【121】 2010年の終わりにあたって

2010年も今日が最後。 この一年、私のまわりで、いろいろな出来事がありました。 5月の連休明けからこのブログを始めたことも、そのうちの一つです。 私の人生のなかで、非常に大きなウエイトを占める国鉄の現場に勤務した11年間。 この期間を振り返ると、現代ではあり得ないような出来事があり、もう記憶の中でしか見ることができない車両や列車があり、鉄道そのものの輸送システムの変化などを身を持って経験した記憶と手持ちの記録が私の中に残っています。しかし自分がいなくなれば、これらをどなたかに伝える術はなく、自身の亡骸とともに葬り去られてしまうのだろうから、ブログという手段を用いて、不特定多数の鉄道好きの方々に伝えられればと思い、始めたのがこのブログです。 もともと、私は他人様のブログを積極的に覗いてみるようなことも、それほどありませんでしたし、まことに拙い文章に構成、まったく素人のパソコン知識、こんな状態でも定期的に続けることによって、たとえ少数でも興味を持ってご覧いただける方があるならば、国鉄時代のことや、リアルタイムの旅行記、過去の思い出なども含めて書き連ねてみようと思ったのでした。 始めた当初は20件にも満たない日もあった1日のPVビュー件数も、記事の増加につれて、12月にはPVビュー件数800を超える日も現れました。 コメントや気持ち玉を毎回のようにくださる方もおられました。ありがたいことで、本業の仕事がうまくいかないときでもこうしたコメントや気持ち玉で励まされるも…

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【120】 中央西線を走った車両5 :181系気動車(5)

長々と中央西線の181系気動車特急しなの号のお話にお付き合いいただきましたが、今回で最後です。 181系気動車による中央西線初の特急しなの号が誕生したのが1968年(昭和43年)10月でした。このとき1往復だったしなの号も、1971年(昭和46年)には3往復に増強されます。そのうち1往復は大阪~長野間の運転となり、これは急行「ちくま」の1往復を特急に格上げしたダイヤでした。 この大阪発着の長野行しなの号は名古屋を発車すると木曽福島までノンストップという列車で、多治見や中津川をも通過するという特急らしい特急列車でした。 私の高校時代(1972年3月のダイヤ改正以後のダイヤ)その大阪発長野行特急は正午ごろ、4時限目の授業中に中津川駅を通過して行きました。私が通学していた高校は中津川の市街地を見下ろす高台にありましたので、特に蒸気機関車の汽笛などはよく聞こえました。電車や気動車の音というのはあまり聞こえないのですが、この中津川を通過する181系気動車の音はよく聞こえたといいましょうか、特別な音だったので、気になったものです。 列車の音とは思われないキーンというターボチャージャーの高音とエンジンがうなる低音が合わさった独特の音が、通過直後の中津川駅から勾配を登るときの音で、これが昼の合図のようでした。 さて、その181系しなの号は1973年(昭和48年)7月の中央西線全線電化完成によるダイヤ改正で、主役を振り子式特急電車381系に譲り、大阪と名古屋対長野の各1往復だけが、全線電化…

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【119】 中央西線を走った車両4 :181系気動車(4)

181系しなの号で長野へ行ったことを先日、このブログに記しましたが、このとき、どうしても体験したいことがありました。 それは食堂車キサシ180で食事をすることでした。 初めての特急、初めての食堂車。とにかく乗った車両(6号車)のすぐ後ろが(7号車キサシ180-2)食堂車なので気になります。乗車してそれほど間をおかず父親と2人で食堂車へ行ってみると、まだ昼食時間には間があったためか食堂車は非常に空いていました。そこで注文したのはコーラでした。食事はなし。記憶が曖昧ですが、このときは昼食として母親のおにぎりを持っていたように思います。昼食を食べることになると大散財になるとの親の思いがあったのかもしれません。このころは家を新築した前後で、お金が要った時期でもあったはずです。 そう思わせるほど、子供にとっては食堂車の食事は非常に高いと思ったものです。私ども家族は外食をすることもあまりなく、私は名古屋へ出掛けたときデパートの大食堂でお子様ランチを食べさせてもらうくらいしか外食の経験がありませんでした。 当時の時刻表には食堂車のメニューが掲載されていました。 復刻版の「日本交通公社」時刻表(1968年10月号)によれば、コーラは70円となっています。当時の市中価格はコカコーラが35円だったと思いますので、2倍です。しかも出てきたコーラはコカコーラでもペプシコーラでもなく、初めて見るビンでした。ちなみにカレーライス、チキンライスは180円と書かれています。動く景色が見られるレストランの車内…

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【118】 続 鉄分の多い日本酒?

