【554】 キハ11 高山線・太多線での乗り納め

先日、今年に入って初めて列車で出かける用事がありました。その帰路、大垣から帰るのに私にとっては遠回りかつ時間がかなり余計にかかるのを承知で、高山線~太多線経由で帰ってきました。そのわけは、3月のダイヤ改正で太多線では乗る機会がなくなってしまうJR東海のキハ11に乗っておこうと思ったからでした。 JR東海オフィシャルサイトによると、「3月のダイヤ改正時点では、太多線はすべての定期列車が、高山線の岐阜~美濃太田間は約8割の定期列車が、キハ25形もしくはキハ75形気動車になります。」とされています。この書き方ですと、少なくとも岐阜~多治見の直通列車に関しては、ダイヤ改正後は直ちにキハ25形もしくはキハ75形に置き換えられることになりますし、いずれにしても高山線でも平成27年度中にはキハ25形・キハ75形気動車にすべて置き換わる予定となっています。そんな事情でしたので、事のついでで申し訳なかったのですが、乗ってきたというわけです。 乗った列車は、休日の午後岐阜を発車する多治見行でした。2両編成の後寄りキハ11-122の4人ボックス席を確保しましたが、買い物帰りの乗客がある程度乗ってくるのかと思えばそうでもなくて、終点多治見まで相席になることはありませんでした。いつも乗る電車とは違って、エンジン音のほか、けっこう気になる振動を、私は快適とは表現できませんが、意外に広い4人ボックス席で空いていたこともあって缶ビールの1本も買ってくれば良かったと後で思ったのでした。(でもトイレがないからヤメ。) …

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【553】 車掌スイッチ

車掌スイッチとは、車掌がドアの開け閉めをするときに取り扱うスイッチのことです。 車掌が停車中にプラットホーム上に降りた状態で、旅客の乗降や信号ほか安全確認ができる状態でドア開閉ができるよう、左右にある乗務員室扉付近に取り付けられています。画像はリニア鉄道館に展示してあるクモハ12041の乗務員室内を外から撮影したものです。中央下部の四角いボックス形の機器が車掌スイッチで、右側が乗務員室扉が少し写っています。 この形の車掌スイッチは「押棒転換式」で、上に出っ張った1本の棒を押し下げることによってドアが「閉」となり、「閉」位置で下に出っ張った棒を押し上げることによってドアが「開」となります。 電車や気動車の運転室内には、列車の運転に必要なスイッチや機器類が多数あるわけですが、車掌が取り扱ってもよい機器は少なく、車掌は、この車掌スイッチのほか、連絡用のブザーと電話、非常時に列車を停止させるための車掌弁、電灯・扇風機・冷房の制御スイッチ、放送装置など接客設備関係の限られた機器類しか操作できませんでした。 私が乗務していた103・113・153・165系といった国鉄電車(117系は除きます。)の場合は、車掌が扱う「車掌スイッチ」の機能を入切する「戸じめ切換スイッチ」が運転室内に別にあり、この「戸じめ切換スイッチ」を「後位置」にした運転室の「車掌スイッチ」が作動するようになっていました。こちらの「戸じめ切換スイッチ」のほうは車掌が取り扱うことが許されず運転士が操作しました。画像はリニア鉄道館に展示…

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【552】 昭和の音~LPレコード

一昨年から、空家になった実家に置きっぱなしになっていた自分のモノを、少しずつわが家に持ってくるということを繰り返し、要・不要の振り分けをしてきました。どうしても手元に置くべきものだけを家に残し、あとは写真に撮ってから廃棄したり、引き取り手があるものはお譲りしたりして、ついに私自身が実家に残したものはほぼ無くなりました。ここまでに、約1年半もかかりましたが、家に仮置きスペースが全くなく、部屋に設置した倉庫用スチール棚が、廃棄や譲渡によって空きスペースができると、そこに仮収容できそうな量だけモノを実家から持ってくるということを繰り返した結果です。この間に空いたスチール棚1段分はNゲージ模型の展示スペースにしたこともあって、いつまでたっても私は物置のようなところで寝起きしている状態で、さらにモノの減量をする必要があるのです。 最後まで実家に残っていたのは、LPレコード約50枚でした。レコードは場所を取ることに加え、必要なのは「音」ですので、ジャケットの写真だけを撮って捨てるというわけにはいきませんでした。最後まで残ってしまったのはそのためです。レコードのうち7割ほどは、今後聴くことはないようなものだったり、すでにCD化されているものなので、そのまま手放しても構わないのですが、それらを除いた約3割ほどは、MP3ファイルにして保存したうえで、LPレコード自体はじゃまなので手放したいと思っています。それだけのために一時的にプレーヤーが必要ですが、実家に長く保管してあったプレーヤーは壊れていたので、一昨年…

