【379】 KATO「郵便・荷物列車」

昨日、父親の入院先で様子を見てまいりまして、とりあえずは落ち着いた状態であることを確認して帰宅しますと、家内から「おもちゃが届いてるよ」と!!! 注文してあったKATOの新製品『郵便・荷物列車「東北」6両セット』が宅配で届いていたのでした。上段がソレです。下のはKATOから1年近く前に発売された『郵便・荷物列車「東海道・山陽」6両セット』という製品。(いずれも写真に出ている機関車は含みません。) ウチではこの手の宅配は「おもちゃ」と常に呼ばれています・・・・まあ、たしかにおもちゃなのですが。 ############################# 最近は模型を買ってもチョロッと見るだけで、多忙のためそのまま保管といった状態になってるのが実態です。今回の『郵便・荷物列車「東北」6両セット』が届いたのは、ちょうどそのほかにも用事を済ませた後でしたし、これらは自分が国鉄での最初の仕事で乗務した車両たちですので、久しぶりに模型をじっくりと眺めてみました。 今回の製品の内容は東北本線方面で使用されていた電気暖房装備車群です。東北は私の乗務範囲ではありませんが、電気暖房装備車は中央西線などでも日常的に乗務しましたし、東海道本線筋でも北陸や東北方面へ直通する車両運用には、電気暖房装備車が指定されていました。 今回購入したのは基本セットのみでした。 その内容は マニ60(鋼体化改造車オハニ61の再改造車) マニ60(直接の鋼体化改造車・寒冷地仕様) オユ10(非冷房…

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【378】 思い出の乗務列車24:紀勢本線924列車(後篇)

さて、924列車乗務の話を続けましょう。 長時間乗務して11時24分、亀山までくるとさすがにホッとしました。 亀山では9分ほど停車し、進行方向が変わります。亀山駅に到着すると、DF50は最前の亀山止まりのオハフを従えて去っていき、スユニは最後尾になります。反対側にDD51+マニが連結されて、11時33分に924列車は関西本線を終点名古屋へ向けて発車すると最終コーナーとなり、乗務終了まで残り1時間半でした。 亀山で反対側に増結されたマニにも乗務する機会がありました。 そのマニは関西本線を百済(大阪市場駅隣接の貨物駅)から貨物列車(2268列車)に併結されて亀山まで締切扱(無人)で来た車両でした。乗務員は名古屋から旅客列車に便乗して亀山まで迎えに行っていました、名古屋・亀山間事実上片道だけの仕事でしたので、こちらのほうは楽な行路でしたが、さすがにこの行路単独で乗務するようなことは、ほとんどなく、前日には勤務時間が多く名古屋到着が遅い東海道本線の荷物列車とセットで乗務することになっていました。この亀山折り返し924列車マニの乗務行路の場合、前日は名古屋泊で、前々日は品川泊といった具合で、事実上二連泊の3日行路でした。こういう場合は仕事で家を出ると翌々日しか帰れないわけです。 このマニの積載方は 「荷物。ただし隅田川以遠着を除く」 といったものでした。積載方の定義など詳細は、いずれ別の機会にご説明することとしますが、「隅田川」駅は首都圏より北へ向かう貨物や荷物の玄関口的存在の貨物…

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【377】 ヨ8000の第二の職場?

ヨ8000は、国鉄の貨物列車の最後部に連結されていた車掌車です。 1985年に貨物列車に連結される車掌車は原則として廃止になったので、ほとんどのヨが失業してしまいました。 それから約10年後の1996年に、岐阜県美濃加茂市内でこんな光景を見たのです。 台の上に整然と並べられたヨ8000。使用されなくなって10年経って、かなり錆びていますが、原形をとどめていました。1台だけ黄色いのがありました。これはヨ8647と読み取れました。 とにかくたくさんいました。数えてみると22両。 なんのために置かれているのかは不明ですが、置かれていたのはスーパーの裏の廃コンテナを利用したカラオケボックスやら釣堀がある駐車場で、ヨが置かれている台はコンテナの枠のようでした。カラオケボックスとして利用しようという魂胆だったのでしょうか?。 これだけの数があると、1両くらい自分が乗務した車両があるかもしれないと思い、その場で車両番号をメモしてきました。そこにあったのは、 8064、8470、8471、8473~8475、8482、8485、8487、8488、8497、8631、8646~8649、8871~8873、18065~18067の22両。 その後、家で乗務記録を見たらありました!! この中のヨ8485(静ニハ)に1979年11月10日に1155列車で西浜松~稲沢間で乗務していたことがわかりました。 どうでもいいことではありますが、気になりましたので、その後何年かしてから、そ…

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【376】 思い出の乗務列車23:紀勢本線924列車(中篇)

