【537】 国鉄伊勢線7:置石
伊勢線のお話は、今回で終わりになります。
今回も、奇しくも脱線事故と同じ区間である伊勢線の河芸~中瀬古間(伊勢鉄道線に転換後に伊勢上野駅が開業しましたので、現在の伊勢上野~中瀬古間にあたります。)での出来事でした。
時は昭和58年○月〇日。あの脱線事故から約1年後の夕方、津から四日市へ向かう130Dに乗務中のことでした。この列車は下校時間にもあたっていましたので、乗客も30人くらいはあったように思います。
列車が伊勢線唯一の短いトンネルの中で非常ブレーキがかかって停車しました。
下の画像はそのトンネルの現状ですが、当時とそれほど変わった感じはしません。複線用として掘られたトンネルですが、今でも単線のままになっています。
運転士から車内電話で
「置石やられたわ~。ちょっと前まで来てくれんか。」
短いトンネルで中瀬古駅寄りの出口付近での出来事でした。レールを見ると、片方のレールだけが砕かれた石の粉末にまみれていました。その範囲は長く続いていて一つや二つの石ではないことが判りました。
車内放送で、
「置石がありましたので、しばらく停車します。」
と放送して、乗務員室ドアからトンネル内に降りて、レールと車輪を気にしながら先頭車両へ向かいましたが、この間、線路は砕かれた石の粉にまみれていましたが、脱線はしていませんでした。そのまま先頭まで行くと、さらに驚くべき光景を見たのでした。
停車した列車の行く先のレール上には、まだ石が並べられ、通信ケーブル埋設用のコンクリート製の蓋までも…