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【551】 思い出の乗務列車47:東海道本線 荷35列車

先週、先々週の続きになります。 品川乗務員宿泊所で休養した前夜の荷42列車で着いた3人と、未明の荷40列車で着いた3人は、朝8~9時ころにはばらばら起きだして、誘い合うということもなく自然に喫茶店へ揃って出かけモーニングサービスで朝食という行動パターンが一般的でした。3人ずつ別の列車で品川まで来た2組6人は、全員その日の午後、品川駅から荷35列車に乗務して名古屋まで乗務することになっていました。乗務前に乗務員宿泊所がある総合ビル内にある品川車掌区へ出勤することになっていましたが、ぞろぞろ車掌区に行くのではなく、出勤印を専務車掌(荷扱)(通称ニレチといった。)に預けると、ニレチが代表で出勤印を押してくれましたので、私自身が品川車掌区内には入ったことはありませんでした。その出勤時刻が14時39分。喫茶店に行った後は14時ごろまでは自由行動でした。14時からは全員で部屋の掃除をしてから、定められた14時39分より早めに品川車掌区へ「出勤」して、その足でホームへ出場しました。定められた出勤時刻より早く出勤する理由は後述します。 14時までの過ごし方は人それぞれで、乗泊のベッドで寝そべっている人や読書する人、畳敷きの娯楽室でテレビを見る人、囲碁や将棋をする人など。しかし首都圏で日中に自由時間があるこの行路は貴重で、当時は撮り鉄もしていた私は、山手線を使って新宿西口のヨドバシカメラまで行って、フィルムや写真用品の買い物をしたり、秋葉原へ出て電気製品を見たり買ったりもしました。下のラジカセは秋葉原で当時買っ…

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【550】 初夢?を模型で再現 (゚Д゚)ハァ?

最初におことわりですが、中山道で見たモノのシリーズはまたしてもしばらく中断します。申し訳ありません 皆様は、よい初夢をご覧になれましたか? 私は、初夢というには遅いのかもしれませんが、今年になってから、朝まで覚えている夢を見たのは今週に入ってから、やっと見ました。最近は認知症が進んだせいか?夢を見ても朝まで記憶に残っていないことが多いのですが、この日ははっきり記憶に残る夢でした。今後忘れないようにアップしました。 (゚Д゚)ハァ?(゚Д゚)ハァ?(゚Д゚)ハァ?(゚Д゚)ハァ?(゚Д゚)ハァ? 夢の中での場所は、子供のころによく列車を見ていた中央西線に架かるこの道路橋でした。 隣には母がおり、どうやら家に帰る途中のようでしたが、そのへんは不明。 とにかくその列車を見たのです。初めてでした。中央西線にこんな列車が走ってくるなんて… それは、「つばめ」「はと」で使われた青大将色で組成された下り塩尻方面へ向かう客車列車でした。道路橋の上から、画像のような角度で見下ろしました。すでに先頭の機関車は行き過ぎていましたから、どんな機関車が牽いていたのかわかりません。このとき見えたのはスハ44系の狭い窓ではなかったのは確かですから、中央部に連結されたスロ54かスロ60あたりだったのでしょう。10系のナロ10のような感じではなかったようです。 編成を見届けようと、列車が走り去っていく反対側へ道路橋上を横断すると、ちょうど列車の終端が通り過ぎたところで、最後部にはヨ8000、その前にはヨ…

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【549】 思い出の乗務列車46:東海道本線 荷42列車

先週は荷40列車についてお話ししましたが、駅名と線路図の知識がかなり必要な荷40列車に比べて、名古屋から汐留まで乗務する荷42列車(乗務車両は「名荷3」)は、仕事上でも比較的簡単であるばかりか、午後の出勤で汐留着が21時過ぎという肉体的にも負担が少ない時間帯の列車ででした。画像は昭和53年4月号時刻表(日本交通公社版)から転載加工したものです。 この列車には1976~1978年の間には、月に1度くらい乗務の機会がありました。 1975年(昭和50年)3月改正 東海道本線 荷42列車 運転区間 鹿児島~汐留 <<編成は名古屋発時点のもの>> 乗務区間:名古屋14:17~汐留21:11 機関車 EF58(浜) マニ 名荷3  (名古屋~汐 留) ワキ 金荷203(富山~米原~汐留) マニ 名荷2  (米 原~汐 留) マニ 鹿荷2  (鹿児島~汐 留) スニ 鹿荷203(鹿児島~汐 留) スニ 鹿荷202(鹿児島~汐 留) スニ 鹿荷201(鹿児島~汐 留) オユ 南東郵1 (鹿児島~汐 留) オユ 熊郵2  (熊 本~汐 留) マニ 南東荷4 (熊本~東小倉~汐留) マニ 南東荷7 (宮崎~東小倉~汐留) マニ 静荷1  (宮崎~東小倉~沼津) 編成も12両と長く、当時の東海道本線の一般的な編成です。このうち南東荷4(マニ)は熊本から東小倉までは別列車に連結されてきているようです。過去記事【431】思い出の乗務列車33:東海道本線 荷31(名…

