【297】 乗務した車両:ユーロライナー(1)そのデビューと概要

ユーロライナーは、1985年(昭和60年)に国鉄の名古屋鉄道管理局に配置された欧風客車で、いわゆるジョイフルトレインです。1983年(昭和58年)に東京南鉄道管理局に配置された「サロンエクスプレス東京」と大阪鉄道管理局に配置された「サロンカーなにわ」に次いで国鉄で3番目に登場した欧風客車でした。 写真は試乗希望者を募って運転された試乗列車です。中央西線釜戸駅に停車中の様子で、この後中津川駅まで運転され、中津川では車両の展示会がありました。 ジョイフルトレインのルーツはお座敷列車に遡ると思いますが、欧風客車は、利用年齢層を若者や女性にも広げる目的で誕生しました。先行したサロンエクスプレス東京がコンパートメント方式で、一方のサロンカーなにわがオープンスタイル方式だったのに対し、ユーロライナーでは、その双方を取り入れていました。 上の写真がコンパートメント車です。中間車ばかり4両ありました。 上の写真は展望スペース付オープンスタイル車です。編成両端の2両になります。 中間車には1両、定員外のカフェラウンジ車がありました。上の写真です。ここでは軽食の供給も行っており、ミニステージにカラオケ装置も備えたフリースペースになっていました。 このように1編成が7両で組成されていました。 明るい軽快なイメージのユーロライナーは12系座席車からの改造でしたが、特にコンパートメント車については、見るからに大改造と思われるほどの変貌ぶりで、サンルーフ付のカマボコ型屋根の車体は…

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【296】 中山道宿「駅」巡り13

2005年から2006年にかけて中山道の全宿場を訪問しました。 最初に次のようにルールを作りました。 1.各宿場町最寄りの駅から宿場町中心部までは歩いて往復。 2.東京日本橋から京都三条大橋まで順に宿場を訪問する。 3.交通手段は鉄道を主として利用し、一切マイカーやタクシーは利用しない。 路線バスは使用可。 4.宿場最寄り駅では駅名標と駅の写真を撮る。 5.宿場の中心部で宿場名が入ったモノの写真を撮る。 このルールに従って撮ってきた駅名標、駅舎と宿場名の入ったモノの写真を順にUPしてまいります。 写真中心で、駅や中山道については最小限の説明にとどめておきます。 【294】中山道宿「駅」巡り12 の続きになります。 ************************* 第61次 醒井(さめがい)宿 醒井宿の最寄駅はJR東海道本線の醒ヶ井駅です。 JR東海の在来線では最西の駅になります。 宿場内には清水が流れています。 鉄道ですと醒ヶ井駅の次はターミナル駅の「米原」ですが、中山道は米原を通りません。名神高速道路と並走するように番場宿へ向かいます。 ************************* 第62次 番場宿 番場宿は米原駅から3㎞以上離れた山沿いの地にあります。 並行する鉄道はありません。湖国バスのバス停の写真です。 宿場からは米原への道が分岐しています。 その交差点に米原方面への「汽車、汽船道」を指で示…

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【295】 続 乗務中見えるもの…夏の一番列車

荷物列車の乗務掛をしていた国鉄入社間もないころ、名古屋から関西本線の貨物駅百済への乗務の際に、奈良を発車してから窓を開けっ放しで風呂に入っている家があるから今度一緒に乗ったら教えてやると言った先輩がありました。 私が百済へ乗務するのは月に一度だけで、奈良の発車時刻は20時17分でした。ちょうどバスタイムにあたります。どのあたりかと特定できる話でもありませんでしたので自分では、それがどの家であるか見当のつけようもありませんし、それをを教えてくれた先輩と百済まで乗務する機会がなかったこともあって、結局わからないままになってしまいました。自分だけが知っているお楽しみポイント?というのを持っておられる乗務員も、けっこうあるのかもしれません。 似たような話が、車掌時代にもありました。 夏の暑い時期のことです。車掌仲間の一人が「○○線の朝の下り一番列車に乗ると××駅近くのアパートで、いつも女が窓を開けっ放しで下着だけで寝てるのが見える」というのでした。 そこで次の○○線乗務のとき、前日の乗務中に車窓から、それと思われるアパートを探しておきました。その付近には線路沿いの建物も少なかったので、たぶんこの建物だろうとすぐわかりました。線路はすぐそばを高架で横切っていくわけですから、おそらくそのアパートからの見晴らしは良くなく高架線のコンクリート躯体が見えるだけだったのでしょう。アパートの高層階の住人は特に覗かれることもないのでまったく用心せず、夏場は窓を開放しているような時代で、家庭用のエアコンも今…

