【691】 鉄旅2000年9月 「高森~三角」

4月の熊本地震で被災された皆様に、お見舞い申し上げます。 私は熊本には知人もおりませんし、観光旅行もあまりしませんでしたが、鉄道に乗るのが趣味であることから、複数回熊本県内に足跡をしるしています。 昨年は、人吉から湯前を結ぶ「くま川鉄道」に乗りに行き、現在ある旧国鉄線に完乗することができました。熊本県は私にとっては旧国鉄線完乗の地とも言えます。 その時のことは【647】九州乗り物乗りある記(前篇)で書きましたが、県南部の球磨地方を通っただけでした。 今回から毎月曜には、しばらくの間、熊本に関係することを綴っていこうと思います。今回は2000年9月に熊本県に訪問したときのことを綴ってまいります。 <><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><><> このときは、今は廃線になった高千穂鉄道に前日に乗ったあと高千穂で宿泊して、峠を越えるバスで熊本県入りしました。高森駅最寄りのバス停でバスを降りて、南阿蘇鉄道高森線に乗車するために高森駅まで歩きました。駅前には、国鉄高森線時代にここで走っていたC12241が保存されていました。 この機…

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【690】 熊本のカップ酒と日本酒ラベル

4月の熊本地震で被災された皆様に、お見舞い申し上げます。 私は熊本には特別に知人もおりませんし、観光旅行もあまりしていませんでしたが、全国の旧国鉄路線に乗る趣味があったのと、全国の日本酒ラベルを集める趣味もあったので、熊本県内の酒を飲んだことがあります。 こちらは、くまモンが印刷されたカップ酒です。 これは【327】中山道トレイン;ちょっとだけ鉄分補給&アルコール分補給 2012.11.10 でご紹介した画像の使いまわしです。このくまモンはカップに直接印刷されているので、ラベルのように剥がすことができませんが、飲んだ後は捨てずに、ときどき晩酌用に使っています。地震があってからは、ほぼ毎日このカップを使って熊本を思い出していますが、飲む酒は買い置きしてある沖縄の泡盛なので、これではまったく支援になっていません。 このカップ酒は、熊本市内の瑞鷹(ずいよう)株式会社さんの製品で、蔵元さんのオフィシャルサイトを拝見すると、今回の地震で被災されたとのことですが、被害のなかった商品から出荷を再開されておられるようです。 南九州は焼酎文化圏で、日本酒を醸造する蔵は皆無に等しく、熊本県内でも南部は球磨焼酎が知られています。しかし熊本北部には日本酒を醸す造り酒屋さんはいくつかあり、その筋の方にとっては、熊本の日本酒は、絶対はずせないところです。特に㈱熊本県酒造研究所は吟醸酒に用いられる「協会9号(熊本)酵母」を世に送り出した蔵元さんとして全国に知られています。醸す酒は「香露」 熊本地震で…

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【689】 30年前に体験した激震 <国鉄分割民営化>

4月の熊本地震でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、被災されました皆様に心からお見舞い申し上げます。また、現在、復興に向けて尽力されておられる皆様方には、深く敬意を表します。 あの地震の報道を聞いた時から、しばらくブログ更新をする気にもならずにおりました。 私は地震というと、せいぜい震度3くらいまでしか体験したことがなく、震度7などという大きな地震は想像もつきませんし、何度も繰り返される余震に対する不安感も感じたことがありません。しかし、個人的に「激震」を体験したとすれば、それは国鉄入社後11年目で体験した国鉄分割民営化そのものでした。地震のように不意に襲われたわけではないのですが、それでも全国津々浦々に張り巡らされた国鉄に働く者と、それに関連して生計を立てていた人々の数は膨大でしたから、広範囲に及ぶ激震でした。それによってそれまでの生活の基盤が、自らの意志と関係なく変わってしまった人々は多く、自分自身が、その渦中の人になったわけです。 今回の地震で家を無くし、生計を立てていた勤務先や営業先を失い、この先の生活の糧をどこに求めるものか、0からというよりマイナスからの再スタートに立つ方も多いことと思います。国は精いっぱいの支援をすると約束してくれるとは言うものの、人生の大きな分岐点に立たされて今後の生活を軌道に乗せられるかどうか、まったく先が見えない中での生活は、30年前の私ども旧国鉄職員と、ある意味似たところがあるかもしれません。 私の場合は、前年に国鉄…

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【688】 JR東海に在籍した旧国鉄車両の車体色

前回はJR東海から姿を消したキハ40系のことを書きました。国鉄分割民営化後30年を迎えようとしている今、キハ40系がいなくなったあとJR東海に現役で残る国鉄からの引継ぎ車両は211系電車の0番台2編成8両のみとなってしまいました。 同社の211系は大所帯ですが、この0番台の8両以外は国鉄分割民営化後にJR東海が新製導入したグループです。 現在の211系0番台がまとう湘南色の帯色は、国鉄分割民営化後に他車に合わせて変更されたもので、国鉄時代の神領電車区に配置された8両の車体帯色は青と白の新幹線カラーの帯でした。 このように、国鉄分割民営化によって新鉄道会社が引き継いだ国鉄形車両の多くが、国鉄時代にはなかった塗装に変更される例が全国で見られました。時が経つにつれて、国鉄で見慣れた塗装のままの車両を見る機会は少なくなり、近年になるとわざわざ集客イベント用に国鉄色に戻されて使用されるようなことも行われるようになりました。 JR東海の場合は、381系電車やキハ80系気動車は国鉄特急色のまま残りましたし、113・115・165系電車などは、湘南色で長く活躍を続けてくれました。しかし気動車は、キハ28・58・65に採用されていた国鉄急行色は、アイボリー地にコーポレートカラーであるオレンジ色のラインを配した新塗装に改められました。 これに似た塗装は117系電車にも採用されました。117系のほうは、のちに雨どい部分のオレンジ色の塗り分けが省略され、窓下のラインも単純な1本線に簡略化された塗…

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【687】 JRダイヤ改正で思いだすこと⑧~JR東海のキハ40系《後編》

約1か月にわたって、ブログ記事の定期更新を中断しておりましたが、作り置きしてあった「JRダイヤ改正で思いだすこと」の続きから再開することにします。 国鉄時代、仕事上では唯一安心して乗務できたといってもよい気動車がキハ40系でした。しかし、仕事を離れればキハ40に特別な思いを持っていたわけではなく、首都圏色に塗られた車体は、乗ることより写真を撮ることに重きを置いていた当時の私にとっては、決して良い被写体とは思えず、どうしてもキハ58系のほうに気持ちが傾きました。 新しかった車両でも、この世のものはすべて、いつかは消え去るときが必ず来ます。近年になると、JR東海のキハ40系を見たり、乗ったりする機会があるたびに、私はキハ40系の元気な姿が見られるのは、あとどれだけあるのだろうかと思って接するようになりました。 今回は、この十数年間の私とJR東海のキハ40系との出会いの場面に記録した画像をご覧いただこうと思います。 ************************* 2004年4月25日 武豊線 大府 私が仕事で乗っていたころの武豊線は、キハ40系よりさらに旧式のキハ35の時代でした。武豊線では、そのあとキハ58系の時代を経て、国鉄分割民営化後にキハ40系の時代がやってきて、ワンマン仕様のキハ48に置き換わりました。そのほか通勤時間帯にはキハ47も運用されました。しかし、そんな時代も長くはなく、キハ75へ置き換えられキハ25が加わったのも束の間で、現在は電化されて永い気動…

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