【169】 臨時列車の乗務(8):広島の14系座席車

先週に引き続き、予備勤務のときに乗務した列車を、当時のことを振り返ってみたいと思います。 昭和59年11月25日 東海道本線 8101列車 乗務区間 浜松9:43~名古屋11:07 EF65 1121 関 1 スハフ14 24 広ヒロ 2 オ ハ14 89 広ヒロ 3 オ ハ14 88 広ヒロ 4 オ ハ14 87 広ヒロ 5 オ ハ14 86 広ヒロ 6 オハフ15 23 広ヒロ 7 スハフ14 25 広ヒロ 8 オ ハ14 85 広ヒロ 9 オ ハ14 84 広ヒロ 10 オ ハ14 83 広ヒロ 11 オ ハ14 82 広ヒロ 12 オハフ15 22 広ヒロ《12号車締切扱》 創臨23 ○○学会733名  富士~大阪(三原) この日は東海道本線で下ってきた列車を浜松で乗継ぎ、名古屋までの乗務でした。列車はそのまま他区乗務員に引継ぎ、大阪から列車番号が変わって最終的には三原まで運転されました。 14系座席車による宗教団体の貸切列車で、機関車は下関運転所所属のEF65PF、客車は広島区の12両編成でした。 編成を見ると番号順に組成されているのが実に気持ちがいいものです。 それに12両と長い編成であるがゆえに、いかにも幹線の特急らしい雰囲気が伝わってきます。 EF65PFと14系座席車の組み合わせは、以前のブログ記事「【157】 臨時列車の乗務(4):品川の14系座席車」で、模型で再現しましたので、今回は模型の写真はなく、すべて…

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【168】 Hi‐SOFTのデザインが変わった!

久しく、お菓子のことを書いていません。 以前のブログ記事「【80】 鉄分の多いキャラメル?Hi‐SOFT」で、森永Hi‐SOFTキャラメルが、電車の絵が描かれて「旅にハイソフト」とメッセージが書かれているパッケージに変わったことをお伝えしたのですが、あれから半年。またパッケージが変更になりました。 こんどは、「山にハイソフト」とあります。 それも色違いで6種類のパッケージがあるらしいのですが、今回3種類を発見し買ってまいりました。 3種類の色違いパッケージの中身は、全部同じです。 「山にハイソフト」と書かれた下に、「1粒で25Kcal」となっています。 山にも似合うというのでしょうか。私は登山はしませんが、非常食としての需要もあるのでしょうか。 山とキャラメルで思い出したのが、以前信州で買ってきた、森永ミルクキャラメル信州限定というセットです。 結構大きな箱に普通サイズのミルクキャラメルが4箱入っていて、そのうち2つは復刻版という代物でした。 箱の裏側には、北アルプスの山々が描かれ、山の名前と標高が書かれており、信州らしいパッケージでした。 こうしたお土産用のキャラメルというのは結構あって、同じ森永ミルクキャラメルで、「東京ディズニーシー」のこんなパッケージのものがあります。 キャラメルの箱を集めていることを知っている友達が買ってきてくれたものです。ミッキーマウスやドナルドダックが描かれています。 さらによく見ると森永の逆立ちしたエンゼルの代…

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【167】 北恵那鉄道8:その廃線跡(6)関戸・並松

北恵那鉄道廃線跡の続きになります。 この鉄道に関する直前の記事は「【165】北恵那鉄道7:その廃線跡(5)美濃福岡」です。 美濃福岡の次が関戸駅。 この駅は昭和36年に設置された新しい駅でした。当初から無人駅で、私が知っている廃止時点では駅名標はなく、その代わりにプラットホームに設けられた鉄骨の上屋に「せきど」と駅名が表示されていて、プラットホームも石垣の土盛りでなく鉄骨の柱で支えられた構造で、他の駅とは雰囲気が違っていました。 上の2枚は同じ場所からの撮影です。 駅のすぐ下付知寄りにあった小さな踏切のあたりから駅を撮ったものですが、踏切部分の道路が拡幅され、その残土が廃線跡に廃棄され、そこに雑草が生えていて荒れ放題です。桜並木もなくなっています。 上の2枚の写真のうち夜の電車が写っている方は営業最終日の撮影です。ふだんは隣接して並行する国道の自動車が行きかうばかりで、閑散としていた夜の駅も、この日ばかりは何人もの見送りの人々の姿がありました。その次の写真は、だいたい同じ位置から現況で、広角で撮っています。 この位置から少し国道を中津川寄りに行くと現在の関戸バス停があります。下の写真です。 このバス停の待合所の形状と、前の営業最終日の夜の写真に写っている待合所を見比べてみてください。形状が酷似しています。鉄骨の主体構造は鉄道時代のものをそのまま移築したもののようで、屋根材など外装材は、その後の補修で変わっています。 この写真の後ろ側の壁…

