【471】 【JA】発掘した貯金通帳【農協】

注:今回は鉄分がほとんどありません 国鉄末期、昭和61年秋のことでした。 分割民営化に備えてのことだったのでしょうが、それまで現金支給だった国鉄の給料は金融機関の口座振替にするよう求められました。岐阜県の田舎に住んでいた当時の私は、銀行との取引は一切なく、貯金は「郵便局」を利用していました。なぜかと言えば、私の自宅から最も近いのは郵便局であったということにほかなりません。家からの徒歩圏内には郵便局と農協のほかには金融機関はなかったのです。しかしながら国鉄から振込先として指定された金融機関には郵便局は含まれていませんでした。しかし農協はOKでしたので、他に選択肢もなく農協で新規に口座開設をしました。それがこの通帳です。 国鉄の給料日は毎月20日でした。 通帳を見ると、昭和62年1月20日の摘要欄には「ナゴヤテツドウカンリ」とあります。 これは「名古屋鉄道管理局」のことです。 以後は単に「給与」と印字されています。 金額が少ないと思われるでしょうが、国鉄共済組合の天引きの貯金をしていた関係もあります。 昭和62年3月末に国鉄はなくなり、この年の4月1日からは、旧国鉄の営業は分割された民営会社に移行されました。 しかし、その民営化後の4月20日、摘要欄の振込先が「ニホンコクユウテツドウ」となっています。 これは、なぜかというと私の場合は、国鉄が分割民営化直後に転職したのですが、一時期は国鉄清算事業団からの派遣員という身分でした。振込先の「ニホンコクユウテツドウ」は「日本国…

続きを読む

【470】 名古屋発高蔵寺経由岡崎行の廃止

先週は、寝台特急「あけぼの」の廃止について書きましたが、今ダイヤ改正では身近なところで変化がありました。JR中央西線から愛知環状鉄道への直通運転のうち、平日昼間の岡崎までの直通運転(5往復)がすべて廃止となったのです。2年前のダイヤ改正から休日の直通運転は全廃になっていたので、今後JR車両が愛知環状鉄道に乗り入れるのは、平日朝夕の高蔵寺~瀬戸口間だけになってしまいました。 名古屋から「中央西線高蔵寺経由の岡崎行」といっても紛らわしいだけで、全区間乗車する客はなかったでしょう。 側面行先表示も名古屋発時点から「高蔵寺→岡崎」とされていました。新幹線から乗継ぐ場合だと、名古屋駅から乗り換えなしで豊田まで行ける唯一の列車ではありましたが、名古屋市内から豊田へ行くには地下鉄―名鉄ルートのほかにも高速バスが出ており、時間と運賃ともに愛知環状鉄道が不利ときては、存続は難しかったのでしょう。 1年前までは313系も岡崎行きに使用されていたこともありましたが、最後は211系だけになっていました。 なお、瀬戸口始終着列車には、これまでも313系が入線していましたし、改正後も残っています。(画像は今改正のさらに前のダイヤ改正まで存在した高蔵寺→岡崎字幕の313系列車) 愛知環状鉄道は、2005年に開催された愛・地球博のアクセス路線として、高蔵寺駅で線路をJR中央西線と接続して乗り入れ可能になり、愛・地球博閉幕後もJRからの片乗り入れが継続されていましたが、利用増が望めないのか、徐々に縮小されて、今回…

続きを読む

【469】 寝台特急「金星」 (後篇)

電車特急「金星」が誕生したのは1968年10月の「ヨンサントウ」と呼ばれたダイヤ改正時であった。 当初、「金星」で早朝名古屋に着いた車両の次の仕事は、日中の「つばめ」熊本行だった。寝台・座席特急ともに使用できる581、583系ならではの車両活用法であった。 その後、1972年3月の山陽新幹線岡山駅開業時、「つばめ」が岡山駅以西の運転に改められたことによって、名古屋へ着いた「金星」の車両は、当日夜の「金星」までの間に「しらさぎ」で富山を一往復営業運転するように変わった。 この581・583系による「しらさぎ」運用は、日中の4人向い合せの座席が不評であることと、グリーン車が1両だけで他の485系編成と違うこともあって乗客にも乗務員にも歓迎されなかったし、たぶん寝台の解体とセットの人件費など問題もあったのだろうと思うが1978年10月改正時で、取りやめになった。以後、「金星」で名古屋に着いた車両は神領電車区の片隅で、夜の「金星」まで昼寝するようになった。 定期の「金星」が廃止になったのは1982年11月。その運転期間は14年間であった。そのあとも多客期に14系座席客車による臨時の西鹿児島行が「金星」号を名乗ったが、車掌は大阪で乗務を交代していたので、定期の「金星」廃止によって、区の受持ち範囲が、一気に狭まることになった。 自分が乗務できなかった列車ではあったが、所属区では最後に残った九州までの長距離乗務行路だった金星号の乗務に関する資料を、私はぜひ残しておきたいと思い 、ダイヤ改正で廃棄す…

