【426】 父の遺品 ~国鉄職員であった証し~

父が亡くなって早いもので、もうすぐ4か月になります。 ほとんど遺品は片付け、相当量を廃棄したのですが、その一部は廃棄前に写真に撮って、それでも捨てるには忍びないものだけを保存することとして、その一部はこのブログで公開してきました。 今回は、こんなものを JNRマークの背後には大きな「C」のアルファベット。 これは、記念メダルかキーホルダーのホルダー部分がなくなったものと思われます。 裏面を見ると、 中部鉄道学園の車掌科を修了した記念品なのでした。 表面のCの字は、おそらく中部鉄道学園の頭文字だと思われます。 1965年(昭和40年)のものですから、今から48年も前の話です。 こういう記念品は、修了した者たちで企画して自費で制作したものだろうと思います。私のときは、このような記念品はなく、修了時にアルバムの制作をしました。手作りのもので、市販のアルバムに在学中の写真とメッセージや寄せ書きのコピーを貼り付けただけの物でした。 父の修了証書もありました。 私が就職する10年以上前のことで、私にはそのころの国鉄内部の背景がよく見えていませんので、はっきりしたことはわかりませんが、小口貨物が廃止となる方向性が見えてきて、荷扱手をいつまでも続けられる状況ではなくなってきたので、しかたなく車掌試験を受けたということのように思えます。家で勉強していた父の姿は記憶にあります。中部鉄道学園の車掌科受験のためか、入学中のものかわかりませんが、勉強したことがわかるノートも残っ…

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【425】 思い出の乗務列車33:東海道本線 荷41列車(4):荷物・新聞・官報・雑誌

荷41列車の4回目になります。 この画像はマニの荷物室内ですが、荷41列車での撮影とは違います。このように少ない荷物で全区間走ってくれれば、乗務員は一人でももったいないほどですが、いつもこうして写真を撮っていられるほど余裕があったわけではありません。写真から当時の荷物には必ずヒモがかけられていたのがわかります。手鉤を使って仕訳をしましたから、手鉤の先をヒモに引っ掛けて作業をしたのです。手鉤については、ブログ記事「【213】荷扱乗務員の必需品」をごらんください。 荷物にかけられたヒモには「荷物切符」も括り付けられていました。(特別扱新聞雑誌を除く) 「荷物切符」行先、運賃などが旅客の切符と同様に記載されていたのです。 荷物車の車掌室内の雰囲気は過去記事「【211】 荷物列車とお茶菓子」で紹介していますので、よろしければご覧ください。 荷41列車では名古屋で買った駅弁を車掌室内で食べました。時間的には8時ごろ、岐阜での積卸を終えた後くらいが食べ時でした。車掌区で沸かしてポットに入れて持ってきたお湯も、このときのお茶に使いました。 この列車は通過駅が多い割に停車時間が長めで、名古屋から大阪までを日中5時間以上もかかって運転されていました。当時の大型時刻表には、荷物列車の時刻も載っていまして、それによれば首都圏対九州の荷物列車は下りで6本設定されており、そのうち荷41列車だけが急行ではありませんでした。 (画像は日本国有鉄道時刻表(1978年4月号)の該当部分を転載したもの) …

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【424】 「鉄」へのプレゼントいろいろ

先週、郵送で切手シートが送られてきました。 「鉄道シリーズ第1集」とあります。 送り主は、国鉄時代に同じ職場で列車掛~車掌~専務車掌を一緒にやってきた先輩でした。私がカレチ(専務車掌(客扱))になった昭和59年、名古屋から奈良へ線路見習として乗務したときの先生がこの方でした。そして分割民営化を迎えた時、この方も私と同様にJRに行くことなく、郵政職員として新たな途を選択されたのでした。 職業柄、鉄道関連の記念切手が発行したのを知っておられたのでしょう。約1年もの間、ご無沙汰していたのに、私が「鉄」であることをよく知っておられるので、こうして送っていただけたわけで、たいへんうれしいことです。 さて、現物を見ると復元なった東京駅舎と有名な車両群9種の計10枚が1シートに収められています。 車両は、小田急3000形・国鉄151系・近鉄10100系・国鉄キハ81系・名鉄7000系・近鉄20100系・小田急3100形・国鉄0系・JR東日本E5系となっています。使ってこそ切手なのですが、使っても手許に残るプリペイドカードやICカードとは違って、使用すると手許には残らないのが惜しいとの思いがよぎります。これはコレクター的考えで、その切手を貼って差し出した手紙を、先方がうれしい気持ちで受け取ってくだされば、これもまたよしと思うわけです。そういえば切手の話で思い出すことがあります。 私は鉄道を離れた後でも、再就職先の会社では「鉄」であることを隠さず周りに喋ってきました。ほかに大した趣味がない者にと…

