【536】 沖縄で見たもの(後篇)

日常の行動範囲では見ることができないものに出会うことこそ、旅のおもしろさです。 初めての沖縄では、観光地に立ち寄るまでの道中やその先で、いつもの私の身の回りでは出会えないものにいくつか出会うことができました。 初めての沖縄で思ったのは、自動車が多いことでした。そしてたとえば右折車線が2レーンあるなど幹線道路は走りやすく整備されていましたが、市街地での渋滞が日常的にあって、レンタカーでは思ったほど走行距離を稼げず、事前に自分で作っておいたタイムテーブルにも余裕が持てませんでした。 ドライブの信号待ち中や徒歩での移動中の路上で、いかにも沖縄らしい風景や目に留まったものの画像をアップしてまいります。 鉄道に関係なくても「駅」と言われると反応してしまいます。…ただそれだけです。 スクールバスのようですが、ナンバープレートが日本のものではありません。ちなみに画面左側には米軍基地が広がっています。※ナンバープレートをそのままアップすることは避けました。拡大した部分のナンバーは実際に見た車両のナンバーではなく、画像の加工をしてすべて2に置き換えたものです。様式だけをお伝えできればよいという趣旨ですのでご承知ください。 こちらは普通のトラックですが、変わった様式のナンバープレートでした。※ナンバープレートをそのままアップすることは避けました。拡大した部分のナンバーは実際に見た車両のナンバーではなく、アルファベットBの後ろは画像の加工をしてすべて0に置き換えたものです。様式だけをお伝…

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【535】 国鉄伊勢線6:事故後の一番列車

昭和57年8月3日、雨の日。 車掌区へ出勤して乗務の準備をしているときのことでした。 乗務員のたまり場とはカウンターで仕切られているだけの事務室で、電話を取った助役がとんでもない大きな声で、 「裸足(ハダシ)になったぁ?! お客は大丈夫か!!」 と叫んでいました。 「ハダシになる」というのは、部内用語で「脱線した」を意味します。近くにいた者は、そのやりとりに釘付けになりました。 その事故を伝える翌日の中日新聞です。 その事故は、伊勢線の中瀬古~河芸間(当時は伊勢上野駅はなかったので、現在の伊勢上野~河芸間)で、下り127Dが崩れた土砂に乗り上げて先頭の1軸が脱線したというもので、車掌が近くの民家の電話を借りて車掌区へ第一報をしてきたのが、その電話だったのでした。 当時は列車無線が整備されておらず、気動車には乗務員無線機すら常置されていませんでした。非常時の連絡手段としては、車両に常備されている「携帯電話機」を使うことになっていました。現在普及している携帯電話を想像してはいけません。回転ハンドルと受話器がついていて、そこからコードが出ている大きな箱状のしろもので、無線通信機能などはありません。これを持ち出して、沿線のところどころ(約500m間隔)に設置してある携帯電話機接続端子箱(TBボックス)があるところまで走って、その端子に携帯電話機のコードを接続して、電話機のハンドルをグルグル回すと、通信線経由で隣接駅が呼び出せるといった原始的なものでした。しかし近くに民家があれば、民家で…

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【534】 沖縄で見たもの(前篇)

元に戻って木曜日の記事は鉄分は0ですので、あしからず。 日常の行動範囲では見ることができないものに出会うことこそ、旅のおもしろさです。 沖縄知事選挙も終わりまして、今後沖縄がどのように変わっていくのかと、今まで以上に気になるようになりましたが、先月初めて行った沖縄では、観光地に立ち寄るまでの道中やその先で、少なくともふだん私の身の回りでは出会えないものにいくつか出会うことができました。 脈絡もなく、その画像を列挙してまいります。 結婚式場で出たビールはオリオンビールの特別ラベル。 A&Wはハンバーガーなどを提供するファストフード店。日本では沖縄にしかありません。 私はA&W糸満店と名護店の2店舗のお世話になりました。 A&Wでは「ルートビア」なるお代わりOKのドリンクがあります。ビアとはいってもアルコール分はなく、最初の一口はイソジンみたいな薬っぽい味がきついですが、ハーブが入っているとのこと。沖縄県内のスーパーでも、缶入りのルートビアは普通に売っているようでした。このほかスーパーでは、税込37円という安いマンゴーの缶飲料を見つけ、さすが沖縄と思いましたが、買ってみると原産地は「韓国」でした。 こちらの建物は何でしょう? 古代遺跡か?新興宗教の聖地か?               ・               ・               ・               ・ これは、名護市役所の庁舎なのです。 1981年竣工の鉄骨鉄筋コンクリー…

