道本線上に尾頭橋駅が開業したので、ナゴヤドームの完成を待たずして、ナゴヤ球場正門前駅も、その役目を終えました。 この「名古屋港線」には、私も列車掛時代に乗務していました。 途中の八幡信号場で枝分かれして「白鳥」駅への分岐もありました。その分岐線は廃止されたものの、現在も港からの物資輸送という本来の目的としての使われ方ではないようですが、名古屋港までの貨物線は、かろうじて生き残っています。 私が乗務したとき記録した編成とその写真をご紹介しておきましょう。 昭和55年6月4日 1677列車 運転区間・乗務区間とも名古屋港~稲沢 DD51 713(稲一) DE11 1017(稲一…

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【92】 中日球場アクセスの記憶……国鉄×自動車

中日ドラゴンズの本拠地球場「ナゴヤドーム」は中央西線大曽根駅から15分くらい歩いたところにあります。 ナイトゲームがある日には、夕方の大曽根駅と中央西線の電車は、いつもの通勤の混雑とはちがった、どことなく華やかなにぎわいを見せてくれます。 このナゴヤドームは1997年にオープンしましたが、それ以前は中日ドラゴンズの本拠地球場は全く別の場所にあるナゴヤ球場でした。 そのナゴヤ球場は東海道新幹線に近いところにあって、新幹線の車内からもスコアボードが見え、テレビ観戦中も新幹線の列車が通過していくのがブラウン管に映ったり、通過音が聞こえたりしました。 私は、時刻表を持ちだして今のはひかり何号だとか確認する、いかにも鉄道オタク的なテレビ観戦もしたことがあります^^; もっとも、テレビでは巨人中心の試合ばかりが放映されていて、中日の試合はなかなか放映されず、小学5~6年生の頃、中日ドラゴンズのファンだった私は、いつもラジオで試合のなりゆきを一喜一憂しながら聞いていました。 新幹線に並行して名古屋港へ伸びる東海道本線支線の貨物線(通称名古屋港線)があって、蒸気機関車が牽く貨物列車の汽笛が野球中継のラジオから聞こえてきたことも記憶に残っています。当時(昭和43~44年ごろ)は東海道本線は言うに及ばず中央西線も名古屋口は電化されていましたから、球場そばを走る蒸気機関車は名古屋港線の貨物列車だけでした。 そのナゴヤ球場は1975年までは中日球場と呼ばれていました。 私は父親に中日球場で試合…

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【91】 日本酒と中日ドラゴンズ

日本シリーズが始まりました。 現在のところロッテ、中日とも1勝ずつです。 私は特別野球ファンというわけではないですが、日本酒ファンなのでスーパーの酒売場へ行ったときに、こんな酒がおいてあったりすると、気になってしまいます。 私が住む愛知県はドラゴンズの本拠地。 ドラゴンズ関連の日本酒というものが存在するのはわからないではありません。 それにしても野球と日本酒というのは、どうも結びつかないものではありませんか。 野球観戦には、缶やビン、ペットボトルさえも持ち込みが制限されますから、野球観戦での飲酒といえば、紙コップで生ビールというのが一般的かと思います。 上の写真は720ml(4合)ビンのラベルなのですが、同じメーカーさんからカップ酒も出ているのです。 これはテレビ観戦しながら飲むことを想定してのことでしょうか。 いずれも、今年買ったものではないのです、買った年はすべて違っています。ラベルが少しずつ違っているのがおわかりいただけますでしょうか。ことしのやつは、また少し違っていると思われます。 かなり前には別のメーカーからもドラゴンズ関係のお酒が発売されていました。最近は見ないのでライセンス契約が切れたのでしょうか。 それが以下の写真です。名古屋市内にある別のメーカーさんからの発売で、上はカップ酒、下は1.8ℓ(1升)ビンです。 中日ドラゴンズはローカル球団ですから、拙ブログをご覧いただいている皆さんにおかれましては、中日ファンの方は少な…

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