新宮から乗務した924列車の車窓には、ところどころで海も見えたのですが、それも紀伊長島まででした。 (上の写真は昨年の撮影で、乗務当時のものではありません。) 紀伊長島を出ると次の梅ヶ谷までの区間には、急勾配が連続する荷坂峠越えがあります。そこは「紀伊国」と「伊勢国」の国境にあたり、紀勢本線は内陸部へ入るのです。 この荷坂峠越えは、DD51より非力なDF50にとって一番の難所と言えましょう。ほぼ片勾配の荷坂峠越えは、この紀伊長島~梅ヶ谷の一駅間の所要時分を見るとよくわかります。下り勾配となる往路の921列車では所要時間が10分30秒なのに対し、上り勾配が連続する924列車では19分45秒もの時間を要し、上り勾配を登る列車は下り勾配を下りる列車の2倍近い時間がかかっていたわけです。 DF50は当時、東海地方では紀勢本線でしか見ることができなかった機関車で、その所属は亀山機関区。スイスのズルツァー社エンジンを搭載した電気式ディーゼル機関車で、ボンボンボンというエンジン音に特徴がありました。 「ボンボンボン」のリズムは、速度が上がるにつれて速くなるのではなく、一定の速度で刻まれていました。そのかわり加速時や登坂で負荷がかかった時には、音が大きくなるとともに、「ポンポンポン」とも「ダンダンダン」とも「パンパンパン」とも表現できるような歯切れよい音に変化しました。 紀伊長島を出た列車は、急坂にかかるので、そのエンジン音は苦しそうに、そして大きくなりました、連続するトンネル内ではそ…

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【375】 夜の春日井駅旧南口

通勤で、このような国鉄臭がする古い駅をいつも利用できたことに喜びを感じる者など稀有だろう。 自分が通勤に使わなくなるのを待ってくれていたわけでもないのだろうが、3月まで南口駅舎が取り壊されずにいた。翌4月終わりに再訪したときには、駅舎は取り壊されたあとで、この1か月足らずの間の激変を目の当たりにした。静かだった周辺も工事のフェンスで覆われ工事の槌音が響く空間は、もはや通勤していたころの南口ではなかった。 木造駅舎があったころの南口には、雑踏の北口にはない静寂があった。 会社からの帰路、この駅舎から改札を通った直後に出会う、その昭和の面影、国鉄チックなシチュエーションには惹かれた。 蛍光灯の明かりが通路上屋の小屋組を照らし、独特の雰囲気を醸し出していて、線路の向こうのプラットホームとは異次元空間のようだった。 私は昭和64年最終日に南口を訪れたことがある。 硬券入場券を購入するためだった。昭和64年はわずか7日間しかなかったから、この翌日は平成元年。 当時の私は名古屋市内に勤務していたから、その仕事帰りに途中下車して夜の木造駅舎の出札口で買ったのがこの入場券。 昭和の雰囲気は、それから25年間残り、その間に私の勤務地は7回変わった。 そして3年前からこの駅を常時利用するようになった。帰路に大物車シキを従えた国鉄特急色のEF65PFが停まっていて、国鉄の空間を一層盛り上げてくれたこともあった。 この建物に言わせれば、EF65PFなど若輩者といったところか。も…

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【374】 思い出の乗務列車22:紀勢本線924列車(前篇)

921列車で新宮に着いて乗務員宿泊所で一泊したあと、翌朝乗務する924列車は、新宮発時刻が5時50分でした。この列車は921列車と対をなす列車で、天王寺を前夜に出ていました。画像は当時の国鉄名古屋鉄道管理局発行の時刻表の一部です。 921列車とは逆に後寄りのB寝台車2両は新宮で切り離しになりましたが、924列車の場合は、基本編成とは別に紀勢本線の起点駅でありながら枝線のようになってしまった和歌山市発のオハフが1両だけ亀山まで連結されていました。(上の時刻表では、そのオハフが亀山止まりであることは表記されていません。)時刻表上にも「難波」駅の欄があることでおわかりのように、当時は南海の難波駅から直通の急行列車が運転されていた時代ですが、この列車に関しては直通ではないものの、南海からの乗継の便宜をはかっていたのでしょうか。 その1両のオハフは先頭の機関車の直後に連結されていました。これは途中の和歌山駅での基本編成との併結作業と亀山駅での切り離し作業の手間を考えてのことでしょうが、その連結位置は我々が乗務するスユニの前にあたりますので、編成は、 DF50(亀)+オハフ++スユニ+オハフ+ナハ+ナハ+ナハフ(最前オハフのみ天カメ、他は天リウ) と、いうことになっていて、スユニに乗務する私たちは、前後を旅客車に挟まれた格好での乗務でした。貫通扉のガラス窓が摺ガラスでなく透明ガラスの場合はオハフのデッキ部分から乗務員室内が丸見えなので、新宮まで乗務してきた新宮車掌区の乗務員の手によって、目…

