【131】 中津川機関区の思い出

中央西線は私が子供の頃、その多くの列車が蒸気機関車の牽引によって運転されていました。多治見、中津川と木曽福島には機関区があって、私はそのうちの中津川機関区には特に馴染みがあるのです。 物心つく前から、この中津川機関区の見える駅構内のはずれで母親の押す乳母車で「汽車」を見に来ていたといいます。そのころは中津川市街地に住んでいたのですが、憶えていません(^^ゞ) その後、隣駅の美乃坂本駅近くに転居したのですが、買い物や通院などのために列車に乗って中津川へ出ると、到着直前に目に入る位置に機関区があって、D51やC12がその構内にたむろしているのを必ず車窓から見たものです。 中学~高校時代にはSLブームがあって、ここにも多くの見学者が訪れました。 私が高校1年生の夏までは中津川以北にD51の牽く貨物列車が残っており、明知線と中津川駅の入換作業にはC12が使用されていました。 学校の帰りには、仲間たちと機関区に立ち寄ったり、その近くでC12による入換作業を見ていたものです。 「四ツ目川」と呼ばれる川のそばに機関区がありました。 下は先日撮ってきた機関区跡地の現況です。 石炭の燃える煙の匂いと、時々聞こえる汽笛を聞きながら見ていた機関区跡地には住宅が立ち並び、全く面影がありません。 この機関区の事務室に何かを聞きに行った時のことだったと思いますが、中津川機関区に在籍したD51の一覧表をコピーしていただくという願ってもないことが起こりました。 当時は今のような良いコピー…

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【130】鉄分補給2011.1.25:中央西線に入線した381系電車

例年、冬場には中央西線に関西地区から信州への団体臨時列車が運転されます。かつては167系で運用されることが多かったのですが、その廃車で近年は381系が運用されることが多くなりました。 自分が乗務していた「しなの号」は長野運転所から後に神領電車区に転属しJR東海へ引き継がれた381系であって、私の最初のブログ記事で少し書いたように2008年5月6日の運転を最後に姿を消しています。以後はJR西日本所属の381系しか残っていないのですが、同じ381系で、しかも国鉄色となれば愛着はひとしおです。 国鉄時代にも当時の天王寺鉄道管理局所属の381系が中央西線に試運転で入線したことがありましたが、その写真は過去のブログ記事「【7】臨時列車」で紹介しています。よろしければご覧ください。 1月25日の火曜日、会社の近くの書店で立ち読みした某鉄道情報誌によればこの日、中央西線を走る381系の運用は、昼休みに春日井貨物をいつも見る場所で写真を撮るのには、おあつらえ向きのダイヤでした。上り春日井貨物670列車の数分後に塩尻に向けて下っていくというもので、その折り返しの回送列車も、夜の18時台に名古屋付近を通っていくので、これも仕事が終わってから見ることが可能です。 早々と昼食を済ませて、いつものポイントへ行きましたが、誰もいませんでした。最近は沿線に金網が張られた場所が多く撮影可能場所が少なくなってきているためか、春日井貨物に人気の機関車が充当される日には、この場所にも先着の同業者が居られることが…

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【129】 最近の鉄分補給状況2011年1月

昨年暮れに、いつもの春日井貨物に新鶴見のEF65PFに代わってEF210桃太郎の登板があったらしいのですが、今年に入っていきなり1月4日、5日と連続して桃太郎。さらに12日も桃太郎でした。仕事の関係もあって毎日観察しているわけではないのですが、いずれこうなってしまうのでしょうか。ワムハチとの組み合わせは、それなりに似合っている気もします。桃太郎もカッコいいですが、やはり思い入れのありなしという全くの個人的な思いから、65PFに来てほしいと思うのです。 だいたいワムハチ編成はいつまで続けられるのでしょうか。そんなに長くは続かない気がします。 先週1月17日、愛知県地方は雪の朝でした。 通勤に使う中央西線も中津川駅構内のポイント凍結などで、終日ダイヤが乱れていました。 それでも列車は走っていたので、通勤の途中に、雪景色を1枚。 そして実家へ帰ると、ちょっと気になるEF64貨物列車を撮ったりもします。 田舎は沿線に金網が張ってある場所も少ないのでうれしいですね。 まずは0番台 そして1000番台。 0番台も1000番台もいい機関車です。 重連で長い貨車を牽いてくる姿には、ついカメラを向けたくなってしまいます。でもこの時期寒いので、引きこもりがちではありますが、少しずつでも鉄分は補給しないと精神衛生上もよくありませんからね♪

