【288】 中山道宿「駅」巡り9

2005年から2006年にかけて中山道の全宿場を訪問しました。 最初に次のようにルールを作りました。 1.各宿場町最寄りの駅から宿場町中心部までは歩いて往復。 2.東京日本橋から京都三条大橋まで順に宿場を訪問する。 3.交通手段は鉄道を主として利用し、一切マイカーやタクシーは利用しない。 路線バスは使用可。 4.宿場最寄り駅では駅名標と駅の写真を撮る。 5.宿場の中心部で宿場名が入ったモノの写真を撮る。 このルールに従って撮ってきた駅名標、駅舎と宿場名の入ったモノの写真を順にUPしてまいります。 写真中心で、駅や中山道については最小限の説明にとどめておきます。 「【286】中山道宿「駅」巡り8」の続きになります。 ************************* 第41次 三留野宿 現在「三留野」を名乗る駅はありません。最寄りの駅は南木曽駅になります。 名古屋始発の中央本線直通定期普通列車の北限です。 この南木曽駅は昭和43年までは「三留野」駅を名乗っていました。 (写真はJR東海のイベントのなかで再現されたものです。) 宿場跡は駅から数百メートル離れています。明治時代の大火で、江戸時代の面影はありません。 ************************* 第42次 妻籠宿 妻籠宿は中央西線のルートから外れているため、今でも南木曽駅から「おんたけ交通」のバスに乗り換える必要があります。 言うまでもなく、中山道…

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【287】 臨時列車の乗務(14):クモヤ90とクモユニ147

架線事故による遅れのため急遽運転された特発381系回送列車に乗務した4日後、半年ぶりに名古屋工場からの出場試運転列車に乗務しました。 笹島から名古屋経由で東海道本線共和駅までの1往復のあと、笹島から名古屋まで戻る乗務行路でした。 1985年(昭和60年)9月13日 試8280M  運転区間 笹島10:54~名古屋10:59 クモユニ147-  1 名カキ ク ハ 165-118 名カキ ク ハ 165-127 名カキ クモヤ 90005    名カキ       (垣512) このあとは、以下のようにいずれも同じ編成での乗務となりました。  試8514M 運転区間 名古屋11:05~共和11:25 試8513M 運転区間 共和12:18~名古屋12:57 試8281M 運転区間 名古屋13:09~笹島13:14 試8282M 運転区間 笹島15:21~名古屋15:25  (名古屋で試8511Mに継送) 各列車ごとに進行方向が変わるので、クモユニ147に2回とクモヤ90に3回乗車できました。 最初に笹島から乗務した最後尾のクモヤ90005は、以前試運転列車で乗務したことがあったので2度目の乗務となります。 以前のブログ記事「【281】 臨時列車の乗務(11):名古屋工場入出場列車」で紹介しましたように、クモヤ90005は、現在名古屋のリニア鉄道館に保存されているモハ63638そのもので、復元前の姿ということになります。 こ…

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【286】 中山道宿「駅」巡り8

2005年から2006年にかけて中山道の全宿場を訪問しました。 最初に次のようにルールを作りました。 1.各宿場町最寄りの駅から宿場町中心部までは歩いて往復。 2.東京日本橋から京都三条大橋まで順に宿場を訪問する。 3.交通手段は鉄道を主として利用し、一切マイカーやタクシーは利用しない。 路線バスは使用可。 4.宿場最寄り駅では駅名標と駅の写真を撮る。 5.宿場の中心部で宿場名が入ったモノの写真を撮る。 このルールに従って撮ってきた駅名標、駅舎と宿場名の入ったモノの写真を順にUPしてまいります。 写真中心で、駅や中山道については最小限の説明にとどめておきます。 「【284】 中山道宿「駅」巡り7」からの続きになります。 ************************* 第36次 宮ノ越宿 宮ノ越は深い木曽谷の中でも、少し開けているところで、平安時代の武将源義仲が育ったところとして知られます。 義仲の菩提寺である徳音寺、旗揚八幡宮など、宿場跡より義仲の史跡が見所になっているようです。 さて、宮ノ越宿を過ぎると、中山道中間地点があり、江戸と京都までの距離はそれぞれ約268kmとなっています。 ************************* 第37次 福島宿 福島宿は現在も木曽の中心地として、すべての特急が停車する木曽福島駅が最寄駅です。 宿場の直前に福島関所跡があり、建物が復元されています。 大火を逃れた一部に、…

