【271】 中山道宿「駅」巡り6

2005年から2006年にかけて中山道の全宿場を訪問しました。 最初に次のようにルールを作りました。 1.各宿場町最寄りの駅から宿場町中心部までは歩いて往復。 2.東京日本橋から京都三条大橋まで順に宿場を訪問する。 3.交通手段は鉄道を主として利用し、一切マイカーやタクシーは利用しない。 路線バスは使用可。 4.宿場最寄り駅では駅名標と駅の写真を撮る。 5.宿場の中心部で宿場名が入ったモノの写真を撮る。 このルールに従って撮ってきた駅名標、駅舎と宿場名の入ったモノの写真を順にUPしてまいります。 写真中心で、駅や中山道については最小限の説明にとどめておきます。 (写真には再訪した時のものが一部含まれております。) 【270】中山道宿「駅」巡り5の続きになります。 ************************* 第26次 芦田宿 しばらく鉄道と関係がないところを歩いてきました。芦田宿まで来ると奥まった感じがします。 この芦田宿を過ぎると笠取峠があります。そしてそこには昔ながらの松並木が今も健在です。その向こうには遠くに浅間山の姿が見えていました。 ************************* 第27次 長久保宿 笠取峠を下りたところで、上田方面との道に合流した地点にL字型にあるのが長久保宿です。 ここはJRバス関東のエリアです。国鉄バス時代は「長久保駅」を名乗っていた長久保営業所があります。単なる停留所でなく営業所が…

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【270】 中山道宿「駅」巡り5

2005年から2006年にかけて中山道の全宿場を訪問しました。 最初に次のようにルールを作りました。 1.各宿場町最寄りの駅から宿場町中心部までは歩いて往復。 2.東京日本橋から京都三条大橋まで順に宿場を訪問する。 3.交通手段は鉄道を主として利用し、一切マイカーやタクシーは利用しない。 路線バスは使用可。 4.宿場最寄り駅では駅名標と駅の写真を撮る。 5.宿場の中心部で宿場名が入ったモノの写真を撮る。 このルールに従って撮ってきた駅名標、駅舎と宿場名の入ったモノの写真を順にUPしてまいります。 写真中心で、駅や中山道については最小限の説明にとどめておきます。 (写真には再訪した時のものが一部含まれております。) 【267】 中山道宿「駅」巡り4の続きになります。 ************************* 第21次 小田井宿 小田井宿からは、これまで沿ってきたしなの鉄道(信越本線)と離れます。 しなの鉄道の御代田駅から中山道を2㎞ほど歩いたところに宿場町がありました。 鉄道が離れて敷設されたためでしょうか。風情ある街並みが残っていました。 ************************* 第22次 岩村田宿 鉄道から離れた中山道ですが、岩村田宿近くで小海線と交差します。 佐久平の中心地なので街道も商店街を形成して活気がありますが、ここは城下町でもあり宿場としての規模は小さかったようです。 ****…

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【269】 「TOICA manaca 相互利用記念」のTOICA

先日(4月21日)実家へ行く前に早起きして「TOICA manaca 相互利用記念」のTOICAを買ってきました。 朝6時20分くらいから発売開始時刻の8時まで駅で並んで購入したのが写真左側のTOICAです。 なお右側はmanacaで、こちらはうちの息子が買ってきたものです。テレビ塔を中心にして、左のTOICAにはセントラルタワーズが描かれ、右のmanacaには名古屋城が描かれています。 実家からの帰路には、すでに完売となっていました。 こんなふうに、身の回りにいろいろあると言いながらも、適当に鉄分はちゃんと摂りながら暮らしております(*^^)v

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【268】 トトロの森の今

拙ブログで「トトロの森」というのは、私の実家の近くにある神社の森のことで、私が勝手に名前を付けただけです。あの「となりのトトロ」に出てくるトトロが住むあの森のような気がしたからです。そのことは 【85】トトロの森でご紹介しました。 実家に住む年老いた父母のもとに定期的に通う際に、いつもそこを通るようになって、6月で2年になろうとしています。 【174】 トトロの森の1年でも取り上げたのですが、私は変わりなく過ごせていることを有難く思っていました。どうにか自立した生活を送れている父母たちにも、いつかはそれが不可能な時が来るであろうことは、目に見えていましたので、常にその時が来ることを覚悟して、「トトロの森」で神社に参拝し、恵那山を眺めながら、駅から実家への道を、主に土曜日に通ったものです。 しかし、最近になって少し状況が変わってまいりました。今月に入って、母親が直腸がんと診断されたのです。その検査のために体力が消耗したのでしょう。母は実家で転倒し、胸椎圧迫骨折をするというダブルパンチを受けたのでした。一方の父親は脳梗塞後も、どうにか日常生活は自分でできるのですが、足腰とともに、最近は心臓も弱ってきていて、もう父親に、母親の通院時の付添など身の回りの世話を任せておけるような状態ではなくなってきています。4月になってから、私は通院や介護認定の手続き等で、すでに5日も仕事を休んでしまいました。 私は「トトロの森」の2度目の桜を、そんなドタバタ劇のさなかで見ることとなりました。 その…

