【489】 稲沢駅今昔

先週、いろいろありまして稲沢へ久しぶりに出向いたことはすでに書きました。そのとき線路沿いの道をブラブラ歩いていると、機関区構内でDD51のエンジンがかかり、転線作業が始まったりして、そのエンジン音やら汽笛が響き渡るのを懐かしく聞いていると、昔と変わらない鉄道の息吹を感じました。けれども、私が住んでいた「もと番外地」(【191】私は番外地に住んでいた!?をご参照ください。 )も更地になり、国鉄関係の施設の多くは姿を変えてしまっていました。 こちらの画像は、亡父が撮影した昭和50年代の稲沢駅の様子です。事務室部分だけしか写っておらず、乗降客の出入口は画面右端に少しだけしか写っていません。この右側に跨線橋がありました。 現在はこのような近代的な橋上駅舎に生まれ変わりました。 この駅舎の神戸方(画面左)には現在もJR貨物のビルがありますが、このビルは国鉄時代に建てられたもので、その中には稲沢車掌区も入っていました。そのビルから撮ったと思われるのが次の画像です。 鉄道関連のものを撮影することはほとんどない父でしたが、列車掛から専務車掌(荷扱)に昇進するに当たって、稲沢へは乗務で来ることがなくなるため、その直前の折返し乗務間合いに撮影した画像のようです。 ホーム上屋とその先端(東京方)に跨線橋が見えます。EF65の牽く貨物列車の背後には、現在愛知機関区があります。 下の画像は、その反対側(神戸方)を見たところです。正面奥あたりが稲沢第一機関区だと思われます。そのあたりには現在大型ショッピングモール…

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【488】 緩急車車内の落書(コキフ50000関連)

またまた貨物列車乗務時の落書シリーズの続きです。これで最終回になります。 私が列車掛をしていたときには、東海道本線と関西本線でコキ50000系で組成された高速貨物列車に乗務する機会が多くありました。空気バネ台車を使用した10000系に比べてコストダウンを図ってコイルばね台車を使用したコキフ50000の揺れはすさまじいものでした。その実態は【189】乗務した車両:コキフ50000で書きました。このコキフ50000形式ならではの内容の落書を集めてみました。以下、「原文のまま」としてあります。 ************************* 1980年8月22日 74列車 コキフ50036 南トメ(稲沢~西浜松間乗務) 列車掛も人間だ、コキフの改造車を! 汐留客貨車区長の乗務を! 東京地区のコキフはすべて51000番台に改造せよ これも改善要求の落書です。落書本文にあるように、この形式では乗り心地の改善策として、空気バネ台車への振替改造が一部車両で行われました。その改造車は元番号に1000を加えたナンバーに改番され51000番台になったのでした。 この落書があった車両は汐留客貨車区所属なので、区長に乗務させて実態を理解させよという内容です。実際に汐留客貨車区所属車には未改造車が多く、深夜に高速で飛ばす74列車ではよく乗務しました。その74列車については翌週触れることにします。 ************************* 1980年10月4日 3069列車 コキ…

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【487】 ロクヨン1000とヤクザのカマ隠し~EF64 77の近況(´・ω・`)

5月19日午前中、稲沢へ行きました。車籍がなくなった後、お召塗装に復元されながらも、一定の枠内での公開を除くと、公の場では披露されたことがないEF6477の現状を見るためでした。行ってみると、陸橋の名古屋寄りにある愛知機関区の建屋のそばに、その美しい姿があったのを見つけましたが、隣には片パンを上げたEF641045が、あたかもEF6477をガードしているような位置に止まっていまして、その全容を眺めることはできませんでした。 銀色の縁取りと白いライン。敷地外の公道からだと遠くてよく見えませんが、EF6477に間違いありません。 ************************** しなの7号「おーい!ロクヨンの77さん!! 会いに来たよ!きれいにしてもらってんだねえ。」 EF6477 「・・・」 しなの7号「寝てるんだったら起きてよ!」 EF6477 「・・・」 しなの7号「だめだ…熟睡中か? 返事がないやorz」 EF641045「うるさいなあ!あんたは誰?」 しなの7号「ああ、ロクヨンの1045さんか、ひさしぶりだねえ。」 EF641045「だから、誰って聞いでるでしょ! ボクはあんたのことなんか知らないよ…」 しなの7号「最近は行かないけど、1年ちょっと前まで春日井貨物の時に何回か顔見たじゃないか。地蔵川の鉄橋の近くでさあ」 (写真を見せる) EF641045「ああ、あのときは、雨がたくさん降ってたのに、ボロ傘さして線路端へ…

