【307】 保存鉄道車両訪問9: D51777 ・ D51849 ・ D51688

中津川機関区に所属していた機関車の中で、愛知県内に保存された機関車3台について、お話したいと思います。 *************************** はじめはD51777号機 中津川機関区で廃車されたあと、愛知県刈谷市の刈谷交通児童公園に保存されました。 1996年の撮影です。1月に行ったので、国旗が掲げられていました。集煙装置は取り外されています。 <<履歴>> 昭和17年9月26日  汽車製造株式会社で誕生 昭和17年11月6日  多治見機関区 昭和19年9月26日  米原機関区 昭和20年10月31日  多治見機関区 昭和24年12月10日  名古屋機関区 昭和34年12月12日  中津川機関区 昭和47年9月22日  廃車 中部地方で一生を終えた機関車であることがわかります。それも中央西線での活躍期間が長いです。 1968年(昭和43年)10月に瑞浪~中津川間の電化完成に伴って、多治見~中津川間からのSL引退を惜しんで、その前日の9月30日、定期普通旅客列車1往復が、さよなら列車として運転され、この777号機がヘッドマークを掲げて牽引の任に当たりました。 そのとき小学生だった私は友達と沿線の踏切へ自転車で行って、きれいに装飾された777号機が牽く下り列車を見送りました。小学生の分際でカメラなど持てる時代ではありませんでしたので、画像は残っていません。でも、いまでも思い出すのは、さよなら列車を見送った直後、これでここを走るD51…

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【306】 乗務した車両:ユーロライナー(5)最末期の再会

国鉄末期に名古屋鉄道管理局で誕生したユーロライナー。今回で完結編です。 JR移行して数年後にはバブル経済の崩壊があり、臨時列車や団体列車の運転回数が徐々に減ってきました。また、機関車が牽く客車列車そのものが減ってきて、ユーロライナーも、この流れの中で、運用される回数が、他のジョイフルトレインと同じように少しずつ減ってゆきました。そしてついに2005年には廃車されてしまいました。 (写真は昨年秋に美濃太田車両区公開の際に展示されていたユーロライナーのヘッドマークです。) 国鉄時代に乗務したことがあったこの車両に、私は1度は乗客として乗ってみたいと思いながら、果たすことができませんでした。JR東海では公式のお別れ行事もなく、巷の噂で今年で最後と言われた2005年3月21日、せめて最後にその姿を見ようと東海道本線に出かけました。 お別れに来ていた人は意外にも多く、最後の走行シーンを見るために行った、伊吹山が見える柏原のカーブは撮り鉄の方々でいっぱいでした。 私はコンデジだけを持ってその片隅で見送ることにしました。 国鉄色のEF65 111号機に牽かれたユーロライナーはゆっくりと通り過ぎ、このあと柏原駅でしばらく停車しました。 柏原駅に停車中のサンルーフ付のサイドビューです。スイスあたりの高原駅に停車しているような錯覚さえ起こさせるではありませんか。ここでの停車は最後に見せてくれたユーロライナーにふさわしいシチュエーションであったと思います。 見にくいですが、乗客手製の…

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【305】 保存鉄道車両訪問8: D51238 ・ D51402 ・ D51549

中津川機関区に所属していた機関車のうち、長野県内に保存された機関車3台について、お話したいと思います。 *************************** 初めはD51238号機 中津川機関区で廃車されたあと、長野県木曽郡木祖村村民センターに保存されました。 写真は中山道全宿巡りの途中2005年の撮影です。 中山道薮原宿に近く、中山道の一里塚跡の碑(写真中央下)が傍らにあり、「江戸より66里、京へ70里」と彫られています。 <<履歴>> 昭和14年 2月18日  鉄道省苗穂工場で誕生 昭和14年 2月27日  山北機関区 昭和18年 5月14日  新鶴見機関区 昭和30年 2月28日  高崎第一機関区 昭和38年10月6日  会津若松機関区 昭和47年10月8日  中津川機関区 昭和48年7月20日  廃車 このD51 238は、中津川機関区所属車としては珍しく北海道の苗穂工場製です。 中津川機関区時代は短く、電化工事が進む中、会津若松から転属してきました。前照灯が2灯でロッドが緑色だったのが中津川所属機としては珍しく感じましたが、現在は塗り替えられています。 写真は十二兼~野尻間で貨物列車を牽引する238号機です。 *************************** 続いてはD51 402号機です。 中津川機関区で廃車されたあと、長野県飯田市に保存され、橋南公民館横に眠っています。 保存されてから訪れたのは199…

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【304】 乗務した車両:ユーロライナー(4)そのJR移管後

