【148】ブログ更新を再開します

皆様、ご無沙汰しております。 当ブログをしばらくお休みしておりましたが、ご覧頂いている皆様のなかでも直接または間接的に今回の震災で被害を受けた方もおありのことと思います。心からお見舞い申し上げます。一刻も早く元の生活に戻ることができますようお祈りしております。 3月11日14時46分。地震発生のとき、私は岐阜県東濃地方にある父母の住む実家に向かう途中でした。時間的にみて、駅から数分歩いて「トトロの森」の神社に参拝した直後だったのではないかと思われますが、歩いていた私はまったくその揺れには気付きませんでした。 この地方では震度3だったとのことです。約10分後、実家に着くとすぐ、家に居た父母から、地震があったよと聞かされ、テレビでは、すでに津波警報を伝えていました。 震源から離れている岐阜県でさえ震度3なのですから、この地震の規模は大きくて被害も出るかもしれないと、そのとき思ったのですが、まさかこれほどの大津波が発生したとは全く思いもよりませんでした。 翌日になってテレビで放映される映像で、どこから手を付けたらいいかわからないほどの瓦礫の山、そして煙や炎。街があったとは信じられないほどの津波の爪痕を見せつけられたのでした。 そしてテレビから刻々と伝えられる被災地の地名は聞き覚えがあるものばかりです。それはなぜかと言えば、次のようなことが挙げられます。 国鉄時代末期に、全国で初めての国鉄転換第三セクター鉄道として三陸鉄道が開業しました。雑誌や新聞では切り捨てられようとす…

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【147】 ブログ一時休止のお知らせ

昨日午後、東北地方太平洋沖地震が発生しました。 被害が徐々に明らかになりつつあって、とても心配な気持ちでおります。 こうした大災害が起きたなか、もちろん鉄道に関しても、まだ報道されないまま、明らかになっていない相当な被害もあろうと思われ、このような状況下で拙ブログを更新していく気分にはとてもなれませんので、しばらくお休みしようと思います。 期間は「当分の間」とさせていただき、とりあえず3月いっぱいは運休とさせてください。 勝手ではありますが、ご理解を賜りますよう、再開の節には、またよろしくお願いいたしますm(__)m この地震や津波で被災された皆さまに対し、心よりお見舞い申し上げます。m(__)m

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【146】 保存鉄道車両訪問2:半田市 C11 265

中津川機関区に所属し現役引退した蒸気機関車に再会するために保存先へ行ってまいりました。 今回は半田市に保存されたC11 265号機です。 前回のブログ記事でおわかりのように、知多半島訪問の際、半田市内にある「酒の文化館」の帰路に立ち寄りました。 <<現地案内板による履歴>> 昭和19年4月9日  日本車輛製造㈱で誕生 昭和19年4月19日  中津川機関区 昭和25年3月12日  名古屋機関区 昭和44年9月30日  稲沢第一機関区 昭和45年10月26日   廃車 現地の案内板によれば、運転線区は、明知線(6年)、武豊線(20年・笹島駅入換を含む)となっていました。 生涯を東海地方で過ごした機関車です。戦中戦後の厳しい時代を中津川機関区に所属し明知線で過ごしたことになります。そのあとは長きにわたり武豊線で活躍し、昭和45年6月に武豊線で「さよなら列車」牽引した機関車です。その沿線の主要都市である半田市に保存されるにふさわしい機関車であると思います。 製造された時期が戦時中のため、その特徴として砂箱のある前よりのドームがカマボコ形をした簡略形になっていて、戦時型の面影を残しています。 残念ながらナンバープレートはなく、白い塗料でナンバーがボディに直接書かれています。 ロッド類が塗料で塗り固められていました。 保存場所はJR半田駅前で、武豊線の車窓からも見える位置です。機関車のそばには半田市鉄道資料館があります。プレハブ造の小さな建物です。 開館日…

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【145】 「50代5000円でGO!」2011.3.5:知多

「青春18きっぷで日帰り」という制約の中で始めたおっさん3人旅。どうしても行程が似たものになってきますので前回(【112】 「50代5000円でGO!」2010.12.12:郡上)からは使用する切符を青春18きっぷに限定せず、交通費+食事代+施設入場料が5000円程度(土産・酒代は除外)で収まるような格安貧乏旅行というコンセプトで「50代5000円でGO!」という企画?として継続することに変更しました。 前回は「交通費+食事代+施設入場料=4,640円」でした。5000円に満たない差額360円が今回に持ち越されました。 今回は、メンバーの一人が「港の森づくり モノづくり文化交流拠点植樹祭」に参加申し込みをしてくれました。これは名古屋港金城埠頭で行われる植樹祭に抽選で300人参加できるというものでしたが、我々の目的は植樹祭ではありませんでした。実は参加すると、金城埠頭に3月14日開館するJRの新しい博物館「リニア・鉄道館」の内覧会がセットになっていて、オープン前に一足早く「リニア・鉄道館」を楽しめるというものでした。これが真の目的だったのです。しかも近場ですから、予算的には余裕・・・のはずでした。 ところが、その10日ほど前に「落選」の通知はがきが届いたことで、その予定は全くの白紙となったのでした。300組の募集に2244通の応募があったと落選通知のハガキには書いてありました。              では、どうしようということになって、職場で 「海でも見えて安くてうま…

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【144】 北恵那鉄道6:その廃線跡(4)栗本

北恵那鉄道の続きになります。 この鉄道に関する直前の記事は「【138】 北恵那鉄道5:その廃線跡(3)美濃下野」です。 付知川の険しい渓谷も終わりに近づくころに、栗本駅がありました。 この駅は、観光開発のためホームの目の前の旅館が土地を提供して開業したとのことでした。上の写真に「三千桜」という地酒の看板を掲げたその旅館の建物の一部が写っています。 現在は駅周辺に民家がほとんどなく、この駅に対応するバス停もありません。国道はこの駅の先の美濃福岡の手前で、台地の上から降りてきて再び線路に近いところを並行するようになります。 栗本駅は渓谷沿いの無人駅でしたが、ここには私がまだ就学前と小学生のころに家族で来たことがあります。 この駅は「栗本水泳場」の下車駅で、すぐ目の前の渓谷を流れる付知川で泳ぐことができ、夏場は多くの客が訪れる北恵那鉄道沿線唯一の観光地と言えるところでした。 海から遠く離れたこの地方では日帰りで海水浴に行くのは困難で、プールなどもなかった当時は、こうした川遊びを兼ねた水泳場があったのです。 ※写真に写っている子供は、高校を卒業してから国鉄に入社し、民営化を機に退職した誰かです。もう一人は言うまでもなくその母親で、現在は80歳になります。50年の時の流れは、駅も人も変えてしまいました(+_+) プラットホーム1本だけの小駅でしたが、かつては前述の旅館のほかにも、夏には休憩や食事のできるお店が線路沿いにあったのですが、廃線間近には、そういった…

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