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【486】 緩急車車内にあったさまざまな落書

貨物列車乗務時の落書シリーズの続きになります。 先週ご紹介した組合関係の落書のほかにも、さまざまなジャンル?の落書がみられました。 以下、誤字脱字用法誤りなどもありますが、「原文のまま」としてあります。ただし漢字に略字が使用されている場合には正しい漢字に変換されています。 *************************** 1980年11月25日 8852列車 ヨ13588 大スイ(稲沢~西浜松間乗務) 吹田のバカドモ雪が入いるぞ 雪の降る寒い日に乗務していた人の作品?と思われます。この緩急車は吹田貨車区所属の車両なので、所属区へのメッセージなのでしょう。緩急車は別名「寒泣車」とも言われ、冬場の乗務では走行中に、ドアや窓の隙間から入る冷たい風で寒い車両が多くありました。その隙間風に雪が混じって吹き込んできたのでしょう。こういうときは新聞紙を縦長に細く折りたたんで、それを隙間に挟んでしのぎました。「バカドモ」と言われてもどうしようもないですが、言いたくなる気持ちは理解できます。 *************************** 1980年9月13日 685列車 ヨ6060 北オオ(岡崎~北岡崎間乗務) やかましい緩急じゃの~! 車内をきれいにしませう。 今の電車のように、車輪踏面に擦傷があったりすると、車輪が1回転するたびにドンドンとうるさいことは、もちろんありました。それがなくても二軸のヨやワフといった緩急車はさらに乗り心地が悪いのはもちろんで、騒…

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【485】 模型…その実車の現役時代(3):EF64 77

先週ご紹介した、ラウンドハウスから発売されたNゲージ「EF64 77タイプお召仕様」。 実車のお召列車牽引時の姿は知りませんでしたが、稲沢機関区に転属(のちに愛知機関区)したあと、中央西線で活躍する姿は、目立つ側面の白線の存在で77号機であることが一目でわかるので、印象に残りました。それでも写真となると、それほど撮っていないものです。 77号機は、一般塗装に加えられた白線のおかげで、地味な貨物列車より青い客車を牽く姿が似合うと思いました。1986年秋から初冬にかけて再就職候補に決めた先の筆記と面接試験がすべて終わると、中央西線にスキーのための団体列車が運転される時期がやってきました。団体客車列車は12系、14系のほかに、その前シーズンからは団体用に格下げ使用されるようになった20系寝台客車も中央西線に姿を現すようになっていました。できれば青い客車のなかでも、EF64と同じ青15号の20系寝台客車を牽く77号機を見たいと思っていました。 年が明け、国鉄最後の年を迎えると、退職することを決めていた私は、休みや明けの日の日中に20系の臨客が運転される日は地元の線路端に出向くようになりました。このころになると、鉄道雑誌で臨時列車の運転期日や、おおまかな時刻がわかるようになってきたこともあって、地元沿線にも時折撮り鉄の姿が見られるようになりました。それまでは、めったになかったことでした。そんななか、ついに77号機の20系団臨牽引が実現したのでした。 午前中の下り列車でした。私はその日、午後の…

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【484】 緩急車車内にあった労組関連の落書

先週は、お遊び感覚で貨車の緩急車内の落書をご紹介しました。 緩急車の落書で、圧倒的に多かったのが労働組合関係の内容でした。 こちらの記事でご紹介する落書きは、その本質的な主義主張に関することではなく、ごく普通の一般職員が思っていたことが吐露されているものです。 最初に、国鉄時代の労働組合について、概要だけ簡単に触れておきましょう。 国鉄には1983年現在、 国鉄労働組合(国労)=24万人 国鉄動力車労働組合(動労)=4万人:機関士、運転士などの職能組合 鉄道労働組合(鉄労)=4万人:労使協調路線 という3つの主要労働組合がありました。緩急車に乗務するのは、このうちの国労と鉄労でした。 2つの組合ワッペンです。左が国労。右は鉄労のものです。それぞれの労働組合のシンボルマークが描かれています。こういうものを制服に着用して外部にアピールしていたのですが、これ以外にも、それぞれの組合員は制服の襟章のところに、このマークのバッジを付けていましたので、他車掌区の乗務員や出先の駅員といった初対面の職員でも、どこの組合員であるかは即座に判別できました。それぞれ「四角いバッジ」「丸いバッジ」という隠語のような言い方で、「○○駅には丸いバッジ付けたやつが大勢おる」というように使われました。 上に示した画像で、鉄労のワッペンには「違法スト反対」の文字があり、労使協調をアピールしています。 管理人自身は「四角いバッジ」を付けていまして、「丸いバッジ」を付けることは退職までありませんで…