ユーロライナーは誕生から2年足らずで、国鉄分割民営化を迎え、JR東海に引き継がれました。 JR化後には、専用塗色の機関車も増えてゆき、新たにEF65もその仲間に入りました。 運用のしかたも、少しずつ変化が見られ、スキー列車「シュプールユーロ」には、ユーロライナーと同色に塗り替えて座席もグレードアップした14系座席車(通称ユーロピア)と併結して使用されたりしました。 JR東海からはスキー列車の代表格としてパンフレットがありました。 スキー列車以外の需要の掘り起こしのためのパンフレットも見かけました。 後期は車体外部色が、塗り分けこそ同じながらも、灰色部分の青みが増したものに変わりました。 よく見ないとわかりませんが、これは模型でも再現されています。 ユーロライナーの模型は以前から出ていたのですが、近年リニューアルして模型化されたのは、末期の仕様でした。 手前が国鉄仕様の旧製品、後がJR末期仕様の新製品です。

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【303】 春日井貨物運転再開、そしてD51 792について補足

昨日アップした記事 【302】保存鉄道車両訪問7: D51 792の補足を兼ねて臨時記事アップです。 お盆休み中だった春日井貨物(中央西線2075列車~2074列車)は昨日(8月16日)から運転再開になりました。 昨日は広島車両所更新色のEF64 1046が牽いてきました。この列車はたいていコンテナ満載で運転されています。さらにコンテナもJRF標準色コンテナで統一されているので、ワム380000亡き後もなかなか見ごたえがある列車です。 昨日は春日井貨物を見送ったあと、貨物運休時にD51792を見に行った「交通児童遊園」に少しだけ寄ってきました。じつはこんなことをしていると午後の始業時刻までに会社にたどり着けないので、大急ぎです。 昨日アップしたブログ記事では、「区名札も「中」でした。」「回転式火の粉止が取り付けられた状態で保存されています。」と書きましたが、行ったときは思い付きだったものですから、カメラを持っていませんでした。そのため、その画像をアップすることができませんでしたので、その写真だけを撮って、かろうじて始業の2分前に会社に戻れました。 こちらが区名札です。 段ボール紙の模造品のようですが、「中」の独特な字体は現役時代に見慣れたもので、懐かしく思います。これだけでずいぶん当時の雰囲気が戻ります。 昨日の記事でアップした写真を下に再度お目に掛けます。これは昨年の撮影なのですが、この区名札は挿入されていませんでした。 最後に、煙突の写真を。 …

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【302】 保存鉄道車両訪問7: D51 792

中津川機関区に所属して、廃車後に保存された機関車について、お話したいと思います。 約1年前に中断したままとなっておりました、シリーズ記事の続きになります。 直前のシリーズ記事は 【198】保存鉄道車両訪問6: D51201 ・ D51209 ・ D51245です。 *************************** 以前から拙ブログをご覧いただいておられる皆様はご存知かと思いますが、5月に実家の母が入院しました。(該当記事はココ)ご心配をおかけしましたが6月には退院し、その後は通院していましたが病気そのものは完治して、まずは一安心となったのですが、はじめての長期入院だったこと、身体障害者となったことなどで、精神的にそうとう参っている様子なので、退院後も定期的に様子を見にいったりしています。 そんなわけもあって、なかなか鉄分補給にも出かけられない状況で、ストレスの発散方法も、昼休みにEF64 1000番台の牽く春日井貨物を見にいくことくらいしかないのが現状です。 私の勤務先は盆休みがありません。私は昨日以外は出勤していたのですが、あいにく春日井貨物はお盆期間中運休が続きました。この貨物列車が来てくれないとストレス発散ができません。一昨日の昼休みに、手軽に鉄分補給することができないものかと考えながら、あてもなく歩いていたとき、春日井市内に保存されているD51792を久しぶりに間近に見てみようと思いついたのでした。 通勤時にはわざわざ遠回りをしてこのD51792が佇む「…

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【301】 乗務した車両:ユーロライナー(3)そのグッズなど

ユーロライナーに賭ける期待の大きさを示すように、グッズの販売もされました。 乗車記念の刺繍ワッペン。 写真ではお判りにくいですが、台紙右上に「国鉄承認番号」が記されています。 こちらはネクタイピン。いぶし銀仕上げで、編成中央のカフェラウンジ車で購入できました。これはお気に入りの逸品でしたので乗務中もよく着用していましたが、あいにく紛失してしまったので、同僚がユーロライナーに乗務したときに2個目を買ってきてもらいました。退職後は通勤にも使っておりましたが、これもまたどこかで落としてしまったので、JRの車掌さんにお願いして買ってきてもらった3個目という、いわく付きネクタイピンです(^^ゞ カフェラウンジ車ではこうした記念品のほか、食事や飲み物の提供も行っていました。 写真は、カフェラウンジ車と、その他の各車座席に備え付けのメニューです。 裏面はメニューと取扱グッズの値段が書かれていました。 このカフェラウンジ車は、食堂車を示す形式「オシ」とはならず、「オロ」とグリーン車扱いでした。グリーン車とはいえ、定員外車両とされるフリースペースとなっていまして、カラオケ装備のミニステージもありました。全車に流すBGMや車内設備の案内ビデオはこの車両から日本食堂の乗務員が取り扱うことになっていました。 デビュー時には記念入場券も発売されました。 バブル景気のはしりとも言える国鉄末期には、民営化をにらんだ営業施策が取られ、このようなジョイフルトレインは全国で誕生しまし…

