【527】 沖縄での鉄分補給(後篇)

沖縄の2日目は本来の目的である結婚式、3日目は定番ともいえる沖縄観光地を巡り、4日めの最終日は、午後の飛行機搭乗手続きまでの時間が、鉄分補給時間になりました。この日も家内と2人で行動です。 沖縄には鉄道がないと言われますが、主に路面電車に適用される「軌道法」に基づいた通称「ゆいレール」と呼ばれる沖縄都市モノレール線というれっきとした「鉄道」があります。このほか沖縄本島には、名護市の動植物公園「ネオパークオキナワ」に沖縄県営鉄道をイメージした遊覧鉄道があって、蒸気機関車(ただし動力は電気)が牽く客車に乗車でき、ちゃんと2本のレールの上を走るものですが、「鉄道営業法」はもとより「軌道法」の適用をも受けず、園内の遊戯施設という位置付けです。限られた時間で両方に乗ることは不可能ですので、首里城や国際通りにも立ち寄れるだけでなく、法的には本物の鉄道である「ゆいレール」のほうを採ることになります。 1日目はレンタカーによる移動でしたが、この日は沖縄滞在中に使っていたレンタカーを午前中に返却し、その後の移動手段は「ゆいレール」にしました…というと誤りで、乗ること自体も目的としています。 レンタカーの営業所最寄りの駅が赤嶺駅でしたので、そこから乗車することになります。「ゆいレール」に乗る前にすべきことがあります。それは、乗車する赤嶺駅は日本最南端の駅ですので、その「日本最南端の駅」の石碑を見ることです。駅は当然高架駅なのですが、南側に駅前広場があって、その広場の片隅に碑が建っていました。 ここでは…

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【526】 国鉄伊勢線2:乗客と切符

私が伊勢線の普通列車に定期的に乗務していたのは、1981~1984年の約3年間で、その期間中には、伊勢線関連の乗務行路がだいたい月に1~2回ずつありました。先週、ここが超閑散線であったという話をしました。実際の様子を具体的に言いますと以下のような感じでした。 1~2両編成なのに、ふだんは休日平日を問わず座席が全部埋まったのを見たことがありませんでした。私は、1日たった7往復しかない伊勢線の普通列車の全列車全区間に乗務経験がありますが、最高に混む朝の列車でも、せいぜい乗車人員は30人くらいが普通でした。早朝や日中、夜間は10人に満たないことも当たり前のようにありました。ちなみに、ここでいう乗車人員とは、一列車あたりの延人数ではなく、線内の任意区間における最高乗車人員ですので、一部区間で乗客が0になることも別に珍しいことではありませんでした。 ターミナル駅とも言える津と四日市の発着時点で最高乗車人員を記録することが多いのは当然でしたが、朝は線内の各駅から、津の手前にある東一身田(ひがしいしんでん)駅に近い高校へ通学する女子高生の割合が多くて、朝の列車では東一身田到着時に最高乗車人員を記録する列車もありました。ここの女子高生は皆、品が良くて、私が乗務した乗務範囲内では最高レベルといってもよく、よそではよくあった喫煙や迷惑行為をする学生は全くなく、静かに勉強している子が多かったのが印象に残っています。 その東一身田駅は無人駅で、高校生以外の利用者は少数でした。画像は第三セクター伊勢鉄道線にな…

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【525】 沖縄での鉄分補給(前篇)

初めての沖縄、那覇空港から、予約してあったレンタカーの営業所まで送迎のワゴン車に乗って移動した後、レンタカーを駆使して、ホテルでの夕食までの限られた時間に鉄分補給をしてきました。同行者は家内だけ。翌日行われる次男の結婚式を控えており、この日、ホテルで両家で夕食を共にすることになっていたので、その時刻に遅れないよう、効率よく目的地を巡るために出発前に地図で場所の確認をしておきました。 最初の目的地は那覇市内「壺川東公園」 「ゆいレール」の壺川駅から600mくらいのところにある小さな公園です。 ここは、戦前、沖縄県営鉄道が敷かれていた場所にあたり、公園内のほぼ同じ位置に線路が復元されているのです。沖縄県営鉄道は軌間762㎜で、一般に「軽便鉄道(けいべんてつどう)」と呼ばれるナローゲージです。沖縄方言では、短母音が「e→i」「o→u」となる傾向があるようで、「べ→ビ」となり、地元では「ケービン」と呼ばれていたそうです。 その復元された線路上には、同じ沖縄県の南大東島にあった大東糖業南大東事業所の砂糖運搬専用軌道で使用された機関車が2台乗っかっています。1台はディーゼル機で、もう一台は蒸機ですが、蒸機のほうは足回りだけの姿でした。下の画像でディーゼル機関車の後方に見えているのが、それです。どちらの機関車も県営鉄道とは関係がない車両たちですが、沖縄戦で破壊されたこの鉄道には完全な姿で今も残る車両はないようです。Wikipediaによれば沖縄県営鉄道には、蒸機・客貨車のほかガソリンカーも複数あった…

