【562】 中山道歩きで見たモノいろいろ(32):日本酒のホーロー看板とそのラベル

2005年から中山道の宿場を訪問しはじめ、全宿場に足跡を残しました。 旧宿場町や旧街道を歩いていると、私が好きな日本酒のホーロー看板ががいくつかありました。 その中から、沿道で見かけた日本酒のホーロー看板写真と、コレクションしているそのラベルをコラボ企画としてご紹介します。 **************************** 「力士」 (2007年12月21日本庄宿で撮影) 酒文字と呼ばれる豪快な毛筆による日本酒のラベルが近年すごく減りました。自分としては酒文字の昔ながらの看板・ラベルが好きです。看板は減るばかり。日本酒も高級化した酒は専門店で、低廉価格化した酒はスーパーの酒売場か量販店で、というように両極端に分かれました。 ************************* 「澤之鶴」 (2008年11月28日鴻巣宿~熊谷宿(吹上)で撮影) 上は「澤之鶴」の旧ラベルです。今は「沢の鶴」と表記していますし、字体も今風になりました。 ************************* 「頼母鶴」 (2005年9月17日本山宿で撮影)独特の特徴がある字体で、上の2つとは違い豪快な感じではありません。「母」のやさしさ、「鶴」の優雅さにも通じるような字体と言えましょうか。鶴の字には芸術的センス?さえ感じます・・・・・ 「鶴」の字が付く日本酒は多いです。 タノモツル サワノツル 語感に共通点があります。日本語的な美しさも感じさせてく…

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【561】 武豊線、朝の「のりくら編成」の移り変わりを探る(1)

私が乗務していた国鉄時代終盤の武豊線には、朝2往復と夕方1往復、急行間合運用の普通列車が運転されていました。このうち定期列車のなかで最も長かったのが、朝の名古屋発武豊行2番列車922D~折り返し名古屋行通勤列車927Dでした。(1985年3月まで9両編成) この927Dは名古屋到着後に高山本線経由の富山行「急行のりくら1号」に変身しました。 (画像は国鉄時代の高山本線「急行のりくら」) 少なくとも私が乗務していた期間(1981~1986年)には、927Dが名古屋駅到着後に701D「急行のりくら1号」に変わる十数分の間の停車中に乗客を締め出すことはなく、事実上の直通列車でしたが、時刻表上は一貫して直通列車との表示がされることはありませんでした。ですから、以前の拙ブログ記事【557】サボ交換時のドア扱いでご覧いただいたように、名古屋駅ではホーム反対側のドアも全開し、作業員が車両側面の行先札・種別札・愛称札の交換作業をしていたのでした。 グリーン車が連結された9両もの長い急行編成だったこの列車は、地元の通勤客にはよく知られていました。武豊線内ではホーム長さが短いので、線内全駅で2~3両半がホームにかからないという特別な列車でもありました。特に武豊から折り返す927Dは、武豊を7時過ぎに発車し名古屋着が8時過ぎという時間帯からしてお分かりのように、平日には非常に混雑する列車であるにもかかわらず急行用の2ドア車両ということもあって、なにかと問題だらけの列車でした。この問題点については機会を改…

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【560】 中山道歩きで見たモノいろいろ(31):造り酒屋とそのラベル(後篇)

2005年から中山道の宿場を訪問しはじめ、全宿場に足跡を残しました。 旧宿場町や旧街道を歩いていると、私が好きな地酒を造っている酒蔵がいくつもありました。 主要な街道であった中山道では、街道が栄えたころから、表通りであった旧中山道に店を構え、今まで歴史の荒波を乗り越えてお酒を造り続けている蔵元さんが多く存在しているのです。 その中から一部になりますが、旧街道沿いの造り酒屋さんの写真を、コレクションしているその代表銘柄のラベルとともにご紹介します。今回は、その後篇です。 **************************** 望月宿~芦田宿:大澤酒造株式会社(2005年8月3日撮影) 創業は元禄2年(1689年)。武重本家酒造株式会社とともに、茂田井という集落にあります。ここは「間の宿(あいのしゅく)」と呼ばれる「宿場と宿場の間にある休憩用の施設」だったところにあたり、宿場町ではありません。        代表銘柄は「大吉野」 ++++++++++++++++++++++++++++ 塩尻宿:笑亀酒造株式会社(2005年9月17日撮影) 創業は明治16年(1883年)。酒蔵があるところは、かつて江戸幕府の代官所塩尻陣屋が置かれた場所だそうです。        代表銘柄は「笑亀」 ++++++++++++++++++++++++++++ 奈良井宿:杉の森酒造株式会社(2005年9月29日撮影) 創業は寛政5年(1793年)。宣伝は、ほとんどしていな…

