【215】 国鉄二俣線を走っていた車両たち

先日、天竜浜名湖鉄道へ行く機会があったのですが、この鉄道はご承知のように旧国鉄の廃止対象ローカル線を引き継いだ鉄道で、国鉄時代は「二俣線」という線名で、国鉄静岡鉄道管理局の管轄下にありました。 私は国鉄二俣線に乗ったことがあるかと言われれば、小学生か中学生のとき(それすら曖昧)、自分が時刻表を見てプランを立てて、父親と全線に乗った記憶があるのですが、このときの切符も写真も残っていないだけでなく、その記憶さえほとんどなく、ほんとうにそのとき乗ったかどうかすら怪しいのです。 国鉄在職中にも乗務区間外でしたし、二俣線(天浜線)に確実に乗った記憶と記録があるのは、第三セクター化後になります。 でも国鉄時代に、自動車で二俣線沿線に出かけたことはあります。そのうちの1回は、国鉄に就職後、同じ職場の荷扱の仲間で鉄分が濃い方々が何人かおられましたので、その方たちのお誘いを受けての訪問で、目的は撮り鉄でした。 その時の写真がこれです。 東都筑~佐久米  後の赤い橋は東名高速道路のものです。2両目はキハ10か11のようです。国鉄時代の二俣線には、名古屋付近では見られなかった両運転台のキハ10やキハ11が活躍していました。それにしても国鉄色のディーゼルカーは、どんな風景にも合っていると思います。 都筑~三ケ日   こちらは4両と長い編成です。このころは首都圏色と通称される1色塗装ではありませんでした。おそらく、出かけた動機も首都圏色に塗り替えられる前に行って撮影しようということだったので…

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【214】 国鉄二俣線の切符

先日、天竜浜名湖鉄道へ行く機会があったのですが、この鉄道はご承知のように旧国鉄の廃止対象ローカル線を引き継いだ鉄道で、国鉄時代は「二俣線」という線名で、国鉄静岡鉄道管理局の管轄下にありました。 私は名古屋鉄道管理局に採用されていましたので、二俣線は隣の鉄道管理局の線ということになります。両管理局の境界は西小坂井・豊橋間でした。私は乗務員なのでその境界を越えて静岡鉄道管理局管内には仕事で何度も乗務で乗り入れていたのですが、新所原駅から分岐する二俣線には乗務する機会もなく、東海道本線乗務の際に新所原到着時に「二俣線で三ケ日、金指方面はお乗り換えです。こんどの掛川行は○時○分です」と放送するくらいしか、仕事での関わりはありませんでした。 当時は二俣線も全国ネットワークの国鉄線の一部だったわけですので、東海道本線から直通の切符も見かけましたので紹介しましょう。 初めは国鉄時代の東海道本線西小坂井駅からの矢印式片道乗車券です。 矢印で示された複数の行先の中に二俣線にある気賀駅の文字が見えます。この切符には、天竜浜名湖鉄道同様、現在は第三セクター愛知環状鉄道の一部になった国鉄岡多線の永覚駅の文字もあります。 続いては、二俣線の車掌が発行した車内補充券です。 地図式でありながら駅名式でもある変わった様式で豊橋車掌区乗務員が発行した切符です。 切符ではありませんが、二俣線の列車をデザインしたオレンジカードも発売されていました。 もう退職が決まっていた頃、乗務の折り返し時間に豊橋…

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【213】 荷扱乗務員の必需品

七つ道具という言葉があるが、荷扱はこの写真で手に持っている「手鉤」(てかぎ)が1本あれば、仕事になる。 手鉤は荷物を扱う者に国鉄から貸与されるので、乗務掛(荷扱)、車掌補(荷扱)、専務車掌(荷扱)の職名の者は誰もが持っていた。 駅で荷物車に投げ込まれる荷物には、一つ一つにヒモが掛けられ、そこにくくりつけられた荷物切符を見て中継駅や取卸し駅を即座に判断、手鉤を使って荷物室内に中継駅ごとに積まれた荷物の上にへドスンと置く。 重い荷物も、手鉤をうまく操って腕力はもちろんのこと、膝の力も蹴っ飛ばすように使って、ひょいと高いところへ余計な力を使わずに置ける。逆に低いところにでも腰をそんなに屈めることなく置ける、手長猿の前脚のように便利に使える道具が手鉤だ。 手鉤が体の一部のようになれば一人前なのだが、私はそうはなれなかった。この道何十年という、いかにも「職人」という方もおられ、そういう方の手鉤は使いこまれ、また、自分の手にフィットするよう木製の柄の部分は削って加工され、汗と脂で黒光り、鉄部もピカピカに磨かれていた。まさに荷扱一筋で長年働いてきた職人の、体の一部となった道具だった。 定年退職を控え、もう要らないからと、自分の手鉤を私にくれた方があった。自分はずっと荷扱でここまで来たけれど、あんたたちはすぐ列車掛の試験受けて、荷扱から離れるだろうけど、何年かして荷専(専務車掌(荷扱))になったそのときには、また使うときが来るわといって渡されたのが、下の写真の左側の手鉤。右側のは自分が使ってきた…

