【462】 中山道歩きで見たモノいろいろ(25):看板や掲示(後篇)

2005年から中山道の宿場を訪問しはじめ、全宿場に足跡を残しました。 旧宿場町や旧街道を歩いていると、自動車なら気付かずに通り過ぎてしまうようなチョットしたモノも目に入ります。 ふだんの生活で当たり前にあるものでも、その地方ごとにチョット違っていたりしますし、裏道になり下がった旧中山道には、現在の表通りとも言える国道や、そのバイパス道では見かけられないようなモノが残っていたりするものです。 今回も気になった看板や掲示にスポットを当ててみましょう。 **************************** どうでもいいですが、「美しい町、美しい心」でありたいもの。 「うつくくしく」なくてもいいような気はしますが… 伊勢の国は「美し国(うましくに)」という読み方もあったんで、「うまくしい」か? まさか「びくしい」と読む新しい読み方か? こんなこと言ってる時点で「美しい心」ではありませんな。 加納宿~河渡宿で2006年4月15日撮影。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 中山道はほんとうに山道が多いです。 主役は野生動物で、人間などちょっと通らせてもらっているだけです。 まむしさんもお住まいなのでしょう。 太田宿~鵜沼宿で2006年3月11日撮影。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ さらに奥深いところでは、くまさんの縄張りです。 鐘を鳴らしてご挨拶してからおじゃまします。 鳥居峠(…

続きを読む

【461】 臨時列車の乗務(26):たった2両の回送電車

国鉄当時、大垣電車区と神領電車区を結ぶ回送電車のダイヤがありました。 その回送の目的を確かめたことはありませんが、車輪踏面のフラットやレールとの摩擦でいびつな形状になった車輪を削正する車輪転削の設備がある神領電車区へ、その作業のために大垣電車区の電車を送り込むための列車のようでした。この列車は定期列車ではなく「予定臨」と呼ばれる臨時列車で、予め作ってあるダイヤで必要に応じて運転されていました。私が所属する車掌区では、このうち中央西線部分のみを乗務していました。 1986年(昭和61年)3月2日 回8617M 乗務区間 名古屋18:14~春日井18:37 クモニ143‐  2 名カキ ク ハ165‐126 名カキ クハ165を回送するために、クモニ143が牽引する列車のようです。 たった2両ですが、いずれも湘南色でお似合いのカップルのようです。クモニ143が乗務列車に連結されているのは2度目で、最初の出会いは東海道本線の定期列車1547M(【234】乗務した車両:荷電クモニ143併結列車をご参照ください。)でした。そのときは本来の用途である「荷物車」としての仕業でしたが、この回送列車では牽引車役でした。前回も今回も先頭車として連結されており、直接クモニ143に乗務することはできませんでした。シンプルながらも凛々しい顔つきが機関車みたいで私は好きです。 今のJRに2両編成の電車などは、営業列車としてふつうに存在し、珍しくもないですが、国鉄時代の電車では、特にMM'ユニッ…

続きを読む

【460】 中山道歩きで見たモノいろいろ(24):看板や掲示(前篇)

2005年から中山道の宿場を訪問しはじめ、全宿場に足跡を残しました。 旧宿場町や旧街道を歩いていると、自動車なら気付かずに通り過ぎてしまうようなチョットしたモノも目に入ります。 ふだんの生活で当たり前にあるものでも、その地方ごとにチョット違っていたりしますし、裏道になり下がった旧中山道には、現在の表通りとも言える国道や、そのバイパス道では見かけられないようなモノが残っていたりするものです。 今回は気になった看板や掲示にスポットを当ててみましょう。 **************************** 「新党さきがけ」 かつて存在した政党ですね。滋賀県出身の武村 正義氏が代表を務めました。 この看板もその地盤である滋賀の高宮宿~愛知川宿で残っていました。 2006年7月6日の撮影ですが、新党さきがけは2002年に解党していて、このときすでに存在していませんでした。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ この方も政界を引退されて久しいわけですが、貼紙だけは参議院議員で健在のようです。 2007年12月22日吹上(鴻巣宿~熊谷宿)で撮影。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 次に、政治家ではありませんが「掃除大臣」からのお言葉を… 2006年7月6日 鳥居本宿~高宮宿の公衆トイレで。 この手の掲示はいろいろなヴァージョンがあって、かつて乗務で浜松車掌区へいくと、そこのトイレに、 急ぐ…