日本酒に鉄分があったら…などと考えると、きっとおいしいものではないと思いますよね。 けれど、こんな日本酒であればそうでもない。鉄道と酒 まったく結びつかないものではあるけれど、自分が各地の鉄道をを訪問したとき「鉄分のある」日本酒を見つけてきましたよ。 中身は飲んでしまったのでコメントできませんのでごめんなさいm(__)m 以前、東日本編と西日本編とに分けてご紹介したもの以外にもこんなのもあるんです。 これは古いものです。製造年月日が昭和53年です。私が国鉄に入って間もないころで、荷物列車に乗務していた時期に買ったカップ酒のラベルです。 この昭和53年10月には全国の特急のヘッドマークが文字だけの表示から絵入り表示に変わったのでした。おそらくそれを記念して、キヨスクで発売されたものと思われます。 保存しているこの冨久娘のラベルは「しなの」が入っているので買ったのですが、他にもマーク違いがあり、それだけではなくて大関とか日本盛といった他の大手酒造メーカーでも全く同じ企画のカップ酒が同時に発売されていました。おそらく国鉄の要請でキヨスク用に各社に納品させたものでしょう。でも買ったのはこれだけでした。 続いては、まだ新しいものです。 豊橋駅の売店で買ったものですが、路面電車の絵入りです。豊橋は旧名古屋市電の中古車がいまだに活躍しています。中京地区の路面電車も岐阜の路面電車が廃止されてからは豊橋だけになってしまいました。 こちらは、大井川鐡道井川線にあるアプト区間の写真…

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【117】 中央西線を走った車両3 :181系気動車(3)

181系気動車特急しなの号が誕生して5ヶ月後、ようやく乗る機会を得ました。小学校6年生になる直前の春休みでした。しなの号に乗りたいという私にために父親が長野まで連れて行ってくれたのです。 ※今回のブログ記事にアップした写真は、すべてこのときのものではありません。このころは、まだカメラを持てませんでした。 当時は全車指定席の特急も多くありました。しなの号もそのひとつで、優等列車の「格」が備わっていたように思いました。まだマルスと呼ばれる指定券発売コンピュータ端末がある駅も限られていて、乗車した中津川駅にも当時はありませんでした。そのときの切符は手元には残っておりません。父親が国鉄職員でしたので割引証を使って半額で父親が買ってきたはずです。割引切符でしたので硬券ではなく手書きの補充式軟券だったかもしれませんが、これは記憶に残っていません。 父親と二人、何も用事はないのに、ただ、キハ181系しなの号で長野まで行っただけのことですが、指定券まで取って遠方へ行くような用事がなかった我が家ですから、自分の記憶の中では初めての指定席特急乗車でした。 当時の時刻表によれば、私が乗った中津川発が9時51分で、長野着が12時51分着。ちょうど3時間の所要時間です。ちなみに現在の時刻表によると名古屋発10時ちょうど発の「しなの7号」が長野に12時54分とほぼ同じ時刻に着きます。 当時の中津川から長野までの所要時間は現在の名古屋から長野までの所要時間より長かったことになるのです。 実は私の…

