【589】 全国県別鉄道車両センバツ:9

先週に引き続き、私の独断と偏見に基づいて、全国の旧国鉄路線の乗り鉄を始めた「国鉄退職後」に「その県で現地撮影した車両画像」に限定して、北から順に画像をアップしていく企画ですが、どうぞよろしくおつきあいください。 ************************ 福岡県代表 JR九州 キハ66・67形気動車 もともと急行色で車内設備も格段に優れていたキハ66・67は、この塗装になったことによって、一見キハ47かと思うほどで、私は格下げ感を大いに感じていました。しかしこのあと新たな再就職先では新しい装いで活躍をしています。このあと長崎県代表として再登場します。 ところで、JR九州の国鉄形普通列車用の車両というと、この塗装が標準として定着しましたが、これは国鉄末期から採用され始めたものです。国鉄末期によく似た青白帯の211系電車が民営化前の中京地区に配置されましたが、その色が普及することがなかったのとは対照的でした。  2000.9.3 筑豊本線 直方 ************************ 佐賀県代表 JR九州 103系(1500番台)電車 福岡市営地下鉄との相互直通乗入用の103系。在来の103系とはまったく違うスタイルであったことに加えて、交流電化が標準の九州での直流電車は、東北の仙石線同様に違和感がありました。筑肥線には新型305系が就役しており、すでに103系は廃車が始まっています。  2002.12.29 (筑肥線)西唐津 **…

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【588】 特別褒賞

先週は、後部標識灯が点灯しない場合について記しました。 電圧降下の場合は最寄りの客貨車区への回送手配を取らなくてはなりませんでしたから、やるべき仕事もいくつか余分にあるわけですし、たかが標識灯電球の断芯であっても、先週ご紹介した90列車の例のように運転に支障が出れば、車両故障として運転事故に計上されましたから運転事故報告も乗務終了後に作成する必要がありました。始発時点で不点灯を確認し、電球の取り換えをしたことによって、運転事故に至らなかった場合でも故障は故障で、貨物列車に乗務する列車掛は乗務終了後に車掌区へ故障報告を提出することになっていました。 そんな些細な応急処置でも、規定どおりに処置ができ、きちんと故障報告を提出しておけば、その行為に対して「特別褒賞」がありました。 特別褒賞とはその名称が大仰ですが、その内容は賞状と副賞(タオル)が後日指導助役から授与されるというもので、べつに給料が上がるといった類のものではありませんでした。件の90列車の標識灯電球の断芯に遭遇したときも、半月くらい後になってから、車掌区の自分のロッカーに指導助役からこのような紙片が入れられました。 指導助役のところへ行くと、「はい。ご苦労さんでした」の一言とともに、賞状と「名古屋鉄道管理局」と書かれたタオルが渡されたのでした。 標識灯電球の断芯などは、さすがに些細なことなので、タオルは1本でしたが、処理したことの重大さに応じて、タオルの数が2本3本と増えていきました。 「特別褒賞」受賞者は、毎月車掌区職員全員に配…

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【587】 全国県別鉄道車両センバツ:8

先週に引き続き、私の独断と偏見に基づいて、全国の旧国鉄路線の乗り鉄を始めた「国鉄退職後」に「その県で現地撮影した車両画像」に限定して、北から順に画像をアップしていく企画ですが、どうぞよろしくおつきあいください。 ************************ 山口県代表 JR西日本 クモハ42形電車 ここで外せないのは、JR小野田線本山支線用として国鉄からJR西日本に引き継がれ最後まで営業の第一線で活躍した旧型国電クモハ42です。小野田線本山支線は日中に乗ることが難しいダイヤでしたから、これに乗るために私は宇部市内に宿泊することを余儀なくされました。 引退後10年以上たちましたが、現車は保管されています。文化財的な車両ですから、常時見学できるような形での公開を期待しています。  1997.3.6 小野田線(本山支線)浜河内~長門本山 ************************ 徳島県代表 JR四国 キハ65形・キハ58形気動車(急行よしの川) JR四国の急行「よしの川」は普通列車用と同じ外部塗色でした。丸いトレインマークが取り付けられており、これがアクセントになっていました。室内はキハ181系から転用した回転式の2人掛シートに改装されていましたので、四国のキハ181亡き後、そのシートに座りたいという思いで乗りました。  1994.8.24 (徳島線) 阿波池田 ************************ 香川県代表 …