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【559】 オタケ

「オタケ」と言われても大半の方は何のことかお分かりにならないと思います。 「オタケ」とは国鉄内部で、「武豊線」を指す俗称です。「武豊駅」を指す場合もあります。最初は車掌区内の俗語かと思っていましたが、運転士や駅の職員でも通じる共通俗語なのでした。「タ」にアクセントがあります。 「車掌さん、オタケが5分遅れとるで接続取るでね」 「昨日オタケの一番(列車)乗ったら冷房故障で、往生したわ」 「この前オタケの乗泊で、○○さんといっしょになってイビキで寝れなんだわ」 こんな感じで日常的に使いました。いつごろからこういう呼び名が生まれたのかは知りませんが、かなり昔から伝わっているようでした。 その昔、キネマ旬報社から出版されていた「蒸気機関車」という雑誌に連載されていた短編「動輪の響き」(もと機関士で中部鉄道学園講師の長谷川宗雄氏の著作)にも、「オタケ」は出てきます。私は、その連載をまとめて出版された本を持っていますが、これは絶版になって久しく、なんとか再版をお願いしたい一冊です。 そのなかの「早出とM君」という章の中に「オタケ」が出てきますので、その部分を引用させていただきます。 「うん、今朝はなァ、オタケだ(武豊線のことで、SLはC11)。大府の駅のホームに好きな娘がいてな、手を上げるとニコッと笑うんだ」  と、あります。 読んでいくと、このM君と著者との会話の内容から、2人が稲沢機関区の機関助士時代のできごとであることがわかり、巻末の著者略歴から判断すると、それが昭和15~1…

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【558】 中山道歩きで見たモノいろいろ(30):造り酒屋とそのラベル(前篇)

2005年から中山道の宿場を訪問しはじめ、全宿場に足跡を残しました。 旧宿場町や旧街道を歩いていると、私が好きな地酒を造っている酒蔵がいくつもありました。 主要な街道であった中山道では、街道が栄えたころから、表通りであった旧中山道に店を構え、今まで歴史の荒波を乗り越えてお酒を造り続けている蔵元さんが多く存在しているのです。 その中から一部になりますが、旧街道沿いの造り酒屋さんの写真を、コレクションしているその代表銘柄のラベルとともにご紹介します。 **************************** 深谷宿:滝澤酒造株式会社(2007年12月22日撮影) 創業は文久三年(1863年)。 煉瓦の街だけに、煙突をはじめ建造物に煉瓦が多用されています。 代表銘柄は「菊泉」 ++++++++++++++++++++++++++++ 深谷宿:有限会社藤橋藤三郎商店(2007年12月22日撮影) 創業は嘉永元年(1848年)。現在は店舗と工場を新築したそうで、撮影時とは変わっていると思われますが、依然として煉瓦造の煙突、蔵などは健在とのことです。 代表銘柄は「東白菊」 ++++++++++++++++++++++++++++ 岩村田宿:合名会社 戸塚酒造店(2005年7月20日撮影) ホームページによると、承応二年(1653)創業。幾多の変還を経て、文政四年(1821)に現在地で再興したとのこと。現在の当主は15代目という老舗です。 代表銘柄は「寒…