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【128】 北恵那鉄道3:その廃線跡(1)下付知

北恵那鉄道の続きになります。 この鉄道に関する直前の記事は「【126】 北恵那鉄道2:その歴史と記念乗車券」です。 北恵那鉄道が廃線になってから30年以上経過しました。 現在、その跡地はどんな様子なのでしょう。沿線をめぐってまいりましたので、廃止前の写真と対比もしながらご紹介します。編集の都合上、終点の下付知駅からJR中津川駅最寄りの起点駅中津町に向かって見ていくことにします。 今回は下付知駅です。 北恵那鉄道の晩年は日中の運行をバスで対応していました。現在も廃線跡にほぼ並行している国道257号線に社名を「北恵那鉄道」から「北恵那交通」と変更したバス会社の路線バスが走っています。 このバス停の向こう側の広場は駅前広場でした。その向こう側の雑草の生えている手前あたりにかつては駅舎がありました。 写真は終点の下付知駅に到着しようとする電車です。 この駅舎は廃線後も意外と長く解体もされずに残されていました。 上の写真は、廃止後も残されていた駅舎です。1994年の元日の撮影で、人物は私の父親です。私の子供と一緒に正月の帰郷の際に出かけたときの写真です。すでにホームの高さまで線路部分が埋められているのがわかります。 上の写真がは現在の廃線跡地です。2002年に駅舎も解体されてしまったそうです。埋められた線路部分には雑草が茂っています。左側の木の下あたりの草が生えていない部分がホーム跡です。 そのホーム上に立ってみます。ホームの部分だけコンクリートが残って…

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【127】 専務車掌(乗客扱)2:乗務範囲と机上講習

「専務車掌(乗客扱)」の続きになります。この「専務車掌(乗客扱)」に関する直前の記事は「【125】 専務車掌(乗客扱)1:車掌から専務車掌へ」です。 専務車掌になって専務車掌(乗客扱)の指定を受けると客専班に配属されます。当時の職場での専務車掌(乗客扱)・車掌長(乗客扱)の乗務範囲は次のとおりでした。 東海道本線:宮原(操)~大阪~静岡 東海道本線支線:大垣~美濃赤坂 武豊線:大府~武豊 中央本線・篠ノ井線・信越本線:名古屋~長野~新潟 関西本線:名古屋~奈良 紀勢本線:亀山~津~紀伊勝浦 伊勢線:南四日市~津 北陸本線:米原~東富山 高山本線:岐阜~富山 普通車掌の乗務範囲に特急急行列車の乗務が加わったために、専務車掌の乗務範囲は中部地方の主要幹線ほぼすべてに及びました。ただし私が所属した最下位組である客専班G組は、通常そのすべてに乗務するわけではなく、その中の一部しか乗務できませんでした。大雑把にいえば、これまで車掌として乗務した区間に長野までのしなの号の乗務区間が増えただけでした。 しかし、この職場の専務車掌になったからには、いずれ上位組への異動があるわけです。その前に、予備勤務と言って、決められたスケジュールから外れて、年次有給休暇(年休)を取って休んだ人の穴埋めの乗務をすることもありましたし、急遽乗務行路の変更を言い渡されることもあります。そのため職場の乗務範囲内はどこでも、どの列車でも乗務できなくてはなりません。 客専班になると、4日間の机…

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【126】 北恵那鉄道2:その歴史と記念乗車券

北恵那鉄道の続きになります。 この鉄道に関する直前の記事は【113】 北恵那鉄道1:はじめに…です。 今回は北恵那鉄道の歴史について、簡単に紹介させていただきます。 画像はすべて記念乗車券とそれに付属していた資料です。 北恵那鉄道では2回記念乗車券が発売されています。昭和46年に「創立50周年記念乗車券」、そして昭和53年廃止時の「おわかれ記念乗車券」です。 画像は「創立50周年記念乗車券」の裏面です。 この鉄道会社は大正11年2月15日に設立されました。 鉄道敷設の目的は木曽川にダムが建設されると、木曽川による木材輸送ができなくなるために、代替え輸送の手段として鉄道輸送の必要性があったことによります。電力会社の補償のような生い立ちであり、森林鉄道的な側面があったようです。そのため初代社長は日本の電力王と言われる福沢桃介で、彼は福沢諭吉の娘婿でありました。 鉄道の開業は2年後の大正13年8月5日で、中津町~下付知間全線22.1㎞が一気に開業しています。 画像は「おわかれ記念乗車券」に付属していたものです。 このほかに、大井ダム本体工事のために敷設された大井(現恵那駅)から大井ダム工事現場までの専用線も、のちに北恵那鉄道大井線となりましたが、今回の一連のブログ記事では扱わないこととします。 電力会社の息がかかった鉄道会社だけあって、開業当時から電化されていました。このような田舎では画期的な先進鉄道であったことでしょう。 開業時には新造車の電車4両と無蓋…