続きを読む

【459】 臨時列車の乗務(25):12系座席車の天理臨

宗教団体は国鉄の団体列車のよいお客様だったようで、天理教、創価学会や金光教などの団体臨時列車が多数運転されていました。このうち1986年(昭和61年)は、天理教の教祖100年祭の年でしたので、特に「天理臨」の運転本数が多かったようで、2月に連続で「天理臨」に乗務しました。いずれも12系座席車の列車でした。 (画像は別の列車です。) 1986年(昭和61年)2月8日 中央本線8802列車~関西本線8201列車 乗務区間 中津川1:05~2;23名古屋3:41~亀山4:46 中央本線 8802列車 EF64 43(篠) 臨A301(2/6) スハフ12  35 長ナノ オ ハ12 119 長ナノ オ ハ12 120 長ナノ オ ハ12 121 長ナノ オ ハ12  69 長ナノ スハフ12 103 長ナノ 名古屋から逆編成 関西本線8201列車 DD51(車番不明)(稲)臨A558(2/8)  ※亀山から8223列車に継送 12系お座敷車には、これまで何種類にも乗務したのに、オリジナルの12系座席車への乗務は意外にもこれが最初だったと記憶しています。 この時は、名古屋を通り越して亀山まで通す行路でした。列車は松本始発で、深夜であるがゆえに停車駅は主要駅の運転停車のみで、乗降はもとより、弁当の積み込み等もないのでドア扱いは一切ありませんでした。団体列車の場合は、お客さんのことは添乗員さんに任せておけばよく、車掌は起きていればよいような乗務でした…

続きを読む

【458】 中山道歩きで見たモノいろいろ(23):ローカル版ホーロー看板

2005年から中山道の宿場を訪問しはじめ、全宿場に足跡を残しました。 旧宿場町や旧街道を歩いていると、自動車なら気付かずに通り過ぎてしまうようなチョットしたモノも目に入ります。 ふだんの生活で当たり前にあるものでも、その地方ごとにチョット違っていたりしますし、裏道になり下がった旧中山道には、現在の表通りとも言える国道や、そのバイパス道では見かけられないようなモノが残っていたりするものです。 今回も古いホーロー看板にスポットを当ててみましょう。 ただしローカル版で、自分自身も知らないお店の看板ばかりです。 **************************** 伊藤医院だけホーローのようです。 内科と神経科があります。恋の病も神経科で完治させて、向かうは鶴亀結婚相談紹介所 良縁沢山アリマス…か 2006年4月29日 美江寺宿~赤坂宿 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 結婚相談で良縁に巡り合ったら、次は婚礼貸衣装を… 2006年5月14日 垂井宿~関ヶ原宿 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ そして婚礼家具は… 指忠タンス店 大垣の家具屋さんのようです。 2種類ありました。 2006年4月29日 美江寺宿~赤坂宿 2006年5月14日 垂井宿~関ヶ原宿 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 結婚後、服装百貨はタマコシ。 2006年6月1日 …