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【285】 臨時列車の乗務(13):特発381系回送列車

1986年9月は予備勤務に当たり、しばらくの間、臨時列車に乗る機会が増えました。 また、出勤予備といって、緊急時に対応するするために車掌区で待機するという勤務もありました。専務車掌としての予備ですから、あらゆる列車に支障なく乗務できなければなりませんが、出勤遅延者や病気や事故での突発休がなく、大きなダイヤの乱れもなく1日が終われば、要するに「ブラ勤」で何もすることなく車掌区内に居ればそれで1日が終わるわけですが、必ずしもそうはいきません。地球が回っている以上、どこかで何かしら事が起こるものです。  この日もそういうわけにはいきませんで、午後になって中央西線で架線事故が発生し、上り名古屋行のしなの8号が、途中駅で足止めを食らって相当時間遅れているということでした。 (写真はJR化後に撮ったもので、当日のしなの号とは関係ありません) しなの8号(1008M)は所定時刻であれば14:22に名古屋駅に着き、折り返し15時00分発のしなの15号長野行(1015M)として折り返すことになっていましたが、このままでは定刻にしなの15号の運転ができません。急遽神領電車区から代わりの特発編成を出してしなの15号を所定時刻に発車させようということになったのです。 私は神領電車区からの出庫線がある春日井駅から名古屋まで運転される特発列車に乗務することになり、春日井駅まで便宜列車で向かうよう命じられました。 運転指令から臨時列車運転の指令伝達がありました。 1986年(昭和60年)9月9…

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【284】 中山道宿「駅」巡り7

2005年から2006年にかけて中山道の全宿場を訪問しました。 最初に次のようにルールを作りました。 1.各宿場町最寄りの駅から宿場町中心部までは歩いて往復。 2.東京日本橋から京都三条大橋まで順に宿場を訪問する。 3.交通手段は鉄道を主として利用し、一切マイカーやタクシーは利用しない。 路線バスは使用可。 4.宿場最寄り駅では駅名標と駅の写真を撮る。 5.宿場の中心部で宿場名が入ったモノの写真を撮る。 このルールに従って撮ってきた駅名標、駅舎と宿場名の入ったモノの写真を順にUPしてまいります。 写真中心で、駅や中山道については最小限の説明にとどめておきます。 「【271】中山道宿「駅」巡り6」からの続きになります。 ************************* 第31次 洗馬宿 塩尻まではJR東日本エリアでしたが、これよりJR東海エリアに入ります。 静かな無人駅です。これから先、木曽谷の小駅には似た感じの木造駅舎が多くあります。 宿場に入る直前には善光寺西街道との追分があります。 宿場内は火災のため江戸時代の建物は少なく、また本陣や脇本陣には素晴らしい庭園があったといわれていますが、それらも鉄道の建設で跡形もなくなってしまったということです。 宿場を通り過ぎると一面のススキがきれいでした。 ************************* 第32次 本山宿 本山宿のJR最寄り駅は日出塩になるわけですが、日出塩…

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【283】 臨時列車の乗務(12):117系臨時回送列車

