【598】 亀山での鉄タイム

先週は熱田荷物基地の全面開業についてアップしましたが、全面開業への途上にあった1978年の53.10ダイヤ改正では、関西本線名古屋口の客車列車から荷物車が分離され、専用列車化したと書きました。このとき、 【325】思い出の乗務列車10:キニ併結 急行「紀州5号」(4) で書いたように、夜行急行のキニでの乗務範囲が新宮から紀伊勝浦まで延長になった代わりに、亀山~百済間及び紀勢本線のマニとスユニの乗務は天王寺鉄道管理局持ちになり、亀山乗継となりました。画像は亀山~関間をを行く荷4041列車です。この列車には私どもは名古屋から亀山まで乗務してきたのですが、亀山の長時間停車中に先回りして、こうして亀山以西の走行中の撮影ができたのです。しかし折り返し乗務する列車までの時間は、こんなことをしていても、まだまだあり余っていました。1日2往復だけの荷物列車に効率よく乗務員を運用することは難しいもので、どうしても出先での手待ち時間が増えてしまうのです。このときはご覧のような行路でした。1日目2日目とも亀山での折り返し時間が長いのがお判りでしょう。特に2日めは異常です。出先での時間は、到着後と発車前に算入される一定の勤務時間以外は拘束時間であるものの勤務時間とはなりませんので無駄な時間です。以前に東京や大阪での過ごし方を書いたことがありますが、亀山のような地方都市では、時間つぶしできるところは思いつきません。亀山城址や東海道の宿場町も一度行けば、何度も行くところでもありませんので、いちおう居場所として与えられた亀山機…

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【597】 山陰旅行の今と過去2:一畑電車

5月に島根県松江~出雲と鳥取県境港へ行ってきました。先週同様に、以前に行った時の画像も交えながら書き進めたいと思います。 ****************************** 第2回目は、「一畑電車」についてです。 こちらは「松江しんじ湖温泉」駅。 旧京王の車両が主流になっています。右側の電車(2100系)は、旧一畑電気鉄道時代の塗装に塗り替えられた編成です。 「一畑電気鉄道株式会社」は現在持株会社になっていて、鉄道事業はその傘下にある「一畑電車株式会社」が行っています。この鉄道に乗るのは2回目で、最初の訪問は伯備線の初乗りと同じ1992年3月21日でした。旧一畑電気鉄道株式会社時代でしたから、そのとき買った入場券には「一畑電気鉄道」と印字されているだけでなく、駅名も旧名称で「松江温泉」駅となっていました。 その入場券を買った23年前の「松江温泉」駅で撮影したのがこちらの画像です。電車は当然ですが旧一畑電気鉄道の標準塗装になっています。この車両は70系というらしいです。スカ線を思い浮かべてしまいますが、西武鉄道からの移籍車です。そのときは3人旅で、私のほかには鉄分のある方とない方がお一人ずつ。青春18きっぷを使った名古屋から松江1泊の日程でした。往路は京都から山陰本線経由、帰路は伯備線で岡山経由。往路では城崎温泉の外湯へ行く2人と、余部鉄橋へ行く私とで、一部別行動となり、帰路は3人で倉敷の街を少し歩きました。あとは列車に乗りっぱなしの旅でした。 さて、先月の旅では…

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【596】 熱田駅荷物基地全面開業の日

私が国鉄に入った1976年、国鉄の手小荷物輸送は全国的に改善途上にありました。 すでに年月が流れ、国鉄の営業実態をご存知ないお若い方のみならず、手小荷物を貨物と混同される方が多いと思われるのですが、乗客の手荷物を別送するチッキをルーツとし、現在の宅配便程度の重量と大きさに限定した「手小荷物」は、貨物でなく旅客営業の一部に分類されていました。そのため、もともと旅客列車に併結した荷物車に作業員が乗務し、各駅で積卸をしていく形態がとられていました。しかしある程度の量がまとまる都市間の荷物輸送は、「ロット化輸送」が推進され、専用列車化されるとともに、拠点駅間を無人で直通するパレット輸送や締切化のほか、荷物車によらず貨車やコンテナも利用されるようになっていきました。一方で、拠点駅から末端駅までは、旅客列車の電車化で荷物車を併結することができなくなるケースが増え、同時に小回りが利くトラック便の利用が推進されて、旅客列車の端っこに連結された荷物車を見る機会も少なくなっていきつつありました。 こうした中、名古屋地区の拠点駅として荷物基地が作られたのが東海道本線の熱田駅でした。国鉄では、私が国鉄に入った昭和50年代前半には、旅客駅である名古屋駅から手小荷物の取扱を熱田に移行させる計画が進行中だったのです。名古屋駅の手小荷物職場は縮小されていき、小荷物担当職員は減っていきました。熱田基地のほうは業託対応とされ、赤字国鉄の人件費削減合理化策の一環でもあったとも考えられます。 名古屋から熱田に拠点が移動すること…

