【580】 全国県別鉄道車両センバツ:5

先週に引き続き、私の独断と偏見に基づいて、全国の旧国鉄路線の乗り鉄を始めた「国鉄退職後」に「その県で現地撮影した車両画像」に限定して、北から順に画像をアップしていく企画ですが、どうぞよろしくおつきあいください。 ************************ 長野県代表 JR東日本 キハ28形・キハ52形気動車 独断と偏見の代表選出で、またまた登場の系列ですが、この塗色は飯山線色と呼ばれていました。キハ52のほうは、旧明知線で私が通学でよく利用した121号です。以前山形県代表で新潟色の120号を登場させましたが、両者まったく同じ経歴の持ち主で、120号も旧明知線からここ飯山線で活躍したあとに、121号ともども新津区に転属して米坂線などで活躍ののちフィリピンに渡っています。撮影場所はいちおう長野県内ですが、新潟県との県境付近の「森宮野原」駅での撮影です。近くを流れる信濃川の向こう側は新潟県です。  1996.3.1 飯山線 森宮野原 ************************ 岐阜県代表 神岡鉄道 KM-150形気動車 地下鉄のようにトンネルばかりの旧国鉄神岡線を引き継いだ第三セクター鉄道の神岡鉄道の気動車です。囲炉裏コーナーが設けられたユニークな車両でしたが、神岡鉱山の貨物輸送のためにある鉄道のような性格でしたので、貨物がトラック輸送に切り替えられた後は存続は困難な状態に陥ったようで、2006年に鉄道自体が廃止されてしまいました。岐阜県とは言っても、…

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【579】 貨物列車の現車制限と換算両数

先週の4163列車で長編成の貨物列車の編成例をご覧いただきました。(画像は当該列車ではありません。) 先週掲載した編成表の末尾に、「現車46 延長換算57.9 換算119.9」と書いておきましたが、本文中で触れましたように、引き継いだ「貨車解結通知書」に記載された数値を書き写したものです。 (貨車解結通知書については、以前【35】列車掛5:解結通知書で、その様式と記載内容について書いています。) そこで、先週の4163列車の長さと重さについて改めて確認してみたいと思います。先週掲載した同じ編成表の車両番号を「形式名」に、発駅着駅を「車体に表記されている換算両数」に置き換えて、もう一度下に掲載します。 1980年(昭和55年)8月30日 東海道本線 快速貨4163列車 運転区間 大宮操~吹田操 乗務区間 稲沢12:43~吹田操15:42 EF65 63(吹二) ハ ワム80000 積2.2 空1.0 ハ ワム80000 積2.2 空1.0 ハ ワム80000 積2.2 空1.0 ハ ワム80000 積2.2 空1.0 ハ ワム80000 積2.2 空1.0 ハ ワム80000 積2.2 空1.0 ハ ワム80000 積2.2 空1.0 ハ ワム80000 積2.2 空1.0 ハ ワム80000 積2.2 空1.0  ワラ 1     積2.0 空1.0  ワラ 1     積2.0 空1.0  コキ  5500 積4.0 空1.6  …

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【578】 全国県別鉄道車両センバツ:4

先週に引き続き、私の独断と偏見に基づいて、全国の旧国鉄路線の乗り鉄を始めた「国鉄退職後」に、「その県で現地撮影した車両画像」に限定して、北から順に画像をアップしていく企画ですが、どうぞよろしくおつきあいください。 ************************ 新潟県代表 JR西日本 キハ58系気動車 新潟色の気動車には、山形県代表として米坂線のほうで出場してもらったので、新潟県代表はJR西日本から出ることになり、大糸線色のキハ58系が選出されました。後にここもキハ52の単行ワンマン車に置き換えられ、今ではキハ120です。撮影場所はいちおう新潟県内ですが、長野県との県境付近にあたり、線路の向こう側に見える山は長野県になります。  1999.11.5 大糸線 平岩~小滝 ************************ 富山県代表 JR西日本 キハ45形気動車 高岡鉄道部色塗装のキハ45です。このあと高岡では気動車の塗装が2回も変更されているので、この塗装も忘れ去られつつあるのではないでしょうか。そんなことからもJR化後ずいぶん年月が流れたのだなと思わざるを得ません。そういえば、この日は氷見線と富山港線にも行き、北陸に新幹線が走る日のことなど考えもせず乗っていました。  1990.10.13 城端線 砺波 ************************ 石川県代表 のと鉄道 NT100形気動車 第三セクター鉄道である「のと鉄道」第一…

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【577】 思い出の乗務列車53:東海道本線快速貨物4163列車

