【232】 中山道宿場巡りで見た鉄道風景(6):中津川宿~太田宿

「中山道宿場巡りで見た鉄道風景」今回から2006年の美濃路部分に入りました。そのときに出会った列車の写真などを紹介することにします。 【230】中山道宿場巡りで見た鉄道風景(5):須原宿~落合宿の続きになります。 **************************** 【第16日】 2006年2月11日 45.中津川宿~46.大井宿 一番列車で中津川駅からスタートです。中山道歩きは現在の新道でなく、できるだけ江戸~明治期の旧道を歩きたかったので、いつも地図や案内書のコピーを手にして歩いてきましたが、この区間は子供のころから住んでいたところに近いので、そういう小道具は全く不要で、懐かしい景色の中を歩きました。 途中でなにやら撮り鉄が集合していました。 これだけ集まっていると何だろうと気になりましたので、ちょっと寄り道を。 そういえば冬場に運転されている朝のEF64重連貨物列車の時刻でした。一時間以上歩いてきたので休憩を兼ねて列車を待ちますと… 国鉄色の0番台重連でした。 現在この列車は1000番台重連に引き継がれています。 **************************** 【第17日】 2006年2月18日 (深萱) 中山道は大井宿を過ぎてからは3つ先の宿場町の「御嵩」までは鉄道とは縁のない山間部を通っています。 鉄分が少なくなる区間になるだけでなく、バスの並行路線すらないところです。 歩き始める大井宿最寄りの…

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【231】 乗務した車両:クモニ83

クモニ83は通勤型の旧型国電モハ72の改造車です。 中京地区では東海道本線と中央西線で使用されていました。 写真は中央西線古虎渓駅で撮影したクモニ83を先頭に連結した80系電車列車です。私が車掌になる前の列車掛時代です。クモニ83は吊り掛け式の旧型電車ではありましたが、私が列車掛から車掌になったころには113系電車との併結に代わっていまして、私の場合、中央西線でなく東海道本線の乗務列車に、その併結列車がありました。 1982年(昭和57年)3月16日 東海道本線1543M 運転区間 浜松~名古屋 乗務区間 浜松18:48~名古屋21:00 クモニ83018  大ミハ(宮荷32) クモニ83019  大ミハ(宮荷42) クハ111-424 名シン(神58) モハ112- 85 名シン  ↓ モハ113- 85 名シン  ↓ クハ111-109 名シン  ↓ クハ111-478 名シン(神49) モハ112- 99 名シン  ↓ モハ113- 99 名シン  ↓ クハ111-158 名シン  ↓ 車掌時代のことなので、私は最後部のクハに乗務しています。クモニには貫通扉がありませんし、クモニには他区の専務車掌(荷扱)と乗務掛(荷扱)が乗務していましたので、実際にクモニそのものに乗っていません。2両のクモニはいずれも静岡から他の列車で継承されてきたもので、この1543Mは旧型国電のクモニ83と新性能電車113系電車とを協調させて運転されていたわけですが、加…

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【230】 中山道宿場巡りで見た鉄道風景(5):須原宿~落合宿

「中山道宿場巡りで見た鉄道風景」今回は、木曽路の後半部分、須原宿からの行程と、そのときに出会った列車の写真などを紹介することにします。 【228】 中山道宿場巡りで見た鉄道風景(4):下諏訪宿~上松宿の続きになります。 **************************** 【第13日】 2005年10月30日 39.須原宿~40.野尻宿 一番列車で倉本駅で下車しました。倉本駅は簡素な無人駅ですが、空木岳の登山口だそうです。 夏の青春18きっぷで小田井宿から日帰りになったのですが、もう季節は秋で、木曽路の紅葉も見ごろになりつつありました。 紅葉が始まった木曽谷をまずは須原宿へと歩きます。 そのあと大桑駅で一休みです。大桑駅近くの集落は宿場町ではなく、駅そのものも比較的新しく1951年(昭和26年)と戦後の開業です。 開駅15周年の碑がありました。 駅の建設に対する思いが伝わってきます。請願によってできた駅だったのでしょう。 このあと野尻宿を通り、十二兼駅でこの日の中山道歩きを終えました。 **************************** 【第14日】 2005年11月3日 41.三留野宿~42.妻籠宿 連続で一番列車での出発が続いていましたが、今回から「近場」となるので、遅い出発になりました。数えてみると前回まで9回にわたって連続で一番列車に乗って出かけてきましたから我ながら物好きなことと思います。 十二兼駅を降…