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【595】 山陰旅行の今と過去1:特急やくも号

5月に島根県松江~出雲と鳥取県境港へ行ってきました。ただ“こんな行程でいってきました”と言ってご紹介するだけではつまらないので、以前に行った時との違いを、画像などで対比しながら書き進めたいと思います。 **************************** 第1回目は、特急「やくも号」についてです。 こちらは今回の旅で利用した「特急やくも号」の画像です。「ゆったりやくも」の座席は、国鉄当時とは別の車両のようにグレードアップされていました。 私が国鉄在職中に乗務していた「しなの」の381系は、もう後継車に変わってしまいましたが、今でも「やくも」は、一部の「くろしお」とともに国鉄時代から381系電車によって運転されています。現在381系はJR西日本で「こうのとり」「はしだて」「きのさき」に転用されていますが、これまで一度も乗ったことがなかった「やくも」に乗車するのが、今回の山陰行の目的の一つでした。 伯備線の山間部を、高速で振子作用を効かせた走りは「しなの」を思い出させてくれました。しかし岡山まで乗ってきた新幹線の安定した走りや、日ごろ乗っているJR東海の313系の滑るような静かな走りに慣れてしまっているだけに、やくもの走りは決して乗り心地が良いとはお世辞にも言えませんでした。「げっそりやくも」「げろしお」などと揶揄される381系の揺れを味わいに行くとは奇特なことではありますが、私はその揺れを1往復堪能してきました。 伯備線全線に乗るのは2回目でしたが、初めて伯備線に乗っ…

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【594】 乗泊と起床装置

「乗泊」とは「乗務員宿泊所」の略称です。 乗務員が乗務先で折り返しの乗務列車まで休養する施設です。駅や機関区同様、ターミナル駅には列車が多く集まりますから、そういうところでは、乗泊の規模も大きくなりますし、地方へ行けばごく小規模のものまで、さまざまでした。 私は11年間国鉄の乗務員をやっていた関係で、仕事上で多くの出先で乗泊を利用しました。 東海道本線系では、汐留、品川、東静岡、静岡、浜松、西浜松、豊橋、岡崎、武豊、熱田、名古屋、稲沢、大垣、米原、京都、吹田、大阪 画像は浜松(分割民営化後の撮影) 関西紀勢本線系では、新宮、津、百済、亀山、四日市、富田、笹島 画像は亀山(分割民営化後の撮影) 中央西線系では、神領、多治見、土岐市、瑞浪、釜戸、中津川、松本、長野 画像は長野(分割民営化後の撮影) と、いったところで、ずいぶんあちこちで泊まったものです。松本と長野では、宿泊を伴わない日帰り折り返し行路でも、折り返し列車まで時間がある場合には乗務員宿泊所を日中に利用し、昼寝ができました。このほかに見習乗務では新潟にも泊まりました。上越新幹線開通後、1年半しか経っていなかったころで、真新しい乗泊は2段ベッドでなくホテルのように思えて、私が泊まった乗泊のなかで、最も豪華でした。 大規模な乗泊は、機関区や車掌区と併設され、食堂があったりしました。そういうところには管理人室があり、管理人が常駐していました。宿帳に名前を書き、部屋番号と列車番号と車掌区名が書かれた札をもらって、部屋…

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【593】 スチール棚の企画展4:国鉄・JR以外の鉄道...

【503】 スチール棚の企画展1:国鉄時代に東海道本線を走った列車(1) ~(5) 【517】 スチール棚の企画展2:統一感がない列車たち(前篇)~(後篇) 【542】 スチール棚の企画展3:ジョイフルトレイン(前篇) ~(後篇) と、これまで、3回の企画展をやってきていますが、約1年になります。最近の企画展の様子はこんなことになっています。 基本的には、私の模型鉄道では、国鉄・JR以外の鉄道車両は少ない…はずでした。 ところが、実際に集まった国鉄・JR以外の車両群をスチール棚に並べてみましたら、100両以上。気動車を中心にまだ並べきれない状態になりました。 これは、いうまでもなくTOMYTECの「鉄道コレクション」のせいで、ブラインドパッケージで始まった「鉄道コレクション」をBOX買いした結果によるところが大きいわけです。その結果として、聞いたことはあっても見たことはない行ったことなどあるはずもない民鉄の車両も多々集まってしまったのもまた事実であります。 ただ、中小民鉄の小型車両は個人的に好きなので、こうして見ていても、枯れ木もナントカいいますように、カラフルで、小型レイアウトで走らせてみたい気にさせてくれる車両がめじろ押しです。 と、いうわけで、スチール棚の企画展の第4弾は「国鉄・JR以外の鉄道車両」ということになりました。 形式名や車両番号は、基本的に模型メーカーの製品名を使用して記載しましたので、統一性に欠ける場合がありますことを、ご了承ください。また個々の車両につい…