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【166】 臨時列車の乗務(7):EF58牽引「サロンカーなにわ」後篇

先週の「臨時列車の乗務(6):EF58牽引「サロンカーなにわ」前篇」の続きになります。 この列車には新大阪駅からの団体さんが乗車しておられたわけですが、豊橋で下車されてその後は回送となります。私はその回送区間も含めて浜松まで乗務しました。 まだデビュー後1年も経っていない車両ですし、やはり職場でも何人もの鉄道好きの方は居られます。私が乗務することを知った1人がカメラを持ってきて記念撮影してくれました。 デビュー後間もないとはいえ14系普通座席車の改造車両ですから、この写真でも窓をふさいだ後の外板が歪んでいるのがわかりますね。 このふさがれた窓の位置がパノラマラウンジで、要するに車掌室のすぐそばということになります。豊橋からは回送なので、営業を終えたパノラマラウンジの様子を見に行きます。するといろんな記念グッズがあるではないですか。 今ですと、勤務時間中に・・・と御咎めを頂戴することになるのでしょうが、そこは昭和の時代です。ちょっと買い物です。 回送区間ではパノラマラウンジの従業員の方々は仕事が終わって、展望室でリラックス中でした。この方たちは日本食堂の女性3人チームでした。営業終了後にも関わらず快く応じてくださり、私のように乗務員が買い物をするケースはよくあるとのことでした。ネクタイピンとペナントを買いました。 テールマークがデザインされていました。 裏面には日本食堂と書かれていました。 昔はペナントって流行りましたねって言っても、お若い方々はご存…

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【165】 北恵那鉄道7:その廃線跡(5)美濃福岡

長期間中断してしまいましたが、北恵那鉄道廃線跡の続きになります。 この鉄道に関する直前の記事は「【144】北恵那鉄道6:その廃線跡(4)栗本」です。 美濃福岡駅は旧恵那郡福岡町中心部の町はずれにありました。福岡町も現在では中津川市に吸収合併されています。 現在、この駅があった場所に最も近いところにあるバス停は「病院前」です。 町はずれであることから「福岡」を名乗っていないのでしょうか? 美濃福岡駅は、北恵那鉄道のほぼ中間地点にある主要駅で、構内には変電所もありました。晩年は上下列車の行き違いが、ほとんどこの駅で行われていましたし、朝は、この駅始発の中津町行区間列車も存在しました。 ここも線路跡は整地されて、駅の建物や施設があったことを知らなければ通り過ぎてしまいそうなくらい変わっていましたが、その場所には立派な石碑が建てられていました。 ※上の石碑の写真は2007年夏に撮影したものです。 上の2枚の写真は、ほぼ同じところで撮影したものです。現況写真で、水色の線で囲った部分が、上にある現役当時の写真に写っていることになります。現況写真左側に「美濃福岡駅跡」の石碑が写っています。 上の2枚の写真はいずれも美濃福岡駅の中津町寄りにあった踏切(跡)から駅構内を撮影したものです。桜の木は今も健在です。 この踏切(跡)から駅構内に進んでいくとこんな感じです。 建物の左側に黒く写っているのは、さきほどの駅跡の石碑です。現在の建…

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【164】 臨時列車の乗務(6):EF58牽引「サロンカーなにわ」前篇

