【252】 駅の通称名(乗客編)

時間がなく切符を買えなかったり、あるいは乗越しや無人駅から乗ったお客さんへ、車掌が切符を発売することがあります。そんなときに、お客さんが申告した駅名の表現で気になったことをいくつか挙げてみましょう。 先週は武豊線の「尾張森岡」まで行くお客さんが「もりおかまで」という申告で、東北本線の盛岡?と勘違いした例をご紹介したのですが、地元ならでは?の駅名の表現がありました。 中央本線の新守山駅。 ここは名古屋市内の国鉄駅の最北端で、名古屋市守山区にあります。 今のように列車の本数が多くなかった国鉄時代は、発車間際に駆け込んできたお客さんが切符を買う時間がないと、改札係が「乗車駅証明書」を交付して、車内か着駅で精算するように案内していました。 新守山駅では、名古屋行きの列車に対しては、最後部に改札口があり、発車間際にこうしたお客さんが切符を持たずに最後部に乗りこんでくることが多く、車掌が車内補充券で切符を発行することが多くありました。 ここから中央本線の終点名古屋駅へ行くお客さんは、市バスや地下鉄と同じ感覚で中央本線の普通列車に乗ってきます。多くの方は「めいえきまで」と申告してきます。この「めいえき」は「名駅」であって地元では名古屋駅の略称として定着しています。現在は名古屋駅周辺の住居表示も「名駅○丁目」になっているほどです。 このなかには「駅まで」というお客さんもいます。まあ名古屋駅だろうと想像はつきますが、「駅」はないだろうと思ったものでした。市バスや地下鉄(昔は市電も含みます)に慣…

続きを読む

【251】 中山道宿「駅」巡り2

【249】中山道宿「駅」巡り1 からの続きになります。 2005年から2006年にかけて中山道の全宿場を訪問しました。 最初に次のようにルールを作りました。 1.各宿場町最寄りの駅から宿場町中心部までは歩いて往復。 2.東京日本橋から京都三条大橋まで順に宿場を訪問する。 3.交通手段は鉄道を主として利用し、一切マイカーやタクシーは利用しない。 路線バスは使用可。 4.宿場最寄り駅では駅名標と駅の写真を撮る。 5.宿場の中心部で宿場名が入ったモノの写真を撮る。 このルールに従って撮ってきた駅名標、駅舎と宿場名の入ったモノの写真を順にUPしてまいります。 写真中心で、駅や中山道については最小限の説明にとどめておきます。 ************************* 第5次 上尾宿 大宮からの中山道に沿って高崎線が敷設されました。この先高崎まで、各宿場町の近くには高崎線の駅があります。 上尾中心部ですが、街道筋に昔の中山道を見出すことができません。 ************************* 第6次 桶川宿 桶川では染料の原料「紅花」の産地として江戸時代から知られていました。紅花は中山道を通って京まで運ばれていったということです。 宿場内にはその紅花の問屋なのか、いかにも関東の商家らしい造りの建物もみられました。 ************************* 第7次 鴻巣宿 鴻巣は古くから雛…

続きを読む

【250】 駅の通称名(乗務員編)

以前のブログ記事「【217】 亀山駅の荷扱(゜o゜)業界用語???」 では、非公式な駅名の呼び方に対し、多くのコメントを皆さんからいただきましたので、今回は、国鉄在職中に便宜上使っていた駅の呼び方を、いくつか挙げてみようかと思います。 先週のブログ記事で、初めての武豊線乗務で「尾張森岡」までの切符を発行したことを記しましたが、地元のお客さんは旧国名の「尾張」は言わないで「森岡まで乗り越し」といって申告されるのが常です。 初めて武豊線に乗務する新米車掌には「もりおかまで」と言われると一瞬東北本線の盛岡かと思ってしまうものです。このように地名だけでは紛らわしい駅名には旧国名を冠されていることが多いです。お客さんの申告については、後日紹介するとして、今回は部内での駅の呼び方です。 荷扱、客扱ともに間違いやすい駅名は独自の呼び方をすることがありました。たとえば「○○一宮(一ノ宮)」は全国各地にあり、地元のJR東海だけでも「尾張一宮」(東海道本線)、「三河一宮」(飯田線)、「飛騨一ノ宮」(高山本線)と3駅もあります。主に仕事上で関わるのは東海道本線の「尾張一宮」だけですが、乗務員は略して「オイチ」というのが定番でした。 そのほかの旧国名の有無による区別として、旧国名が付いている駅名のお尻の部分をカットするという方法が次の例のように用いられました。 紀伊長島→キイナガ 伊勢柏崎→イセカシ そのほか、 木曽福島→キソフク 美乃坂本→ミノサカ (厳密に言うと「木曽」は旧国名では…

