【686】 JRダイヤ改正で思いだすこと⑦~JR東海のキハ40系《前編》

《赤部分2016年4月15日追記》 「平成28年熊本地震」で被災された皆様にお見舞い申し上げます。 被災者の方々の気持ちを思うと、呑気にブログを更新していく気持ちにはなれませんので、定期更新をしばらく自粛いたします。落ち着いたら再開します。 ************************* 先月のダイヤ改正で、JR東海からキハ40とキハ48(以下キハ40系と表記します。)が引退しました。 これは数年前から伝えられていたことでしたので、慌てたりはしませんでしたが、それでも来るべき時がきたという思いはします。 また、そのことは地元のJR東海の所有車両から国鉄形車両が撤退することを意味しました。このあとJR東海には211系電車の0番台が8両旧国鉄から引き継がれた車両として残り、今後も使用されるわけですが、211系電車自体が、国鉄の分割民営化を前提とした手法で設計された電車でしたから、今回引退するキハ40系は国鉄の標準的な車体構造をそのまま残すJR東海最後の系列であったと言ってよいでしょう。 重量感のある鋼製車体には両隅に2つのドアがあって、アルミ製の2段ユニットサッシが続く外観。車内は4人ボックス座席中心で両端がロングシートでした。エンジンはJR東海の手によってカミンズ社製の新型に換装されていて、国鉄時代の走りとは違うのですが、このボックス席に乗っていると国鉄時代に還ったような気になったものです。 キハ40系は、このダイヤ改正直前には伊勢車両区の所属で、紀勢・参宮…

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【685】 JRダイヤ改正で思いだすこと⑥~名松線

JR東海のローカル線である名松線(松阪~伊勢奥津)のうち、2009年秋の台風による災害で不通になり、バス代行で営業してきた家城~伊勢奥津間が6年半ぶりに復旧しました。 なにしろ名松線は国鉄時代に特定地方交通線に選定され廃止対象線区になりましたが、代替道路未整備を理由に廃止対象から除外されたといういわくつきの線区でした。そのため先の災害を機にバスへの転換の可能性も十分考えられただけに、鉄道として存続する道が開かれるものか心配されました。JR東海にしてみれば地元自治体が鉄道施設を今後も安全に維持できるように治山治水対策にカネを出すということであれば続けざるを得ないか…というような気持なのでしょうけれど、とにかく開通まで漕ぎつけることができて地元の方々の喜びは格別のものがあろうかと思います。 名松線は国鉄時代に天王寺鉄道管理局管内に所在しており、私の乗務員時代の乗務範囲ではありませんでした。最初に訪れたのは、乗り鉄だった同僚に誘われて乗った1981年12月でした。 当時の編成はキハ55とキハ30の2両編成でした。 往路のキハ30の車内です。 終点伊勢奥津の駅正面。この駅舎は現在の建物とは異なります。 駅構内も現在より広く、近所の子供が線路で遊んでいるのが、いかにものどかです。 実は、この翌年に名松線は災害に見舞われて10ヵ月も不通になっていて、国鉄から廃止の方針を打ち出されたこともあったといいます。とにかく災害の多い線区で、短期間の輸送障害を数え上げたらキリがなさそうです。 私が2回…

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【684】 JRダイヤ改正で思いだすこと⑤~京阪神・大垣間直通普通列車

このところ連続して、信州対関西の列車について書いてきました。大阪発着のしなの号の大阪~名古屋間がこのダイヤ改正から運転取りやめになったことについては、私が買ったJTB版時刻表では巻頭特集ページの「ダイヤ改正のあらまし」に触れられていました。時を同じくして、JR西日本部分の東海道本線「琵琶湖線」部分から、米原以東のJR東海区間へ直通する普通列車が廃止されましたが、そのことについては、触れられていませんでした。別にわざわざ書くには及ばない些細なことがらという扱いなのでしょう。 下は、ダイヤ改正前の大垣駅に停車中の下り網干行普通列車、発車前の様子です。 しかし顧みると、私が主に青春18きっぷを使ってJR西日本エリアに出かけるとき、早朝の大垣からJR西日本の車両を使用した「琵琶湖線」直通列車に乗車したことは何回もありましたが、実はいつも米原では、増結作業に伴う長い停車時間の間に先発する新快速電車に乗り換えてしまいました。朝の米原では、米原始発又は長浜方面から来る新快速へ同一ホームで接続するダイヤが組まれていて、せっかく直通列車が運転されていても、大多数の乗客は新快速に乗り換えるわけです。こうしてみると、直通しているメリットを感じたことはありませんでした。 先般のダイヤ改正前、私は滋賀県内に行くべき用件があったので、直通運転がなくなる前に朝方の大垣始発網干行普通列車に乗ってみることにしました。 その列車にはJR西日本の225系が充当されていました。 車内にあるWESTビジョンの…

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【683】 「大阪しなの」最後の見送り

先月3月26日にJRのダイヤ改正があり、大阪~長野間を毎日1往復していた「しなの9・16号」のうち名古屋~大阪間が部分廃止となって、関西対信州を名古屋経由で結ぶ列車が皆無になりました。先月から、3回にわたって関連したことを書いてきましたので、ご覧いただいた方々には、私の思いは伝わったものと思いますが、簡単に繰り返すと、小学生のころ、私は青いスハ43系で編成された急行「彩雲」の窓下に掲げられたサボの、青地に白文字で書かれた「大阪行」の文字に、名古屋行ではない中央西線では特別な列車としてのステータスを感じながら見ていたのでした。 下は、定期気動車急行「ちくま」が客車化されて間もないころの20系客車です。このころ、私はすでに国鉄職員になっていましたが、寝台車の「大阪・長野」の表示には、それなりの感慨を覚えました。 国鉄退職後、しなの号で大阪~長野の全区間を通して乗ってみようと思った時期もありましたが、列車が381系からJR世代の383系に変わり、全区間の前面展望ビデオを買ったほうが得策という安易な方向に流れ、関西対信州を直通する列車に全区間を通して乗ることは、結局最後までありませんでした。これは、私にとってめったに行くことができない地であった大阪や長野に対する感覚が、子供のころと変わってしまい、いつでも行けるところになったことも関係しているのでしょう。そういう行先の列車が、在来線昼行特急最長距離列車になっているのが不思議な感覚でもあります。 まあ、乗れなくてもいいけれど、特別な思いで子供の…

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