「サロンカーなにわ」はこの前年、昭和58年に14系座席車を改造して誕生したジョイフルトレインです。 1984年(昭和59年)11月22日 東海道本線 8104列車 EF58 150(宮) 臨A310 7.スロフ14 704 大ミハ 6.オ ロ14 710 大ミハ 5.オ ロ14 709 大ミハ 4.オ ロ14 708 大ミハ 3.オ ロ14 707 大ミハ 2.オ ロ14 706 大ミハ 1.スロフ14 703 大ミハ (大臨55)新大阪駅旅行友の会○○○連合会(210名) 新大阪~豊橋(豊橋~浜松回送) 乗務区間 名古屋13:53~豊橋~浜松15:16       (浜松で回9446列車に継送) 「サロンカーなにわ」は7両編成で、1人掛けと2人掛けのデラックスなリクライニングシートが装備されています。1号車と7号車には展望室があって後方が眺められるようになっていて、そのうち1号車にはパノラマラウンジがありました。ここでは飲み物の提供や記念品の販売も行われているのでした。 国鉄内部ではこの「サロンカーなにわ」を含め、この種の客車を「欧風客車」と呼んでいました。国鉄末期で増収が叫ばれていたことに加え、バブル経済絶好調の時代でしたから、こうした豪華な団体旅行も盛んに行われていたのです。 展望室が設置されているために通常最後部にある乗務員室は、その反対側になっているのが特徴です。 そしてこの「サロンカーなにわ」は民営化時にJR西日本に引き継がれ…

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【163】 丹波篠山の旅「余話」

5月7日に381系こうのとり号に乗って丹波篠山へ行ったことは、ブログ記事『【160】 381系こうのとり号で「大手食堂」へ鉄分補給+α 2011.5.7』に先日アップしたところですが、そこで書けなかったことを追加で、ご紹介しましょう。 私はずっと東海4県+長野県のエリアから出る機会がなくて、久しぶりの新幹線でした。そんなわけで遠足気分になっているので、名古屋駅では朝から駅弁を買ったりしました。すでに朝食を済ませてきているので2人で1つだけですが。 これがその名古屋弁当。名古屋駅の老舗「松浦商店」謹製です。 名古屋弁当、この銘柄は国鉄時代からありました。 その当時の掛紙はこういうのでした。 日付を見ると昭和61年12月13日。乗務日誌から、私がこの日から3連休だったことがわかりましたが、何処へ何しに行ってこの弁当を買ったのかが不明です。 さて、5月7日の話に戻りましょう。弁当を新幹線の中で食べ、少しアルコール分も入って(←まだ朝だよ)新大阪で「こうのとり5号」に乗り換えるわけですが、1時間弱の待ち時間がありましたので、この時間は家内とは別行動になり、私はホームでコンデジ片手にうろうろします。 そこで「はまかぜ」の189系気動車に出会いました。 どうも私には特急の貫禄が感じられないのです いつも乗ってるJR東海の313系の色違いみたいに思えます。 でもよくみればどちらも181系気動車に全体のプロポーションは似ているから、国鉄特急色にしたらいい。 や…

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【162】 保存鉄道車両訪問3:「碓氷峠鉄道文化むら」のお座敷客車「くつろぎ」

前回のブログ記事では、私が初めて乗務したお座敷列車「くつろぎ」について書きました。 乗務したときに実車の写真は撮れずじまいでしたので、旧塗装時代の「くつろぎ」の写真は撮っていないのですが、分割民営化後、新塗装になってから信越線で再会できました。 浅間山を背にEF62に牽かれていきました。 その後この「くつろぎ」は1999年に廃車されました。このうち2両が「碓氷峠鉄道文化むら」に休憩設備として保存されたのです。残る4両はしばらくの間、横川駅の側線に留置されていましたが、惜しくも現地で解体されてしまったようです。 私が「碓氷峠鉄道文化むら」へ初めて訪問した時には、保存車2両のほか、保存から漏れた4両も解体される前でしたので、また再会できました。 上の写真は横川駅構内で解体待ちの「くつろぎ」のうちの4両。となりの車両は189系電車で、こちらも現地で解体されました。 続いて「碓氷峠鉄道文化むら」に休憩設備として保存された車両の様子です。 保存に当たって特に内外に大きく手が加えられたようにも見えず、貫通扉の「くつろぎ」トレインマーク周辺も錆びたままでした。 現役のお座敷客車というものが壊滅状態なので、末長く現役当時のままで保存していただき、後世にこうしたジャンルの団体列車があったことを伝えていただきたいものです。

