【143】 臨時列車の乗務(2):115系+クモヤ145

先週に引き続き、予備勤務のときに乗務した列車を、模型で再現しながら当時のことを振り返ってみたいと思います。 昭和59年11月1日 東海道本線回9106M(運転区間:大阪~品川)  乗務期間 名古屋16:21~浜松17:52 クモハ115-319 西ミツ モ ハ114-355 西ミツ ク ハ115-400 西ミツ クモヤ145-117 西ミツ 中央東線用スカ色の115系にクモヤ145がくっついた編成です。東海道本線で西から上ってきた列車を名古屋で乗継ぎ、浜松で他区乗務員に引継ぎました。 東海地方では115系は通常、湘南色しか見られないので、スカ色の115系は珍しいものでした。また乗務区間内でも湘南色の定期列車115系の乗務は他車掌区が担当していましたので、115系自体に乗務することはありませんでした。ただ、乗務した編成は乗務位置が最後尾のクモヤ145でした。貫通扉は閉鎖されていましたので、このときは115系には乗り移れませんでした。 クモヤ145は電車区構内の入換作業や、こうした回送車両の牽引や控車として使用される事業用車両です。特にこの100番台車は救援車の機能も兼ね備えたものなので、緊急時の出動に備えて車内にはチェーンブロック付のクレーンが装備されるなど、電車らしくありません。一方、運転室は個々の機器が規格化されていましたので、クモニと大差はないようで、印象に残っていません。 写真は中央東線の115系です。国鉄当時は長い編成が当たり前でし…

続きを読む

【142】 今日は何の日「2月26日」

2003年2月26日は宮脇俊三が亡くなった日である。 多くの著書を遺され、私はその多くを読んできて、基本的に文庫版になっているものはほとんど今も手許にある。 私が国鉄に入った翌年(昭和52年)に、宮脇さんは足尾線の末端の1区間を乗ったことによって、国鉄全線踏破という「偉業」を達成され、その翌年(昭和53年)には51歳にして中央公論社常務取締役編集局長という要職に就いておられたにもかかわらず、退職して、その全線踏破の物語を「時刻表2万キロ」としてまとめ上げ作家デビューを果たされた。 この作品で第5回日本ノンフィクション賞を受賞されたことで注目を浴び、以後多くの書を執筆された。 このなかで、特に有名なのがこの3冊 時刻表2万キロ 最長片道切符の旅 増補版時刻表昭和史 これらは絶対に外せない。 増補版時刻表昭和史は宮脇さんの自伝とも言うべき書で、この著書の中で、自らが小学校3年生だった昭和11年2月26日に起きた「2.26事件」ついて語っておられる。 その日は市電が止まっていて、2キロの道のりを歩いて登校すると、先生が、「きょうは東京が騒がしいので、これからまっすぐ家に帰りなさい」と言われ、大喜びで帰ってきたということであった。 それから67年後が宮脇さんの命日となった。 このほか、お勧めしたいのが 汽車旅12カ月 旅の終わりは個室寝台車 終着駅へ行ってきます 台湾鉄路千公里 シベリア鉄道9400キロ 時刻表おくのほそ道 この…

続きを読む

【141】 鉄分の多いお菓子(2):JR電車チョコ

鉄道をモチーフにしたお菓子は、大手の菓子メーカーからローカルなものまで、いろいろ存在します。 こちらの写真はJRの電車の形の箱に入ったチョコレート菓子です。 こうしてJR西日本のKIOSKで売られていました。 発売元は「株式会社黒谷商店」という会社です。 これを買ったのは相当前でしたが、まだ売られているようで、「黒谷商店」でGoogle検索するとそこのHPに行き当たります。そしてこのほかにも、たくさんの車種が存在していることがわかります。 私は国鉄型が多く入っているセットを買いましたが、JR特急チョコというのもあるようで、こちらは流線形の電車の造形に多少無理があるものの、それらしい箱にはなっています。 大きさはNゲージサイズくらいです。それぞれの形式の特徴はうまく描かれています。 パッケージを見ますと、このほかにもEF65PF「なは」やEF81「トワイライトエクスプレス」があるのでしょうか? 運転士が乗っていて、横から見れば乗客の姿も表現されて、往年のブリキのおもちゃを思い起こさせます。 ところでこの手の子供向け商品には「突っ込みどころ」があるのが、ほほえましくも楽しいものです。 たとえば、103系の「運転室がないほうの妻面」がこんな形です。 ちゃんと貫通扉が表現されているのは立派ですが、貫通扉の色が外部色と同じです。もっともこれは一人前の模型であるNゲージですら同様の処理をされていることが非常に多いものです。 窓の高さも異常に高く、…