続きを読む

【457】 臨時列車の乗務(24):167系・165系団体列車

167系電車は165系を基本設計として製作された修学旅行用電車でした。(上の画像で先頭車はクハ167です。伊東線での撮影で、私の乗務区間内ではありません。) かつては修学旅行用専用塗色の赤と黄色のたいへん目立つ電車でしたが、私が乗務したころは165系と同じ湘南色に塗り替えられ、中央西線では季節運転の「ちくま・くろよん」と、多客期に運転されたりスキーなどの団体輸送に活躍し、その姿をよく見かけたものです。 実際に乗務したときの編成は次のようなものでした。 1986年(昭和61年)1月31日 9801M 運転区間 大 阪~長 野 乗務区間 名古屋11:03~中津川12:09 クハ167-21  大ミハ モハ167-12  大ミハ  モハ166-12  大ミハ クハ165-158 大ミハ  クハ167-19  大ミハ モハ167-14  大ミハ  モハ166-14  大ミハ クハ165-168 大ミハ クハ167-20  大ミハ モハ166-11  大ミハ  モハ167-11  大ミハ クハ165-184 大ミハ 1/31宮原(電)臨A855 大臨127(後)K高校397名 (名古屋~長 野)                 ↑名古屋まで新幹線                   大臨128(前)Y高校388名(大 阪~長 野) 乗務した167系は大阪鉄道管理局宮原電車区所属で、4両単位の編成を複数つなぎ合わせた長編成でした。165…

続きを読む

【456】 中山道歩きで見たモノいろいろ(22):気になったモノ

2005年から中山道の宿場を訪問しはじめ、全宿場に足跡を残しました。 旧宿場町や旧街道を歩いていると、自動車なら気付かずに通り過ぎてしまうようなチョットしたモノも目に入ります。 ふだんの生活で当たり前にあるものでも、その地方ごとにチョット違っていたりしますし、裏道になり下がった旧中山道には、現在の表通りとも言える国道や、そのバイパス道では見かけられないようなモノが残っていたりするものです。 今回はノンセクションで気になったモノを取り上げてみましょう。 **************************** 中山道の起点である東京日本橋は、現在も日本の道路に起点となっています。 日本橋の橋上中央にそのプレートが埋め込まれているのですが、自動車がひっきりなしに通りますので、そこまで徒歩でたどりつくのは危険です。そこで橋のたもとにはプレートのレプリカがあります。 「日本国道路元標」と書かれていました。 説明書きによると、元内閣総理大臣佐藤栄作の揮毫によるとされています。 そのレプリカの両脇を固めるように、主要都市への距離を刻んだプレートがあります。 国鉄退職後に乗り鉄をしていました。これらの都市の代表駅はほとんどがJR線の分岐駅であることでもありますし、全部乗降したはずだと、改めて眺めてみますと、意外と遠隔の地でなく、この中では私が住んでいる中京地区から日帰りできる範囲にある横浜駅で乗降した記憶がありません。横浜の場合は「新横浜」を使ってしまい、根岸線にも直通できてしま…

続きを読む

【455】 臨時列車の乗務(23):165系3両編成 東海道本線9441M

1985年(昭和60年)は、12月28日に臨時特別改札行路で関西本線と東海道本線に乗務した後に名古屋で泊り、翌29日早朝に臨時列車で名古屋から東海道本線岡崎まで1往復する行路でしめくくりとなりした。 臨時列車は、165系の回送で岡崎まで行き、その編成で折り返し一般客扱の普通列車として名古屋へ戻ってくるといった行路でした。 昭和60年12月29日 東海道本線回9440M  運転区間・乗務区間とも 名古屋4:10~岡崎4:40 ク ハ165- 50 名カキ モ ハ165-509 名カキ クモハ165-132 名カキ (垣変302) 折り返し同編成で 東海道本線 9441M  運転区間・乗務区間とも 岡崎5:23~名古屋6:06 時刻表にも掲載されていました。 (当時の名古屋鉄道管理局のポケット時刻表より)使用された車両は大垣電車区の165系の3両編成で、朝の関西本線に運用される前に岡崎まで1往復する変運用でした。往路回9440Mは送り込みの回送なのですが、復路の一般客扱9441Mは、こんな早朝にどのような目的で運転されたのかおわかりでしょうか。 <ヒント> この9441Mの岡崎発時刻の5分後5:28には、東京始発の大垣行夜行普通列車345Mが運転されていました。そして同様に9441Mは終点の名古屋へ345Mの4分前に到着するダイヤでした。 もうおわかりでしょうか。 時は年末の多客期。そもそも大垣夜行は中京地区の朝の一番列車としての使命があ…

続きを読む

ブログ内ラベルリスト