【454】 変なコレクション6(マッチ箱 国鉄駅前編)

先週は、マッチ箱の「国鉄」にこだわってしまいましたが、ほかにも「国鉄○○駅」と表示された喫茶店のマッチ箱を、いくつか発掘しましたのでご披露しましょう。すべて乗務の出先駅で乗務間合いに行った店のマッチ箱です。 国鉄八田駅前 「宇奈月」 八田駅は現在JR東海関西本線・近鉄名古屋線・名古屋市営地下鉄東山線とが接続するターミナルになっています。しかし国鉄八田駅は現在の高架になったJR八田駅の位置ではなくて、300mほど西の亀山寄り地平にありました。下の写真の正面高架橋手前が旧国鉄八田駅の正面にあたります。ここにはセメント基地もあったので八田行きの貨物列車も設定されており、列車掛時代には入換作業にも従事したところです。旧駅跡地はこんな具合で、道路部分以外はあまり利用されていません。地平駅だったころの「近鉄八田」駅もこの近くにありましたが、駅舎は線路を挟んだ正反対の位置になり、国鉄駅とは直線距離こそ近いものの線路で分断されて直接結ばれていなかったため、区別する意味で「国鉄」の表記が必要だったに違いありません。 *************************** 国鉄熱田駅前 「シロ」と「アルス」 昭和50年代前半、荷扱時代に行った店です。名古屋駅の手小荷物が熱田駅に移管されつつある時期に当たっていましたので、それに合わせて中央西線と関西本線方面への荷物列車は名古屋から熱田へ始発駅が変更されていきました。 *************************** …

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【453】 臨時列車の乗務(22):169系・165系団体列車

先週ご紹介した神領電車区のクモヤ22に乗務した1985年(昭和60年)12月には、169系と165系混成の団体列車にも乗務しました。 1985年(昭和60年)12月25日 9521M 運転区間・乗務区間とも 高塚8:00~名古屋11:04 (高塚~豊橋間 回送) 1 クモハ169- 21 長モト 2 モ ハ168- 21 長モト 3 ク ハ165-144 長モト 4 ク ハ165- 40 長モト 5 クモハ169-  5 長モト 6 モ ハ168-  9 長モト 7 サ ハ165-102 長モト 8 ク ハ169-  6 長モト このあと中央本線に入ります。 9825M 運転区間 名古屋~長野 乗務区間 名古屋11:14~中津川12:21 (編成は9521Mの逆) 団体名 ○○地区高体連スキー教室 536名 前回の試運転列車に引き続いて高塚始発の臨時です。 今回は浜松工場とは関係なく、前日から留置してあった編成への乗務でした。高塚駅のホームがない中線は、豊橋や浜松が始発終着となるべき臨時列車が折り返すための留置線としてよく使われていたのです。この列車も団体の乗車は豊橋からでしたので、高塚~豊橋間は回送扱となっていました。団体名でお判りのように高校生のスキー教室の団体さんで、下車駅は松本と長野に別れていました。上に示した運転時刻で、高塚~名古屋間の運転時間が異常に長いのは蒲郡で51分もの長時間停車があったためでした。この駅でほとんど席が埋まりま…

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【452】 Nゲージレイアウト:ポイント破損(-_-;)