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【300】 300回めを迎えました(^O^)/

2010年にブログを開設し、はたしてご覧いただけることがあるのだろうかと思いながら始めたブログ。今回の記事で300回めを迎えました。開設後2年3カ月ですが、最初は隔日、最近は週2回のペースで進めてまいりました。おかげさまで、ここまで参りました。ご覧いただいた方々には御礼申し上げます 300回にふさわしい写真はないかとチョット考えてみまして、 今年は東海道・山陽新幹線から300系が引退しましたね。 KIOSKで発見した缶ビールです。300系はJR世代の車両なんですが、もう引退とは時代の移り変わりははげしいものだなと感じます。 そのほか300に関係のある車両といえば、 福井鉄道300形電車です。路面をも走る高床式電車として特異な存在でした。 もともと静岡鉄道からの移籍車で、車両メーカーの手によらず、中小私鉄の自社工場(静岡鉄道の長沼工場)製造というのも珍しいと思います。静岡鉄道から全車が福井鉄道に譲渡され北陸の地で活躍していましたが、2006年までに引退しました。 そして、地元の愛知環状鉄道の・・・ 100系のうち、5両在籍していた両運転台電動車が300形です。 (100形=片運転台電動車・200形=片運転台制御車) 愛知環状鉄道は2005年の「愛・地球博」へのアクセスルートの一つとして位置づけられました。会期中はフル稼働で活躍したのですが、直後に引退しました。写真はさよなら運転時の様子です。ふだんはパンタグラフ側が先頭に来ることが滅多にない300形でしたが…

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【299】 乗務した車両:ユーロライナー(2)その国鉄時代

ユーロライナーは国鉄時代に誕生した車両でしたから、編成端のスロフにはJNRをデザインした国鉄のシンボルマークが掲げられていました。なにぶんにも外部色が明るいグレーだったので、ステンレス地色のそのマークはあまり目立ちません。 写真は分割民営化まもないころ、まだJNRマークが取り外されず残存していた頃のものですが、後にこのマークは取り外されました。 さて、ユーロライナーには、その軽快な塗色に合わせた色の専用機関車が用意されました。 EF64 66です。サイドはラインがユーロライナーと揃えてあり、機関車と客車の調和がはかられ、EF65P型と20系寝台車のコンビのように素敵だと思いました。 もう1両がDD51 592でした。こちらは非電化区間用でした。正面の塗り分けラインは側面からの連続性がありませんが、これは列車への視認性の制約で、塗り分けラインを変えざるをえなかった結果ということを聞いたことがあります。 こうして機関車を専用機として塗色を合わせるということはジョイフルトレインとしては初めてのことで、ユーロライナーに賭ける名古屋鉄道管理局の思いが伝わってきました。しかし、国鉄時代は必ずしも専用として運用されず、地元中央西線でEF6466との共演を期待して写真を撮りに行ったものの、しばしば裏切られる結果になったものです。 このユーロライナーは、団体専用として使用されるだけでなく、多客期には一般用の臨時列車としても使用されることがありました。普通列車の車内でも、新型車両を使用…

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【298】 中山道宿「駅」巡り14(最終回)

2005年から2006年にかけて中山道の全宿場を訪問しました。 最初に次のようにルールを作りました。 1.各宿場町最寄りの駅から宿場町中心部までは歩いて往復。 2.東京日本橋から京都三条大橋まで順に宿場を訪問する。 3.交通手段は鉄道を主として利用し、一切マイカーやタクシーは利用しない。 路線バスは使用可。 4.宿場最寄り駅では駅名標と駅の写真を撮る。 5.宿場の中心部で宿場名が入ったモノの写真を撮る。 このルールに従って撮ってきた駅名標、駅舎と宿場名の入ったモノの写真を順にUPしてまいります。 写真中心で、駅や中山道については最小限の説明にとどめておきます。 【296】中山道宿「駅」巡り13の続きになります。 ************************* 第66次 武佐宿 武佐宿の最寄駅は近江鉄道の武佐駅です。 商人町であった近江八幡の数キロ東方に位置する小さな宿場です。 中山道はこのあと野洲の街でJR東海道本線(琵琶湖線)を横切り次の宿場町守山へ向かいます。 ************************* 第67次 守山宿 守山宿の最寄駅はJRの守山駅です。 次の宿場である草津で東海道が合流するので、中山道単独の宿場としては最後の宿場になります。京都を発った旅人はこの守山が一泊目の宿となるのが一般的だったといいます。 ************************* 第68次 草津宿 …

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