【280】 病院鉄

写真は先日5月11日に撮った中央西線の特急しなの号です。 一ヵ月ほど前の拙ブログ記事「【268】 トトロの森の今」で記しましたように、私の母は病気+骨折で日常生活に支障が出ました。その後、連休明けに入院して手術を受けました。幸い手術も成功しましたが、本人はまだ入院中なので、病院には様子を見に通ったり、私はここしばらく鉄分の補給が難しくなっています。 それでも、鉄分をくださる神様はいらっしゃるものです。 入院当日の午前中、指定された病室は最上階の4人部屋でした。母のベッドは廊下側で、JRの指定席で言えば通路側「B席」に相当します。窓側では別の患者さんどうしが話をしており、荷物もまとめてどうやらその日が退院日のようでした。 その日、私はいったん病院を後にして、用事を済ませて夕方再び病室に行くと、4人部屋に母が一人だけになっており、残りの3人は退院した後でした。母が入院した病院は、山の上にありましたので、だれもいない窓側の空きベッドのところまで行くと、西日を浴びた中津川の市街地を一望に見渡せる、素晴らしい景色が広がっているのでした。 下が、その病室からの展望です。中津川の市街地が広がり、右端の山はこの地域のシンボル的存在の「恵那山」です。 左側の木々の緑がある付近に赤丸をつけました。 そのあたりを、愛用のコンデジの10.7倍ズームで病室から撮影し、さらにトリミングしたのが、じつは冒頭のしなの号の写真です。入院日は、空気が澄んでお天気の良いコンディションで、指定された病室が数…

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【279】 武豊駅乗継詰所での思い出

先週は武豊駅のホーム上にある乗継詰所のお話をしました。 簡素な乗継詰所では、せいぜい1時間前後の滞在なのが普通だったのですが、ここで長時間滞在したことが1度だけありました。 その前日は武豊泊りでした。夜、大雨の中を武豊に着き、翌日は大丈夫だろうかと心配しながら乗泊で休養したのですが、翌朝一番の名古屋行き921Dに乗務するため起きると、幸いにも雨は上がっていました。 この921Dは、過去のブログ記事「【104】乗務した車両:キハ35系気動車」でご紹介していますが、キハ35の6両編成でした。 いつもどおり発車前に転線連結作業をして、一番列車は時刻どおり5時37分に名古屋へ向けて発車しました。何事もなく終点名古屋で折り返し、再び同じ編成の926Dで武豊駅へ戻ってきました。 武豊に戻った列車はすぐ8時41分に大府に向けて折り返しますが、ここで私の行路は1本前の列車で武豊へ来ていた車掌と交代して、私は1本落として次の10時02分発の933D列車に乗務することになっていました。 折り返し列車が発車してしまうと、武豊駅構内に残る車両は皆無となってしまいます。その間私は、いつものように乗継詰所で過ごしました。 次の乗務列車933Dまで1時間半程度あるので、この間に朝食&トイレタイムというわけです。この時間帯は駅前の喫茶店へ行く人もありましたが、この詰所にいれば、次に乗務する列車の折り返し列車の音が聞こえてから詰所を出ればよいのですから、時間を気にしなくてよいので安心でした。私はこの日も武…

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【278】 レールバス模型と、その実車写真

鉄道コレクション第15弾では、大型化してボギー車として製造されたレールバス群が製品化されましたが、以前にもTOMIXからは、さらに小型の2軸式レールバスが製品化されていました。 それらの製品を、実車写真とセットでご覧いただこうと思います。 **************************** 模型はTOMIXの国鉄キハ02です。国鉄にもこんなに小さなレールバスがあったことを興味深く思います。明知鉄道の前身である国鉄明知線にも走っていたとの記録がありますが、私が見たことはなく、明知線はすでにキハ07に変わった後でした。キハ02は残念ながら保存されていませんが、類似の北海道仕様キハ03が、旧小樽交通記念館(小樽市総合博物館本館)に保存されていますので見てきました。そのとき(1997年9月20日)撮影した国鉄キハ03です。 **************************** こちらはTOMIXから製品化された旧南部縦貫鉄道のキハ10です。この鉄道はレールバスの聖地みたいな鉄道で、このような旧式のレールバスを平成の世まで活躍させていたとは信じがたい気がしますが、現在も動態で現地に保存されているというのも、さらに驚きに値します。 現車の撮影は1997年2月1日。このとき南部縦貫鉄道全線に乗車しました。 **************************** 国鉄転換第三セクター鉄道として、ハイモ180型2軸式小型レールバスをいち早く導入して開業…