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【294】 中山道宿「駅」巡り12

2005年から2006年にかけて中山道の全宿場を訪問しました。 最初に次のようにルールを作りました。 1.各宿場町最寄りの駅から宿場町中心部までは歩いて往復。 2.東京日本橋から京都三条大橋まで順に宿場を訪問する。 3.交通手段は鉄道を主として利用し、一切マイカーやタクシーは利用しない。 路線バスは使用可。 4.宿場最寄り駅では駅名標と駅の写真を撮る。 5.宿場の中心部で宿場名が入ったモノの写真を撮る。 このルールに従って撮ってきた駅名標、駅舎と宿場名の入ったモノの写真を順にUPしてまいります。 写真中心で、駅や中山道については最小限の説明にとどめておきます。 「【292】中山道宿「駅」巡り11」の続きになります。 ************************* 第56次 赤坂宿 赤坂宿の最寄駅はJR東海道本線の枝線の終着駅美濃赤坂駅です。 無人駅ですが好ましい木造駅舎があります。 宿場の中心部では西国三十三ヵ所満願寺である華厳寺への谷汲街道が分岐しています。 赤坂は杭瀬川の河港としても栄えていました。 ************************* 第57次 垂井宿 垂井宿の最寄駅はJR東海道本線の垂井駅です。 このブログでは何度か書きましたが、「中山道」に「東海道」本線が並走しているというのは、どう考えても不自然極まりないものです。 ここまでくると平野も煮詰まって関ヶ原へ向かって上り坂になって…

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【293】 臨時列車の乗務(17):205系電車新車回送

14系欧風客車「サロンエクスプレス東京」に名古屋から浜松まで乗務した後、折り返し浜松から定期列車の補助としていったん名古屋まで乗務し、その日の深夜(暦日では翌日未明)に、また東海道本線を名古屋から浜松まで、205系電車に乗務しました。山手線の103系電車置換え用に新製された車両を回送する目的の列車です。 昨今よく行われる機関車に牽引されての輸送ではなく、自力回送でした。 1985年(昭和60年)9月20日(日付は乗務開始駅である名古屋駅基準) 東海道本線 回9110M 運転区間 大阪~品川 乗務区間 名古屋0:38~浜松3:58 クハ205-18 南シナ モハ205-52 南シナ モハ204-52 南シナ サハ205-35 南シナ モハ205-53 南シナ モハ204-53 南シナ サハ205-36 南シナ モハ205-54 南シナ モハ204-54 南シナ クハ204-18 南シナ 9/19品川電回A3-11 近畿車輛出場車の新車回送で、この列車の運転区間は大阪からとなっていますが、回9926Mを継承していました。名古屋を出ると豊橋までノンストップで、豊橋で10分停車。この間に急行銀河に道を譲りました。 そのあとは鷲津で1時58分から3時40分まで1時間42分も停車するダイヤでした。回送ですから停車中は何もすることがありませんでした。この一番眠い時間帯を、車内で眠らないよう努めなくてはなりません。乗務員は眠気防止のためいろいろと工夫するもの…

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【292】 中山道宿「駅」巡り11

2005年から2006年にかけて中山道の全宿場を訪問しました。 最初に次のようにルールを作りました。 1.各宿場町最寄りの駅から宿場町中心部までは歩いて往復。 2.東京日本橋から京都三条大橋まで順に宿場を訪問する。 3.交通手段は鉄道を主として利用し、一切マイカーやタクシーは利用しない。 路線バスは使用可。 4.宿場最寄り駅では駅名標と駅の写真を撮る。 5.宿場の中心部で宿場名が入ったモノの写真を撮る。 このルールに従って撮ってきた駅名標、駅舎と宿場名の入ったモノの写真を順にUPしてまいります。 写真中心で、駅や中山道については最小限の説明にとどめておきます。 「【290】中山道宿「駅」巡り10」 の続きになります。 ************************* 第51次 太田宿 太田宿の最寄駅はJR高山本線、太多線、長良川鉄道が発着する美濃太田駅です。 太田宿は美濃加茂市に所在し、その中心部に当たりますが、恵那駅のように駅名を市名に合わせることもなく、現在まで美濃太田のままになっていて中山道の宿駅名がそのまま駅名にも残っています。 鉄道開通前から交通の要衝で飛騨街道、郡上街道がこの宿で分かれていました。 宿場を過ぎても街道は木曽川に沿っており、このあたりは景勝地で日本ラインと呼ばれます。 ************************* 第52次 鵜沼宿 鵜沼宿の最寄駅は名古屋鉄道各務原線の「鵜沼宿」駅です。無…

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【291】 臨時列車の乗務(16):サロンエクスプレス東京