私が列車掛として乗務していたのは1979~1981年(昭和54~56年)で、そのころには「快速貨物列車」という列車種別がありました。国鉄では、各駅からヤード所在駅に貨車を集めて、そのヤードでは貨車の行先方向別に振り分けて次のヤードまで運転するという古くからあった輸送方式を基本としていました。しかし、近代化の一環として貨物の速達化と到着日時の明確化を目的として運転されていたのが快速貨物列車でした。車両の編成は普通貨物列車と見かけは全く変わりませんが、まずその例をご覧ください。 1980年(昭和55年)8月30日 東海道本線 快速貨4163列車 運転区間 大宮操~吹田操 乗務区間 稲沢12:43~吹田操15:42 EF65 63(吹二) ハワム 81678 宇都宮(タ)~梅田 ハワム184298 宇都宮(タ)~梅田 ハワム 85439 宇都宮(タ)~周防富田 ハワム181652 宇都宮(タ)~東広島 ハワム186726 宇都宮(タ)~吉塚 ハワム187879 宇都宮(タ)~吉塚 ハワム 87377 宇都宮(タ)~浜小倉 ハワム188233 宇都宮(タ)~浜小倉 ハワム284934 小山~水島 ワラ    9615 栃木~高鍋 ワラ    2410 栃木~東岸和田 コキ   25702 熊谷(タ)~梅田 コキ   51247 熊谷(タ)~東広島 ワム   67966 熊谷(タ)~熊本 ハワム285192 熊谷(タ)~徳島 オトキ  26669 安中~…

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【576】 全国県別鉄道車両センバツ:3

先週に引き続き、私の独断と偏見に基づいて、全国の旧国鉄路線の乗り鉄を始めた「国鉄退職後」に、「その県で現地撮影した車両画像」に限定して、北から順に画像をアップしていく企画ですが、どうぞよろしくおつきあいください。 ************************ 群馬県代表 JR東日本 189系電車+EF63形電気機関車 横軽と呼ばれた信越本線の難所、碓氷峠を登る特急「あさま」を押し上げるEF63です。立ち売りの峠の釜めしも有名でした。ここはほんとうに魅力的な場所でしたが、新幹線の開通と引き換えに廃止になりました。北陸新幹線の長いトンネルの闇の中で何人の人が、難所での多くの苦難の歴史を気に留めているのでしょう。  2002.1.22 信越本線 横川~軽井沢 ************************ 埼玉県代表 JR東日本 キハ38形気動車 国鉄末期にキハ35の一部部品を流用して製造されたのがキハ38でした。八高線ではこのような塗装でキハ35など赤系単色塗の中では目立っていました。のちに久留里線に転出したのち、廃車となりましたが、1両は「いすみポッポの丘」に保存されたほか、水島臨海鉄道とミャンマー国鉄に第三の就職先を見出し、生き延びているようです。  1995.5.21 八高線 寄居 ************************ 千葉県代表 JR東日本 キハ37形気動車 この形式もキハ38とともに、旧国鉄の少数派気動車で…

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【575】 思い出の乗務列車52:武豊線927D(後篇)

先週まで4週にわたって、私が乗務していたころ(昭和50年代後半)、名古屋武豊間を走っていた9両編成922D~927D気動車列車のお話をしてまいりましたが、これで最後です。 画像は高山本線の急行のりくら1号です。朝の武豊線内での出来事など何もなかったかのように山峡を優雅に通り過ぎていきます。 927Dでは、乗客のいたずらもよくありました。 ご承知のようにキハ58系にはグリーン車以外どの車両にも運転室があります。ここは施錠しておくのですが、次の車両と貫通させて通路を作ると、構造上助士席側には自由に入れるようになりますから、ここは高校生の溜まり場になりました。(画像はキハ58系ではなくキハ40系の助士席側です。) 高校生たちは何をやるか、だいたいご想像はつこうというものですが、まず喫煙。当時は車内禁煙ではない時代でしたが、他の乗客からの目を避けるため、貫通扉を閉め施錠までしてしまうのです。こうすると車内巡回で隣の車両から乗り移れないわけで、ドアを叩いて、開けろと怒鳴ってやります。彼らは、煙が充満しないように乗務員室扉の下降窓を開いていますから、そういうことになると、吸っていたタバコは火が付いたまま、その窓から外へ投げ捨ててしまいます。タバコ臭くないか?とひとこと言ってやります。 この列車ではなく、武豊線の別の列車でのことでしたが、高校生らが貫通ドアを施錠したまま下車してしまったらしく、車内巡回中だった私は次の駅に停車するまで前の車両に缶詰になってしまったことがありました。 この列…