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【423】 思い出の乗務列車32:東海道本線 荷41列車(3):積載方と急送品

東海道本線 荷41列車の3回目です。 「【420】東海道本線 荷41列車(2):乗務するまで」の続き になります。 この列車の乗務車両である「南東荷9マニ」には専務車掌(荷扱)1人と、私を含む乗務掛(荷扱)2人の計3人が乗務し、大阪までの荷物の積卸と整理を行っていました。 この荷物車「南東荷9マニ」の積載方は以下のように定められていました。 1 荷物。ただし八田以遠及び四国着を除く。 2 汐留発は急送品(A)及び横川以遠着に限る。 3 九州着荷物は急送品に限る。 4 「〇モ4」着区分積載<大阪~東小倉乗務員> 5 沼津発名古屋着中継は急送品に限る。 6 米原発広島着中継は急送品に限る。 積載方がこのように細かく定められている理由は、この列車に連結された荷物車1両ごとに、それぞれ行先や用途を分散させてあるからです。私は他の車両の積載方を資料として持っていませんが、各車両の行先(「【418】思い出の乗務列車24:荷41列車(1)…その編成など」の記事中に編成と行先を示してあります。)から、この「南東荷9マニ」の積載方から除かれている荷物が積載されるべき車両が推察できます。 たとえば、「南東荷9マニ」から名古屋で中継すべき関西本線の八田以遠の荷物を除いているのは、名古屋で切り離す2両のうち1両は、そのまま八田以遠の関西本線経由で百済へ直通する運用(私が名古屋から乗務すると同時に切り離しになる車両なので、「【418】思い出の乗務列車24:荷41列車(1)…そ…

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【422】 父の遺品 ~鉄分がある写真~

そもそも私の父は鉄道ヲタクではなかったので、遺した自分のアルバムには鉄道写真的なものはなかった。しかし父の現役国鉄時代と私の現役国鉄時代が重なっているのは数年に過ぎないので、私の知らない時代の国鉄がチラッと見えたりする写真はあった。 父が所蔵している写真であるが、写っているのは本人でなく私の祖父である。(最上段左から2人め)中津川機関区で祖父が助役をやっていた時の写真で、なにかの記念に撮ったものだろう。機関車はD51125。この機関車は昭和24年から20年以上中津川機関区に所属していた。動輪をはじめ、全体が見事に磨き上げられている。モノクロ写真なのでナンバープレートと直下のメーカーズプレートの色は判らないが、明るさから見ても、中津川機関区伝統の青なのだろうと想像される。現在は千葉県船橋市内に保存されている。 これも中津川機関区秘蔵のD51の模型。最左の人物が祖父。「ほんとに石炭を焚いて走るやつ」と、父は子供のころの私に説明してくれたが、実際に私はこの模型を見せてもらったことはなかった。 新幹線0系が表紙に描かれたアルバム。 このアルバムにはほとんど何も貼られていなかったが、表紙をめくると、名古屋鉄道管理局が運転無事故達成と新幹線開業を記念して職員に配布したアルバムであった。これは先日、この写真を撮ったあと廃棄した。 美乃坂本駅に進入してくる上り列車。 小さくて編成もよくわからないが、D51が牽く客車列車とわかる。よく見ると腕木信号機やハエタタキと呼ばれる通信線の電柱らしきも…

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【421】 371系 急行「中山道トレイン」で思い出したこと