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【533】 国鉄伊勢線5:仕事の終わりは特急列車

伊勢線の乗務では、先週書いたように運転士に怒られたりしたこともあったのですが、楽しいこともありました。 前夜、四日市で泊まり、翌朝伊勢線で四日市・津間を一往復半する行路がありました。125Dで津へ着いたら事実上仕事は終わりで、名古屋まで便乗で帰ることになっていました。ところが伊勢線にはもう午前中に普通列車は1本もなく、定められた行路表では、遠回りの亀山経由で、新宮夜行で知られる924列車に名古屋まで便乗で戻ることとされていました。(亀山電化の1982年5月改正以降は924列車が亀山止まりとなったので、亀山で普通電車に乗り換え。) しかし、伊勢線には午前中の普通列車がなくても、本来の建設目的である短絡線という性格上、伊勢線内をノンストップで通過する名古屋行の特急列車はあるわけで、いい時間帯に紀伊勝浦から来る名古屋行「南紀2号」があったのです。当時は特急には「特別急行」というステータスがあったからでありましょうが、プライベートで国鉄の一般職員が特急に乗車する場合には、支給されていた職務乗車証を所持していても、特急券を購入(別に支給される割引証を併用すれば安くはなる。)する必要があったくらいでしたし、乗務でも車掌のうち専務車掌と車掌長だけが特急・急行を受け持った時代です。この行路でも普通列車しか乗務できない車掌を特急に便乗させるような乗務行路は作成されませんでした。今なら逆に特急に乗務させ、車内改札でもさせれば、増収効果も見込めますし、勤務時間が減らせることで、人員削減の効果も期待できますから積極的…

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【532】 旧京福電鉄永平寺線で見たものは…

私が国鉄を退職してから9年目の1996年、暑い夏の日のことでした。金沢と福井へ出張した帰りに旧京福電鉄永平寺線(現在は廃止)で永平寺へ参拝しました。乗換駅の東古市(現えちぜん鉄道永平寺口)では、永平寺線の永平寺行のワンマン電車が客待ちをしていました。線路側のドアも全開でした。国鉄でもサボ交換のため、一時的に線路側のドアを開放することはありましたが、すでにこの時は平成の世でしたし、久しく見ない風景だなと思い、発車時刻までは、かなりありましたので、開けっ放しの線路側のドアから下を見下ろしたりして過ごしました。乗客はほとんどいない状況であり、エアコンなどないので、車内の通風のためにドアを全開にしてあったものだと私は思うのですが、なぜかご覧のように窓は少ししか開けられていませんでした。他に理由があったのかもしれませんが、別にサボ交換のために線路側のドアを開放しているわけではなさそうな状況でした。もちろん発車時刻の前には線路側のドアは閉められました。 そんな不思議な光景を見て、その電車で終点の永平寺まで乗車、その帰りにまた驚きの出来事がありました。 永平寺から3人の乗客を乗せた東古市(現えちぜん鉄道永平寺口)行きワンマン電車。運転士氏は途中駅に乗車客・降車客ともないと見るや、間違いなく意図的にその駅を徐行のまま通過。ついに終点の東古市まで3つある途中駅すべてに乗降客がなかったためすべての中間駅を徐行運転のまま通過し、各駅停車なのに終点まで無停車!という経験をしたのでした。いかにも閑散とした支線でのこ…

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【531】 国鉄伊勢線4:四日市行き上り終列車134Dのドア

先週に引き続き、国鉄伊勢線のエピソードを続けましょう。 津発四日市行の伊勢線上り終列車の話です。終列車と言っても発車時刻はまだ宵の口で20時17分発でした。この列車は、一時間以上も前に着いた列車の折り返し運用でした。車両はその間、紀勢本線下りホームの亀山方にある切欠き行止り式の伊勢線普通列車専用のホームに、ドアを閉めた状態で止められていました。車掌も運転士も、その近くにあった乗務員乗継詰所で発車の10分くらい前までは、くつろいでいましたから、無人状態でホームに留置されていたわけです。 通常使用されていた伊勢運転区のキハ35は、とにかく暖房が効かず寒い車両でした。真冬は早目にドアを開けてしまうと、鈴鹿颪と呼ばれる北風が客室に一気に入り、さらに冷えてしまいます。せめて押しボタンで乗客が自由にドアを開閉できるようになっていればいいのですが、伊勢運転区のキハ35にはそんな設備はありませんでした。 冬場、乗務員が出場する前からホームで待っている乗客としては、列車は目の前に止まっているのだし、多少でも暖かい車内(実際はそれほど変わらないが北風くらいはしのげる)に早く入りたい!なぜ早くドアを開けないのか!と怒りたくもなるものでしょうが、伊勢線の終列車では真冬でもそんなことでトラブルになったり、苦情が出るようなことはありませんでした。 それはなぜかというと、その列車のドアは閉まっているものの、車掌と運転士が来る前に乗客はいつでも「全員が」乗車していたのです。 ????????????????…