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【267】 中山道宿「駅」巡り4

2005年から2006年にかけて中山道の全宿場を訪問しました。 最初に次のようにルールを作りました。 1.各宿場町最寄りの駅から宿場町中心部までは歩いて往復。 2.東京日本橋から京都三条大橋まで順に宿場を訪問する。 3.交通手段は鉄道を主として利用し、一切マイカーやタクシーは利用しない。 路線バスは使用可。 4.宿場最寄り駅では駅名標と駅の写真を撮る。 5.宿場の中心部で宿場名が入ったモノの写真を撮る。 このルールに従って撮ってきた駅名標、駅舎と宿場名の入ったモノの写真を順にUPしてまいります。 写真中心で、駅や中山道については最小限の説明にとどめておきます。 (写真には再訪した時のものが一部含まれております。) 【266】 中山道宿「駅」巡り3の続きになります。 ************************* 第16次 松井田宿 松井田駅から西松井田駅にかけての区間が松井田宿になります。 信州から江戸へ輸送される米の中継地であったということです。 松井田宿という宿場名が入ったモノを見つけられませんでしたので、役場への案内標識の写真で代用しておきましたが、訪問した翌年(2006年)には隣の安中市と松井田町は合併し、現在松井田町は安中市の一部となっています。 宿場内の家々は、一部に関東風建築の商家もみられますが、多くの家が信州っぽい造りになってきました。 このあと中山道は横川駅近くの碓氷の関所を通り、坂本宿へ続きます。下は碓氷の関所です…

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【266】 中山道宿「駅」巡り3

しばらく中断しておりました 【251】中山道宿「駅」巡り2の続きです。とりあえずJR東日本管内について続けたいと思います。 2005年から2006年にかけて中山道の全宿場を訪問しました。 最初に次のようにルールを作りました。 1.各宿場町最寄りの駅から宿場町中心部までは歩いて往復。 2.東京日本橋から京都三条大橋まで順に宿場を訪問する。 3.交通手段は鉄道を主として利用し、一切マイカーやタクシーは利用しない。 路線バスは使用可。 4.宿場最寄り駅では駅名標と駅の写真を撮る。 5.宿場の中心部で宿場名が入ったモノの写真を撮る。 このルールに従って撮ってきた駅名標、駅舎と宿場名の入ったモノの写真を順にUPしてまいります。 写真中心で、駅や中山道については最小限の説明にとどめておきます。 (写真には再訪した時のものが一部含まれております。)  ************************* 第11次 新町宿 ここからは群馬県に入ります。駅名標も駅そのものも、ローカルな感じになってきました。 新町宿はその名のとおり新しい宿場町で、他の宿場より約50年遅れて新たにできた宿場町でした。 ************************* 第12次 倉賀野宿 倉賀野といいますと、鉄道が好きな私としては八高線の分岐駅であり、貨物駅でもあったなということを思い浮かべてしまうのですが、ここは利根川水系の最上流の河港として水陸輸送の拠点とし…

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【265】 「春日井貨物」その後

先々週、先週と、通称「春日井貨物」のワム80000形式がコンテナ化され、先月のダイヤ改正で運用を終えたことをお伝えしました。 ダイヤ改正前日の3月16日。最後のワム80000形式を連ねた春日井貨物670列車を見るために、いつものように昼休みに出かけ、撮ってきたのがこの写真です。 本来の牽引機関車は新鶴見のEF65PFなのですが、この日は愛知区のEF64 1000番台が牽いてきました。 さすがにこの日は、最後の姿を写真に撮る方が何人もおいでになりました。牽引機も国鉄色の1050号機でした。 ダイヤ改正後は、列車番号も2074列車と変わりましたが、うれしいことに通過時刻は変わることなく、昼休みの好都合な時間帯のままでした。愛知区のEF64 1000番台の牽引で、編成すべてがコンテナ車でコキ104を中心にコキ106、コキ107が混じった編成です。積載されたコンテナはJR貨物の標準的なものに統一されていて、その編成は美しいものです。 上の写真は3月27日に、ダイヤ改正前日と同じ国鉄色のEF64 1050号機が登板したときのものです。 この日はお一人、撮影されている方を見かけましたが、私はダイヤ改正後、昨日まで8回この列車を見に行きましたが、この日を除いて撮影されている方は見かけず、2年前のような自分一人が見送る日が続きました。 実際、ダイヤ改正前の半年くらいは、撮り鉄の方々の姿をよく見かけ、私のようなものがコンデジ片手にウロチョロするのは憚られました。ワムもPFも来ませんが、…

