【343】 2012年を振り返る~ホームライナー太多の廃止

先週に引き続いてローカルな話題ですが、今年3月のダイヤ改正で、美濃太田から太多線・中央西線経由で名古屋まで1往復運転されてきたホームライナー太多が廃止されてしまいました。 太多線と中央西線を直通する列車であったことと、中央西線を走る気動車列車であったことが特異でした。 太多線と中央西線の直通運転は、国鉄時代の1985年の60.3(ロクマルサン)ダイヤ改正時にいったん廃止になりました。JRに移行後に、このホームライナー太多が設定され、直通運転が復活となりましたが、残念ながら終焉を迎えました。 私は通勤その他で、この列車を利用する必要性はまったくありませんでしたが、中央西線上でキハ85系に乗れる列車など、他にありませんから、わざわざ乗りに行ったことがありました。飲み会の帰りのことで、夜の美濃太田行に千種から多治見まで乗って、通過してしまう自宅最寄り駅まで戻りました。そのときの乗車整理券が手許に残してあります。 最近では、朝の通勤時に駅のホームで、または駅を降りてから会社まで線路端の道路を歩いているとき、よくこの列車に出会いました。 名古屋寄先頭車はキハ85の貫通型の場合がほとんどでしたが、稀に最初に掲載した写真のように非貫通型のキハ85もやってきました。 その反対の多治見方は非貫通型のキロ85でした。 朝の名古屋行は、先行の普通列車に続行する窮屈なダイヤでしたので、たいていはゆっくりと惰行運転で走って行きましたが、ときには加速エンジン音が聞こえ、線路が見えない…

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【342】 2012年を振り返る~213系の中央西線からの撤退

またローカルな話題で恐縮ですが、今年に入ってからJR東海の213系5000番台が、それまで活躍していた中央西線から撤退し、飯田線に転用されました。飯田線へは昨年から少しずつ送り込まれて活躍を開始しており、中央西線での運用は、東海道本線への直通運用を含む限られたものでした。 中央西線と2ドア車213系5000番台の相性は、必ずしも良いとは思えず、常にわき役だったように思います。 そもそもJR東海の213系5000番台は関西本線用に投入された車両でした。 次の写真は、1989年、関西本線にデビューしたころの213系5000番台車です。 私は平成19年から3年間、会社の勤務地が名古屋市中川区でしたので、関西本線の名古屋~八田間を通勤で使うことがときどきありました。 その時期、いつも乗る朝の関西本線の列車は、213系5000番台でした。2人掛けのシートと、かつての急行用サロを彷彿させる2連の下降窓の車両は通勤で一区間乗るだけではもったいなく、出勤時には、このまま会社なんか行かず、終点の亀山まで行ってしまいたい気にさせてしまう車両でした。 この213系5000番台も、ワンマン対応車の313系3000番台が関西本線名古屋口の主役になってから、わき役に徹していました。この関西本線からはすでに昨年秋に撤退し、その後は中央西線(一部東海道本線)で細々と運用されながら、順次トイレの設置ほか飯田線仕様に改造されて、飯田線に転属してゆきました。 中央西線では、私が実家に向かう211系5000番台…

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【341】 2012年を振り返る~119系 飯田線から引退

119系電車は国鉄世代の電車でした。当時の国鉄の新車といえば、ローカル電車としては113系や115系が普通でしたが、特殊な環境下にある飯田線用には新形式として起こされた形式が119系電車でした。 廃車発生品を多用してコスト削減を図りながらも、長距離客にも対応できるよう車内はセミクロスシートで、車体はライトブルーに明るい灰色の帯を配し、飯田線の新しい顔になったのです。この電車は、それまでの飯田線の主役であった旧型国電の置換え用として登場したわけですから、当時人気があった旧型国電ファンには悪役となったわけで、当時の私も飯田線の旧型国電の写真を撮るために何度も通っていましたので、これが来ればがっかりという迎え方でした。 今はなき165系電車ともいっしょに働いていました。 しかし時は、その119系でさえ引退させてしまうほど流れていったわけです。 引退するからといって撮り鉄や乗り鉄にいくほど、私には時間的にも精神的にも余裕があったわけではありませんでしたが、引退間際の3月24日に、豊橋まで最後の姿を見てこようと出向きました。 1編成2両だけではありましたが誕生時の塗色に塗り替えられていたこともあって、人気を集めていました。後継車313系3000番台車との並びです。 豊橋では赤い名鉄電車とも競演しました。 このカラー、きかんしゃトーマスとジェームスとの出会いを思い浮かべてしまいます。 この119系 一部車両の再就職が噂されています。もともと大都市圏で「ゲタ電」と呼ばれて…