続きを読む

【468】 寝台特急あけぼのの廃止

寝台特急「あけぼの」が廃止された。また一時的に臨時列車として走ることはあるそうだが、いつでも乗れる定期列車として毎日走っていなければ、多くの人々にとってその存在価値は薄いのではないだろうか。 私が住んでいる中京地区とは縁が薄い列車だから、関わりは少ないけれど、まだ東海道筋の九州ブルトレがEF65Pの時代にEF65PFが牽引していた列車として印象に残っているし、最近ではもっとも国鉄らしさを残した列車として、またEF64が牽引していたブルートレインということでも興味深く感じる列車だった。 私が「あけぼの」に乗車したのは一度だけだった。それは2000年2月1日で、前日秋田で宿泊し、早朝の立席特急券で秋田~鷹ノ巣間の短区間利用だった。お察しのとおり?鷹ノ巣で降りた後、鷹巣から秋田内陸縦貫鉄道に乗るために利用した。 (注)JRの駅名は鷹ノ巣。秋田内陸縦貫鉄道の駅名は鷹巣。 夜を徹して走ってきた寝台列車の二次的利用だったわけで、ほんらいの寝台車としての利用ではなかったけれど、「指定された4号車」は寝具が取り片づけられ、ふつうに座れた。 (注)立席特急券は制度上は自由席でなく指定席券の一種。この場合は画像のように列車だけでなく号車も指定されている。 このときから14年経っているが、廃止までほぼ同じ時間帯を同じ経路で走っている。 首都圏と青森を上越・羽越ルートで結ぶ寝台特急は、秋田新幹線開業(1997年3月)前には「鳥海」を名乗っており、「あけぼの」は、これとは別にあった東北・陸羽東・奥…

続きを読む

【467】 寝台特急「金星」 (前篇)

国鉄から続いてきた列車のなかで、もっとも国鉄らしさを残していたといってもよい寝台特急「あけぼの」が廃止になった。これまでダイヤ改正のたびに少しずつ廃止されてきた夜行列車だったが、国鉄型の機関車が国鉄型の客車を牽引する形態のままでよくぞここまで残ったものだとも思う。 私は、国鉄在職中の11年間を列車乗務員として過ごしてきたが、寝台列車に乗務する機会はなかった。それでも就職したとき、所属していた車掌区では、581、583系電車によって名古屋~博多を結ぶ寝台特急「金星」を受け持っていた。この列車に乗務できるのは車掌長(客扱)・専務車掌(客扱)・車掌補(客扱)だけだった。 私が乗務掛(荷扱)として就職[のちに車掌補(荷扱)の職名になる。]したときには、すでに乗務掛(客扱)と車掌補(客扱)は合理化の対象になっており、新規採用の補充はされていなかった。車掌補の仕事は、客扱でも荷扱でも乗務掛の延長であって、一定の勤続年数だけあれば車掌補という職名になった。職名が変わっても仕事は変わらず試験もなかったが、試験を受けずに車掌になることはできなかった。のちに乗務掛(客扱)と車掌補(客扱)は廃止され、「金星」の乗務体制は、最終的に、車掌長1人と専務車掌2人の3人チームでの乗務に変わっていった。 そうなると私が「金星」の乗務をするためには、この車掌区に所属したまま専務車掌(客扱)になる必要があった。しかし私が他区の列車掛を経て普通車掌としてこの車掌区へ戻ってから2年足らずで「金星」は廃止になってしまい、私が専務…

続きを読む

【466】 中山道歩きで見たモノいろいろ(27):「昭和」な自動車たち

2005年から中山道の宿場を訪問しはじめ、全宿場に足跡を残しました。 旧宿場町や旧街道を歩いていると、自動車なら気付かずに通り過ぎてしまうようなチョットしたモノも目に入ります。 ふだんの生活で当たり前にあるものでも、その地方ごとにチョット違っていたりしますし、裏道になり下がった旧中山道には、現在の表通りとも言える国道や、そのバイパス道では見かけられないようなモノが残っていたりするものです。 歩いていると、昭和の時代を走り抜けた自動車たちに出会えました。 **************************** セリカLB 名車です。 なぜか「重要文化財駒形神社」の碑の前に停まっており、正しい中山道歩きの旅人には邪魔くさい存在なのでしょうが、私には展示品のように思えてしまいます。その昔、これを買いたいなあと思った時が私にもありました。 2005年7月23日 岩村田宿~塩名田宿で撮影 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ パブリカ   もともとこういう軽快な自動車も自分は好きでした。自家用車の原点というかベーシックモデルとして、今の自分が使用するとしたら、セリカのような自動車よりお似合いでしょう。だんだん夢がなくなっていく自分がここにいます。 2006年4月15日 加納宿~河渡宿で撮影 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 同じくパブリカですが、朽ち果てています。私自身も朽ち果てつつありますが、元気な…