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【483】 ラウンドハウス「EF64 77タイプお召仕様」入線

ラウンドハウスからNゲージ「EF64 77タイプお召仕様」が発売されました。 「タイプ」という注釈がついているとおり、EF64 0後期形をもとにしたバリエーション製品で、実物と異なる部分があるということのようです。 上は、付属品を付けていない状態です。 付属品は、前面の手すり、信号炎管、無線アンテナ、避雷器、ナンバープレート。このほかナックルカプラも付属していたので交換しました。↓ EF64 77は、0番代の最終グループ(76~79)のなかの1台になります。このグループの外観の特徴は、ナンバーがプレートを介して車体に取り付けられていることと、側面のエアフィルタのうち1枚がFRP製2分割タイプになったことでした。今回の製品では、FRP2分割のエアフィルタの表現がなく在来タイプになっていることが目立つ点と言えます。そのへんさえ気にしなければ、美しく特徴あるお召機の雰囲気を味わうことができます。 しかし、この製品には国旗は付属してませんでした。そこで、EF58 61号機に付属していた国旗を、両面テープで仮付けしてみました。 このEF64 77は、国鉄における最後のお召列車を牽いた機関車として知られています。 国鉄末期、1986年(昭和61年)10月11日と同14日に「かいじ国体」開催時のことでした。当時、EF64 77は八王子機関区の所属でした。この日のために大宮工場で特別整備されたEF64 77号機の側面には白線が入れられ、その美しさと相まってたいへん目立つ装いに生まれ変わったのでし…

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【482】 【国労】緩急車の落書【鉄労】

落書というものはよく見かけます。 某倉庫の落書き。 鉄道車両にも、国鉄時代にはこんな組織的な落書きがありました。 「インフレ粉砕」 建物の落書きなんかより、動く広告媒体は、関係のない人々にまで意思を伝えられる点においては効果的ですが、大切な商品にこういうアピールを書きなぐる感覚は疑問視されてしかるべきです。しかし現実にあった時代なのです。 客車内でも、昔から窓框などにコンパスの針状のもの書かれた消すことができない落書がありました。 相合傘とか、「○○高校1年〇組○○君大好き」「カノジョ募集中 電話****-**-****」といった類です。 国鉄時代には、車両の転属が広範囲に及んでいましたから、遠方の地から転属してきた車両に、全然知らない高校名、地名や市外局番の電話番号が記された落書が残っていたりしました。 車両の転属を伴う場合であれば前所属区が想像できたり、普通列車が長距離広範囲に及ぶ運用が多かったので、落書からその車両の運用範囲が感じ取れたりもしました。 ところで、国鉄の末期まで貨物列車にはワフとかヨという形式の緩急車が連結され、そこに車掌や列車掛が乗務していましたのをご存知でしょうか。 列車掛については 【3】貨物列車 【27】貨物列車に列車掛(車掌)は必要? をご覧ください。 私も約1年半ほど、たった一人で貨物列車に乗務していた時期がありました。貨物列車の乗務は孤独です。乗客の目も上司の目も届きませんし、貨物列車の多くは旅客列車より鈍足で、運転される…

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【481】 木曽路の115系置換え

3月のダイヤ改正で、中央西線中津川以北の一部普通列車に使用されてきたJR東日本の115系が、同社の211系(3000番台車)に交代しました。 中津川~塩尻間の電化完成後の国鉄電車の歴史に一区切りついたことになります。 木曽路の電化後、すでに40年以上経過しています。その間に主力として活躍してきた国鉄型車両による普通列車を振り返ってみましょう。 最初は80系電車でした。特徴的だったのは1等車サロ85の格下げ改造車のクハ85が多く配置されていたことでした。 80系の置き換え車両は115系1000番台車でした。新車で配置されましたが、冷房は準備工事だけ施工されており、国鉄時代は非冷房のままでした。 その後釜は、中古の165系と169系でした。湘南色(JR東海)と、信州色~長野色(JR東日本)の急行形電車が顔を合わせていたわけです。115系が今改正で211系に置き換えられたことにより、中津川では湘南色帯(JR東海)と長野色帯(JR東日本)の211系が顔合わせすることになりました。 別会社の車両でありながら、同一系列の同じ顔立ちの電車です。これも国鉄の名残と言えましょう。 近年はJR東海では113系も115系も引退していますので、木曽路ではJR東海の313系に割り込むかたちでJR東日本の115系が細々と活躍していました。長野色の115系を中津川で見かけると、信州の香りを運んでくれているように思いました。115系を中津川で見ることはなくなってしまいましたが、信州色帯が入った211系でもそ…

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