【726】 北恵那鉄道31:「終末期の臨時電車」
廃止が決まると、最後に乗っておこうとか、写真を撮っておこうという人々が増えてきます。
これはいつの世も同じで、それを営業収益につなげるべく鉄道会社は記念切符やグッズ、廃品を販売したり、乗車ツアーを企画したりします。昭和53年8月23日付け中日新聞記事の転載画像です。↑
廃止が決定されてから、「思い出のさよなら電車」という企画列車が休日の日中に何回か運転されました。これは定員制で、事前に申し込みをしないと乗車できない列車でした。
私は人ごみもお祭り騒ぎも好きではないので、参加はしませんでしたが、すでに日中の運転が休止されてから数年が経っていましたし、モ560形が全線にわたって重連で運転されること自体が珍しかったので、撮影には出かけました。
終末期の通常ダイヤでは、中津町~美濃福岡間だけにモ560形の重連運用がありましたが、夕方(17:45中津町発)でしたので、夏場でないと撮影は困難でした。
ところで下の画像には、中津町駅ホームに積まれた手小荷物が写り込んでいます。国鉄と北恵那鉄道との間では手小荷物の連絡運輸も行われていたことがわかります。写っているのは運行を終えた後の臨時列車だと思われますので、次の定期列車で運ばれるのでしょう。駅の時刻表からは、日中の運転がなかったことも読み取れます。
国鉄から引き継いだ手小荷物は、16時15分発の列車で運ばれ、途中の美濃福岡駅では車掌が大量のヒヨコが入った箱をホームに降ろすのを見たことがあります。考えてみると、午後一番の列車となるその列車は、私…