先週ご紹介した「2度目の名古屋客貨車区のお座敷列車に乗務」の4日後、こんどは欧風客車のパイオニアである「サロンエクスプレス東京」に乗務しました。 1985年(昭和60年)9月19日 東海道本線 8106列車 運転区間 (金沢)米原~沼津      ※沼津以東の継承列車及び行先は記録をしておりません。 乗務区間 名古屋16:18~浜松17:56 EF65 1103(新) 臨A581(9/16) 7.スロフ14 702 南シナ 6.オ ロ14 705 南シナ  5.オ ロ14 704 南シナ 4.オ ロ14 703 南シナ 3.オ ロ14 702 南シナ 2.オ ロ14 701 南シナ 1.スロフ14 701 南シナ (南東臨905)熱海市民の旅(173名)         サロンエクスプレス東京は、国鉄東京南鉄道管理局の欧風客車で、1983年(昭和58年)に14系座席車の改造によって誕生しました。 団体列車としては従来から、一般の座席車のほかに、お座敷列車という団体専用車両が各地に存在していましたが、このサロンエクスプレス東京は、客室をサロン風のグループ向け区分室としたこれまでにない車内設備を持っていました。両端のスロフは独特のスタイルで、広いガラス面積を持つ展望室が設置され、新しいジャンルの車両として非常に目立つ存在でした。 当日は新鶴見機関区のEF65PFの牽引で、専用機のように用いられたEF5861号機ではなく、この点が少々残念なところで…

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【290】 中山道宿「駅」巡り10

2005年から2006年にかけて中山道の全宿場を訪問しました。 最初に次のようにルールを作りました。 1.各宿場町最寄りの駅から宿場町中心部までは歩いて往復。 2.東京日本橋から京都三条大橋まで順に宿場を訪問する。 3.交通手段は鉄道を主として利用し、一切マイカーやタクシーは利用しない。 路線バスは使用可。 4.宿場最寄り駅では駅名標と駅の写真を撮る。 5.宿場の中心部で宿場名が入ったモノの写真を撮る。 このルールに従って撮ってきた駅名標、駅舎と宿場名の入ったモノの写真を順にUPしてまいります。 写真中心で、駅や中山道については最小限の説明にとどめておきます。 【288】中山道宿「駅」巡り9の続きになります。 ************************* 第46次 大井宿 大井宿の最寄り駅は恵那駅です。 恵那駅は以前は宿場町「大井」をそのまま名乗っていましたが、1963年(昭和38年)11月1日に恵那駅に改称されました。「恵那市」に合わせる形で改称されたものと思われます。 沓掛宿とは異なり、恵那市「大井町」として地名は今も残っています。 大井宿には、敵の侵入を阻むために道を直角に折り曲げた「枡形」が6ヵ所あって中山道最多です。 木曽路を抜けた後も中山道はアップダウンを繰り返しますが、大井宿を出ると槇ヶ根峠で、ここが名古屋方面への下街道との追分で、中山道は国道19号線と中央本線という2つの大動脈から離れていきます。 追分の…

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【289】 臨時列車の乗務(15):2度目の「ナコ座」

先週ご紹介した名古屋工場の試運転列車に乗務したあと、非番日をはさんで翌々日には、約9ヵ月ぶりに再び名古屋客貨車区所属のお座敷列車に乗務することになりました。 今回は中央西線から東海道本線へ直通する行路でした。 1985年(昭和60年)9月15日 中央本線 9826列車~東海道本線9446列車 運転区間(上諏訪)~塩尻~名古屋~高塚(豊橋~高塚間回送) 乗務区間 中津川16:17~18:29名古屋18:45~高塚20:23 中央本線 9826列車 EF64 54(篠) 臨A621(9/12) 6.スロフ12 916 名ナコ 三河 5.オ ロ12 832 名ナコ 尾張 4.オ ロ12 831 名ナコ 伊勢 3.オ ロ12 830 名ナコ 美濃 2.オ ロ12 829 名ナコ 飛騨 1.スロフ12 915 名ナコ 近江 名古屋から逆編成 東海道本線9446列車 EF65 1006(稲)変臨A805  (名臨23)国鉄旅行友の会 上諏訪温泉の旅(226名)      (上諏訪)塩尻~豊橋 中津川で他区乗務員から乗継ぎ、名古屋を通り過ぎて豊橋で乗客を降ろした後、車両を留置するため回送で高塚までの乗務でした。機関車のほうは名古屋で交換され、中央西線内は篠ノ井機関区のEF64、東海道本線内は稲沢機関区のEF65PFの牽引でした。分割民営化後は、EF64も東海道本線にも当たり前に入線するようになりましたが、この当時はEF65にバトンタッチするのが当たり前で…

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