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【574】 全国県別鉄道車両センバツ:2

先週に引き続き、私の独断と偏見に基づいて、全国の旧国鉄路線の乗り鉄を始めた「国鉄退職後」に「その県で現地撮影した車両画像」に限定して、北から順に画像をアップしていく企画ですが、どうぞよろしくおつきあいください。 ************************ 秋田県代表 JR東日本 485系(1500番台)電車&キハ110系(300番台)気動車 並びの写真ですが、いずれも秋田には縁が深い車両なので、どちらも代表とさせていただきます。485系(1500番台)は北海道初の電車特急「いしかり」でデビューしました。画像は「白鳥」です。隣のキハ110系(300番台)は現秋田新幹線ルートの改軌工事による運休期間中に、北上線経由で運転されていた特急「秋田リレー」号です。この列車への乗車と北上線初乗りという2つの目的をもっての乗車前に撮影した画像です。  1997.2.2 奥羽本線 秋田 ************************ 山形県代表 JR東日本 キハ52形気動車 独断と偏見の代表選出で、再びキハ52の登場です。こちらの塗装は新潟支社色と呼ばれ、新潟県下だけでなく山形県内の米坂線でも運用されていました。隣の赤い塗装の気動車は新しい新潟色になります。 画像ではわかりませんが、このキハ52の車番はキハ52120で、国鉄時代には美濃太田機関区所属で、主に中津川機関区に常駐して明知線(現明知鉄道)で使用されていました。私は通学(帰宅時)によく乗った車両です。山形県での再…

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【573】 思い出の乗務列車51:武豊線927D(中篇)

先週まで3週にわたって、私が乗務していた昭和50年代後半の、朝の名古屋武豊間の9両編成の922D~927Dのお話をしてまいりました。今回も名古屋行927Dの続きになります。下の画像は高山本線の急行のりくら号です。 927Dは各駅武豊線内のすべての駅でホームにかからない車両があることや、武豊・亀崎間で前寄り3両を回送としたことによって、さまざまなトラブルがありました。 まず、亀崎駅の手前の駅から乗車する乗客からの苦情がありました。それは「なぜ亀崎の客を優遇するのか?」ということでした。「亀崎の客は座れるのに手前にある乙川駅で乗った者が座れない。しかも亀崎で座れる車両がグリーン車なのはおかしいではないか。」というのが言い分です。 もっとも、57.11ダイヤ改正時からは、編成は9両のまま、日によって美濃太田の3両運用と4両運用の位置が変わる場合があるという変則的な編成になった関係で、5両目がグリーン車になることがあり、必ずしも回送車にグリーン車が含まれるとは限らなくなりました。また、そのあとの59.2ダイヤ改正ではグリーン車に5両目に固定されたため、グリーン車に限れば問題は解消はしました。こういう苦情に、安全のため3両を回送にしていますという説明は通じるはずはありません。先週書いたように、たとえば半田駅の停車位置は、線路の有効長による停止位置の関係で前後とも1.5両がホームから外れる結果となり、締め切ってある2両目の一部と3両目は「ホームにかかりながら乗車できない」という状態になりましたから、…

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【572】 全国県別鉄道車両センバツ:1

春の甲子園「センバツ」、昨日の決勝戦で敦賀気比の優勝ということで今年の大会は幕を下ろしました。春のセンバツはちょっと事情が違いますが、夏の大会では全国から何千校ものチームが、各県でのトーナメント方式の予選を戦い抜いて甲子園への出場権を得ます。1敗もすることなく優勝という頂点に立つのは1チームだけで、その偉業は讃えられて余りあるものですが、トーナメントで敗退していった他の何千ものチームに目を向けますと、準優勝以下のチームは全部、負けた数から考えれば「たったの1敗」しかしていないのです…という私は「さだまさし」の「甲子園」という歌のフレーズでこのことに気が付いたのでした。ほとんどのチームは地方版の新聞の片隅に勝敗が掲載されるだけの扱いではありますが、それらすべてのチームが、甲子園での優勝という目標に向かって練習を重ねてきた、その血と汗の重みになんら変わりはありません。 いきなり変なたとえになりましたが、脚光を浴びる北陸新幹線のかげで、特別に世間に大きく報道されることなく必死の努力をしながら営業継続をしていかなければならない宿命を背負い、JRから切り離され第三セクター化された並行在来線のことを忘れるわけにはいきません。首都圏とのパイプ役を新幹線に譲った後も、その地域の旅客輸送を担う使命の重さは、新幹線と同じなのです。 ところで、私は国鉄退職後に、あちこち乗り鉄の旅をしてまいりましたが、昨年秋に沖縄へ行ったことによって、行ったことがない県がなくなりました。全国各地で、国鉄分割民営化によって地方…

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