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【212】 ターレット式駅構内運搬車

KATOからNゲージサイズの「ターレット式駅構内運搬車」というNゲージサイズの商品が発売されています。 これは駅で荷物車に荷物の積卸をする場合に、ホーム上など構内で用いられた動力付きの運搬車の模型で、商品の説明では「昭和期に鉄道が荷物や郵便の輸送を大きく担っていた頃、幹線の駅構内ではこのターレット式運搬車が、複数の台車を牽引して走りまわっていました。往時の活気ある駅風景を代表的な列車とともに再現してみてください。懐かしい風景が広がります。なお現在は市場などで同系列の運搬車を見ることができます。」とされています。 名古屋駅でも、私どもが荷物列車に乗務するためホームに出場するときに、これがホーム上をバタバタとエンジン音を響かせて荷物満載の台車を牽いて走っていました。商品説明のように、市場では現役のようで、私は丹波口駅から梅小路蒸気機関車館へ歩いて行く途中の市場で、その活躍を見たことがあります。また、横川の「碓氷峠鉄道文化むら」内では、現役なのかどうか怪しいですが、荷台部分に屋根とベンチを取付けられた乗用に改造したと思われる不思議なターレットが置かれているのを見たことがあります。 ターレットに牽引されたり、手押しで使用された台車も、国鉄時代には多くの駅で見られましたが、最近ではさっぱり見なくなりました。 荷物専用ホームがあるわけでもなく、乗客も大勢いるなかを、階段やベンチを避けながら、運転手は実に上手に運転していたものですが、これは駅の小荷物係の仕事でした。ターレットの特徴は…

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【211】 荷物列車とお茶菓子

先週は、月・木曜日連載のシリーズものを運休とさせていただき、天竜浜名湖鉄道の旅の様子などをお伝えいたしました。今週と来週も、申し訳ないのですがシリーズものはお休みとさせていただき、別のお話となりますので、ご了承願います。 一昨日スーパーへ行きました。私はキャラメルの箱などを収集していますので、スーパーの菓子売場にはよく出没するのですが、ジジババ向け?の袋菓子の売場にはあまり寄り付きません。しかしながら、先日の天浜線の旅で、鉄道施設や、宮口駅の「はままつ88」さんのお店の昭和の雰囲気に懐かしさを感じてしまったので、袋菓子の売場へ行ってみますと、今でも昭和っぽい懐かしいお菓子はあるもんですね。鈴カステーラ、黒棒、マコロン、麩菓子などなど。 そこで買ってしまったのが「味の信州路 旅物語」という袋菓子。 なぜ「信州路」なのかわかりませんが、製造元の所在地は長野県飯田市となっていました。 中身は、小さいまんじゅう、ゼリー、もなかの類で8種類の菓子が1つずつ小袋に入っています。最近こういう菓子は食べたことがありません。昔は家にあったり、他所の家に行くと出されたりしたものですが、それだけでなく、私が国鉄に入って乗務していた荷物列車の乗務員室の中で食べたことも思い出の一つです。 こういうお茶菓子を、誰ともなく出勤前に買ってきて、乗務中にみんなでお茶を飲みながら食べていたのです。 就職したばかりの駆け出し乗務員の仕事は、車掌区に出勤したら、まず専務車掌(荷扱)を始めとする3人のチームが乗務中に食…

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【210】 「50代5000円でGO!」2011.10.1:天浜線の旅(後篇)

私は青春18きっぷが発売される時期になると、職場のオッサン2人(いすれも非鉄の方です)とともに3人で、車中で酒を飲みながら、お城、温泉、酒蔵を巡る日帰り旅に出ていました。回を重ねてくると「青春18きっぷで日帰り」という制約と「お城、温泉、酒蔵」に特化した目的だと、どうしても行程が似たものになって煮詰まってきます。そこで昨年からは使用する切符は青春18きっぷに限定せず、交通費+食事代+施設入場料が5000円程度(土産・酒代は除外)で収まるような格安貧乏日帰り旅行というコンセプトで「50代5000円でGO!」という企画?で継続することに変更しました。 制約のなかにもゲーム性を持たせ、実際の費用と5000円との差額は次回の旅に持ち越すこととしました。5000円より少なく済めば次回はその分を余計に使うことができ、逆の場合は次回の予算額がその分減るわけです。 前回からの持ち越し額は2113円。これに5000円足して今回は7113円まで使えますから少し余裕です。 持ち越しされた金額がこうなったわけは「【157】 「50代5000円でGO!」番外編?」のとおり、こじつけで不透明かつインチキくさいのですが… **************************** 今回は【209】「50代5000円でGO!」2011.10.1:天浜線の旅(前篇)からの続きになります。 前篇では新所原から天竜二俣まで天浜線に乗って、ここで転車台と扇形車庫の見学をして、そのあと天竜二俣駅から天浜線の列車で引き…