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【125】 専務車掌(乗客扱)1:車掌から専務車掌へ

私は車掌になったのなら、特急列車に乗務したいと思っていました。 当時車掌として勤務していた車掌区は中部地方では一番の大所帯で400人以上もの職員が所属していました。 そのほとんどが乗務員で、職種別に次のように班別指定されていました。 庶務掛、運用教導掛など内勤者で構成される「内勤班」 荷物列車に乗務する乗務掛(荷扱)、車掌補(荷扱)で構成される「乗荷班」 荷物列車に乗務する専務車掌(荷扱)と車掌長(荷扱)で構成される「荷専班」 主に普通列車に乗務する車掌で構成される「車掌班」(通称「普通班」) あらゆる種類の旅客列車に乗務する専務車掌(乗客扱)と主に特急・急行列車に乗務する車掌長(乗客扱)で構成される「客専班」 ここに列車掛の職名がないのは、この車掌区では貨物列車の受け持ちがないためでした。多くの中小車掌区では貨物列車も乗務していましたから、列車掛になって何年も経つと専務車掌兼列車掛のような職名になりました。 内勤班を除くそれぞれの班には、A組から始まる組別の指定もあり、勤続年数や車掌歴など年功序列の基準があって、各班のA組が最上位の組でした。このうち客専班のA~C組は車掌長で構成され、乗務列車のほとんどすべてが特急や急行のいわゆる「優等列車」でした。 各組ごとに3~4週間程度で一回りとなるスケジュールが組まれ、これを交番(または乗務割)といいました。そのスケジュールを一覧表にしたのが交番表(または乗務割表)といいました。 乗務掛は年数…

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【124】 ???部屋の中の棺桶???

我が家は狭いマンション暮らしです。 北側にある4畳半よりちょっと広いくらいの部屋が私の部屋で、ここには通称「棺桶」と呼ばれるものが置いてあります。 ただでさえ狭い部屋なのに、約1畳分のスペースを取っているこの「棺桶」は掃除をする者に非常に邪魔がられている存在です。 これが、その「棺桶」です。その下にはカーテンで隠してありますが、ぎっしり10個以上の段ボール箱が詰まっています。 このブログをご覧の皆さんは「棺桶」の正体は何であるのか、おわかりかと思います^^; 棺桶の中身はこんな具合です。 ささやかなNゲージレイアウトですが、製作後12年以上経過しております。前述の、このレイアウト下に隠されたいくつもの段ボール箱の中身はNゲージ車両群です。押入等の物置スぺースが少ないマンションの宿命で、車両群の置場はレイアウト下しかないのが現状なのです。もうスペース上、車両の増備は困難なので、先のブログ記事でも申し上げましたように、KATOのキハ181を導入すればTOMIXのキハ181を手放さざるを得ないのが実情であります^^; ところで「レイアウトに完成はない」と言われる名言があるのですが、いちおう形ができてしまうと、そこで製作意欲が落ちてしまいそのままになりがちです。本当の完成を求めて、これからという時には、別のものに気が移ってしまってそのまま12年経過しています。 そのまま維持していればまだしも、私の場…

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【123】 年末年始と乗務員

世間一般が新年を祝い、会社も休みが続く年末年始も、当然のように鉄道は休むことなく走っています。あたりまえのことながら、鉄道員は仕事に出ます。 そのときの気持ちなどは、以前にもブログ記事「【25】 仕事としての鉄道」で記しましたが、11年国鉄で勤務したなかで、自分が年越しをどんな状況で過ごしたかを、古い乗務日誌などを繰って、振り返ってみました。 1976年(昭和51年)12月31日 休日 1977年(昭和52年) 1月1日  深夜出勤、夜行 1977年(昭和52年)12月31日 午後出勤、大阪泊 1978年(昭和53年) 1月1日  午前中明け 1978年(昭和53年)12月31日 休日  1979年(昭和54年) 1月1日  朝出勤、品川泊 ここまでは荷物列車に乗務する「乗務掛(車掌補)」でした。 荷物列車は今の宅配便輸送に当たりますので、多くの企業が休みでも個人客からの荷物託送があります。さらに大みそかでも元日の朝刊輸送がありますから、年末年始といえども列車自体を運休にすることはありませんでした。 その次の2年は貨物列車に乗務する「列車掛」でした。 1979年(昭和54年)12月31日 午前中明け  1980年(昭和55年) 1月1日  休日 1980年(昭和55年)12月31日 休日  1981年(昭和56年) 1月1日  休日 ほとんどの企業は休みですので貨物列車の多くは計画的に運休します。そのほかの貨物列車も荷が…

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【122】 謹賀新年~ダイヤ改正のおしらせ~

あけましておめでとうございます 昨年中はブログを通じて 皆さまにお世話になりましたこと こころより御礼申し上げます 本年もどうぞよろしくお願いいたします                             2011年1月1日                             し な の 7 号 ・・-・・  ・・-・・  ・  ・    ・・-・・  ・・-・・  ・  ・   << ブログをご覧の皆さまへ >> いつもご覧いただいてありがとうございます。 昨年、このブログを始めてから昨日まで、隔日の更新を行ってまいりました。運行の管理はどうにか続けることができ、ほぼダイヤ通りの運行で年を越すことができました。 さて今年の運行予定(ブログ更新予定)について新ダイヤを発表させていただきたいと思います。 管理人の能力不足のため、従来のダイヤを維持することは困難な場合もあろうかと判断いたしましたので、定期列車(定期更新)は週1回月曜日とし、予定臨(部内用語で季節列車など事前にダイヤが組まれている臨時列車を指します)を木曜日に不定期運転するといったダイヤに改正することとさせていただきますm(__)m←合理化ダイヤだ!! 我々は断固として闘うぞ!!ストライキだ!!順法闘争だ!!との声が…(^_^;) 基本的にそのほかの曜日には更新はいたしませんので、月、木曜日(できるだけ朝の更新を心掛けます。)には今後ともご…

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