【735】 私の鉄道模型遍歴10: 16番の客車

16番の客車は貨車のように安価ではなく、その価格は、だいたいエンドウの貨車4両分、又はNゲージのキハ20など関水金属製の旅客車のM車と同等くらいでした。客車の車種も豊富とは言えず、地元でいつも見ているオハやオハフといった普段着の客車が市場には極端に少なかったので、思うような形式が集まりませんでした。 最初に導入した客車は、誕生日祝いに父が買ってくれた3等級時代の青帯をまとったスロ51で、メーカー不明(宮沢模型製か?)という代物でした。当時はR450という急カーブのエンドレスしかなかったのですが、これを通過できず、さらに走行中に台車と車輪、車体が接触して、そのたびに電気が短絡してしまい、この車両を連結すると機関車がスムーズに走行しなかったこともあって、最初のうちはその対策もわからず、まともに走行させることができませんでした。 上の画像は私が小学4~5年生ごろに父が撮影したもので、このころ買い集めた16番の車両たちです。スロ51は左から3つ目にいます。手前左端の2両は、中途半端な感じをぬぐえないカツミの「あさかぜスタイル自由形」のナハフとナハニです。 そのころ天賞堂から軽量客車シリーズが出ており、そのなかにナハフ11とナハ11がありました。この2車種は普段着の客車として何としてもほしかったのですが、模型を買えるデパートがある名古屋市内へ行くような機会は年に数回しかありませんでした。それに鉄道模型専門店の存在も知らず、デパートで母が婦人服売場にいるあいだ、そのデパートの鉄道模型売場でショー…

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【734】 北恵那鉄道35:「廃線後のク81」

北恵那鉄道線の廃止翌日、モ565に牽かれて中津町駅から保存場所の山之田川駅まで線路上を回送されてきたク81は、駅に隣接するバス停の待合室として保存されるという話を聞いていました。ほどなく留置されていた側線から、すぐ横を並行する道路沿いの保存場所に移され、後日、この側線には中津町駅からモ562+モ564が留置されました。 画面右奥が、保存場所におさまったク81です。手前のモ562+モ564はこの場所で後に解体されることになります。 保存されたク81は側線に留置されている間に取り外されていた前照灯が再び取り付けられていましたが、これは解体される予定だった他車の流用品かもしれません。 再塗装されたりするわけでもなく現役時代の外観のままで、特別に展示を意識して整備される様子もなくその場に置かれていました。 上の画像は廃止翌年くらいの様子で、自動車で通りかかったときに撮影しました。正面窓ガラスが割れています。また、側面には半開きの窓も見受けられることから、車内は開放されていたと考えられますが、比較的早い時期にドアが施錠され立ち入りができなくなり、待合室としての機能はなくなりました。車内が荒らされたり、ホームレスの棲み家となったとかの事情があったのだろうと思われます。 それから約5年後、愛知県小牧市内に北恵那電車を利用したラーメン店ができたことを、新聞記事だったかで知りました。その姿をこの目で見ておこうと思い立ち、1985年に、報道された町名を頼りに、場所はよくわからないままに、どうせ主要国道沿…

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【733】 私の鉄道模型遍歴9: ストラクチャー

小学生の頃、一通り機関車と貨車が畳の上に敷いたエンドレスのレール上を走れる環境が整うと、トンネル・鉄橋・駅などのストラクチャーがほしくなりました。 これは、鉄橋と駅舎です。鉄橋はリアルでしたし、駅舎は鉄製でいかにも玩具っぽいものでしたが、駅の機能が表現されていて、昭和の模型独特のいい味を出していたと思います。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 鉄道模型メーカーでは、今でも有料のカタログを頒布している会社がありますから、そういうカタログを見ては、こんどはお小遣いを貯めてこれを買うんだというように、自分のレイアウトに長編成の列車が走る夢を見る少年は、きっと今でもいるのでしょう。私の場合は、レールなどを買うと付属していた無料のパンフレットから、購買意欲をかき立てられました。 のちに有料カタログも買って、飽きずに眺めては夢を見た時期がありました。しかし、カタログを見てこれだ!と決めた製品を買うために、列車に2時間も揺られて名古屋まで出かけて行ったとしても、ストラクチャー類まで充実しているデパートは少なく、直接発売元のカツミ模型店に現金を同封した手紙を送りつけて、ホームとトンネルを郵便小包で送付してもらったことがありました。私が子供の字で書いた原稿を見て、母が万年筆で書き直した便箋を同封したように思います。ホームもトンネルもバリエーションが複数あったので、在庫がないことを考えて、第2希望までその手紙に書いて、家にあったカタログに書かれた値段の合計額に、母の入れ知恵…

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【732】 北恵那鉄道34:「廃止翌日・モ565の搬出作業」

路線廃止の翌日に中津町駅から山之田川駅に回送されたのは、 愛知県内に売却保存されるモ565とデキ251 山之田川でバス停として保存される予定のク81 この3両でした。 山之田川駅へ回送された3両は、すぐに側線に転線しました。手前から、モ565・デキ251・ク81 直後に架線の送電は止められて、側線の架線が切断されました。最終日のお祭り騒ぎより、こういう瞬間のほうが廃止されたのだという思いが胸に突き刺ささってくるものです。 そのあと、売却先企業の手によって、モ565とデキ251には「長い間おつかれさまでした」と書かれた横断幕が取り付けられました。搬出のため架線が切断されて垂れ下がっているのがわかります。 一方、この山之田川でバス停待合室として保存されるク81からは、前照灯や室内のヒーターなど再利用できそうなパーツが車庫の方々の手で取り外されていきました。 そして、モーターカーにそのパーツ類を満載して中津町の車庫までピストン輸送されていました。 取り外されたク81のパーツは名鉄で再利用するということでした。ク81は、後日バス停のそばに敷かれたレール上に移動し、保存されました。ク81のその後については、日を改めて記事をアップしますが、この日いったん外されていた前照灯は復活して取り付けられました。 ク81の作業に並行して、この日の一番の大仕事になったのはモ565の陸送準備でした。陸送業者の手によって、モ565の車体は大型のトレーラートラックへ載せられ、パーツや台車は切り…