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【229】 乗務した車両:その他の荷物車

私が乗務した荷物車は、公式(?)にはこれまでのブログ記事にしたとおりですが、非公式(?)には、他にもありますので、参考までにご紹介しておきましょう。 ************************** 「マニ37」 パレットによる新聞等の輸送用に旧型客車のスロ50、51、60、スロフ53、スロネ30、スハ32、スハフ32から改造された外部塗色が青色の荷物車です。マニ36と形態的にはよく似ているものもありましたが、茶色の外部塗色だったマニ36とは容易に見分けがつきました。新聞輸送という特殊用途ゆえに、主に夜行急行列車の編成端に連結されていることが多かったように思います。 「パレット輸送」については、以前のブログ記事の中でもすこし触れましたが、発駅で荷物を着駅または中継駅別に決められた専用の「パレット」と呼ばれる車輪付きの台車へあらかじめ仕分けして載せ、そのパレットごと荷物や郵便を車両に積載してしまう輸送方法で、こうすれば、決められた駅以外での積卸は不可能ではあるものの乗務掛は不要なので人件費削減ができるのです。 パレットは、ホームから荷物車へ専用の鉄板で橋渡しをして駅の小荷物係が人力で積込みました。積みこまれたパレットは着駅または中継駅別に指定された位置へ固定され、輸送中は無人になる関係上、扉はすべて封印されたうえで輸送されました。そのためパレットの車輪が抵抗なく回転するように、マニ37の荷物室内は凹凸がなく通勤電車の床のように平滑になっていました。一方、一般の荷物車の荷物室…

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【228】 中山道宿場巡りで見た鉄道風景(4):下諏訪宿~上松宿

ひさしぶりに「中山道宿場巡りで見た鉄道風景」の続きを始めます。 【208】中山道宿場巡りで見た鉄道風景(3):小田井宿~和田宿の続きになります。 これまでは、鉄道好きなオッサンが鉄道に乗るために、その目的地を中山道宿場巡りとして、列車に乗り歩き、撮り歩いただけの内容でしたが、ここからは、中山道も中央本線沿線に入ることになります。とりあえず和田峠のふもとにある下諏訪宿を列車で訪問した後は、塩尻宿から先、旧街道に見所が多いことや、家からも比較的近いことから、関ヶ原あたりまで徒歩で何回かに分けて少しずつ中山道を歩き通すことにしました。 今回は、下諏訪宿から上松宿までの行程と、そのときに出会った列車の写真などを紹介することにします。 *************************** 【第9日】 2005年9月17日 29.下諏訪宿~30.塩尻宿~31.洗馬宿~32.本山宿 相変わらず、この回も中央西線の一番列車で塩尻まで行きました。この先も中山道歩きではこの列車のお世話になるのですが、塩尻まで乗るのは今回で終わりです。塩尻ではこれまでと反対に中央東線で下諏訪駅まで行き、まず下諏訪宿を訪れました。 そのあと下諏訪からは、下り列車で折り返し「みどり湖」駅で降りました。 この駅は塩嶺トンネル経由の新線ができたときに開業した比較的新しい駅で無人駅です。旧中山道の塩尻宿の中心は塩尻駅より、みどり湖駅のほうが近いのです。駅から徒歩で塩尻宿に行き、ここからは、いよいよ、徒歩で中山道…

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【227】 乗務した車両:マニ50、スユニ50

マニ50は昭和52年から新製された荷物車でした。私が国鉄に就職して、荷物列車に乗務している時期で、新車が入るというので、荷扱関係乗務員の間では話題に上りました。すでに国鉄の荷物輸送はピークを過ぎていた時期ではありましたが、マニ60など旧型荷物客車を置換える目的で236両が導入されたのでした。 初めは汐留と隅田川の両客貨車区に配置され、私どもは東海道本線筋で汐留客貨車区所属の車両に乗務するようになりましたが、増備が進むと名古屋客貨車区や長野運転所にも配置されるようになっていきました。 車体は旅客用のオハ50と似ていますが、窓の構造はユニット式ではなく北海道用のオハ51に近いと思います。車体色は旅客用オハ50や51に採用された赤でなく青でした。荷物室内は蛍光灯付きになったことで明るくなり、換気扇が装備されたのも初めてでした。 デッキ部分との間が仕切られた乗務員室は隙間風が少なくなり、在来の荷物車より居住性は格段によくなりました。また、車掌室と反対側のデッキには、在来車ではこのスペースに荷物の積載ができましたが、デッキと荷物室との間は車掌室側同様、扉で仕切られてしまいデッキ部分への荷物の積込ができなくなり、荷物室の容積は事実上減少しました。その結果、荷物が多い時期にこの車両に当たると作業性は悪くなりました。両側のデッキを開放することによって、連結の際に作業員が車両の反対側へ容易に移れるように配慮されたのでしょう。 乗務員室の居住性はよくなったものの、座席は在来車マニ36のように4人分…