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【524】 国鉄伊勢線1:その概要

伊勢線は1973年9月1日に開業した比較的新しい国鉄線で、関西本線の南四日市と紀勢本線の津の間26.0㎞が営業区間となっていました。 すでに赤字経営に陥っていた国鉄が、この時期に新線を開業させる目的は、紀勢本線対名古屋のルートが従来の亀山経由では遠回りであることに加え、亀山駅でスイッチバックを伴い時間がかかっていたことから、短絡線として特急・急行を通過させるためでした。 沿線の市街地は、既存の近鉄名古屋線があり、国鉄伊勢線はその市街地から離れたところばかりを走っていたので、線内6ヵ所に中間駅が設置され、普通列車が設定されていたものの、その本数は少なく、乗客も非常に少ない路線でした。伊勢線は地上設備の面においては、新しい路線らしく、一部区間を除いてそのほとんどが立体交差化されていました。そして単線ではあったものの、複線用の用地が確保された路盤とゆるやかなカーブ・勾配で設計された幹線並の施設は近代的でした。そんな立派な施設であったのに、普通列車に使用される車両は古く、その車内の閑散とした雰囲気も手伝って、超ローカル線の風情が漂う一種独特な線区でした。 普通列車に使用されていた車両は、私が乗務していた昭和50年代半ばには伊勢運転区のキハ2両編成。基本的にキハ35で、ときどきキハ45、稀にキハ30と40も見かけました。その後、昭和59年(1984年)2月のダイヤ改正時にすべて亀山機関区のキハ1両の単行運転に変わり、これにはキハ30かキハ40のいずれかが用いられました。 普通列車のダイヤ…

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【523】 沖縄へ行ってきました

みなさん、お久しぶりです。 約1か月の間、ブログをお休みさせていただいておりました。 先月の記事で予告しましたように、この間に次男の結婚式がありました。その本人たちは、入籍2周年の日に、親たちにふだん行けない海外旅行に連れていってあげて、その先で結婚式をしようという企画から始まったことのようで、行先はグァムあたりを考えていたようでした。しかし私が、リゾート地へ行くのなら、海外でなくで沖縄がいいと言ったことで、その意見はすんなりと受け入れられて結婚式の場所は沖縄に決まったのでした。なぜ沖縄がいいのか本人たち2人にも説明したのですが、要するに日本で私自身がこれまで行ったことがなかった県が沖縄だけであるから行ってみたいということ。そしてそこには沖縄都市モノレール(愛称 ゆいレール)があって、その路線には日本最南端の駅となる「赤嶺駅」と日本最西端の駅「那覇空港駅」があるので、乗って見ておきたいと思っていたからでした。 故宮脇俊三は、著書「失われた鉄道を求めて」の中の「沖縄県営鉄道」の章でこう書いています。 「私は沖縄に行ったことがない。鉄道旅行が好きで、日本全国を乗り回ってきたが、沖縄だけには無縁であった。(中略)理由は簡単で、沖縄に鉄道がないからであった。」 まったく同じ理由で、私も旧国鉄線を乗り鉄している間に、意識せずとも北海道から九州までの都道府県にはすべて足跡をしるす結果となりました。宮脇俊三も沖縄県営鉄道の廃線跡巡りに出かけたその時(1984年)が、最初の沖縄行きだったようで、…

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【522】 ホコリ多きパソコン

約1ヵ月の予定でブログ更新をお休みしている最中ですが、この間に予備的に使用しているパソコン(通称「しなの3号機」・・・ちなみにメイン使用のパソコンは通称「しなの4号機」)のメンテを行いました 最近は夏場に電源投入後、負荷がかかるといきなり電源が落ちてしまったりして信頼性がなかったのですが、最近は負荷をかけなくても電源が落ちてしまい実用にならなくなってしまいました それもそのはずで、電源投入してもCPUファンが回らなくなっていることに気付きましたこのように裏蓋を開けて、CPUから冷却フィンまで一体につながった状態の冷却パーツをゴソッと外すと(画像は取付状態)冷却フィンに埃が溜まっていました これを取り除いてもOKとはいかず、ファンが回転しないのは別に原因があるわけです。あいにくこの機種の場合はファンの交換が大変面倒らしいのですが、冷却フィンがあった排気部分から精密ドライバーをファンがある部分に突っ込んで無理やり回転させてみると、隙間からこんなホコリの塊がボロンと出てきました原因は明らかにこいつで、数年間でここまで大きく成長して、ファンの回転を邪魔して止めてしまったということのようでした。除去したらファンは回転し、元通りにパソコンは動くようになりました。めでたしめでたし マネされてパソコン再起不能になっても知りません。よい子はメーカー修理がよろしいかと ところで、拙ブログは、ほぼ当初の予定どおり来週木曜日(10月16日)から再開できる予定です。今後ともよろしくお願い申し上げます

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