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【592】 夜出行路

私どもの職場では「よるで」と言いました。うちの父親は「ばんで(晩出)」と言っていました。職場によって言い方はいろいろだったのだと思います。それは乗務員ならではの勤務形態でした。午前中にいったん乗務が終わるのですが、その日の夕方以降に再び出勤して乗務し、その翌日まで帰れない勤務でした。 組合側からは夜出行路を廃止するように、常に当局に要求していました。下の画像は昭和53年の組合から当局への要求です。 以前に長距離列車での3日行路「クイチ」というのをご紹介しましたが、夜出行路の場合は、2日目に明けで一回勤務解放にはなるものの、その日のうちにまた出勤するから3日乗務と似たようなもので、午前中に仕事が終わってもホッとした感じがしませんでした。上の例では朝5時35分に到着して、いったん乗務終了するものの、夕方18時24分に出勤しなければなりません。 下の例では8時23分に到着して、18時13分にまた出勤しなければなりません。夜出行路は、通勤通学輸送のために朝晩を中心に多数運転される短距離旅客列車の乗務や、深夜の運転が多い貨物列車の乗務が多い車掌区にありました。私はそのどちらとも経験していますが、この夜出行路があるばかりに独身寮に入寮しました。ふだんは自宅から2時間近くかけて通勤したのですが、夜出の日や、深夜や未明に乗務が終了したときなどに寮にいるという二重生活でした。 夜出行路のときは、少しは休養して、その日の深夜の乗務に差し支えないよう昼寝をするために入寮したわけですが、2人部屋でもありま…

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【591】 全国県別鉄道車両センバツ:10

先週に引き続き、私の独断と偏見に基づいて、全国の旧国鉄路線の乗り鉄を始めた「国鉄退職後」に「その県で現地撮影した車両画像」に限定して、北から順に画像をアップしていく企画です。今回が最終回です。 ************************ 宮崎県代表 高千穂鉄道 TR300形気動車 旧高千穂鉄道は、台風による水害で運転休止になってから10年が過ぎようとしています。その後は復活の途を探りながらも、復活できないまま正式に廃止されてしまいました。画像のTR300 形は観光用パノラマ車両で2両が在籍し、乗りに行ったときに途中駅ですれ違う列車内から撮影したものです。今は2両揃って県内に喫茶店として保存されていると聞きます。  2000.9.1 高千穂鉄道 日向岡元 ************************ 鹿児島県代表 JR九州787系電車・485系電車 新型787系電車の誕生は、国鉄形から脱皮した新生JRのイメージを強く感じると同時に、国鉄の代名詞でもあった「つばめ」の名称復活に意外性を感じました。画像は西鹿児島駅で、その「つばめ」乗車直前の撮影です。一方で真っ赤に塗られた485系電車は「にちりん」だと思われます。当時は西鹿児島から日豊本線経由で博多まで通す特急列車もありました。これよりさらに前、国鉄時代に西鹿児島駅へ私がきたときには、485系のほうが「有明」を名乗り鹿児島本線経由の主役として活躍していました。かつて全国で見ることができた国鉄特急色が、地…

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【590】 褒賞金!?

先週、「特別褒賞」について書きました。 このほかに「褒賞金」というお金がもらえる場合があり、この場合は賞状も副賞もありませんでした。 車掌になる前の乗務掛時代、少し前に書いた荷35列車でよくあったことです。東北地方から東海道本線に直通する荷物車を多く連結したその列車では、積載方で決められた範囲外の荷物が紛れ込んでいたことが往々にしてありました。こういう荷物を発見して指定駅に引き継げば、当時1個につき30円の褒賞金が、後日1か月分を集計して支給されました。異方向の荷物(たとえば中央東線経由で輸送すべきなのに東海道本線の列車に積んである場合)の処理は100円とか、その重要度ごとにランクがあったようです。 私のように東海道筋を中心に乗っていた乗務掛は、東北地方の駅名には弱いという話を以前【547】思い出の乗務列車45:東海道本線 荷40列車で、いたしました。知らない駅名あての荷物をどのように方向別に仕訳していたか簡単に言いますと、東北本線に直通する荷物車では、作業中に知らない駅名あての荷物に当たったら、荷物の受取人住所に書いてある県名から、どの線区の駅かを判断していたのです。しかし東北本線と常磐線と2本のルートがあり、両線は茨城・福島・宮城の各県で並行しています。そこで常磐線の駅名だけを全部覚えておけば、東北地方の駅名・線名と中継方を全部覚えることなく、消去法によって知らない駅は東北本線筋とそこから中継可能な荷物であろうと考えて仕分けるやり方でした。大雑把で怪しい仕事ではありますが、定期的に輸…

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