今日は鉄道の日 というわけで、拙ブログも記念して臨時便運転です 6月に神領車両区に姿を現したJR東海371系。 拙ブログでも、その留置中の姿を見たことを【381】神領車両区に371系で、ご紹介したところ、意外にも多くのアクセスがあり、この車両が中央西線で活躍する可能性についての関心の高さがうかがえました。 私はJR関係者でもなく、沿線地元民の鉄道好きに過ぎないので、情報源としてアクセスしていただいた方には、何もそういう情報が書かれておらず申し訳なく思いますが、ついに営業運転の日が来ました。急行「中山道トレイン」でデビュ-です。 先日JRオフィシャルサイトに発表されていたのでした 人が集まるところへはめったに行かない私ですが、運転開始3日目の本日午前中、近所で走行する姿を見ようと、コンデジをポケットに入れて自転車で沿線に出かけてみました 他にもちらほら同業者 線路沿いの道路の歩道に自転車を停めて通過を待っていると、自転車で通りがかりのオバサンが、「何が来るんですか」 咄嗟に出た言葉は、 「二階建ての電車が来るんですよ」 すると、オバサンは非常に驚いた様子で 「へぇ~~、じゃ、みんなに知らせて来るわ」 って・・・ 「もう、5分か10分で来るから、別に知らせんだって・・・」 また、別のオバサン。道路の反対側の家の人らしく、わざわざ出てきて、 「何が来るんですか」 また、同じことを答えておきましたが、こんどはあまり興味を示されず・・・ こういうやりとり。…

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【420】 思い出の乗務列車31:東海道本線 荷41列車(2):乗務するまで

荷41列車の乗務に当たっての出勤時刻は名古屋駅発車の50分前の6時25分でした。私のように岐阜県から名古屋の職場まで通勤していた者にとっては、一番列車で出勤しても間に合わない時刻でした。そのためこの行路の前日は非番日となっていて、原則的に前日職場に出勤して宿泊することになっていました。 この部分の交番表(乗務割表)です。 マス目一つが1日を表しています。 前日は乗務列車がなく非番日。(実際には夜職場へ出る) 翌日は名古屋から荷41列車の乗務で6時25分は出勤時刻。 7時15分は名古屋の発車時刻。 その次の日の朝8時43分に名古屋へ荷36列車で戻ってくる。 という勤務です。 この荷41列車を始めとして、深夜に仕事が終わる人や、翌朝までの勤務間合いの人たちの休養のため、車掌区には人数分の寝床が確保してありました。しかしその場所とは、新幹線高架下にあった車掌区のなかにある30畳くらいの畳敷きの大広間で、そこに20人くらいの布団が敷いてあるだけのことでした。その大広間は2室あり、昼間には組合の集会や、出勤予備者の待機など多目的に使われる和室で、初乗務前の机上講習も私はここで受けたのでした。 宿帳に記名しておくと、車掌区の内勤の人が翌朝の出勤時刻の5分くらい前になると起しに来てくれました。新幹線の高架下のため、終列車までは騒音で寝付かれず、そのあとはいびきの大合唱。ひどい環境の寝床でした。寝ぼけ眼で出勤印を押すと、一緒に乗務するメンバーが顔をそろえます。そのなかでシャキッとして…

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【419】 漫画「カレチ」

「カレチ」という漫画が、コミック誌モーニングに約4年前から不定期連載され、第42話で完結になりました。その最終話までは、5巻に分けて8月に単行本化されています。拙ブログををご覧いただいている方の中には、おそらく全話に目を通された方もいらっしゃるものと思います。 約三年前に単行本の第1巻を手に取った私は、車掌が主人公となっている漫画ということだけで興味をそそられたのでした。フィクションとされてはいるものの、第1巻の裏表紙に書かれているコメントは 「昭和40年代後半、大阪車掌区――。 乗客のために一生懸命になりすぎる新米のカレチ・荻野の奮闘と成長を描く、懐かしさ一杯の読み切りシリーズ!」 帯には 「懐かしい!泣ける!昭和テツ漫画」 と謳われています。実在だった車掌区や列車など、かなり具体的な舞台設定がされており、実際に車掌として職務にたずさわったことがある私としては、古き良き時代の国鉄を描いた秀作だと感じました。 そして第2巻以降も単行本化されるたびに買い求め、5巻すべてに目を通してしまいました。第1巻の設定時期である昭和40年代後半といえば、私が中学~高校生のころで、SLブーム華やかなりし時期でした。しかし私が国鉄に就職した昭和50年代初期でも、ストーリーに登場する場面などは十分に通用するものに思われました。要するに、国鉄の現場は切羽詰まった状況ではなかったというわけです。 私は第1巻を通読した時点では、第2巻以降もずっと車掌ネタで通されるのかなと思っておりまし…