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【161】 臨時列車の乗務(5):高崎のお座敷列車「くつろぎ」

先週に引き続き、予備勤務のときに乗務した列車を、模型で再現しながら当時のことを振り返ってみたいと思います。 私が最初に乗務したお座敷列車は高崎鉄道管理局のお座敷列車「くつろぎ」でした。 1984年(昭和59年)11月19日 東海道本線 9104列車 EF65 1109(東) 臨A124 1.スロフ12 822 高タカ 赤城 2.オ ロ12 841 高タカ 榛名 3.オ ロ12 843 高タカ 妙義 4.オ ロ12 842 高タカ 浅間 5.オ ロ12 844 高タカ 秩父 6.スロフ12 821 高タカ 男体 (高臨207)三河路の旅(240名) 岡崎~沼津(北本) 乗務区間 名古屋11:42~岡崎~浜松14:24       (名古屋~岡崎間 回送) このころの高崎鉄道管理局のお座敷列車「くつろぎ」は、車体が青に太い白帯が入った塗装でした。 従来のスロ81系の旧型客車によるお座敷列車が第一線を退いて、多くの鉄道管理局に12系改造によるお座敷列車が配置されたころでしたが、12系座席車のころの塗装をそのままにしたお座敷列車が多い中、この「くつろぎ」は特徴のある塗装でした。この日の牽引機であるEF65PFとの違和感もありませんでした。 上でお示しした編成のように、各車両には北関東の名山の名前が命名されていました。これだけでも、遠くから来た車両だと感じられ、感動してしまいます。 しかし、地理に無関心な人だと、山々の名前であることに気づき…

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【160】 381系こうのとり号で「大手食堂」へ 鉄分補給+α 2011.5.7

先日、車で伊那へ行ったばかりなのに、家内ともども、また出かけた。 5月5日のあと、金曜日に仕事に出れば、また土日で休みなので、7日の土曜日の朝、名古屋から下りののぞみに乗って新大阪へ向かった。 目的は381系国鉄色の特急「こうのとり」に乗ることと、丹波篠山の「大手食堂」へ行くこと。 特急「こうのとり」はこの3月のダイヤ改正で福知山線の特急「北近畿」に代わる特急列車として登場し、使用車両が国鉄型の183系と381系のほか新鋭287系車両によって運転されている。ただし381系については登板直後なのに287系車両への置換えまでの「つなぎ役」であって、早くも今月いっぱいでその任を解かれるという。その後381系は他の列車に転用されることになるが、現在、最後の国鉄特急色381系使用定期特急列車として、極めて短期間だけ運用されている。 すでにJR東海の特急「しなの」で使用されていた381系は3年前に最後の1編成が引退しているので、この国鉄特急色の381系は非常に珍しいものとなっている。 新大阪駅ホームに回送で入ってくる特急「こうのとり5号」 国鉄特急色が色あせてはいるが、貫禄が感じられる。 発車すると、古い車両だけに今時当たり前の自動放送の設備もないので、車掌の肉声放送がある。大阪駅を出たときに、鉄道唱歌のチャイムとともに、これから先の停車駅への到着時刻などの案内放送がある。大阪駅の前後には東海道本線上下線とも長い鉄橋があって、鉄橋を渡るときの騒音で車内放送が聞き取りにくいものだが…

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【159】 伊那谷 ちょっとだけ鉄分&アルコール分補給 2011.5.4