続きを読む

【465】 14系客車のバックサイン

先週アップした「【463】臨時列車の乗務(27):名古屋の14系座席車」に乗務の際、ちょっとした調べ物をしました。 14系客車スハフ14とオハフ15の後位側貫通扉には、列車愛称名を表示する手動巻取式の字幕(バックサイン)が装備されていました。名古屋客貨車区の14系への乗務はこの時が初めてだったので、バックサインに、どんな列車名が隠されているのかが、関心事でありました。しかし、その内容が書かれた表示板が乗務員室か貫通扉あたりにありそうなものなのですが、見当たりませんでした。バックサインは臨時の「金星」で使用されるとき以外はいつも白幕でなにも表示されていないのが普通でした。だから字幕は「金星」さえあればよさそうなものなので、そうした列車名の内訳を表示する必要はなかったのかもしれません。しかし、「金星」のほかにいろんな列車名が用意されていることは、ありえない表示を出したまま疎開留置されているところを見たことがありましたのでわかっていたのです。 この日も白幕でした。ちょうど回送列車なので、乗務中は異常さえなければ走行中に特別やるべき仕事はありませんでしたので、乗務車両の最後部スハフ14 42の貫通扉に内蔵されている幕に印刷されている列車名を確認したいと思ったわけです。 下の写真は米原で撮影した他区同系車両を使用した日本海51号です。 きっと、こんな列車名も入っているのかとも思うと調べてみたくなります。しかし調べることを躊躇するような問題がありました。 このころには、ジョイフル…

続きを読む

【464】 中山道歩きで見たモノいろいろ(26):またまた看板…

2005年から中山道の宿場を訪問しはじめ、全宿場に足跡を残しました。 旧宿場町や旧街道を歩いていると、自動車なら気付かずに通り過ぎてしまうようなチョットしたモノも目に入ります。 ふだんの生活で当たり前にあるものでも、その地方ごとにチョット違っていたりしますし、裏道になり下がった旧中山道には、現在の表通りとも言える国道や、そのバイパス道では見かけられないようなモノが残っていたりするものです。 中山道の看板はこれで終わりにしようと思いますが・・・信用しないでください(~o~) **************************** 薄毛解笑とは? 意図するところは、カツラで 「薄毛の悩みも解消して笑顔」 ということなのでしょう。 でも私は 「薄毛が解ってしまい笑われる」 と受け取ってしまいました… 加納宿~河渡宿で2006年4月15日撮影 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 2種類のミシンメーカーの琺瑯看板とならんで気になったのは「だるま」!! 「起き上り」の看板です。起き上り最中は岐阜の銘菓。岐阜県地方では起き上り最中は有名で、子供もみな知っていました。中学生の時の部活で、上体を起こす腹筋運動のことを、部の中では「もなか」と言っていました。起き上るトレーニングだったからで、「起き上り最中」から来たネーミングであることに疑いがありません。 「部活サボった奴は罰として、もなか50回やることになっとるで覚悟…

続きを読む

【463】 臨時列車の乗務(27):名古屋の14系座席車

この日は名古屋から中央西線中津川までの14系客車の回送列車でした。列車自体は長野まで運転されましたが、私の乗務は臨時回送列車の乗務範囲として決められていた中津川までで、その先は他区乗務員と乗継になりました。 1986年(昭和61年)3月3日 中央本線 回9821列車 運転区間 名古屋~長野(名古屋臨回303) 乗務区間 名古屋7:36~中津川9:08 EF64 51(篠) 変臨A301 オハフ15   2 名ナコ オ ハ14   7 名ナコ  オ ハ14   2 名ナコ  オ ハ14   3 名ナコ  オ ハ14 144 名ナコ  スハフ14  42 名ナコ 奇しくも、この記事をアップした28年前の同じ日のことになります。 回送の目的は不明ですが、長野鉄道管理局への貸出なのではないかと思われます。当時の長野鉄道管理局の団体用座席車は12系2編成しかなかったのに対し、名古屋鉄道管理局(配置区は名古屋客貨車区)には14系のほか12系も多数配置されていました。名古屋客貨車区の14系は多客期に運転される臨時特急金星に代表されるような「波動輸送用」車両でしたので、その運転期間以外は使用されることは少なく、その間は車両の置場に困ることから、関西本線の蟹江駅や永和駅で長期間留置(これを「疎開」といいます。)されていることが多かったものです。そんな状態でしたから、閑散期には他局からの貸出にも応じられる状況にあったと考えられます。 14系客車は特急用なのに、名古屋客貨車区…

続きを読む

ブログ内ラベルリスト