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【557】 サボ交換時のドア扱い

「サボ」とはサイドボードの略ですが、車両に取り付ける行先表示板のことです。 国鉄時代にはもちろんLED表示などあろうはずもなく、自動巻き取り式の字幕も一部車両にしか装備されていなくて、ほとんどの車両には「サボ」が用いられました。終点に着いた列車は、次に使用する折り返し列車の行先を示すサボに交換する必要がありました。「⇔」でその手間を省くスタイルのサボも一般的でした。 旧形客車など、比較的古い車両は、車両中央部の窓下に吊り下げたり、またはサボ受けと呼ばれるホルダーを取り付けて表示していましたが、この位置ではホーム反対側のサボを交換するためには、脚立などを使って外側から交換するか、車内から客室の窓を開けて交換する方法になります。しかしすぐ折り返す列車ですと、乗客がサボがある位置の座席に座ってしまえば、車内から交換するにはいったん席を立ってもらう必要がありました。そこで、限られた折り返し時間内に最小限の作業員で交換作業をするために、多くの電車気動車では、ドア横上部の手が届く位置にサボ受けを設置していました。この作業に備えて、終点について折り返す列車でサボ交換が必要な列車では、到着時に車掌はホーム側のドアを開けた後、引き続いてホームがない反対側のドアも開ける取り扱いをしていました。上の画像でも反対側のドアが開いているのがわかります。今から思えばずいぶん危険なことを平気でしていたわけですが、乗降人員が多い名古屋駅であっても例外でなく、当時はそれが当たり前でした。 この画像は1977年4月の和歌山植樹祭…

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【556】 中山道歩きで見たモノいろいろ(29):バス停と地名

2005年から中山道の宿場を訪問しはじめ、全宿場に足跡を残しました。 旧宿場町や旧街道を歩いていると、自動車なら気付かずに通り過ぎてしまうようなチョットしたモノも目に入ります。 ふだんの生活で当たり前にあるものでも、その地方ごとにチョット違っていたりしますし、裏道になり下がった旧中山道には、現在の表通りとも言える国道や、そのバイパス道では見かけられないようなモノが残っていたりするものです。 今回は気になったバス停と地名にスポットを当ててみましょう。 **************************** 八幡宿の入口には立派な八幡神社があります。私は訪問時、青春18きっぷでの日帰りで先を急いでいたので、参拝もせず通り過ぎましたが、その街道沿いにあった千曲バス「八幡神社前」バス停には目を奪われることになります。 非常に古い待合所があり、その屋根は神社を模した反りのある造りでした。 さらに、その室内がすごいことになっていまして、地元商店や企業の古い広告看板が壁面を埋め尽くしていました。 2005年7月23日撮影 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 望月宿から芦田宿の間にあった千曲バスのバス停「茂田井上」です。 この簡素な待合所の傾き具合が気になって写真を撮りました。 2005年8月3日撮影 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 宮ノ越宿と福島宿の間を歩いていると、こんな名前のバス停があり…

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【555】 103系・113系の車内保温

出入台がない鉄道車両は、冬場に長時間停車している場合にドアを開放したままだと、一気に車内温度が下がってしまいますが、近年は、出入台を設けずに、各車両1か所ずつドアを開けておけるようにしたり、主に寒冷地の鉄道車両では、押しボタンによって乗客自身が開閉できる構造にすることによって適正温度に保つのが主流になっています。 国鉄時代はどうだったかというと、寒冷地では旧形客車や急行用車両にみられるような出入台で仕切られた車両を使用する場合と、115系に代表されるように閉めるときだけ自動になり、停車中は手で開け閉めできる半自動ドアにも切り替えられる車両が主に使用されていました。画像は115系の半自動が選択できる車掌スイッチの略図です。 私が主に乗務していた中京地区の国鉄電車では、半自動ドアがない103系・113系が普通列車の主流でした。中京地区は冬場には伊吹颪とか鈴鹿颪といった強風が吹くところで、夏暑く冬寒い土地柄でもあります。その対策が必要でしたので、折り返しや、特急の待避中に乗客を乗せたまま長時間停車する場合には、以下のような取り扱いが行われていました。 それは停車中、編成中の1~2か所のドアに、駅員がドア幅に合わせたドアー金具(つっかい棒)をドアレール上に置いて、車掌が車掌スイッチを閉位にすることによって、そのドアを除いたすべてのドアが閉まり、ドアー金具を咬ませたドアだけを無理やり開けておくという方法でした。停車中は乗降客に、そのドアを利用してもらうという取り扱いで、ドアー金具は駅員が装着し…

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