連休は何処へ行っても混雑しますので、私は遠いところや、また遠くでなくても人込みに巻き込まれるようなところには行かないようにしています。また、出かける場合でも最終日には出歩かないのが普通です。 今年の連休はといいますと、5月4日に家内とともに、ちょっとドライブに行ってきました。 行先は、帰りに岐阜県の実家に寄ることも考慮し、この時期いっせいにいろんな花が開花し、残雪の山々も見える信州伊那谷です。 混雑の避け方は、家を早めに出ることと、観光地に寄り付かないこと、帰路の時間をずらすということで対処します。 中央自動車道松川インターを降りて、まずは少し鉄分補給です。 有名撮影地「田切のカーブ」に行ってみました。この時期は水田に水が張られて中央アルプス連峰が、その影を落とします。 カメラはコンデジですが、そういうことはどうでもよくてその雰囲気を味わえれば、それでいいのです。 連休なので何人かの同業者の方がお出でかと思えば、そうでもなくて秋田から来られたという方が1人おられただけでした。 私は旧型国電が行き交う頃には何度かここを訪れてきましたが、旧型国電が姿を消してからは来ていません。その後は、電車の乗客として、あるいは近くの国道を自動車で通り過ぎたことは何度もあるのですが、こうして電車を待ってここに立つのは約30年ぶりのことになります。 そして、その約30年の間にこの119系が引退するのも時間の問題となってきているのです。 その昭和58年撮影の飯田線田切のカーブでの写…

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【158】 臨時列車の乗務(4):品川の14系座席車

先週に引き続き、予備勤務のときに乗務した列車を、模型で再現しながら当時のことを振り返ってみたいと思います。 昭和59年11月15日 東海道本線 9303列車 乗務区間 浜松14:37~蒲郡~名古屋16:16 EF65 1113 東 1 オハフ15 17 南シナ 2 オ ハ14 63 南シナ 3 オ ハ14 59 南シナ 4 オ ハ14 61 南シナ 5 オ ハ14 65 南シナ 6 スハフ14 17 南シナ 西東臨615 青梅線開業90周年旅行416名 (御嶽)品川~蒲郡  蒲郡~名古屋間回送 東海道本線で下ってきた列車を浜松で乗継ぎ、名古屋までの乗務でした。列車は名古屋終点で14系客車は名古屋客貨車区へ取り込まれました。 14系座席車による団体列車で、機関車は東京機関区所属のEF65PF、客車も品川客車区という超一流?の列車でした。 超一流という感覚はわかっていただけますでしょうか? 東京機関区と品川客車区と言えば、いずれも往年の九州ブルートレインを担当していた車両基地です。新幹線に乗って東京へ行くとき、いつも品川を過ぎると左窓からブルーの車両群を見るのが常でした。おなじ車両でも、機関車の「東」の区名札や、客車の「南シナ」表記だけでも格が違って見えたものでした。 団体さんは蒲郡で全員が下車されました。その夜は三谷温泉で宴会でありましょう。 添乗員から蒲郡到着まえに放送による案内を依頼され、ハイケンスのセレナーデとともにアナ…

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【157】 「50代5000円でGO!」番外編?

5月に入りました。大型連休の真っ最中ですが、私は今のところ遠出もしていません。 そもそも、混雑するときの外出は極力避けるようにしていますので、連休といえども例年似たような過ごし方です。 いつも5000円予算で旅をしてきた私を含め3人のオッサンは似たようなもので、みんなヒマらしいのです。 そこで昨日午後、3人が集まることに。前回3月初めに知多へ行ってから2カ月ぶりです。 知多へ行った時のようすは「【145】 「50代5000円でGO!」2011.3.5:知多 」でご紹介したのですが、いつになく「タクシーを2度も使う」「私どもにとってはひじょ~~~~に高価な3150円もする料理を食した」ということがあって、次回繰越▲1316円という大赤字に転落です。次回の予算は3600円程度ではあまりにもキツイ 経営責任を問われかねない企画部長?としては、「連休中はどこも混む」し、「自粛ムードのこの時期だから」という理由をつけて、近くの公園で酒でも飲むかということにしたのでした。 これを「50代5000円でGO!」番外編として、安い予算にしとけば、次回ちょっとはマトモな旅ができようというものです。要するにツジツマ合わせにすぎません。早い話が、酒が飲めりゃそれでいいよというお話 ところで、その公園とは名古屋市内の広大な丘陵地にあります。 ため池があって、桜の木もたくさんあるので、4年前にも、やはりその3人で花見をしたことがありました。上の写真はその時のものです。花見の途中で雨が降ってきて…

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