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【373】 春日井駅南口駅舎

春日井駅南口は、通勤通学の時間帯以外はいつもひっそりしていました。 北口に比べて、その利用者は格段に少数です。それでも平成の時代に入ってからは周辺にマンションがいくつも建設され、利用者数は増えているものと思われます。 私は南口の雰囲気が好きで、通勤には不便なのにもかかわらず、その国鉄駅の雰囲気を残す空間を味わうために、わざわざ南口を利用してきたほどです。その南口駅舎は橋上駅建設のために建築された仮駅舎にこの役目を譲って、先月(4月)ついに取り壊されてしまいました。今回はその在りし日の南口の様子をお目にかけたいと思います。 かつての南口の全景。 一昨年(2011年)の撮影です。裏口だとは言っても、春日井駅自体は人口30万人都市の中心駅で、1日の乗車人員15,000人の駅なのですが、とてもそうは思えないほど昭和な雰囲気が漂っていました。驚くべきは、上の写真の左端、木の下に見える白い小さな建物です。 これは駅トイレの建物です。トイレは駅舎取り壊し後も、記事作成時点ではそのまま残されています。状況から察すると、仮駅舎での営業期間中は、そのまま使用するようです。 いまどき水洗式ではありませんし、男女別にもなっていません。 駅舎内は、国鉄時代おそらく待合室として機能していたと思われるスペースにはベンチはなく、券売機と出改札窓口があるだけでしたが、駅舎外側軒下にベンチが置かれていました。 木造駅舎には似合わない自動改札機を通り、見上げると駅舎本体とつながった通路があって、地下道へ続い…

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【372】 思い出の乗務列車21:紀勢本線921列車(後篇)

先週アップした前篇の続きです。 DD51に牽かれて名古屋を発車した921列車は、私が乗務する新宮までだけでも55もの旅客駅があり、それらの駅にもれなく停車していきました。 名古屋から関西本線で1時間半。16時51分着の亀山では21分も停車し、列車の進行方向が変わりました。ここまで列車を牽引してきたDD51 は切り離され、列車の反対側には、新宮止まりのオハフ1両とともに、これから先の牽引機 亀山機関区所属のDF50が連結されました。亀山での長い停車時間も、関西本線奈良方面から荷物列車で来た荷物と、草津からトラック便で来た荷物を、威勢のいい日通のオッサンたちの手でごっそりと積み込まれて、ただでさえ狭いスユニの荷物室内で荷物を駅順に整理したりしていると、機関車の切り離しや連結に様子を見たいなどという心の余裕などなく、そうしたことを考える暇さえありませんでした。 17時12分に亀山を発車すると、ここからは紀勢本線に入ることになりますが、このあたりから先は、私には駅名・駅順が怪しくなってくるのでした。冬場だと亀山を発車したころには日も暮れてしまい、ほどなく車窓の景色も見えなくなりました。こうなると次の駅はどこだったかなと駅順を確認しながらの仕事になりました。この区間は夜行の紀州5号で乗務経験はあったものの、急行では主要駅しか停車しなかったのと、深夜のことでしたので小駅のことは判るはずもなく、初めのうちは列車が、どこをどう走っているのかわからないままの乗務でした。 主要駅であり、近鉄との…

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【371】 生まれ変わるJR東海中央本線春日井駅

この3月まで通勤でJR東海の中央本線「春日井駅」をよく利用しました。 春日井駅がある愛知県春日井市は名古屋市に隣接する人口30万人の都市です。春日井駅では1日の乗車人員が15,000人もあり、JR東海管内の駅で10,000人を越える駅は30駅強であることからすると、中京圏では利用客が多いほうの部類に入ります。 そんな春日井市の中心駅的存在の春日井駅。表口に当たる北口を正面から見ると、こんな感じになっていますが、目立つ構築物は駅舎正面に接続する形で取りつけられているバス乗り場と通路の上屋であって、駅舎本体はその裏側に隠れています。 横から眺めると、駅舎本体が姿を現します。 平屋建ての駅舎で、30万都市の玄関口にしては規模は小さいものです。リニューアルされているものの、主体構造は木造のままです。 この春日井駅も近年あちこちで見られるような橋上駅舎が新築されることになり、すでに昨年からその工事が始まっています。 この春日井駅には、裏口にあたる南口もあります。そちらにも、つい先日まで小さいながらも木造駅舎があったのですが、橋上駅舎の工事のためについに取り壊されてしまい、現在はプレハブの仮駅舎で営業しています。 かつての南口駅舎は、北口駅舎のようにリニューアルされることもなく、とても名古屋近郊の30万都市の駅とは思えない雰囲気を持っていました。南口駅舎同様、北口の駅舎も取り壊されるのは時間の問題となってまいりました。 取り壊されてしまった南口駅舎と付属建物については、後日もうちょっと…

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