【370】 思い出の乗務列車20:紀勢本線921列車(前篇)

1976年(昭和51年)に国鉄に入って乗務掛(荷扱)をしていた私は、東海道・中央西・篠ノ井・関西・紀勢の各線の荷物車に乗務していました。その中の紀勢本線では最初、夜行急行「紀州5号」に乗っていました。その様子は以前ブログ記事【319】思い出の乗務列車7:キニ併結 急行「紀州5号」(1)から【325】思い出の乗務列車10:キニ併結 急行「紀州5号」(4)まで、4回に分けてご紹介しました。 私が所属していた車掌区の荷扱班には、この夜行急行のほかにも紀勢本線の行路がありました。その列車は、普通列車921列車と対になる924列車でした。国鉄に入って5か月後の昭和51年10月に行われた交番改正(受持ち列車と、そのローテーションを変更改正すること)から、私が指定されていた組で乗務するようになりました。 この921列車と924列車は長距離鈍行列車で、名古屋と天王寺の間を、亀山、新宮、和歌山経由で、ぐるりと紀伊半島を周って結ぶという、現在では考えられないような経路を走る旅客列車でした。私はその列車に1両だけ連結されていた郵便荷物車「スユニ」に乗務していました。 当時の編成は名古屋発時点で DD51(稲一)+スユニ+オハフ+ナハ+ナハ+ナハフ(客車はすべて天リウ) ということになっていました。2両目のオハフも実際のところはナハフが運用されていることのほうが多くありました。近代的なスタイルの10系客車は私のお気に入りで、優等列車を思わせましたが、竜華客貨車区の運用であるこの10系客車は、非電化区…

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【369】 春日井貨物と私 ~この3年間~(後篇)

先週に引き続き、この3月までの3年間に勤務先の昼休みに見に行った「春日井貨物」のお話を続けます。 3年間の写真を整理し、昼休みに春日井貨物の写真を撮った回数を集計したところ346回に及びました。 単純に考えて3日に1回撮影してきたことになります。これは土休日や有給休暇、出張、あるいは昼休み時間の接客・電話応対当番日など撮影者サイドの都合で出かけられなかった日があったことや、集計に含んでいないが出かけた日が何度かあったこと(コンデジのバッテリ切れや不調によって、線路端まで出かけたのに撮れずじまいで、列車を見送った日。カメラを持参せずに行った日。列車そのものが盆休みや事故によるイレギュラーな運休や遅延で撮影できなかった日。)を考えると、物理的に行ける日はかなりの確率で出かけたことになります。事実、改めて写真を見直してみると、わざわざ行かなくてもいいのにと思われるような荒天の撮影と思われる画像もあって、我ながらご苦労なことと苦笑してしまいます。 この3年間で、春日井貨物で出会った機関車を形式別に集計すると、次のとおりになります。 EF65 1000・・・・・・・・176回 EF64 1000・・・・・・・・160回 EF64 0・・・・・・・・・・・1回 EF66 0・・・・・・・・・・・1回 EF66 100・・・・・・・・・・3回 EF210 ・・・・・・・・・・・5回 この3年間で、最もよく出会った機関車を個別に見ると EF64 1004 で、なんと12回…

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【368】 白票・赤票

先々週、貨車車票のお話をしました。 私が国鉄で列車掛(貨物列車の車掌に検査業務を加えた職種……過去に拙ブログ記事【28】列車掛1:国鉄時代の貨物列車から6回にわたり、その概要をアップしました。)をしていたのは1年半足らずでありましたし、なにぶんにも30年以上前のことなので記憶も怪しいわけですが、当時の資料や、その現物を見ることによって思い出すことは、いろいろございます。 「貨車車票」と「貨車表示票」が主に貨物営業用としての役割が中心であったわけですが、これとは別に、車両そのものの状態を把握し検査を要する貨車に対してその処置を標示する役割を持った票を挿入する「修繕票サシ」が車側下部端に取り付けてありました。 修繕票サシに挿入される票には4種類あって、その一つは、「白票(はくひょう)」というものでした。 これは検査、調査等のため回送するものであることの標示で、このような様式でした。 列車掛は、「乗務検査」という「貨物列車の始発及び運転途中において要部の状態及び作用について行う検査」をしていました。 その検査内容を具体的に申しますと、 1 軸箱、軸箱モリの状態 2 バネ装置の状態 3 連結器、空気ホース、ジャンパ連結器の連結状態 4 コック、弁類のハンドル位置 5 ブレーキ管及び元空気ダメ管の貫通 6 積荷の状態 7 後部標識の点灯状態 8 検査票等記載事項の確認 をすることを指します。 この乗務検査で異常を認めた場合、とりあえず運転に差し支えなければ、車票に…

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【367】 春日井貨物と私 ~この3年間~(前篇)