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【264】 ブログ定期更新休止のお知らせ

ブログ開始後約2年間、定期更新を心掛けてまいりましたが、管理人における諸般の事情により、今後の定期更新が困難な状況になってまいりました。今後しばらくの間は不定期の更新とさせていただき、更新回数も減らさざるを得ない状況になります。途中になってしまったシリーズ記事も含めて、書きたいことはまだまだございますし、書きかけの原稿等もございますので、閉鎖するという意味ではございません。 また、コメント欄及びメッセージ欄についての返信も、これまで翌日までにアップするよう努めておりましたが、こちらも迅速な対応が困難な状況になります。 以上、勝手ながらご理解をお願いいたします。

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【263】 春日井貨物の牽引機関車たち

先週のブログ記事「【261】春日井貨物のワム80000」 の続きです。 春日井から折り返し、稲沢に向かう670列車は、機関車の直後に新座貨物ターミナルに向かうワム80000形式を連ね最後尾にコンテナ車「コキ」を4両連結した編成でした。この列車は2年前のダイヤ改正時から時刻が少し早まって、会社の昼休みの時間に通り過ぎていくようになりました。昼食後に恒例としているウォーキングタイム中の時間帯になります。コンデジをポケットに忍ばせ、食後のウォーキングコースが線路端のほうになってしまうのは自然の摂理でした。 これまで、通称「春日井貨物」のことは拙ブログでも何回か取りあげてまいりました。 ワム80000を牽引してくる機関車のバラエティにも惹かれました。 【78】中央西線670列車(前篇):帰ってきたPFでは、EF65PF国鉄特急色のほか、EF64 1000番台及び0番台のJR貨物塗装機が、 【79】中央西線670列車(後篇):過去の春日井貨物では、EF65PFのJR貨物色機、EF66新JR貨物塗装機などが、 【129】最近の鉄分補給状況2011年1月では、EF210が、 【171】昨日のできごと~ささやかな幸せでは、国鉄特急色に切り抜き文字ナンバー、そして大きなPS17パンタグラフの4次車EF651041が、それぞれワム80000を牽引している姿を紹介いたしました。 今回は、この2年の間に出会ったそのほかの特徴的な機関車たちを紹介しましょう。 JR西日本からの移籍機EF65…

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【262】 「音威子府」~国鉄分割民営化から25年

音威子府は「おといねっぷ」と読みます。 宗谷本線の駅で、かつては天北線との分岐駅で、交通の要衝だったところでしたが、天北線は第2次特定地方交通線に指定され、国鉄分割民営化後の平成元年には廃止されました。 国鉄に就職した頃、私が実際に仕事で使用した「荷物事務用鉄道線路図」にはこんな具合にまだ多くの鉄道線路が道北の地にも敷かれていたのがわかります。 まるで、興浜北線、興浜南線そして美幸線の3線が手を結ぶ日を待っているかのように描かれ、これらのローカル線への接続をする天北線も準幹線のようにも思えるのですが、現在の地図には宗谷本線のみが残されているにすぎません。当然ながら、これだけの国鉄路線を維持運営するにあたっては、多くの国鉄職員をはじめ、関連する職業の多くの人とその家族が暮らしていたわけで、この音威子府はこの地方の中心的な鉄道の街といってもいいところだったのであろうと想像します。 上の地図では不鮮明で見にくいのですが、駅を示す○印の形が駅ごとに違います。区分の詳細は省きますが、これは駅の営業内容の区分を表すものです。「○の中に△印」が描かれている駅は荷物の取り扱いをしない駅で、小さな駅ばかりなので、そのほとんどが無人駅だと思われます。名寄本線とその周辺に、その「○の中にに△印」へ訂正した駅がいくつもあるのがおわかりいただけましょうが、その当時に荷物営業が廃止されたために訂正したものです。 私は1度だけ音威子府を訪問したことがあります。もう15年も前になりますが、す…

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