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【340】 思い出の乗務列車16: 西名古屋港線563列車

前回の続きです。西名古屋港駅で折り返し、稲沢まで乗務したのが、今回紹介する563列車です。 これまでも記しましたように、西名古屋港線では列車掛という仕事にありながら、事実上「移動踏切番」的な業務ではありましたが、始発駅ではちゃんと車両に対しては乗務検査を実施することになっていました。 下の画像で左上の「検」の欄の直下(駅名欄の西名港の左)の◎印が、乗務検査実施を意味します。 さて、踏切や過去の平面交差など、列車の運転上の興味が尽きない西名古屋港線でありましたが、この563列車のみの、これまた珍しい取り扱いがありました。 上の画像を再度ご覧ください。駅名欄に「西名港」「中鋼」「名(タ)」と続いていますね。略称であることは想像がつきましょう。正式には「西名古屋港」「中部鋼鈑」「名古屋貨物ターミナル」になるわけです。この中で「中部鋼鈑」というのは、実は駅ではないのです。しかしながら時刻表上は10分間停車することになっています。駅でもないところに10分も止まって何をするのか? 実は「中部鋼鈑」株式会社は企業名で、厚板鋼板の製造販売ほかを事業内容とする現役の会社です。 この工場への専用線が、駅ではなくて駅と駅の途中から分岐していたのでした。10分の停車時間はその入換作業のための停車時間なのでした。 上の地図(航空写真)で、名古屋競馬場前駅(駅名改称により現「港北」駅)の北側から緩やかに右へカーブする道路はその専用線跡ではないかと思われます。航空写真には、その中部鋼鈑の工…

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【339】 思い出の乗務列車15: 西名古屋港線564列車

先週の続きになります。 1980年(昭和55年)10月のダイヤ改正で、私が所属していた車掌区に、西名古屋港までの定期貨物列車の乗務行路ができ、初めて私が乗務した西名古屋港線の貨物列車の編成は次のとおりでした。 1980年10月10日 東海道本線(稲沢線~西名古屋港線)564列車 運転区間 稲沢~西名古屋港 乗務区間 稲沢12:24~西名古屋港13:30 DD51 889(稲一)  ヨ  13560  高タソ (車票なし) ハワム 87786 八戸貨物~西名古屋港  ハワム281785 三重町 ~西名古屋港 ハワム185528 三重町 ~西名古屋港  ハワム 81257 三重町 ~西名古屋港 ト ラ 74403 中津川 ~西名古屋港 ト ラ 74184 春日井 ~西名古屋港 ハワム 82395 北 沼 ~西名古屋港 ワ ラ 15052 新守山 ~西名古屋港 ワ ム 62578 新守山 ~西名古屋港 ハワム 86496 新守山 ~西名古屋港 ハワム 87902 新守山 ~西名古屋港 ハワム183382 新守山 ~西名古屋港 ト ラ 72848 小名浜 ~西名古屋港 コ トラ 52372 小名浜 ~西名古屋港 ワ ラ 16326 笹  津 ~西名古屋港 ハワム283602 本八戸 ~西名古屋港 ワ フ 35052 大スイ (車票なし) 荒子川鉄橋の現況です。ここをのろのろと貨物列車は走っていったのでした。 西名古屋…