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【586】 尾灯の不点灯~東海道本線90列車

列車標識には前部標識と後部標識があります。車掌が扱うのは後部標識のほうで、通称「尾灯」と呼ばれ、「テールライト」「テールランプ」という言い方は現場で聞いたことがありませんでした。 国鉄時代の規則では、昼間は後部標識を表示(尾灯を点灯)する必要はなかったのですが、トンネル区間と夜間は後部標識を表示することが、列車として運転するためには必要な条件とされていました。先週、車掌室が逆向きになったコキフのお話をしましたが、コキフのほかワフのように片側が貨物室になっている緩急車ですと、いったん走行を始めてしまうと点灯状態を走行中に乗務員自身が直接確認することができません。 (こちらの画像は、模型に尾灯点灯改造を施したように見えるかもしれませんが、画像の加工合成によるものですので、ご承知おきください。) 始発時や乗継時には点灯状態を必ず確認していますが、東海道本線には通過駅が多い貨物列車への乗務が多く、車掌室がこのように前を向いていると走行中にデッキに出て点灯状態を確認することができませんから、やや不安でした。当時の貨物列車の場合、時には電球フィラメントの断芯やソケット部の接触不良によって不点灯になる事例が頻繁ではないにせよあったのです。これは貨車独特の激しい振動も原因の一つであったのかもしれません。私はわずか1年半ほどの貨物列車乗務時代に、記憶にあるだけで少なくとも2回は電球のフィラメント断芯に出くわしました。列車掛とは、車掌業務に加えて車両点検検査と応急処置をすべき職種でしたから、当然自分で応急処…

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【585】 全国県別鉄道車両センバツ:7

先週に引き続き、私の独断と偏見に基づいて、全国の旧国鉄路線の乗り鉄を始めた「国鉄退職後」に「その県で現地撮影した車両画像」に限定して、北から順に画像をアップしていく企画ですが、どうぞよろしくおつきあいください。 ************************ 和歌山県 JR西日本 117系電車 和歌山色の117系で、オリジナルの関西急行色とはまったくのイメージチェンジです。283系が就役してからは、きのくに線のイメージカラーはこの色なのでしょう。117系が海辺を走る姿を想像したのですが、今は和歌山線中心の運用なのでしょうか。海辺を走る117系に乗りたいなあと思います。  2008.1.11 紀勢本線 和歌山 ************************ 鳥取県代表 JR西日本 キハ33形気動車 JR西日本でオハ50形客車から2両だけ改造された気動車でした。23年前、境線に乗りに行ったときに連結されており、画像は大篠津での行き違い待ち中に自分が乗車した列車を撮ったものです。この大篠津駅は、米子空港拡張のため、2008年に線路が新ルート上に付け替えられ移転しており、移転先では駅名が米子空港駅に変更されました。 余談ですが、本日、私は島根県松江に来ております。これからその境線の新ルートに初乗りしてきます。キハ33は、2010年に引退し、もう境線にはおりませんが、旧津山機関区に静態保存されているといいますから、いずれ再会する機会はあるだろうと思っています。 …

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【584】 逆向きコキフの前面展望~東海道本線4063列車

国鉄時代、時速95kmで走行する高速コンテナ貨物列車に使用されていたコキ50000系貨車には、専用緩急車としてコキフ50000形式がありました。片側だけ1個分のコンテナの積載スペースにボルト止めの車掌室ユニットが固定された車両でしたが、これまでに読者の方から2度、コキフの向きについてのご質問を受けたことがありました。その運用や向きについて国鉄内部に規定があったのか、私はそのへんの知識はあいにく持っていませんが、乗務した一時期だけ、その向きを記録していたことがありましたので、その結果を該当記事のコメント欄で回答いたしました。参考までに再録しますと以下のような結果でした。 調査期間:昭和54年6~12月 調査列車:東海道本線の高速貨Bに連結されたコキフ50000 (記録が残してある上下乗務列車で集計) 最後尾の緩急車が逆向きの列車 16例 最後尾の緩急車が正方向の列車 17例 この結果だけから判断すると、この期間の東海道本線の列車に限って言えば、コキフは使用列車によって向きが固定されていたようなことはなく、乗務したときの運次第という状態でした。 私が乗務していた列車は、編成の前後両側にコキフが連結されている列車がほとんどで、その理由は固定編成であったり、関東方面対名古屋貨物ターミナルという列車のように運転途中(この場合は稲沢)で進行方向が変わるためだと思われます。また、途中増解結をする列車の場合には編成両端のほか、中間にもコキフが組み込まれる列車もありました。 高速…

