【682】 JRダイヤ改正で思いだすこと④~急行「彩雲」
先回は急行「ちくま」について書きましたが、関西・信州間の直通列車としてデビューしたころの「ちくま」は準急で、中央西線と篠ノ井線内では、蒸気機関車が客車を牽くスタイルだったはずです。しかし私の「ちくま」の記憶はというと、そんなころはまだ幼くて記憶にはありません。小学生の頃、記憶にある「ちくま」はすでに「大阪行のディーゼル急行」だったのです。
夜行を除いて、急行はディーゼルカーばかりだったそのころの中央西線にあって、私の鉄心を揺さぶる大阪行の列車がありました。それは不定期客車急行の「彩雲」号でした。
不定期列車ということから、多客期における定期ディーゼル急行「ちくま」の補完が使命であったものと思われます。
日中の急行が、どれも同じようなキハ57やキハ58で組成されたディーゼルカーばかりだった時期に、急行「彩雲」は青いスハ43系の客車を連ね、そのなかに1等車を1両組み込んで颯爽とDD51形ディーゼル機関車に牽かれて通過していきました。そのころの私には、この列車が通過するのを見に行く定点のようになっていた場所がありました。それは複線化を機に廃止された踏切跡地でした。閉鎖されて行き止まりになった道路の先の線路端に古枕木を組んで設けられた柵に寄りかかると、見通しの良い直線の線路が見渡せて、間近に通過する列車を眺めることが可能でした。小学生だった私は、一人きりでやることがないときには、自転車を駆ってその場所に出かけました。多少なりとも汽車好きな友達といっしょに出かけたこともありました。
画像は、その…