【615】 北恵那鉄道16:車両1「モ560形(前篇)」
今回から毎週木曜日には、北恵那鉄道の車両について、私が知っていることを書いていきます。私自身もバイブルのように考えている「RM LIBRARY 32 北恵那鉄道」をはじめとする書物を参考にさせていただくことはもちろんですが、そうした書物にもあまり書かれていないことも記憶をたどりながら盛り込んでいきたいと思っています。
最初は、最大勢力であったモ560形についてです。
【モ560形(561~565)】
北恵那鉄道の顔とも言うべき形式でした。末期には旅客営業に使用される電動車は、この形式に統一されていました。名鉄からの流れ者で、元をたどると名鉄瀬戸線の前身である瀬戸電気鉄道の車両で、大正末期から昭和初期にかけて製造されています。1964年(昭和39年)に561~564の4両が名鉄瀬戸線から、9年遅れて1973年(昭和48年)に565が、瀬戸線からの転出先であった名鉄揖斐谷汲線から、それぞれ北恵那鉄道に入線しました。565入線の日の様子は、それを記録した画像がありますので、その入線に至った背景とともに後日改めてご紹介することにします。
この形式は、5両それぞれ外観に特徴があり、遠くから見ても「見る人が見れば」区別ができました。
正面の3つの窓のうち中央窓が1枚窓なのが 561と565。 その他は2段窓
(画像は561)
561~564は車体側面に吊り下げ式の行先札(サボ)を使用。これが北恵那鉄道車両の古くからの行先表示方法でした。
北恵那鉄道の車両で唯一、正面…