この3月いっぱいで、国鉄退職後26年勤務した会社を退職しました。 最後の3年間は中央西線沿線に近い営業所での勤務でしたので、昼休みには王子製紙春日井工場からの製品輸送貨物列車(通称春日井貨物)をよく見に行きました。 かつて春日井発が13時過ぎだった春日井貨物は、3年前の4月に私がその営業所に転勤してくる直前の3月のダイヤ改正で、現行の12時32分発に時刻が繰り上がりました。職場で弁当を食べてから、ウォーキングを兼ねて線路端に出かけると、待つほどもなく1日1本の春日井貨物に出会えるという願ってもない昼休みのお楽しみが出現したのでした。 その3年間のうち初めの2年間は、担当する機関車が新鶴見機関区のEF65PFで、貨車はワム80000が主体の列車でした。新鶴見機関区のEF65PFには、国鉄特急色が残っていたのをはじめ、更新色になったものにも塗り分けパターンの違う機関車が見られたり、ナンバープレートの色も、赤、白、青とバラエティーに富んでいて目を楽しませてくれました。時には代走で吹田のEF66やEF210、愛知機関区のEF64も見られました。 その後の直近1年間は愛知機関区のEF64 1000と貨車は全部コンテナ車に代わりました。 それらの写真は過去のブログ記事で幾度か紹介してまいりました。 どんなに仕事がうまくいかない日でも、今日は何号機に出会えるかなと思いつつ、息が詰まる思いの職場を離れると精神衛生上も非常に良いことが自分でもよくわかりました。 3年間の写真を整理し…

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【366】 臨時列車の乗務(20):天王寺鉄道管理局の12系お座敷列車

品川の81系お座敷、沼津の12系お座敷「いこい」、宮原の「14系サロンカーなにわ」と2日間で立て続けに乗務したあと休みを1日はさんで、またお座敷列車の乗務がありました。 こんどは天王寺鉄道管理局所属の12系お座敷車でした。 写真は中央西線での撮影ですが、乗務時のものではありません。 1985年(昭和60年)11月19日 関西本線9224列車 DD51 749(稲)臨A652 スロフ12 808 天リウ 紀伊  オ ロ12 816 天リウ 和泉 オ ロ12 815 天リウ 河内 オ ロ12 814 天リウ 大和 オ ロ12 813 天リウ 伊賀 スロフ12 807 天リウ 伊勢 名古屋から逆編成 中央本線 9725列車 EF64 66(稲) 臨A634 運転区間 奈良~名古屋~中津川(恵那~中津川間回送) (奈良以西は列車番号、運転区間等不明) 乗務区間 亀山11:58~13:25名古屋14:01~15:39中津川 中津川から回送逆編成 中央本線 回9726列車 ※機関車・客車とも同じ 運転区間 中津川~名古屋 乗務区間 中津川16:11~17:50名古屋  天臨41 木曽路恵那峡探勝と妻籠の旅(240名) 亀山からの乗務でした。関西本線はすでに電化されていましたが、DD51ディーゼル機関車の牽引でした。名古屋から中央本線部分を担当したEF6466はユーロライナー専用塗色に塗り変えられて間もないころでした。 当…

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【365】 貨車車票

「貨車車票」とはどのようなものか、ご存知でしょうか? もはや、貨物列車自体が少なくなってしまい、貨物列車が走っていない線区も数多くある昨今ですから、貨物列車自体をじっくり見る機会すら限られてきていますので、一般の方々がご存じでないのも無理からぬことでしょう。 「貨車車票」とは、この写真のように、貨車の側面に差し込まれている行先などが書き込まれた厚紙のカードのことです。 これまでにも、拙ブログでは、乗務した列車の編成を書き写してきたりしましたが、貨物列車の場合は、乗務中にその「貨車車票」を見ながら発駅着駅を書き写したものです。現場では単に「車票」と呼ばれていました。中国語で「車票」は乗車券のことですが、ある意味「貨車の乗車券」的な性格も持ち合わせているのが「貨車車票」です。 旅客は一般には乗車券を買って列車に乗り込み、乗換駅や着駅では自分の意思で乗り換えるなり降りるなりしていくわけですが、貨車の場合はそんなことは不可能です。どの列車に連結し、どこで切り離し、どの列車に継走させるのか、急ぐのかそうでないのかなど輸送上必要な情報を、「貨車車票」とその補助的な役割を持つ「貨車表示票」によって関係者に知らしめるわけです。 こちらが「貨車車票」 昨年まで運用されていた春日井貨物のワム80000で使用中の様子です。 こちらも同様で「貨車表示票」 私が貨物列車に乗務していたころは直行の専用列車化やコンテナ化が進みつつありましたが、基本は従来から行われていたヤード方式でした。この…

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【364】 臨時列車の乗務(19):お座敷列車「いこい」と「サロンカーなにわ」