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【209】 「50代5000円でGO!」2011.10.1:天浜線の旅(前篇)

私は青春18きっぷが発売される時期になると、職場のオッサン2人(いずれも非鉄の方です)とともに3人で、車中で酒を飲みながら、お城、温泉、酒蔵を巡る日帰り旅に出ていました。回を重ねてくると「青春18きっぷで日帰り」という制約と「お城、温泉、酒蔵」に特化した目的だと、どうしても行程が似たものになって煮詰まってきます。そこで昨年からは使用する切符は青春18きっぷに限定せず、交通費+食事代+施設入場料が5000円程度(土産・酒代は除外)で収まるような格安貧乏日帰り旅行というコンセプトで「50代5000円でGO!」という企画?で継続することに変更しました。 制約のなかにもゲーム性を持たせ、実際の費用と5000円との差額は次回の旅に持ち越すこととしました。5000円より少なく済めば次回その分を余計に使うことができ、逆の場合は次回の予算額がその分減るわけです。 前回からの持ち越し額は2113円。これに5000円足して今回は7113円まで使えますから少し余裕です。 持ち越しされた金額が意外に多くなっているわけは「【157】 「50代5000円でGO!」番外編?」のとおり、こじつけで不透明かつインチキくさいのですが… **************************** 今回は旧国鉄二俣線を引き継いだ第三セクター鉄道である、天竜浜名湖鉄道の天竜浜名湖線(通称天浜線)の旅の前半です。 いつもの3人組は中央西線新守山駅に朝7時過ぎに集合し、金山で東海道本線に乗り換えて、天浜線の西側の接続…

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【208】 中山道宿場巡りで見た鉄道風景(3):小田井宿~和田宿

鉄道好きなオッサンが鉄道に乗るために、その目的を中山道宿場巡りとして、列車に乗り歩き、撮り歩いただけの内容です。 今回は、小田井宿から和田宿までの行程と、そのときに出会った列車の写真などを紹介することにします。 【206】中山道宿場巡りで見た鉄道風景(2):倉賀野宿~追分宿の続きになります。 中山道の宿場町のうち、この8つの宿場町は、軽井沢から沿ってきたしなの鉄道沿線から徐々に離れていきますので、岩村田宿付近で小海線と交差する以外は、鉄道と縁がなく、鉄道で行くには不便なところです。この区間へは、4回に分けて2宿ずつを、すべて日帰りで行ってきました。JR線に使用したのは夏の青春18きっぷでした。 家から目的地までは、毎回中央西線の一番列車で塩尻、篠ノ井線で篠ノ井、そこからはしなの鉄道に乗換えるといった経路をその都度繰り返しました。 この区間にある宿場間は、ほとんど路線バスで結ばれているのですが、その便数は限られます。そこで宿場間の移動手段は徒歩を主として、前回訪れた宿場まで交通機関を使い、そこから次の宿場へ向かって歩くということを繰り返しました。これによって中山道を線として訪れることになるのです。 ただし、芦田宿の先の笠取峠の手前から先は、時間的な制約もあって徒歩による街道歩きは今回断念しました。 **************************** 【第5日】 2005年7月20日 21.小田井宿~22岩村田宿 前述のように、中央西線の一番列車で、まずは塩…

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【207】 乗務した車両:スユニ60、スユニ61

スユニは荷物室と郵便室が半分ずつの客車で、タイトルの2形式はいずれもマニ60やマニ61同様、鋼体化客車と言われるグループです。 スユニ60は鋼体化改造で誕生した形式で、総数67両。郵便6トン、荷物4トン。 スユニ61はいったん鋼体化改造されたオハニ61やオハユニ61の再改造車で、総数90両。郵便5トン、荷物5トン。 このほか鋼体化と関係のないスロフ53からの改造車も5両スユニ61の300番台車として編入されていました。 私が乗務していた範囲では、長野運転所にスユニ60とスユニ61が、竜華客貨車区にスユニ61が、それぞれ配置されていましたので、中央西線~篠ノ井線及び関西本線~紀勢本線で乗務していました。長野運転所では2形式が存在していたわけですが、両形式の違いである郵便と荷物の積載重量の違いは考慮されず、共通運用されていました。積載重量の違いは、荷物室と郵便室の面積差によるものと思われ、下の写真のように、スユニ60(上)に比べ、種車のオハニ61の荷物室をそのまま利用し客室部分を郵便室に改造したスユニ61(下)の荷物室(向かって左側)は小さいのが判ります。 両形式とも郵便室には鉄道郵便局員が乗務しますので、車両中央部に共用のトイレと洗面所がありました。 類似の車両として、例によって?碓氷峠鉄道文化むらのオハユニ61の荷物室の様子をご覧ください。 こちらは郵便室内です。 竜華客貨車区所属車両には、前述の少数派であるスロフ53からの改造のスユニ61も305号が1両だ…

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