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【530】 種村直樹氏ご逝去

2014年11月6日、レイルウェイ・ライター種村直樹氏がお亡くなりになったとのこと。 種村氏は、国鉄時代から数々の鉄道関係のルポルタージュを執筆され、私は国鉄に就職する前から雑誌でその著作をいくつか読みました。国鉄に就職した後には、気動車急行赤倉・電車寝台特急金星など、私が専務車掌になる前に廃止されてしまった優等列車の乗車ルポから、同じ職場に勤務する大先輩たちの活躍ぶりを知り、憧れとともに身近に感じながら読んだことを思い出します。そして、こうしたルポとは別に、旅客営業関係を扱った「種村直樹の汽車旅相談室」は車掌時代には乗務中に持ち歩いた時期さえありました。もちろん国鉄監修の書物ではなくて、紹介されている内容は規則上の盲点をついた事例が多く、車掌側からすれば規定上はそうだが実際にその解釈を適用した切符など発行したくないよという事例もあったように記憶しています。しかしそれはそれで、なるほどと思う事例に多く接することができましたし、質問者への回答にもある程度主観を入れられたりして、硬くなりがちな規定本とは異なり、読みやすく職場で教えてもらえない事例についての参考書的な存在とも思っていました。 そして、以前にも書いたことがありますが、私の最終乗務日の「しなの2号」篠ノ井~松本間で、丸めて円筒状にした資料?をお持ちになって自由席に座られている種村氏によく似たお客様を見たことが思い出されます。 そういえば、CBCラジオの午後「ばつぐんジョッキー」のパーソナリティーをされていたことがありました。た…

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【529】 犬のフン…の看板あれこれ

9月に、私は拙ブログのコメント欄で、公園にある「犬のフンは持ち帰りましょう」という類の看板画像が増えたと発言をしましたが、その後に行った沖縄 読谷村(よみたんそん)でも、こんなものを見つけました。 犬に、飼い主を同伴させろと言っているのがユニークですね。 ところで、前述の私のコメントをご覧になった自称「鈴鹿支局特派員」様から、三重県鈴鹿市内の公園にあったこの手の看板画像を3枚、コメント付きでお送りいただきましたので、私が撮影した画像とともにご披露します。 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ <<投稿写真①>> 特派員コメント:訴えを最も端的に表現しています。恥ずかしがる犬に好感が持てます。ただ、付記がいかにもお役所です。  じつはこの犬とこの飼い主、私には見覚えがあります。以前に撮影した画像を見ていきますと、ありました!! 看板に描かれた背景も、コメントも異なりますが、同一人物同一犬に違いありません。ずいぶん行動範囲の広い犬と飼い主であることです。 下の画像に登場している犬も、上の看板の犬と同じ人相…でなくって犬相?で、ただ左右対称位置になっているだけのことです。こちらの看板には飼い主がいません。どうでもいいことですが、看板のうしろに小さく写っているのはJR東海211系です。 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ <<投稿写真②>> 特派員コメント:自分で後始末のできるお利口さんです。こんな犬なら放し飼いしても大丈…

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【528】 国鉄伊勢線3:ローカル列車のお客さん~第三セクター化

先々週、先週とご覧いただいたような状況で、伊勢線での普通列車乗務は、名古屋近郊の本線筋に比べれば気休めのような仕事でした。 観光客は特急や急行で通過して行ってしまうので、わざわざ普通列車に乗られる旅行者風の方は少ないので目立ちました。わざわざ伊勢線の普通列車に乗られる観光客といえば、たいてい行先は鈴鹿サーキットでした。現在の伊勢鉄道「鈴鹿サーキット稲生」駅は文字どおり鈴鹿サーキット最寄の駅ですが、国鉄当時の名称は「稲生」駅でした。駅名が変わった今も、この駅の付近には何もなくさびしいところで、バスやタクシーが常駐することもなく、鈴鹿サーキットまで徒歩なら30分はかかる場所でした。 稲生でホームに降り立って、呆然とされるお客さんをときどき見かけました。 そのほか旅行者風といえば、当時の国鉄が行ったキャンペーン「いい旅チャレンジ20000キロ」の乗り鉄さんをよく見ました。ちょうど、私が普通車掌で伊勢線に乗っている頃に、青春18きっぷの前身にあたる「青春18のびのびきっぷ」が発売され、若い方々の乗り鉄さんが増えてきた時期でもありました。こういう企画乗車券は今ほど一般に知られていませんでした。 そんな中で、フルムーン夫婦グリーンパスを使って、いい旅チャレンジ20000キロに挑戦中の熟年夫婦の方に出くわしたことがありました。ローカル線の普通列車ですからもちろんグリーン車はありませんので、がら空きのキハ45の4人ボックス席を占領したご主人は、私に「○○線に乗ってきて、これから××線にのっ…

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