1985年(昭和60年)11月は、スロ81系お座敷列車に乗務した後も引き続き団体臨時客車列車の乗務が続きました。 まずは、スロ81系お座敷列車に乗務して浜松に着いたあと乗務員宿泊所で泊り、早朝に隣の高塚駅まで定期列車の補助で行き、そこから静岡鉄道管理局の12系お座敷列車「いこい」に乗務しました。 東海道本線で名古屋まで下り、中央西線に入って中津川までの行路でした。 1985年(昭和60年)11月17日 東海道本線9431列車 EF65 1108(新)臨A127(11/15) スロフ12 811 静ヌマ 狩野川 オ ロ12 821 静ヌマ 富士川 オ ロ12 822 静ヌマ 安倍川 オ ロ12 823 静ヌマ 大井川 オ ロ12 824 静ヌマ 天竜川 スロフ12 812 静ヌマ 豊 川 名古屋から逆編成 中央本線 9823列車 EF64 50(篠) 臨A335(11/16) 運転区間 高塚~名古屋~塩尻(高塚~舞阪間回送) 乗務区間 高塚7:15~9:46名古屋10:09~中津川11:21 (静臨100)晩秋の白樺湖の旅(240名) この団体輸送に備えて、編成は前日から機関車ともども高塚駅に留置してありました。高塚駅はこうした一時的な留置によく使われる駅でした。 この列車は、舞阪から豊橋までのほとんどの駅で停車し、その都度、募集した団体のお客さんが乗車されました。また、車掌が交代した中津川では弁当の積み込みが行われたので、この列車では団…

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【363】 中山道歩きで見たモノいろいろ(17):牛乳箱(毎日牛乳・雪印牛乳篇)

2005年から中山道の宿場を訪問しはじめ、全宿場に足跡を残しました。 旧宿場町や旧街道を歩いていると、自動車なら気付かずに通り過ぎてしまうようなチョットしたモノも目に入ります。 ふだんの生活で当たり前にあるものでも、その地方ごとにチョット違っていたりしますし、裏道になり下がった旧中山道には、現在の表通りとも言える国道や、そのバイパス道では見かけられないようなモノが残っていたりするものです。 最近、あまり見かけなくなった牛乳の受け箱。 我が家でも、牛乳はスーパーで紙パックのを買ってきますが、私が子供のころは玄関先に釘で打ち付けた木製牛乳箱があって、毎朝、牛乳屋さんが配達してくれていました。 そんな懐かしい牛乳箱は中山道を歩いていたらたくさん見かけました。 今回は「毎日牛乳」と「雪印牛乳」です。 **************************** 毎日牛乳 本社が大阪にある日本酪農協同株式会社の商標が「毎日牛乳」ですが、私が住んでいる中京地区では見かけません。しかし西日本での勢力は強大なようで、これほど見かけるとは思いませんでした。 以下の4種類、すべて滋賀県内で見かけたものです。 古いタイプの受け箱からご覧ください。 2006年9月28日 守山宿~草津宿で撮影。 同じ縦長のタイプですが、赤丸に「毎日」の文字が入ったタイプです。 同じ日、2006年9月28日 武佐宿~守山宿で撮影。 赤丸に「毎日」の文字が入ったタイプではあ…

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【362】 臨時列車の乗務(18):EF62牽引スロ81系お座敷列車

1985年(昭和60年)9月の予備勤務で乗務した臨時列車までは、これまでに紹介してきましたが、その翌々月の11月~12月にかけて、また予備に指定されたので、臨時列車に乗務する機会がありました。 (右カラムの「ブログテーマ」欄のなかの「臨時列車他の乗務」をクリックしていただきますと、過去にアップした臨時列車関係の記事を検索できます。→) この年の11月に入って乗務した最初の臨時列車は、旧型客車列車の生き残りとも言えるスロ81とスロフ81で組成されたお座敷列車でした。 1985年(昭和60年)11月16日 東海道本線 8106列車 運転区間 (長浜)米原~辻堂 EF62 38(関) 変A45 1.スロフ81 2114 南シナ 鳥越 2.ス ロ81 2125 南シナ 湯島 3.ス ロ81 2126 南シナ 深川 4.ス ロ81 2128 南シナ 花川戸 5.ス ロ81 2127 南シナ 向島 6.スロフ81 2113 南シナ 柴又 (南東臨413)湘南地区お座敷列車北陸路の旅(245名)         乗務区間 名古屋16:18~浜松17:56 列車のスジは2か月前に乗務した14系欧風車「サロンエクスプレス東京」に乗務したときとまったく同じでした。 この車両はスロ81系などと通称されました。(このブログ上でも以下スロ81系と記述します。) 鋼体化客車オハ61からの改造された1等車オロ61を、さらに冷房化改造したグリーン座席車スロ62とその緩急車ス…

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