【よいこ新聞 本日の朝刊記事】 愛知県内を走る模型鉄道である〇〇鉄道で、1月22日午後0時55分ごろ、駅構内で上り下りを分岐させるポイントが損傷しているのを、保線区員が発見した。 ○○鉄道では、状況から列車運行は危険と判断し列車の運転を全面的に取りやめ、ポイントと接続するプラットホームまでのレールをすべて交換し、同日15時すぎに現物合わせにより応急的に線路を接続し、同日午後4時20分ごろ復旧した。その間11本の列車が運休したが、模型のため事故の影響を受けた乗客はいなかった。〇〇鉄道の発表によると、損傷していたのは本線上の、最も重要な位置にあるポイントで、分岐する線路が半径317㎜と280㎜で両方ともカーブしている特殊なポイントだった。お客様にはご迷惑をかけたが(ウソつくな!)すでに完全復旧しており、今後の運行に支障はなく、今後も安全運行に一層努力していくとしている。 **************************** 【よいこ新聞 本日の夕刊記事】 愛知県内を走る模型鉄道である〇〇鉄道で、1月22日に損傷したポイント部分について、過去に何度も脱線事故があったにもかかわらず、会社側が何の対策もせず放置していたことが、保線担当の社員らの証言から明らかになった。 その社員によると、このポイントは敷設前に他鉄道で使用された中古品で、この場所に敷設後10年以上経過しており老朽化していた。また、今回の復旧に当たっては、ポイントが現在流通してない旧式の製品であったために代替製品の調達が…

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【451】 変なコレクション5(マッチ箱 稲沢編)

稲沢には約1年半勤務しました。今でも中部地方の貨物の中継基地として機能しているところですが、国鉄時代は貨車を方向別に振り分けるヤードの所在地でもあり、周辺は「国鉄の街」という雰囲気でした。しかし旅客輸送は名鉄に大きく引き離されていて、少し離れたところにある国府宮駅が旅客輸送の面では市の玄関口と言えました。そのため国鉄稲沢駅前は、それほど活気があるようには思えませんでしたが、私も入居していた独身寮とか官舎があったので、国鉄職員向け?の喫茶店や飲食店がいくつかありました。 マイウェイは駅に隣接するJR貨物の総合ビル(画面右のビル)の真ん前で現在も健在です。稲沢時代の車掌区乗務員のたまり場でした。JR貨物の総合ビルは国鉄時代からあり、その中に車掌区や乗務員宿泊所がありました。 以下、稲沢駅界隈の古いマッチ箱を列挙しますが、これらには共通点があります。探してみてください。      アサヒ      スワン      アイザワ      ローレル(新旧2種) これらのマッチ箱の喫茶店の現況はわかりません。 ここまでご覧いただいたマイ・ウェイを含む6つのマッチ箱で、共通点には、お気づきでしょうか?        :        :        :        :        :        : その答えは……… すべてに「国鉄」の文字が入っていることです。 国鉄時代だから、国鉄の文字は入って当然という考え方もあるかも…

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【450】 臨時列車の乗務(21):旧形電車クモヤ22

1985年(昭和60年)12月、浜松工場から検査上がりで出場した神領電車区所属103系の試運転を兼ねた臨時回送列車でした。 1985年(昭和60年)12月14日 試8515M~回8515M 運転区間 高塚16:26~名古屋19:12 (試運転区間は豊橋まで) クモヤ90102  名シン モハ102-137 名シン モハ103- 94 名シン クモヤ22118  名シン   (神602) このあと私もこの編成にお伴する形で中央本線に入りました。 回8615M 運転区間 名古屋19:33~春日井19:52 (編成は上記「試~回8515M」の逆) 始発駅は浜松工場の入出場線が接続していた東海道本線の高塚でした。上下本線に挟まれたホームのない中線からの発車。豊橋までは試運転ということで、浜松工場の職員も103系に乗車していたはずで、運転士の場合はブレーキの作動確認などで、工場の職員との連携作業がありました。車掌の場合は工場の職員と仕事上のつながりは特にありませんでした。(写真は神領電車区で別途撮影したクモヤ22118) この列車は工場出場車両がある日だけ運転される「予定臨」と呼ばれる臨時列車で、時刻が予め決められていました。こういう列車は、その日によってつながっている車両が違うのでおもしろく、このとき検査上がりで出場したのは、中間に挟まった水色の103系2両だけです。この2両はモハで、いずれにも運転台がない中間車でしたから、前後に運転室があるクモヤがお伴として…

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【449】 変なコレクション4(マッチ箱 名古屋駅西編)