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【116】 KATOのキハ181系

KATOのNゲージキハ181系が遂に発売になりました。 発表直後に予約をしておきましたので、12月19日に宅配で我が家に納入されました^^ 製品には「やくも」のヘッドマークが装着済でしたが、付属の「しなの」に取り換えです。 しかしながら、車両番号は発売されたすべての車種において、しなの号とは関係のない番号が印刷されています。 さっそく以前から所有しているTOMIXのキハ181と比べてみます。 まずは正面です。左がTOMIX、右がKATO。 続いて側面です。上がTOMIX、下がKATO。 どちらも実車の特徴を捉えています。KATOのほうは新しいだけに運転室窓枠表現と乗務員室窓のサッシ表現がリアルです。 同様に、似ている形状のキハ82と比較してみましょう。いずれもKATOの製品です。 細密な造りのレベルは同一のようです。実車のそれぞれの違いが忠実に再現されています。 この際ですからこれら3両の先頭車両を並べてみましょう。 左からTOMIXキハ181、中央がKATOキハ181、右がKATOキハ82。 同様にが上がKATOキハ82、中央がKATOキハ181、下がTOMIXキハ181。 TOMIXのクーラーは冬場に防雪対策でカバーをした状態を表現したのでしょうか??? 電源エンジン部の屋根上のファンが表現されているKATOの車両の表現は見事です。 最後に中間車キハ180の屋根上の特徴ラジエターの放熱フィンですが、左がKATO、右が…

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【115】 中央西線を走った車両2 :181系気動車(2)

私が育った実家は線路から数百メートル離れたところにありました。休みの日には181系気動車の特急しなの号を見に行くことが容易です。今と違い、田舎の小学生がカメラを持つなどということはできませんでしたので、見た様子を絵に描いたこともありました。 突っ込みどころが多々ありましょうが、お許しを(^_^;) 最も許せないのは、乗降ドアが前位機器室の直後にある点であります。 編成のナンバーを記録したこともありました。 年が書いてありませんが昭和44年(1969年)3月2日のものです。 時速100キロ近いスピードで走ってくる列車のナンバーを写し取ることは容易ではありませんでしたが、しなの号の181系気動車は新形式で1編成しかありません。製造ナンバーが皆一ケタでしたから、なんとかなりました。中間車のキハ180の代わりに先頭車のキハ181が充当されたり、9両編成のところが10両に増結されることが、時々あって、ちょっとあわてましたが、走り去る列車を後ろから目で追えば、運転室の有無で形式は見分けられました。 この181系気動車しなの号ですが、デビュー当時は食堂車付きで、それはキサシ180というエンジンを持たない車両でした。食堂車の存在も大いに子供心をくすぐるわけで、同時に誕生した高山線のひだ号は中古のキハ80系で食堂車なしということからも、断然しなの号の格が上であることが子供なりにわかったものです。 この編成表は、記念乗車券の裏面あたりを書き写したものと思われます。 中学生になっ…

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【114】 中央西線を走った車両1:181系気動車(1)

新企画として、国鉄時代から今日まで、私が地元中央西線で見た車両をご紹介します。 懐かしいものから、最新鋭車まで、時々不定期での連載といたしますので、よろしければお付き合いください。 第1回目は181系気動車です。 この系列には思い出も多くて1回では収まらないので、数回に分かれますので、ご了承ください。 181系気動車は80系気動車の後継車種として昭和43年にデビューした、強力な500馬力エンジン搭載の特急用車両でした。最初の投入線区が中央西線で、「ヨンサントウ」と呼ばれる昭和43年(1968年)10月のダイヤ改正時から特急「しなの」に使用されました。 それまでの中央西線には特急列車がなく、このダイヤ改正では瑞浪~中津川間が電化開業したことによって、名古屋から中津川までが電化されたものの木曽谷では依然としてD51が主力として走っているような時期でした。私はこの特急を沿線にわざわざ見に行くほど思い入れがありました。1日1往復だけの国鉄特急色の列車は中古車両ばかり見慣れた自分にとっては格別の存在だったのです。 キハ82に似てはいるものの、先頭部のライト部分のデザインや、側面の塗り分け、折戸の採用など、外観上の変化もあったので、見分けはつきます。 自分の住んでいるところに特急が走るようになり、それが新形式の新車であることがたまらなくうれしいものでした。 当時の私は小学校5年生。毎日たった1往復の特急ですから見るチャンスは1日2度。それも上りは夜ですから日中には下りの1本だけしか…