続きを読む

【140】 臨時列車の乗務(1):キハ52

客専班になって初めての予備勤務に指定されたのは、約5カ月が経過した昭和59年10月下旬からでした。12月上旬までの間、いつも乗務していない列車を中心に乗務することになり、臨時列車にも乗務するようになりました。 その時乗務した列車を振り返ってみたいと思います。 基本的には遊びでなく(ホント?)、仕事なのでカメラ持参で乗務することはほとんどありませんでしたので、乗務時の写真は一部例外を除いて撮っていません。そのため、掲載する写真は類似の模型で再現してみたいと思います。実際とは多少違っていたりするかもしれませんが、その点はご容赦ください。編成のメモくらいは残してありますので、掲載しておきます。 昭和59年10月27日 中央本線回8526D(運転区間:中津川~多治見)  乗務区間 中津川10:56~多治見12:10 キハ40 2131 名ミオ キハ52 136  名ミオ 当時明知線で運用されていた気動車は美濃太田機関区所属でしたが、通常は中津川機関区に常駐して給油や検査を受けていました。大きな検査があるときだけ、所属の美濃太田機関区へ帰っていました。 電化されている中央西線を走るこの気動車列車は、そのために不定期運転されていました。明知線は私の所属する車掌区での受け持ちではなく、中央西線内で運転される回送だけを受け持っていましたので、この臨時列車のほかにはキハ52に乗務できる機会はめったにありませんでした。 さらにこの明知線のキハ52は、定期運用として中津川…

続きを読む

【139】 鉄分の多いお菓子(1):チロルチョコほか

鉄道をモチーフにしたお菓子は、大手の菓子メーカーからローカルなものまで、いろいろ存在します。 先日、拙ブログにいつもコメントをお寄せくださるアルヌーさんのブログで、0系新幹線のチロルチョコレートというのが100円ショップにあることを知りました。スーパーとか100円ショップに行くたびに気にして探していたのですが、なかなか見つからず、やっと本日、某100円ショップで売られているのに出会いました。 さっそく購入しましたが、50過ぎのジジイが孫に買ってやるわけでもなく、家に帰ってから自身でこうやって遊んでいるんですから、おまえアタマ大丈夫?(;一_一)と言われてもおかしくはないですね←自覚あり(^_^;) めげずに元撮り鉄としてはインカーブで撮ってみよう。 ん!!いい感じ(^O^)/ でも線路がないと淋しいな。 例の棺桶(わからない方はココをクリック)のフタを開けて線路の上に乗っけてみよう(^o^)丿 このレイアウトに新幹線が入線するのは初めてです^^ こんなお遊びをしたわけですが、今回オマケとして、ほかにも鉄道に関したお菓子で、私の手許にある古い空き袋を2つご紹介しましょう。 まずはコレです。 東北新幹線が八戸まで延長されたことを記念するあられです。そんなころにJR東日本のKIOSKで、缶ビールと一緒に買ったものです。 続いて、ロッテの「レールウェイガム」 ガムは3枚しか入っていないけれど、「レールウェイカード」が4枚入って…

続きを読む

【138】 北恵那鉄道5:その廃線跡(3)美濃下野

北恵那鉄道の続きになります。 この鉄道に関する直前の記事は「【133】北恵那鉄道4:その廃線跡(2)稲荷橋・田瀬」です。 田瀬を出ると中津町行の電車は付知川が造った深い渓谷に分け入っていきます。人家もまばらなところを国道に沿ってレールが敷かれていました。 ずいぶん険しいところを走っていたもので、廃線後は一部区間は並行する国道の拡幅のための用地として削り取られて国道の一部と化しています。 上の写真は中津町方向を向いて撮りました。国道のセンターラインのあたりから右に法面があり落石防護柵あたりの高さのところが軌道敷地だったはずです。国道拡幅のため削られてしまっています。下付知側を振り向くと下の写真です。 広い国道になっていますが左側半分は北恵那鉄道跡地です。右側は崖で、付知川が流れています。 この国道は何度も通ったことがありますが、廃線前は狭い道で対向の大型車に出会うと行き違いができないほどでした。やがてこの国道は付知川の対岸へ渡り、渓谷沿いを避けるように川から離れ坂を上り台地の上の人家がある方向へ分かれていきますが、北恵那鉄道はひたすら付知川に沿って渓谷の中を下っていきます。渓谷の対岸には細い旧国道がありますので、その道路から対岸の廃線跡を観察しつつ、次の駅、美濃下野へまいります。 バス停は、駅とは500メートルくらい離れた台地上を走る国道にありましたが、「下野」を名乗っています。 駅の現況はどうかというと、まったく跡形もなく整地されていました。 駅構…