1985年(昭和60年)3月に国鉄では全国的なダイヤ改正がありました。60.3(ロクマルサン)ダイヤ改正と言われ、近距離列車の増発が行われるかわりに編成両数が削減されたり、長距離急行の廃止も行われました。 私が乗務していた中京地区でも同様で、そのダイヤ改正では東海道本線の岡崎~名古屋~大垣間のデータイムには15分間隔での運転実施や名古屋駅での乗車ホームを方面別に極力統一するよう工夫され、従来の国鉄の体質からの脱却が盛り込まれていました。 改正されたダイヤには、一部に無理があったようで、朝の東海道本線上りの名古屋以東の列車で、乗客が集中して運転に支障をきたす列車が発生しました。その対応策として、休日を除く毎日、大垣~名古屋間の普通列車を岡崎まで延長運転する形で1本増発されました。 この年の4月、私は久しぶりの予備勤務でしたが、たいして目新しい列車に乗ることもなく過ぎていましたところ、この臨時列車は予備要員での対応になったので乗務することになったのでした。 1985年(昭和60年4月30日) 東海道本線9422M(名古屋で定期列車422Mを継承) 運転区間・乗務区間 名古屋7:55~岡崎8:37着 使用車両 117系(名カキ)6両 (目新しい車両でもなかったので編成をメモしませんでした。) この列車は岡崎到着後に折り返し回9489Mとなって大垣まで回送されました。 東海道本線 回9489M 運転区間・乗務区間 岡崎8:48~大垣10:48着 使用車両 117…

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【282】 中山道の宿場酒

中山道の宿場については、拙ブログで、 「【202】中山道宿場巡りの旅:はじめに」から13回にわたって、宿場への訪問したときと、中山道そのものを歩いたときに会った鉄道車両などについてご紹介いたしました。 そして、現在進行形として「中山道宿「駅」巡り」のシリーズ記事を続けています。 (こちらの初回記事は「【249】中山道宿「駅」巡り1」) この「中山道宿「駅」巡り」は、前半ともいうべきJR東日本管内部分をアップした時点からしばらくお休みしていますが、来週からは再開したいと考えています。 これからはJR東海管内に入りまして、中山道のなかでも、その古い街道全盛時代の面影を多く残す木曽路と呼ばれる部分になります。木曽路の宿場は観光地にもなっていて、先日私が訪問した奈良井宿もその一つです。その時のことは 【272】「中山道奈良井宿」2012.4.29でご紹介し、帰路の電車の中では例によって地酒を飲みつつ「ええ気分」であったことはご想像に難くないと思っています。 その際には、奈良井の造り酒屋さんで、こんなお酒も買ってまいりました。 そのものズバリ「奈良井宿」という日本酒です。 「○○宿」というネーミングの日本酒は、このほかにもあります。そこで今回は自分が収集した日本酒ラベルから、中山道の「○○宿」というネーミングの日本酒ラベルを集結させましたので、ご覧ください。 東から順に紹介します。 初めに「長久保宿」と「和田宿」 長久保は第27次、和田宿は第28次と、隣り合った宿…

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【281】 臨時列車の乗務(11):名古屋工場入出場列車

1985年(昭和60年)3月のことです。前日に建国の日の代休が入って、交番上1日の空白ができてしまうので、この日は臨時列車の日勤行路が指定されました。内容を見るとたいへん楽な行路でした。 名古屋から国鉄名古屋工場が隣接している貨物専用の笹島駅まで徒歩で行き、名古屋工場から出場した車両の試運転列車に名古屋まで乗務(駅間距離1.8㎞・所要時間4分)して別の乗務員に引継ぎ、そのあと名古屋工場へ入場する別の回送列車を他区乗務員から名古屋駅で引き受け、また笹島駅まで乗務し、徒歩で名古屋まで帰ってくるだけの、1日の乗務距離3.6㎞、実質運転時間わずか8分の仕事でした。 1985年(昭和60年)3月5日 試8280M 運転区間 笹島~名古屋 乗務区間 笹島~名古屋 笹島11:00発 名古屋11:04着 クモニ83024 名カキ クハ111-73 名カキ クハ165- 6 名カキ クモヤ90005 名カキ (変垣臨A512) 名古屋から試8281Mに継送 先頭は余命わずかになった大垣区のクモニ83でした。そして試運転列車ならではのクハ111とクハ165の混結です。このように両運転台のクモニ83は荷物輸送のほか牽引車としての役目もこなしていました。最後尾のクモヤ90005もクモニ83同様モハ72の改造車で、こちらの用途は牽引ほかの事業用車です。クモニと異なり改造前のモハ72の特徴をより多く残していました。 写真はこの時のものではありません。JR西日本の宮原運転所(…

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