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【113】 北恵那鉄道1:はじめに…

みなさんは北恵那鉄道という私鉄があったのをご存知でしょうか。 この鉄道は私が国鉄に入社した2年後の、昭和53年(1978年)に廃止になった岐阜県東部にあった小さな鉄道会社でした。私は国鉄を退職するまでの間、この鉄道の沿線ではないものの、比較的近いところに住んでいたことと、通学していた高校が中津川であったことから、身近に感じていて大好きな鉄道でした。 廃止される数年前からは写真もよく撮りに行っておりました。 そうした思いから、この北恵那鉄道については、いずれこのブログをご覧いただいている皆さんにもご紹介したいと思っておりました。折しも先月、拙ブログにいつもコメントをくださるアルヌーさんがブログ「おっさんの思い出日記」のなかで西武鉄道の休止路線である「安比奈線」探訪の記事を紹介されていて、使われなくなった鉄路の現況を興味深く拝見しました。廃止された北恵那鉄道の線路や施設は現在どうなっているか、私は気になって確認してみようと思ったのです。 いつもご覧いただいている皆さんは、ご承知のとおり、私は最近ほぼ毎週、主に土曜日には岐阜県の実家に行っておりますので、そのついでに探訪することが可能です。12月に入り雑草が枯れてマムシや害虫もいなくなり雪が降るまでのこの時期は廃線跡の探訪にはよい時期ですので、気になったスポットに出かけてみたのです。その様子も、近日中にお目にかけたいと思います。 このように思い入れのある鉄道ですので、長期にわたって何回になるかわかりませんが連載になります。こ…

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【112】 「50代5000円でGO!」2010.12.12:郡上

今年も冬の青春18きっぷの時期がきました。 私はこの切符が発売される時期になると、職場のオッサン2人とともに3人で、車中で酒を飲みながら、お城、温泉、酒蔵を巡る日帰り旅に出ていました。前回は夏で、その様子は「清酒ん18きっぷの旅2010.8.28:松本」でご紹介いたしました。 回を重ねてくると「青春18きっぷで日帰り」という制約の中では、どうしても行程が似たものになってきます。今回からは使用する切符は青春18きっぷに限定せず、交通費+食事代+施設入場料が5000円程度(土産・酒代は除外)で収まるような格安貧乏旅行というコンセプトで「50代5000円でGO!」という企画?で継続することに変更しました。 で、今回は長良川鉄道を利用して、郡上八幡を目指しました。 まずは、中央西線の多治見から太多線で美濃太田へ7時55分着。 ここまでは、JRなので、ふつうの乗車券での乗車です。ここからは8時12分発の第三セクター鉄道の長良川鉄道に乗り換えますが、この鉄道には土休日限定2000円で1日全線乗り放題のフリーきっぷがあるのです。この切符で郡上八幡まで往復するだけで、本来の美濃太田~郡上八幡の運賃より割安になるのですからお得なのです。 ★2017年6月4日加筆 土休日限定2000円で1日全線乗り放題のフリーきっぷは廃止されたので現在は購入できません。 そこで長良川鉄道の美濃太田駅ホームでフリーきっぷを買うために出札窓口へ行くと、シャッターが下りていて「営業時間は9時から17時3…