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【277】 今も残る武豊駅乗継詰所

武豊線の終点、武豊駅。 私が車掌をしていたころ武豊線にはいつも乗務していましたので、ここは懐かしい駅です。 今でもホームのはずれには、国鉄時代に私たち車掌や運転士が、折り返しの時に使用していた乗継詰所が健在です。 過去の記事「 【248】思い出の乗務列車:武豊線940D」で紹介したような荷扱をする列車など車掌が2人乗務の場合、そのうち1人は武豊で折り返さず、その次の列車までここで過ごすという行路があり、そんなときや、そのまま折り返し乗務の場合でも時間があれば利用しました。連絡用の鉄道電話とテレビがあるだけの簡素な詰所ですが、現在は使用されていないそうです。今時のダイヤは、武豊での折り返し時間はわずかで、まとまった手待ち時間もなく、ましてや昔のように乗務員がここで交代するような悠長な勤務形態ではないのでしょう。 乗継詰所は、こうした終着駅のほかに、折り返し列車がある拠点駅や貨物列車など長距離列車の乗務員交代が行われる駅に設置されていました。ホーム上や、ホームのはずれに建っているケースが多く、貨物列車の場合だと、ホームから外れた線路端にポツンと建っているところもありました。 余談ですが武豊駅ホームにあるこの乗継詰所の隣には小さい池があります。先日訪れたときは金魚が泳いでいました。 写真奥の建物は乗継詰所です。 この池も国鉄時代から変わっていませんでした。しかしながら国鉄時代にはもっと水はきれいで周囲の庭木類も手入れがされていました。噴水もあったように思います。 変な…

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【276】 鉄道コレクション第15弾と、その実車写真(後篇)

TOMYTECから続々とリリースされる鉄道コレクションですが、第15弾では、富士重工のLE-carⅡのうち、15m級の第三セクターレールバスを中心にラインアップされました。自動車の技術を取り入れ、側面窓などはバスのものを利用するなどユニークな構造で、軽量・省エネ・ワンマン運転等の経費節減型車両として1980年代に大きく注目を集めた車両たちです。 私は、旧国鉄線にすべて乗ってみようと、国鉄退職後は全国を乗りまわっていた時期があります。その際に、これらレールバスには、各地で実際に乗りました。快適とは言えないながらも、こういう車両を導入したことによって経費が抑えられて、未乗だった旧国鉄ローカル線に乗れるということは有難いことと思ったものです。 鉄道コレクション第15弾をさっそく購入して、その鉄道訪問時のイメージで我が家のレイアウトで写真を撮ってみましたので、ご紹介しましょう。先週の前篇の続きになります。 *************************** 明知鉄道 アケチ1型 1992年5月4日 撮影 岩村~明智間乗車 *************************** 長良川鉄道 ナガラ1型 1995年9月15日 撮影 この日は乗車せず。 *************************** 樽見鉄道 ハイモ230-300形 2004年11月20日 撮影 この実車写真はよく見ると模型とは異なり折戸ではありません。ライト形…

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【275】 緩急車とトイレ(後篇)

先週の続きになります。 先週はトイレがない緩急車のお話でした。今回もトイレの話ですので、お食事中の方は閲覧をお避け下さい。 トイレがないのが当たり前の緩急車の中で、トイレがあるヨ8000は、ほんとうに有難い車両ではありましたが、この車両も万能ではありませんでした。 ヨ8000も当時の多くの旅客車両のトイレと同じで、いわゆる「垂れ流し」の水洗式でした。 上の写真は客車のトイレのドアですが、「停車中は使用しないでください」と書かれていました。 名古屋駅では停車中の旅客車両のトイレから、目の前の線路に黄金の山が築かれていくのをホーム上から何度でも見ましたし、それを給水用のホースで豪快に洗い流す作業もまた日常的になっていた時代でした。 名古屋駅では今も給水用のホースがあります。 本来の使用目的は旅客車への給水です。 上の写真は、私が小学生の頃に同伴の父親に、名古屋駅で撮ってもらった写真です。下り急行「雲仙・西海」だと思われます。寝台車が珍しくて形式が読めるよう撮ってもらいました。この列車は始発の東京から名古屋まで来て、ここで停車中に給水をすることになっていたものと思われます。これが正しい使い方ですが、トイレを「停車中に使用」されると、このホースで線路脇の黄金の山に水をぶっかけて洗い流すわけです。 ヨ8000で問題となるのは冬場でした。旅客車は電気やスチームによって、水洗のための配管を保温しており凍結を防ぐことが防止策が採られていましたが、貨車には電気やスチームの設備がなく…