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【548】 中山道歩きで見たモノいろいろ(28):踏切

約10か月ぶりに、不人気シリーズ「中山道歩きで見たモノいろいろ」を再開します。もう少しでこのシリーズが完結するので、しばらくお付き合いいただけたらと思います。パソコン版をご利用の場合、このシリーズの過去記事をご覧いただくには、ブログ右側カラムにある「ブログテーマ」欄より「旧街道」のテーマを選択していただくと便利です。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 2005年から中山道の宿場を訪問しはじめ、全宿場に足跡を残しました。 旧宿場町や旧街道を歩いていると、自動車なら気付かずに通り過ぎてしまうようなチョットしたモノも目に入ります。 ふだんの生活で当たり前にあるものでも、その地方ごとにチョット違っていたりしますし、裏道になり下がった旧中山道には、現在の表通りとも言える国道や、そのバイパス道では見かけられないようなモノが残っていたりするものです。 今回は踏切にスポットを当ててみましょう。 中山道は延長500㎞を超える長い街道です。江戸から京都まで、現在の国道1、8、17、18、19、20、21、142号線のそれぞれ一部に当たります。 これだけ長いと、鉄道と交差する場所も多くあります。都市部では立体交差が多いのですが、大都市圏を離れたところでは踏切による平面交差が何ヵ所もありました。 この写真のように、自動車が通れないようなこんなにも細い道の踏切であっても、さすがに伝統ある街道ですから、踏切名によってこの細道が確かに「中山道」であることが一目してわかるの…

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【547】 思い出の乗務列車45:東海道本線 荷40列車

今回から3週にわたってご紹介する思い出の列車は、私が車掌になる前「乗務掛」としてマニに乗務していた東海道本線の荷物専用列車です。過去にも、いくつか荷物列車の乗務についての記事を書いてきていますので、荷物列車の実態についての一般的なことは繰り返し書きませんので、不明な点はブログ右側カラムにある「ブログテーマ」欄より「荷物列車」のテーマを選択して、過去記事をご覧ください。また、サイト内検索もご利用ください。 直前の荷物列車関連記事は「【480】思い出の乗務列車40:関西本線 荷44~224列車(後篇)」になりますが、その中では、関西本線224列車に連結されていたマニで、百済~青森間の長距離運用「天荷3」の積載方が難しかったことを書きました。今回紹介する東海道本線の荷40列車は、名古屋からその天荷3が継送される列車でもありました。 荷物列車のシリーズでは編成の記号番号を記録しておりませんので、編成表は運用番と運用上の発着駅にとどめますのでご了承ください。 1975年(昭和50年)3月改正 東海道本線 荷40列車 運転区間 東小倉~品川(隅田川) <<編成は品川到着時点のもの>> 乗務区間:名古屋18:56~品川 3:38 機関車 EF58(浜) マニ 天荷3  (百 済~名古屋~青 森) マニ 名荷4  (名古屋~青 森) マニ 名荷5  (岐 阜~青 森) マニ 名荷6  (岐 阜~青 森) マニ 盛荷4  (姫 路~盛 岡) マニ 盛荷5  (糸 崎~盛…

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【546】 2015年 あけましておめでとうございます

謹んで新年のお慶びを申し上げます   旧年中は一方ならぬご厚情を賜り    誠にありがとうございました   本年も昨年同様のご交誼のほど     よろしくお願い申し上げます    皆様に幸多き年となりますよう       お祈り申し上げます 平成二十七年元旦    *************************      国鉄伝承人「しなの7号」    ************************* このブログを始めたのが、つい先日のように思えるのですが、時は容赦なく流れて4年半以上経ってしまいました。先般、初期の部分を少し読み返しましたが、そのときから私自身はもちろん、その周りも急激に状況が変わっていったことを、しみじみと感じました。そして私と家族をここまで導いてくださったすべての方々と、すべてのモノたちに感謝します。ありがとうございました。 昨年は初めて沖縄へ行く機会があり、そのことで全ての都道府県踏破が達成できました。同時に、新幹線に一度も乗車しなかったという近年にない異例な年となりました。これは国鉄の面影を残すものが減ってきたことによって、それに会いに行く機会が減ったということが原因の一つでありますが、新幹線は自分にとっては「便利で優秀な交通機関」であって趣味の対象ではなかった証拠でもあるなと自己分析しています。 今年はどんな年になるのでしょうか。 皆様がたにとって、よい年でありますように… 誠…

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