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【111】 東北への旅・昭和59年

先週、2010年12月4日、ついに東北新幹線の未開通部分であった八戸~新青森間が開業し、全線開通となりました。なにかと手放しで喜べない問題も多く抱えてのスタートのようですが、とにかくめでたいことです。 国鉄時代には盛岡までしか開通していませんでした。しかも当初は起点は暫定的に大宮でした。開業時、私の住む名古屋圏の地方夕刊「名古屋タイムズ」1982年(昭和57年)6月23日付紙面を見ると、『「やまびこ」北へ疾走』との見出しとともに、当日のテレビ各社は初めて電波中継用のヘリコプターを使用して走行中の車内からの生中継を行い、どの放送局も東北一色だったとも記事にあります。 昭和46年の着工から10年半ぶりで開業にこぎつけたとのことでした。 私は東北方面に出かけることはあまりないのですが、一時期東北新幹線には北海道・東北の乗りつぶしの際にはよく利用しました。それでも国鉄時代に乗車したのは昭和59年、新婚旅行で往復したときだけです。東北新幹線の開業から約2年後のことです。 26年前の、その東北の旅を振り返ってみたいと思います。 (この年は春が来るのが遅い年でした。上は恐山にある宇曽利湖の写真ですが冬のようで、5月の連休明けの時期とは思えないです。まだ、弘前の桜が開花を始めたばかりだったと記憶しています。) はじめにお断りしておきますが、以下、旅行の背景と道中の鉄道に関することだけに絞って記述しています。ご了承ください。 新婚旅行で東北へ行くというのは、あまり例がないと思い…

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【110】 乗務した車両:キハ55形気動車

キハ55系はキハ58系の前世代になる準急形気動車です。 写真中央がキハ55系になります。左のキハ20系の顔によく似ているのですが、右のキハ58系の塗り分けに準じた塗装となっており、長距離の準急・急行列車にも使用されていましたが、私が乗務している頃には、準急列車はすでになく、急行列車はキハ58系が主流となっていて、ほとんどがローカル輸送用となっていました。 上の写真は私が国鉄に就職する前の中央西線での撮影です。キハ55の1エンジン版のキハ26であろうと思われます。キハ55系は私の車掌時代には、キハ58系や40系に置き換えが進行中で、わずかに残った車両も首都圏色と呼ばれる朱色5号に塗り替えられるなど、ローカル色が濃くなり、高山本線、太多線、樽見線など、私の乗務範囲外で使用されていました。そんな中で天王寺鉄道管理局の亀山機関区では急行色のままのキハ55が比較的遅くまで見られました。 キハ55は2エンジンの強力型です。亀山機関区のキハ55は本来何の目的で配置されていたのか知りませんが、関西本線の加太越え区間、紀勢本線や名松線など勾配線区用だったのでしょうか。私が乗務していた名古屋口の関西本線や伊勢線でも亀山機関区の気動車運用は存在しましたが、勾配区間ではないため、専らキハ35が運用されていたのです。 希少になっていたキハ55、それも急行色という、ある意味魅力的な気動車ですから、乗務してみたいとは思っていましたが、それは無理なことと思っていました。それがどういうわけか不明ですが、関西…

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【109】 乗務した車両:キハ45形気動車

キハ45は近郊型片運転台車で、両運転台であるキハ23や2エンジン強力型キハ53と同じ系列です。20系気動車のキハ25の後継車で、キハ40系のキハ47への過渡的な形式と言っていいでしょう。 模型になりますが、左からキハ20系 キハ45 キハ40系車両の正面です。すこしずつ顔が変わっていきます。 外観だけでなく内部もキハ25とキハ47の中間的な車両と言えます。まったく地味な形式ですので、置換で廃車になっていくときもキハ20系やキハ58系のように注目されることがなく、ひっそりと消えていったような気がします。 この画像はキハ45の両運転台版キハ23です。国鉄時代の越美北線で撮影したものです。 中京地区には国鉄時代、名古屋、長野の各鉄道管理局管内にはこの系列の配置はなく、天王寺鉄道管理局に強力形キハ53とキハ45がそれぞれ配置されていたにすぎません。そのため私が乗務している範囲内では伊勢線で運行されていた伊勢運転区のキハ45しか乗務する機会がありませんでした。 その伊勢線の普通列車もキハ35が使用されることが多く、キハ45に乗務できることはあまりありませんでした。 昭和56年11月11日 伊勢線 121D~124D~125D 運転区間・乗務区間とも四日市~津 キハ45  6  天イセ キハ45 14  天イセ (伊14) キハ35に比べれば居住性もよく、折り返し時などちょっとボックス席で休憩できたりするので、私は好きでした。 その伊勢線の普通列車も昭…