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【274】 鉄道コレクション第15弾と、その実車写真(前篇)

TOMYTECから続々とリリースされる鉄道コレクションですが、第15弾では、富士重工のLE-car15m級の第三セクターレールバスを中心にラインアップされました。自動車の技術を取り入れ、側面窓などはバスのパーツを利用するなどユニークな構造で、軽量・省エネ・ワンマン運転等の経費節減型車両として1980年代に大きく注目を集めた車両たちです。 私は、旧国鉄線にすべて乗ってみようと、国鉄退職後に全国を乗りまわっていた時期があります。その際に、これらレールバスには、各地で実際に乗りました。快適とは言えないながらも、こういう車両を導入したことによって経費が抑えられて、未乗だった特定地方交通線に乗れるということは有難いことと思ったものです。 *************************** 鉄道コレクション第15弾をさっそく購入して、その鉄道訪問時のイメージで我が家のレイアウトを利用して写真を撮ってみましたので、ご紹介しましょう。 真岡鐵道 モオカ63型 2003年7月27日撮影 全線乗車 *************************** いすみ鉄道 いすみ200’型 2002年10月12日撮影 全線乗車 *************************** わたらせ渓谷鐵道 わ89-100型 2002年12月22日撮影 全線乗車 このとき乗車したのは、この型の車両ではありませんでした。写真は大間々駅に停車中のものです。 ***…

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【273】 緩急車とトイレ(前篇)

今回は貨車のお話です。 実際に私が貨物列車の列車掛として乗務していたのは、わずか1年半足らずのことですから、貨物列車乗務の記事の数が旅客列車の記事数より少なくなってしまうのもやむをえないわけです。しかし国鉄時代の貨物列車や荷物列車の類は今となっては、変質したりなくなってしまっていて、それらを知ろうとする方は多いのか、拙ブログでも貨物列車や荷物列車関係のアクセス数は意外と多く、最近貨物関係の記事がないというご意見をいただくこともございました。そこで、今回は貨車の緩急車(ワフとヨ)のトイレについて少し綴ってみましょう。 以前に形式ごとにその特徴などを書いたことがありましたが、特に今回はトイレの話です。かなりリアルな表現もあるので???お食事中の方は、以下の文面の閲覧はお控えくださったほうがよろしいかと思います(^_^;) 貨車の緩急車で、トイレがあるのはヨ8000とコキフ、レムフなど一部の車両のみでした。すべてのワフとヨ2000、5000、6000にはトイレや洗面所はありませんでした。貨物の乗務は長時間に及ぶことがあり、トイレに行きたくて困ったことは短い貨物列車乗務時代にもありました。 「小」のほうは夜間、デッキで済ましたことがあります。今から思うと危険ではありますが、構造上オープンデッキですから、片手は手すりにつかまって、もう一方の手で狙いを定めて放出するのです。液体はそれほど高速でなくても後方へ霧となって去っていきますが風向きによっては自分のほうへ霧が飛んできますので注意せねば…

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【272】 「中山道奈良井宿」2012.4.29

このところ、すっかり実家のことで忙しくなってしまいました。 と、いうわけで連休前半の4月29日は、中央西線で家内と2人、朝早く岐阜県東濃地方にある実家へ出かけました。購入した切符はJR東海の土休日の定番となった「青空フリーパス」2500円です。 実家の母は以前のブログ記事【268】トトロの森の今でお話いたしましたように、病気と怪我で外には出られませんので、私たち夫婦が実家の自動車を使って必要な買い物をしてきました。そしてお昼前には家内と2人、実家を出て「青空フリーパス」の威力で長野県塩尻市の奈良井宿まで寄り道?をしてきました。 私たちは午後、中津川始発の松本行普通列車の客となりました。 車窓には、田植え前の準備をする人たちや、消防訓練をしている消防団の人たち、そして満開の花桃の木の下で花見の宴会をしている人たちなど、それぞれの連休を過ごす人たちが通り過ぎていきます。 木曽第一の名所「寝覚の床」を通り過ぎます。 乗り鉄飲み鉄のお供にビールは欠かせません。 木曽谷の車内で飲む北海道限定「SAPPORO CLASSIC」 不思議な取り合わせですが、麦芽100%のコクは最高です。 実はこの「SAPPORO CLASSIC」は、このブログをご覧いただいている某氏から北海道土産として先日いただいたものです。この場をお借りしてお礼申し上げます m(__)m このあたりまで来ると、桜も見頃です。 国鉄の乗務員時代には、名古屋の桜が4月初めに終わっても、この連休の時期…

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