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【338】 国鉄西名古屋港線の踏切

私が1979年(昭和54年)に列車掛になったころ、西名古屋港線の定期貨物列車には貨車区の列車掛が乗務しており、私が所属していた車掌区では定期列車の行路がありませんでした。当時ダイヤ上では一日3往復の貨物列車が設定されていましたが、実際にすべての列車が定期的に運転されていたかどうかは不明です。その後翌年の1980年(昭和55年)10月にダイヤ改正があって、このときに名古屋貨物ターミナル駅が開業しましたが、このダイヤ改正からは西名古屋港への定期貨物列車はダイヤ上2往復に減便されました。そのうち1往復の定期貨物列車を車掌区で受け持つことになり、私も乗務するようになりました。 名古屋貨物ターミナルから先、西名古屋港駅までの区間は非自動単線区間のままで、通票閉塞式でした。この通票閉塞方式とは「閉そく区間両端の停車場の駅長が協同して通票閉そく機から通行手形の役割をする「通票」を取り出して、これを機関士に携帯させることにより列車の運転の安全を保証する閉そく方式」でした。通票をを入れたキャリアを名古屋貨物ターミナルの当務駅長から機関士が受け取ってから、その当務駅長の出発合図で列車が発車することになっていました。 (当時の写真がないので、JR西日本の因美線での通票を授受の様子をアップしておきます。) この名古屋貨物ターミナル~西名古屋港駅の区間では、貨物列車の場合、運転取扱の規定上は車掌省略線区に指定されており、運転上車掌は原則不要とされていました。(ここでいう「車掌」とは列車掛を含んでいます。)…

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【337】 NHKラジオ「みんなでつくる音の風景」~テーマは鉄道

2012年も、残りわずかとなりました。 テレビやラジオでも年末年始には特別番組がいくつも放送されます。鉄道モノがないかチェックを要する時期でもあります。そのなかで、この年末にNHKラジオではリスナー参加の特別番組「みんなでつくる音の風景」が放送され、今年のテーマは「鉄道」だそうです。 「わたしたちの生活に密着した鉄道は、実にさまざまな表情を見せてくれます。今回はその音の魅力にじっくり迫る75分! 当日は放送と同時に「らじる☆らじる」でネット配信。番組ホームページ上では番組の内容とストリーミング映像が同時進行」【以上「」内はNHKの番組ホームページより転載】という企画です。 【以上2つの画像も番組ホームページから転載】 私は先日、音源と画像をこの番組あてに投稿いたしました。番組中のごく一部になろうかと思いますが、採用されるかもしれないので、 ぜひこの番組をお聞きいただけたらと思っております。放送時間中にパソコンが使用できる環境にある方は、配信される画像も楽しめる内容になるのではないかと思います。 番組ホームページから「みんなのフォトギャラリー」バナーをクリックしていただきますと、ギャラリーへと進めます。ギャラリーには私「しなの7号」が投稿した画像も現在アップされております。よろしければごらんくださいませ。 ラジオ放送の時間は NHKラジオ-FMで2012年12月29日               午後4時~午後5時15分 再放送もあります。  NHKラジオ-第2で2…

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【336】 思い出の乗務列車14:福岡貨物ターミナル行高速貨1091列車

名古屋貨物ターミナル駅が開業した1980年(昭和55年)10月ダイヤ改正から、私は列車掛として、この駅へ発着する貨物列車へも乗務することになりました。 乗務にあたって、片道だけ乗務する行路も出てきました。名古屋貨物ターミナル駅始発の貨物列車に乗務するためには、出勤する車掌区所在地からは国鉄の旅客列車だけでは行けません。もちろん「あおなみ線」など未開通でしたので、この名古屋貨物ターミナル駅に隣接する交通機関は、名古屋市交通局の市バスしかありませんでした。 国鉄線以外の交通機関を利用して移動する例としては1980年(昭和55年)10月ダイヤ改正以前からあり、貨物駅である笹島駅へは近鉄名古屋線(近鉄名古屋~黄金)を利用し、白鳥貨物駅へは名古屋市交通局の地下鉄(金山~日比野)を利用することになっていましたが、市バスは初めてでした。 そんな市バスを利用する行路の一例を示します。 稲沢~名古屋~金山と国鉄の旅客列車を利用します。当時バス路線への乗り換え駅である金山は中央本線の列車しか止まりませんでしたから、名古屋で東海道本線から中央本線に乗り換える必要がありました。余裕をもって1時間もの乗継時間をとってありました。しかし実際にはそれほど待つこともなく先発の中央本線の列車に乗り継ぐことが可能でしたし、自己責任において稲沢から他に貨物列車あれば、その列車に便乗させてもらうとか、地下鉄や近鉄を使って徒歩という裏技も存在しました。市バスに乗る必要がある行路では、車掌区で回数券を1枚渡されました。冒頭に…