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【583】 全国県別鉄道車両センバツ:6

先週に引き続き、私の独断と偏見に基づいて、全国の旧国鉄路線の乗り鉄を始めた「国鉄退職後」に「その県で現地撮影した車両画像」に限定して、北から順に画像をアップしていく企画ですが、どうぞよろしくおつきあいください。 ************************ 滋賀県代表 信楽高原鐵道 SKR200形気動車 旧国鉄信楽線の転換第三セクター鉄道で、SKR200形は在籍車の中では一番古い形式です。仲間のうち2両は正面衝突事故の犠牲になっています。この鉄道ではそのあとも鉄橋流出といった存亡の危機がありましたが、持ちこたえてくれました。国鉄時代と第三セクター化後に各1回ずつ乗りに行きましたが、そのほかにも、乗ることはなかったものの、この画像を撮影した日(正面衝突事故の3年後)と国鉄時代の蒸気機関車の撮影に2回沿線で撮影したことがあり、生活圏でも乗務範囲内でもないのに、個人的に古くから付き合いがある鉄道です。  1994.6.10 信楽高原鐵道 貴生川~紫香楽宮跡 ************************ 京都府代表 JR西日本 113系(3800番台)電車 元国鉄の113系とは思えない顔立ちのクモハ113です。走行区間からいうと、京都代表とするより兵庫代表とすべきだという意見も聞こえますが、所属区・撮影場所ともに京都府下の福知山なので、京都代表となりました。一度このツラを拝みたいと思っていましたが、福知山城へ行った行った帰路に乗車することができました。乗って…

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【582】 ブログ開設5周年

今日で、拙ブログを開設してから5周年になりました。 5年間というのは短いようで長く、開設した2010年に地元の鉄道にどんなことがあって、どんな車両が当たり前に走っていたのかを、当時の撮影画像を眺め振り返ってみました。 ^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^ 明知鉄道では、JR北海道からDMVを借り入れて実証実験が行われた年でした。2010年3月20日 明知鉄道 岩村~花白温泉 このときの実証実験結果はどのような内容であったのか知りませんが、JR北海道がDMV開発を断念したことで、白紙に戻ってしまったのでしょうか。 ^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^ 拙ブログ記事の、 【190】樽見鉄道との付き合い3:第三セクター化後(後篇) で、少し触れていますが、樽見鉄道で起こった踏切事故で運行不能となった車両の修理期間中の代替用として、急遽長良川鉄道からナガラ1型(10号)を応援として借り受けたのがこの年でした。2010年4月3日 樽見鉄道 本巣~糸貫 その年の秋まで代走として活躍し、その後長良川鉄道に戻ったナガラ10号は、2014年12月23日の運行を最後に引退しています。 ^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^;:^…

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【581】 思い出の乗務列車54:東海道本線直行貨物 152列車

私が列車掛になって貨物列車に乗務するようになる少し前の、1978年(昭和53年)10月のダイヤ改正時に、汐留~梅田間にパレット式有蓋車ワキ5000形式を連ねた直行貨物列車の運転が始まりました。 ワキを連ねた貨物列車といえば、さらに時代を遡りますと戦前の宅扱ワキ1を連ねた列車が知られています。戦後はコンテナ列車「たから号」に代表されるようにコンテナ化が推進されていましたが、トラック輸送が幅を利かせてきた昭和50年代に入って、ワキ5000を用いて首都圏対関西の小口貨物の混載輸送で巻き返しを図ろうとしていたのかもしれません。そのへんの背景や当時の輸送実態はどのようなものであったか、乗務員であった私もよく知らず、部内紙や業界紙「交通新聞」の記事で、その列車が「スワロー号」という愛称が付けられた混載貨物列車であったことを知っていた程度です。実のところ、貨物列車の列車掛は、貨物営業について業務に関係があった部分といえば、輸送に関する制限や荷物事故の類だけで、そのほかの営業内容をほとんど知らないのが普通でした。旅客列車の車掌が車内改札や車内補充券の発行をしたり、案内をするために旅客営業について熟知する必要があることに比して対照的でした。その代わり貨物は乗客のように、ドアを開ければ勝手に乗り降りしてくれるわけではないので、入換作業をやり、編成の順序に気を遣い、重量・長さの制限を気に掛け、管理することが必要でしたし、車両の検査業務がありましたから、走行部分やブレーキ関係など下回りも含めた車両構造の知識が必要で…

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