私が国鉄に在籍した約11年間のうち、名古屋駅の新幹線高架下にあった車掌区で就職直後の荷扱3年間と車掌・専務車掌で退職前6年間、合計約9年間を過ごしました。 高架下は2階建で、1階部分が商店街、2階が車掌区でした。商店街には喫茶店や飲食店などが入店していましたが、駅のコンコースからは離れていたので、商店街の客は車掌区を始めとする国鉄職員や関係者たちが多く、旅行客などは多くはありませんでした。 今回は、その商店街のほか周辺にあった喫茶店のマッチ箱を集めてみました。すべて昭和時代のものです。 ここには、めったに行ったことはありませんでした。車掌区で、この鉄分が多い?マッチ箱を持っていた人がいたことから、マッチ箱欲しさに行っただけでした。 車掌区への通用口の角に位置するこの喫茶店は、車掌区の一部のような様相を呈していました。車掌区への来客があった場合の出前もここでした。 たとえば、用事がある日にどうしても年休が出ない場合、他の人と勤務を変わってもらったときなどの職員相互間での「お礼の印」も、ここのコーヒーチケット1~2枚が「相場」になっていました。 そういえば、車掌区があった名古屋駅西口近くには中村警察署があります。私が国鉄を退職後20年以上経ってからのこと、たまたま仕事で愛知県警のOBの方と話す機会がありました。雑談の中で、その方は昔、中村警察署に長く勤めていたとのこと。私も20年くらい前に車掌区にいたことを話すと、、ここに出てくる昔の喫茶店や飲食店のことが話題になり親近…

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【448】 乗務先での東京見物

以前に乗務先の大阪での過ごし方の話をしましたが、首都圏への乗務では、宿泊場所が汐留または品川でした。週に1回くらいの頻度で首都圏への乗務があったので、乗務員宿泊所から出てプライベートで出かける機会は大阪より格段に多くなりました。 そのころの東京駅です。国鉄の起点でもあることですので、写真を撮ってみました。 そして復元された今の姿。一般の人たちがわざわざ見に来るスポットになるとは、思ってもいませんでした。それより、すぐそばにあった今はなき国鉄本社ビルの写真を撮っておかなかったことが悔やまれます。 荷36列車では同じ車掌区の乗務員9人が同時に着きました。一人なら新橋界隈で喫茶店に行ったあとは夕食の惣菜や弁当を買ってきておとなしく過ごすであろうところを、どっかへ行こうか?と誘われれば一緒に行ったりするものです。荷36列車が浜松町近くの汐留駅の到着線に着くのが15時少し前で、ここから入換機DD13に押し込まれて汐留駅の荷物ホームに着いてから、自由になるのは15時を少し過ぎてしまいました。時間的にはちょっとした買い物ぐらいであれば、夕方乗務員宿泊所へ帰ってくるにはほどよい時刻でした。しかし、東京見物に出かけるにはちょっと遅いのでした。 デーゲームを残り少しでも見られればと思って後楽園球場へ行ったときには試合が終わったばかりで、試合を観戦することができませんでした。人物は、いっしょに行ったニレチさん。球場帰りの客がほとんど出て行ったあとの出口から、どさくさまぎれで中に入ってみたら、いつ…

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【447】 国鉄時代の出先今昔3:品川駅東口

私が国鉄に就職してから約3年間、荷物列車に乗務してした。その間もっとも宿泊回数が多かったところは品川乗務員宿泊所だった。 この乗務員宿泊所は品川駅東口に隣接したビルの中にあった。当時の品川駅には今のように表裏(東西)を結ぶ自由通路がなく、旅客ホームからこの東口までは改札内の地下道で結ばれていた。階段を上がったところに掘立小屋のような小さな駅舎と改札口が設けられていた。その地下道の上は在来線のほかに、新幹線とその車両基地があったため、非常に長く、陰気くさい通路だった。東口改札を出る直前に職員専用の通用口があって、そのドアをあけると線路端で、そこには品川機関区所属の古い一つ目玉のDD13がよく止まっていた。そこから非常に古い鉄筋コンクリートのビルへ裏から入って、これまた」古いエレベータに乗ると、その4階と5階が乗務員宿泊所だった。私どもの部屋は5階で、その窓からは品川駅東口の正面のタクシーのたまり場と汚い街並が見えた。 左端は沖電気の工場。道路を挟んだ奥は東京新聞社のビル。赤丸で印を付けた「大信」の看板があるビルは大東京信用組合品川駅東口支店。その手前に小規模で古い建物が建て込んでおり、画面からは切れてしまうが右下方向に品川駅東口があった。 ここの現況を見てみよう。 まったく別の街に変わっている。道路はまっすぐになり、かつての品川駅東口の跡を踏みつぶすように、そのまま、かつての鉄道用地の方に向かっている。沖電気はなくなり、東京新聞社屋跡には高層ビルが建っている。「大信」の看板だけが変わって…