続きを読む

【249】 中山道宿「駅」巡り1

2005年から2006年にかけて中山道の全宿場を訪問しました。 最初に次のようにルールを作りました。 1.各宿場町最寄りの駅から宿場町中心部までは歩いて往復。 2.東京日本橋から京都三条大橋まで順に宿場を訪問する。 3.交通手段は鉄道を主として利用し、一切マイカーやタクシーは利用しない。 路線バスは使用可。 4.宿場最寄り駅では駅名標と駅の写真を撮る。 5.宿場の中心部で宿場名が入ったモノの写真を撮る。 このルールに従って撮ってきた駅名標、駅舎と宿場名の入ったモノの写真を順にUPしてまいります。 写真中心で、駅や中山道については最小限の説明にとどめておきます。 ************************* 第一回目は東京日本橋からスタートします。 中山道の起点「日本橋」 日本橋の銘板です。日本の道路の起点でもあり、橋の中央には日本国道路元標のプレートが埋め込まれ、橋のたもとにはそのレプリカもあります。 「日本橋」の近くにはJRの起点駅である東京駅もあるのですが、少し離れています。すぐ近くにはズバリその名のとおり東京メトロの「日本橋」駅があります。ここは中山道の起点であって宿場ではありませんが、その地下鉄駅の入口を撮影しておきました。 中山道は神田駅~東京大学の赤門~巣鴨を通って最初の宿場町「板橋」へ続きます。 ************************* 第1次 板橋宿  最寄駅は都営地下鉄「板橋区役所前」ですが、そのもの…

続きを読む

【248】 思い出の乗務列車1:武豊線940D

これまで「乗務した車両」というタイトルで、定期列車で乗務した車両についてあれこれ書いてまいりました。先週165系をご紹介したところで、ほぼ網羅したように思います。まだ臨時列車として乗務した車両や突発的に乗務した車両について一部書いていないものは、別の機会にご紹介することとして一旦キリをつけたいと思います。 今後は新シリーズ「思い出の乗務列車」として列車別に、主に定期列車について思い出話を綴りたいと思っています。今回はその第一回になりますが、第二回めは今のところ、アップ予定は全くの未定です。 (2012年11月23日追記:第二回目は「【309】 思い出の乗務列車2:セメント専貨5294列車」以降随時アップしております。) *************************** 東海道本線~武豊線 940D (昭和55年10月ダイヤ改正時) 運転区間 名古屋~大府~武豊 乗務区間 名古屋14:48~大府~武豊15:53 編成 キハX3 (名51) この列車は車掌として本務になって初めて武豊線で乗務した列車でした。 それまで乗務掛と列車掛を務めてきましたが、大府から先の武豊線は乗務範囲に入っていませんでしたので、駅順も怪しい状態での乗務でした。事前に線路見習いはありましたが、それだけでは不安でしたから、列車掛の同期で、すでに武豊線に乗務していた者がいましたので、事前に一緒に乗りに行ってから迎えた本番でした。 上の写真は武豊駅での撮影ですが、その乗務当日の…