続きを読む

【137】 専務車掌(乗客扱)4:勤務形態と臨時列車乗務

「専務車掌(乗客扱)」の続きになります。この「専務車掌(乗客扱)」に関する直前の記事は「【134】専務車掌(乗客扱)3:線路見習」です。 客専班G組になり線路見習が終わると、次の写真のように決められた乗務割表の順に乗務をすることになり、それのくり返しでした。 正式名称は「乗務割表」のようですが、現場では「交番表」と呼んでいました。 乗務割表の一マスは1日。上から下へ7マス。これで一週間。それが横へ4マス。最後の日だけ1マスが2つに区切ってあり、全部で4週28日+1日=29日のスケジュールを繰り返すわけです。 かっこ内の時刻は出勤時刻で、その下が列車の発車時刻・到着時刻の順になります。乗務割表には、その行路の最初に乗る列車と最後に乗る列車が書いてあるだけです。その間には何本もの列車に乗務することになりますが、その内容はこの「乗務割表」には記載できない場合が多いので、別に「行路表」という表があって、その内容が記されていました。 たとえば乗務割表で最初の77行路は16時09分に車掌区に出勤し16時54分に乗務開始。名古屋~亀山間を3往復して翌日12時51分に到着して仕事が終わるのですが、「乗務割表」では最初と最後に乗務する列車しか記載されません。その「行路表」を見れば次の写真のように、その内容がわかります。 その77行路から始まり11日めに63行路があります。 乗り出し列車が「しなの7号」で、長野まで乗務。 「しなの18号」で折り返しそのまま回送で神領泊り。 翌日しなの5号…

続きを読む

【136】 manacaデビュー記念カード

本日2月11日から名古屋圏の鉄道・バスのICカード「manaca」がスタートしました これまで、名古屋ではJR東海のTOICAしかありませんでしたが、これで主要な鉄道がICカード対応になったのです。やっとスタートという気がしますが、とにかくめでたいことです 導入事業者は下の写真のとおりです。この写真は本日、20,000枚限定で発売されたデビュー記念カードの台紙です 私はというと、これらの鉄道やバスを高い頻度で利用することはないのですが、なにぶんにも名古屋人としては珍しく自家用車はあまり使わず公共交通機関と徒歩を愛用している人種なので、カードがあれば何かと便利です 発売日は三連休の初日でもあり、記念カードを買いに行くことにして家を6時に出発したのでした 発売箇所は、名古屋市地下鉄・名鉄ほかの主要駅で、どの駅も午前7時からの発売でした。我が家から一番近いのは「名鉄大曽根駅」と「ゆとりーとライン大曽根駅」でした。 JR中央本線で大曽根に着いたのは6時35分過ぎ。 この時点で、「ゆとりーとライン大曽根駅」では、すでに発売枚数(250枚)分の整理券をちょうど配り終えたところで発売時刻前なのに購入の可能性はなくなってしまい…続いて名鉄大曽根駅に行ってみたのですが、ここも同様で…訊いてみると15分くらい前に整理券を配り終えた(発売枚数600枚)とのことでした 次に近い発売箇所は金山でした。こちらも名鉄と地下鉄の2か所で発売しており、名鉄2,000枚、地下鉄2,700枚の発…

続きを読む

【135】 ???これは何???

この写真は何だかおわかりでしょうか? 313系を模したお家? 小さな公園に建っています。 そうです。公園にある「公衆トイレ」なのです。 なかなかユニークではないですか。字幕部分に「足振」「公園」・・・・ 足振公園という春日井市内の公園にあります。 この公園、実は中央西線のそばにありまして、列車内からもよく見えます。 本物の313系が来るまで待って撮ってみました。 特徴をよく捉えてありますね。屋根の明かり取りも本物のエアコン室外機のように見えますね。 この公園の近くで、すこし東の線路をはさんだ反対側には、こんなのもあるのですからオドロキです。 こちらも公園の「公衆トイレ」です。 塗装から察するに、こちらのは211系のようです。行き先も「大垣」・・・・・ではなく「大垣戸」。 これも、公園の名前です。「おおがいと」と読むそうで、この大垣戸公園の所在地の旧字名が「大垣戸」だったそうです。現在は区画整理で、この字名はなくなり、この公園の名前として残っているだけのようです。 春日井市の担当職員の方に鉄道オタクがおられるんでしょうかね。 意外と有名スポットかも(^_^;) トイレにも遊び心♪ なかなか楽しいものですが、こういうことも、車窓を見ていてこそ発見できることですよね。 中央西線に乗車の際にはぜひ見ていってくださいね。 こちらが313系の足振公園 上の地図から少し東に行って、こちらが211系の大垣戸公園