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【446】 品川乗務員宿泊所

品川駅東口に隣接した凸型のビルの4階と5階に品川乗務員宿泊所があった。35年も前の昔でさえ古臭いなと思ったそのビルには、他に品川車掌区などの現況機関も入っていて1階には職員食堂があった。今はそのビルはもちろんないし、周りは大きく変貌してしまい、当時の面影はない。下の地図の中央部分にそのビルがあって、南側隣接して東口改札口があった。 品川乗務員宿泊所は長距離列車を担当する車掌区乗務員の宿泊が多かった。部屋ごとに表札のようなプレートが掛っており、車掌区名と乗務列車が掲げられていた。大阪、広島、下関、博多といったところが記憶にある。皆寝台列車に乗務してきた乗務員たちに違いない。終点の東京駅から回送で品川へ来て、ここで休養していたのだ。1ケタや2ケタの列車番号のプレートが掛かった部屋も見かけた。私たちの部屋にも「36」とか「38」などと2ケタの列車番号のプレートが掲げられたが、アタマに「荷」の字が付いた。一流の列車に乗務してきた人たちと同じところで寝られるのは気持ちよかったが、古いビルは、内部もきれいではなかった。それでも、造り付けベッドがある部屋は、汐留の、軋み揺れるパイプベッドより居住性は格段に良かった。浴衣はここの備品である。おそらく寝台列車で使用され、古くなったものの再利用だと思われた。 酒の瓶が置かれているのが、時代を物語る。この写真は昭和54年の撮影で、まだこのようなことができていた時期だ。国鉄時代でも末期になってくると、出先での飲酒は禁止されるようになっていった。言い訳をするわけ…

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【445】 変なコレクション3(マッチ箱 新橋編)

「変なコレクション」はシリーズ展開する予定が、すっかり滞っている企画です(^_^;) 今回はその3回目。 1回目は【53】 変なコレクション1(松屋の食券 前篇) 2回目は【54】 変なコレクション2(松屋の食券 後篇) このほかにも、拙ブログでは、くだらないコレクションを少しずつ紹介しています。画面右カラムの「ブログテーマ」欄の「コレクション」のところから関連記事一覧が抽出できます。 *************************** 最近は旧汐留貨物駅へ乗務したときのことを書いていますが、乗務先では時間があると喫茶店によく行きました。汐留まで乗務したときも新橋の烏森側の界隈で、まず喫茶店で一服してから食糧補給やパチンコなど、それぞれのお目当ての場所へ向かうことが多くありました。 その1976~1979年ごろのマッチ箱コレクションです。 どんな店だったかは、全く覚えていませんが、いちばん多く行ったのは、ニュー新橋ビルの中の喫茶店でした。このビルの中には、たくさん喫茶店が入店していました。それは今でも同じようですが、乗務していたころから同じ屋号で今も営業している店は見当たりませんでした。 ここまではすべてニュー新橋ビルの中にあった喫茶店のマッチ箱です。乗務するときのメンバーによって、行く喫茶店は変わりました。 その周辺にも喫茶店はいくつもありました。私の場合はマッチ箱収集のために、行きつけの喫茶店のほか一見の客になった店も多くありました。 上の2店は同じ屋…

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