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【418】 思い出の乗務列車30:東海道本線 荷41列車(1):その編成など

私が昭和51年4月に国鉄へ就職して「乗務掛(荷扱)」の職名で最初に見習乗務したのが東海道本線の荷41列車のうち名古屋~大阪間でした。荷41列車は汐留貨物駅を前夜に出て、私が乗り込む名古屋へは早朝6:58に到着する荷物専用列車でした。画像は留置中の荷物車で、荷41列車ではないですが、このような車両が連なった列車でした。 名古屋までの乗務については「【103】乗務中見えるもの」で、以前に少し書いたことがありますが、今回は名古屋で乗り継いだ後のことになります。 この行路の往路の乗務列車が荷41列車なのでした。列車自体は大阪から先、九州の東小倉まで運転される荷物専用列車でしたが、私どもの乗務範囲は当時大阪までで、編成は以下のようなものでした。 (名古屋発時点・昭和50年3月ダイヤ改正時)) 荷41列車 運転区間  汐留~東小倉 EF58(浜松) マ ニ    名荷6  名古屋~岐阜 マ ニ    名荷5  名古屋~岐阜 マ ニ    南東荷5 汐留~岡山 マ ニ    岡荷1   汐留~岡山 ワ キ    広荷204  汐留~広島  マ ニ    広荷2   汐留~広島 ワサフ    南東荷203 汐留~東小倉  マ ニ    南東荷9 汐留~東小倉 オ ユ    門郵6   汐留~東小倉 ス ユ    南東郵301 汐留~東小倉 ス ユ    南東郵302 汐留~東小倉 マ ニ    門荷4   汐留~東小倉 マ ニ    門荷5   汐留~東小倉 この…

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【417】 「トトロの森」とリニア中央新幹線

これまで長く、拙ブログ記事をご覧頂いておられる方にはお馴染み?のトトロの森。 私が実家へ列車で行き来していたときに、いつも立ち寄る小さな祠がある「森」とは呼べないほどの木立のことで、私が勝手に名付けたものです。 ここの映像が、9月18日にテレビ各社のニュース番組で一斉に放映されました。べつに「トトロの森」そのものがニュースになったわけではありませんが、NHKのニュース7でも、全国に向けてその空撮映像が… 上は、そのときのキャプチャー画像です。田園地帯の中央下の木立が「トトロの森」で、左端やや上がJR中央本線美乃坂本駅です。どんなニュースでの放映であったのか、もうお判りですね。 リニア中央新幹線のルートと駅の位置の詳細について、この日JR東海から発表があったのです。そのなかで、各県に1箇所ずつ置かれる駅のうち岐阜県駅が、「トトロの森」がある「中津川市千旦林」に建設されることが決定したのでした。NHKだけでなく民間放送でも現地にリポーターが出て、背後にトトロの森と、私が子供のころから見なれた田舎駅の典型のような美乃坂本駅が全国に放映されたのでした。(赤丸は画像に私が書き足したもので、この部分が「トトロの森」) もともと中央新幹線の大まかなルートはすでに発表されていました。岐阜県の期成同盟会では昨年の春に、岐阜県駅をJR中央本線の美乃坂本駅(中津川市千旦林)に併設か近接地に設けるようJR東海に要望していました。そしてJR東海も美乃坂本駅の直径5㎞以内に駅を造る意向を表明していました。以前から中…

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