続きを読む

【134】 専務車掌(乗客扱)3:線路見習

「専務車掌(乗客扱)」の続きになります。この「専務車掌(乗客扱)」に関する直前の記事は「【127】専務車掌(乗客扱)2:乗務範囲と机上講習」です。 客専班に指定され、4日間の講習を終えるとすぐ線路見習がありました。 線路見習(略して線見)とは本務の専務車掌に付き添ってもらってひと通り、未乗区間を乗務することをいいます。これで停車駅の出発信号機や標識の位置、作業手順、出先での出勤箇所や乗務員宿泊所の場所を覚えるのです。 そのときの線路見習は定期列車での行路がない東海道本線の米原以西だけは行われませんでした。この車掌区では季節列車と臨時列車の行路しか受け持っていなかったからです。しかし、見習者すべてが、かつては列車掛で吹田まで乗務経験があることと、本務で宮原(操)まで乗務する行路は、すべて2人乗務であるので問題になりませんでした。 上の画像が、私が線路見習すべき区間でありました。これも講習時に配られた資料ですが、この画像でおわかりのように、山陽本線と鹿児島本線がまっ線で削除されています。この約1年半前の昭和57年11月のダイヤ改正で博多行の581・583系特急金星号が廃止となったために、大阪以西の乗務がなくなってしまったので削除されたのでした。これはほんとうに残念なことでした。 個人的には私は国鉄就職時にはこの職場で乗務掛(荷扱)だったことで、駅出身の車掌と違い、乗務したとことがない区間は、高山本線、北陸本線、信越本線の3線区だけでしたが、車掌または列車掛としては乗務していな…

続きを読む

【133】 北恵那鉄道4:その廃線跡(2)稲荷橋・田瀬

北恵那鉄道の続きになります。 この鉄道に関する直前の記事は「【128】北恵那鉄道3:その廃線跡(1)下付知」です。 北恵那鉄道には13の駅がありました。 私が知っている末期には起点の中津町駅とほぼ中間の美濃福岡駅、終点の下付知の3駅だけに駅員が配置されていました。そのほかの駅は無人駅でしたが、駅舎が廃線時まで残っていた上苗木、並松、美濃下野の各駅のほか、山之田川、苗木、田瀬の各駅はいずれも廃線時には駅舎こそなかったものの、駅舎が取り壊された跡の基礎部分があったり、駅の規模から、もとは駅員が配置されていたものと推察できました。 そのほかの4駅(恵那峡口、関戸、栗本、稲荷橋)は、いずれも行き違い設備や貨物ホームの類もなくて、旅客ホーム1本と待合所がある程度の規模でしたので、もとから無人駅であったことが推察されました。 さて、下付知駅を出て次の駅は「稲荷橋」です。 現在は、同名のバス停が近くにあります。 バス停から稲荷神社への細い道を入るとすぐお堂があって、その横が駅でした。 現況はこんな具合でプラットホームと線路跡がそのまま残っていました。 上は中津町方向から下付知側を向いて撮りました。下は反対側から撮ってみました。訪問したのが12月でしたので、プラットホーム上に植えられた樹木に、クリスマスの装飾がされていました。すぐ下にある喫茶店から見える位置なので、こういうことになっているのでしょう。 稲荷橋を過ぎ、廃線跡は国道の右側斜面上を通っています。国道と…

続きを読む

【132】 保存鉄道車両訪問1:中津川市 D51 266

中津川機関区に所属し現役引退した蒸気機関車に再会するために保存先へ行ってまいりました。 今回は地元中津川市に保存されたD51 266号機です。 <<車両配属原簿による履歴>> 昭和14年7月18日  川崎車輛で誕生 昭和14年7月26日  浜松機関区 昭和20年11月22日 多治見機関区 昭和24年9月7日   中津川機関区 昭和46年7月6日   用途廃止 生涯の大部分を中央西線で過ごした機関車と言えましょう。特に中津川機関区の所属期間が長く、地元中津川市に保存されるにふさわしい機関車であると思います。 保存場所は中津川機関区からそれほど離れていないところにある公園で、中央西線の車窓からも見える位置ですが、頑丈な金網が張られた鉄骨の上屋のなかに保管されているので、見やすくはありません。 訪問したのは平成23年1月8日です。正月の装飾がされて、磨きあげられて非常にきれいな姿で対面できました。 現地に掲示された説明書きによると、最終運行は昭和46年4月8日中津川・塩尻間の往復で、その年の4月23日廃車と記されており、車両配属原簿による履歴の用途廃止日と食い違いがありました。 また、昭和44年8月には南木曽~十二兼間で集中豪雨による流木に乗り上げ、先輪1軸が脱線したということです。 この機関車は中津川文化センター裏に保存されていたのですが、後に現在地へ移転しています。 上の写真は、その中津川文化センター裏(現駐車場)に保存され…

続きを読む

ブログ内ラベルリスト