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【226】 Hi‐SOFTキャラメル~記念モノなど~

JR東日本のICカード「Suica」が誕生後10年を迎えたそうです。 10周年記念のイベント開催やグッズ販売も行われているようで、誕生10周年記念のHi‐SOFTキャラメルが発売されています。 私がキャラメルの箱を収集していることは、過去ブログ記事にいくつか披露したところですが、この「Suica」誕生10周年記念のHi‐SOFTキャラメルはJR東日本エリアのKIOSK,NEWDAYSの限定のようです。私はなかなか東日本エリアまで出向く機会がないので、こういうイベントやグッズの購入もできないわけですが、ヤフーオークションという強い味方があります。発売してすぐに出品されておられる方があったので早速落札し、先日商品が届きました。 デザインは4種類。すべてペンギンとE5系はやぶさに関係したデザインになっています。 中身は全部同じで「ブラウンシュガー」味でした。 ところで、今春の東北新幹線新青森延長関連でも、記念のHi‐SOFTキャラメルが発売されていました。やはり東日本エリアだけの発売だったらしく、こういうものでした。 青森りんご味となっていて、これは職場の同僚が持っているのを見つけ、箱だけ頂戴したもので、中身は食べていません。こうしたお菓子の類も記念バージョンがいくつもあるようで、べつにコンプリート収集するつもりはありませんが、見つければ気になってしまうのは、コレクターの方でしたらお判りでしょうか? 以下にupしたのはちょっと古いもので、地方博覧会が流行った頃のモノです…

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【225】 特急「北アルプス」号

前回のブログ記事で、「北アルプス」号のことに少し触れました。 私は「北アルプス」が走っていた高山本線にはあまり縁がありません。高山本線の乗務経験も極めて少なかったですし、乗客として利用する機会も決して多くはありませんでしたので、「北アルプス」号には乗務どころか、乗客として乗車したことさえありません。それでも、高山本線は景色のよい山岳路線ですから、写真を撮りにいったりすることは時々ありました。 名古屋から北陸地方へは、この高山本線のほかに、東海道本線米原経由北陸本線廻りのルートもあります。山岳路線である高山本線は単線非電化のため不利な立場にありますが、現在も名古屋から富山まで直通する特急「ひだ」号が運転されています。国鉄時代は富山から北陸本線や私鉄である富山地方鉄道に乗り入れる列車もありました。 拙ブログの過去記事になりますが「【94】武豊駅からズームイン!!」に登場する武豊線の武豊発名古屋行普通列車927Dは、高山本線の急行列車「のりくら1号」の間合運用の列車で、終点名古屋に着くと十数分の停車ののち、「のりくら1号」に変身する列車でした。この「のりくら1号」の一部が季節列車として、富山地方鉄道に乗り入れ、急行「うなづき」号になりました。使用された車両はキハ58とキハ28の2両でした。(名古屋からは越美南線北濃行「おくみの」も併結。) (上の2枚の写真は国鉄名古屋鉄道管理局発行の1983年夏季用ポケット時刻表の高山本線ページの一部です。) さて、上の時刻表の画像をもう一…

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【224】 映画「RAILWAYS」 第2作め

12月3日に、映画「RAILWAYS」の第2作めが、公開されます。 第一作目は、昨年、島根の一畑電鉄を舞台にした「49歳で電車の運転士になった男の物語」とサブタイトルが付いたもので、その内容はエリートサラリーマンがその地位を捨てて、子供の頃の夢であった電車の運転士になるというものでした。拙ブログでも以前の記事 「 【20】 人生と仕事:RAILWAYSについて思う・・・」でちょっと触れました。 今回のサブタイトルは「愛を伝えられない大人たちへ」となっています。 私は先日、この映画の試写会に行ってまいりました。 今回の舞台は富山地方鉄道。 主人公は定年を間近に控えた勤続42年、運転士歴35年無事故無違反59歳の電車運転士(三浦友和)です。定年後は妻(余 貴美子)とのんびり過ごすつもりの夫に対し、長年連れ添った妻は、家事に加え、結婚後の子育てと親の介護のためにできなかった看護師の仕事を、夫の定年を機に今こそ再開したいと思うのですが、夫にはそれが理解できず、いったい何が不満なのかと口論となった末に、妻は家を出ていってしまう。そんなところから始まるストーリーは、西武鉄道からの移籍車レッドアローに惹かれて入社した見習運転士を指導しながら、主人公が、これからの自分の生き方を考え、自分を振り返って思い悩む姿と、夫婦の絆を描いていきます。 私が見た試写会では、製作総指揮の阿部秀司さん、監督の蔵方政俊さん、主人公の妻役を演じた余貴美子さんによる舞台挨拶がありました。そのなかで阿部秀司さんは、2作…

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