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【335】 名古屋貨物ターミナルと南方貨物線

私が国鉄で列車掛をしていたときの1980年(昭和55年)10月ダイヤ改正で、「名古屋貨物ターミナル」駅が開業しました。 その駅事務室がある建物は、現在の名古屋臨海高速鉄道(あおなみ線)が国道1号線と交差する場所にある「中島」駅の隣にあります。 その敷地は中島駅の付近から北へ細長く伸び、名古屋駅寄りに3駅北にある「小本」駅付近まで及び、現在も引き続き名古屋地区のコンテナ基地としてJR貨物が営業しています。下の写真はその現況です。 名古屋貨物ターミナル駅開業に先立って、笹島駅(現在のささしまライブ駅周辺にあった貨物駅)から、地平に敷設されていた既設の貨物線「西名古屋港線」は並行して建設された高架新線に切り替えられたのでした。そのとき名古屋貨物ターミナルから先は地平のまま営業を続け、手を加えられることはありませんでしたが、予定では名古屋貨物ターミナルを出てから、開業にこぎつけなかった「南方貨物線」が高架線として分岐する予定でした。 (写真は記念入場券の図柄を一部アップしたものです。) 予定されていた南方貨物線は、南へ向かう西名古屋港線から分岐して東へ向かい東海道本線の笠寺へ出て、現東海道本線に並行して大府に至る貨物別線として、当時90%ほど建設が進んでいました。これが完成すれば名古屋貨物ターミナル駅は、対東京方面との貨物列車が直接乗り入れ可能になるはずでしたが、南方貨物線は開業に至りませんでした。その結果、名古屋貨物ターミナル駅は枝線のようになってしまい、対東京方面との列車は稲沢駅…

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【334】 名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線

「名古屋臨海高速鉄道」と言っても、そのような線名をお聞きになった方は少ないかもしれません。しかし、「あおなみ線」と言えば、名古屋近郊の方ならご存知の方も多いのではないでしょうか。名古屋駅から名古屋港の西側にある金城ふ頭駅までを結ぶ第三セクター方式による鉄道「名古屋臨海高速鉄道」の愛称が「あおなみ線」というわけです。 2008年4月から3年間、私は名古屋市中川区へ通勤していたことがありましたので、ときどき利用する機会がありました。この鉄道が最も便利というわけではなく、地下鉄など他の交通機関のほうが便利ではありましたが、一時期は定期券を買って常時通勤に利用した時期もありました。 一部を除いて高架区間ばかりなので車窓からの見晴らしもよいし、日中はガラ空きの車内からJRの貨物列車が見られる名古屋貨物ターミナルも併存しますので、定期券を持っていたころは通勤に使うだけではもったいなくて、ときには昼休みにも定期券を利用して、乗り鉄?で車内や駅から名古屋貨物ターミナルに出入りする機関車や入換作業を見るという、遊園地の遊具的な利用さえしたものです。 現在はリニア鉄道館へのアクセス路線として、地元以外の利用者が増加したものと思います。 この名古屋臨海高速鉄道「あおなみ線」は名古屋市港区西側の鉄道空白地帯に、既設の国鉄~JR東海道本線の支線として扱われていた貨物線を、名古屋から名古屋貨物ターミナルまではそのまま利用し、その先は単線未電化地平区間だったので、その用地を利用して複線高架の旅客線に改装したもの…

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