続きを読む

【247】 中山道宿場巡りで見た鉄道風景(12):徒歩で再訪 鴻巣宿~日本橋

「中山道宿場巡りで見た鉄道風景」の続きを始めます。 【245】中山道宿場巡りで見た鉄道風景(11):徒歩で再訪 安中宿~熊谷宿の続きになります。 今回の記事で日本橋に到達です。 **************************** 【第40日】 2008年11月28日 (吹上)~鴻巣宿~桶川宿~上尾宿 年が明けても、なかなか出かけられず、前回の徒歩旅から1年近く過ぎてしまいました。 今回も時計回りの経路でした。往路にしなの号~長野新幹線を乗継で使い、帰路は本数の多い東海道新幹線を使う方が帰りの時間に左右されないことと、両新幹線をいずれも長野・東京と始発駅から乗れるというのが理由でした。 吹上駅からスタートしました。この先の中山道はほとんどの区間が高崎線と並行しています。ただ、微妙な距離を置いているので、歩いていると電車の音が聞こえてきたりするものの、家々に隠れて姿は見えず、それがどんな電車なのか気になったりしました。 211系のグリーン車が、田舎者にとっては気になります。 私はJR世代の列車にはついていけませんが、こういう列車が走っているところまで歩いて来られたのは、その一歩一歩の積み重ねなのだなと思います。 今回も宿泊は熊谷としたので、上尾まで歩いた後は高崎線で熊谷駅まで戻りました。 **************************** 【第41日】 2008年11月29日 上尾宿~大宮宿~浦和宿 宿泊した熊谷から高崎…

続きを読む

【246】 乗務した車両:165系電車(3)

先週に引き続き、乗務した車両165系の続きです。 引き続き神領電車区の運用に乗務した時の記録から始めます。 昭和56年10月25日~26日 中央西線 回842M 運転区間 中津川~神領 乗務区間 中津川23:16~神領0:07 クハ165-6  名シン モハ164-84 名シン モハ165-21 名シン クハ165-3  名シン (神676) 中央西線の4両編成です。 車両を見ても別に変わったところもありませんが、この列車は長野県域の急行列車「天竜」関連の運用で、この回送列車は中津川から所属区の神領電車区まで毎日回送するための列車でした。 この編成は長野を19時07分、508M急行天竜8号として12両もの長い編成で発車します。行先は、上諏訪・天竜峡・中津川行。 途中の松本で中津川行が切り離されます。松本から普通列車842Mとなって中津川には23:11着。ここからこの回842Mとなるのです。この当時、急行天竜号との切り離しは分岐駅の塩尻でなく、松本で行われていました。 一方、松本で中津川行4両を切り離し8両で発車した天竜8号は、辰野で上諏訪行508M4両と天竜峡行2808M4両に切り離されます。上諏訪着は21時32分。天竜峡着は23時32分(飯田から普通列車2828M)。 ずいぶんのんびりした急行列車でしたが、当時の中央東線は辰野経由で、みどり湖経由の新線は未開通でした。県都長野から乗り換えなしで木曽、伊那、諏訪地方へ行けるということに大きな意義があっ…

続きを読む

【245】 中山道宿場巡りで見た鉄道風景(11):徒歩で再訪 安中宿~熊谷宿

「中山道宿場巡りで見た鉄道風景」の続きを始めます。 【243】 中山道宿場巡りで見た鉄道風景(10):徒歩で再訪 追分宿~松井田宿の続きになります。 **************************** 【第36日】 2007年11月16日 (原市)~安中宿~板鼻宿~高崎宿 今回も一泊の行程になりました。 前回の行程が東海道新幹線~東京~高崎~長野~中央西線経由の一周コースであったのに対し、この時は逆回りとしました。宿泊地は前回と同じで高崎です。 往路は中央西線~長野新幹線と乗り継ぎました。 前回中断した「原市」は長野新幹線で開業時に秘境駅とも言われた「安中榛名」駅に比較的近く、安中榛名駅と信越本線磯部駅を結ぶ路線バスがあります。実は前回の帰路、「原市」から磯部駅まで乗ったのがこの路線バスでした。こういうことでもなければ利用する機会などないと思われる新幹線安中榛名駅をぜひ利用したいがために、前回「原市」で旅を打ち切ったのでした。 新幹線の駅なのに、駅員と売店の人以外、タクシーの運転手がうろついているだけの静かな駅でした。 安中榛名駅から中山道近くの「碓氷病院前」バス停までこの路線バスを利用して、そこから中山道を歩き始めました。この日は高崎まで歩き、駅前近くのビジネスホテルで宿泊となりました。 ******************************* 【第37日】 2007年11月17日 高崎宿~倉賀野宿~新町宿 この日はビジネス…

続きを読む

ブログ内ラベルリスト