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【108】 Suicaグッズ

かわいいSuicaグッズがいろいろ発売されています。実はこれには家内がハマっています。 当然のことですが、こうしたグッズは中京圏で買うことができないわけで、首都圏に行くと必ずNEWDAYSをのぞいてくるわけです。 実際に出かけても人気商品は売り切れだったりしますので、通販を利用したこともありました。 昨年の夏に発売されていたペットボトルの天然水「From AQUA」のオマケのフィギュアです。全部で8種類ありました。 これもJR東日本の関連会社の発売ですから中京地区での発売はなく、一箱(24本)通販で買うと全種類がセットで付いてくるということだったので通販で購入することにしました。 スイカを食べるSuicaペンギン。かわいいではないですか。 そして、ついに非売品にも手を出すことに・・・・ もう、こうなるとヤフオクの世話になるしかない。 携帯電話ホルダー。これは嘴が黒かったので私が白く塗りました。 このほかマグカップ。 これも非売品なのでヤフオクで入手したものです。こんなふうに他にも、エコバッグ、コスメポーチ、ボールペンなどが、Suicaエリアと関係のないこの地でなぜか増殖中なのです(^^)v

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【107】 いろいろなSuica

Suicaはすでにご承知のようにJR東日本のICカードです。 中京地区に住んでいる私にとっては、あってもなくてもいいものです。首都圏に出かけることも年に1~2回しかないのだけれど、以前から持っていました。私のような「お上りさん」には首都圏の交通は複雑怪奇であり、切符売場で運賃表を見上げていちいち切符を買う行為は大変面倒なものでしたので、どんなものか面白半分で買ってみたのでした。 この魔法のカードのおかげで、大変便利になって、一時期病みつきになったものです。 Suicaも供用開始後、9年の月日がたって、それなりに歴史が刻まれてきました。ショッピングに使えるようになり、他の多くのICカードとの相互利用が可能になるなど進化を続けています。 私が首都圏に出かけるときは1人とは限らないので、同一行動の場合は自分一人がSuicaを持っていてもあまり意味がありません。それで妻の分として1枚買い増したところ、自分が以前買ったものとは微妙にカードのデザインが違うことに気がついたのです。時を経るごとにデザインも変わっていくのが面白く、これまで3種類持っています。もちろんまだ種類はいくつもあるのだろうし、記念カードも多数発売されているようですが、まあ広く浅くの人ですから、コンプリートなど考えておらず、集まったのが次の写真です。 初めはイオカードの表示。それがなくなり、ペンギンが横を向きました。 そしてモノレールSuicaとか、りんかいSuicaというものも面白半分で買ってみました。こちらには…

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【106】 乗務した車両:キハ40系気動車

キハ40系は、国鉄時代に北海道から九州まで普通列車用として全国的に配置されたディーゼルカーです。 写真は民営化後に三江線で撮影した両運転台のキハ40です。なお今回の写真はすべて乗務した線区での撮影ではありません。身近にありすぎて意外に地元では写真を撮っていないのです。ご了承ください。 この系列は、仕様が北海道向け、寒冷地向け、暖地向けに分かれていまして、中京地区には亀山機関区に暖地向けキハ40が、そして美濃太田機関区に寒冷地向け(主に高山線用)と暖地向けのキハ40とキハ48がそれぞれ配置されていました。 こちらの写真は片運転台のキハ48と両運転台のキハ40による2両編成です。高山本線での撮影です。 私がこの系列に乗務していたのは 中央本線:名古屋~多治見間 関西本線:名古屋~亀山間 伊勢線 :(四日市)南四日市~津 間 でした。このほか非電化の乗務線区には武豊線がありましたが、国鉄時代にはキハ40系の入線はありませんでした。 昭和56年12月7日 関西本線 623D キハ48 2   名ミオ キハ48 526 名ミオ (太51) 乗務区間 名古屋~亀山 電化前の関西本線の列車です。500番台は寒冷地仕様なのですが、この列車のように名古屋近郊では寒冷地向けの車両も暖地向け車両も混用されていました。 寒冷地仕様車は台車にコイルばねを用いるとバネの間に雪が詰まってバネが機能しなくなるので、空気バネを用いていました。 40系車両は新車で配置…

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