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【731】 私の鉄道模型遍歴8: 40年以上前に自作した北恵那鉄道車両( ^ω^)・・・+α

7か月ぶりに 「私の鉄道模型遍歴」の続きを始めることにします。今回で8回目ですが、1回目はこちらです。とりあえず今後は16番に接していた時期のことを書いていきます。 今回は、お恥ずかしい代物をお目にかけます( `―´)ノ これは北恵那鉄道のデ8をペーパー製で自作した16番の模型(といえるかどうか???)です。床下機器をどのように調達しようか迷っているうちに、そのまま放置され40年以上経過しています。 屋根と床板は木製の市販パーツを加工したもので未塗装のままです。前照灯は真鍮製で、これは他キットからの流用品。 パンタグラフはカツミ製。もちろん実物とは形がまったく違います。ベンチレータは天賞堂製客車用プラパーツを半分に切ったものでした。手すりはホチキス針、ジャンパや空気ホース類は家にあった銅線を成形し接着しました。台車・車輪・インサイドギアはカワイ製。モーターはカツミ製。 お粗末なものですが、これでも2代目で、その前に菓子箱のボール紙で作ったデ8と相棒のク81との北恵那唯一の貫通編成を作ったのは中学生の頃で、これも床下機器がない不思議な編成でした( *´艸`) 下の画像の下側がその1代目の2両編成です。ボディだけ写っているのは、その編成にある先代のデ8で、走行機器とパンタグラフ・ベンチレータなどを、現存する2代目に転用するために取り外した後、焼却処分する前に記念撮影?した画像です。 先代のデ8とク81は高校生時代に焼却処分しました。その現場写真が撮影してあります。 火葬して…

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【730】 北恵那鉄道33:「廃止翌日の回送列車?」

北恵那鉄道が廃止になったのは、私が国鉄に就職して2年以上経っていたころで、乗務掛(荷扱)の職名で荷物車に乗務する毎日でした。それより前の高校生時代の学校帰りには、中津町駅にはいつも立寄って、車両たちの様子を眺め、ときには車庫の詰所に立ち寄って、整備をされていた方に、電車のことをお聞きしたりすることもありました。就職後は中津町駅にもめったに行かなくなっていましたが、廃止も間際になったころ、久しぶりに車庫に寄ってみました。いつも親切に話をしてくれた方は、バスの整備のほうに配置転換になるとのことで、廃止が現実に近付いたことを感じました。 そして、廃止後の車両の処遇についてお聞きすると、最終営業が終わって中津町に集結する車両のうち、モ565、デキ251が売却されることになり、廃止翌日に山之田川駅から搬出されるということと、山之田川駅前にはバス停待合室としてク81が保存されるということでした。モ565とデキ251の売却先は明らかにされませんでしたが、保存展示目的で購入されたことは、あとで新聞報道されたのでわかりました。 廃止翌日(1978年(昭和53年)9月19日)の午前中、一時的に本線の架線に通電され、3両は山之田川駅まで自力回送されました。売却先へ大型のトレーラートラックで陸送されるモ565とデキ251は、中津町駅構内が手狭で搬出作業が困難なため、国道沿いで広い空き地がある山之田川駅から搬出する必要があったものと考えられました。一方で、山之田川に保存されるク81は動力を持たない制御車なので、他車…

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【729】 スチール棚の企画展9:「中京圏のJR車両+α」に加え、若干の鉄道模型観

先々週、先週とアップした企画展「国鉄形普通列車+α」は、主催者としては、けっこう気に入っていたので、年末くらいまでひっそりと開催する予定だったのですが、急きょ先月末に閉幕し、今度は国鉄分割民営化後にJRに籍を置いて中京圏で活躍した車両と、その仲間たちを展示しています。 この企画展を急きょ開催したわけは、2016年現在のJR東海の列車はステンレス地の銀色車体にオレンジの線が入った車両ばかりになってしまい、区別がつきにくいということを意図するコメントを頂戴したことで、果たしてこのスチール棚を埋めるだけのJR車両がどれだけ手元にあるかなあと考えたことから始まりました。 このブログで繰り返し書いてきたことですが、私は模型を含めて身の回りのモノを減量した結果、手持ちの模型のなかでは2016年現在も現役で走っている模型車両は、それほどありません。そこでJR世代の車両だけでなく、国鉄からJRに引き継がれた車両(JR仕様での時代設定で製品化されたものに限る。)も動員するとともに、タイトルに「+α」としたように、JR東海313系電車の姉妹車ともいうべき愛知環状鉄道2000系電車とJR貨物の車両も含めることにより、なんとか展示スペースが埋まりました。こちらが全容です。結果として2016年時点ではすでに引退した車両が相当数を占めています。 下の3枚の画像は順に、左側~中央付近~右側を撮影したものです。 :~*~+~:~*~+~:~*~+~:~*~+~:~*~+~ それでは、例によって上段から下に向…

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【728】 北恵那鉄道32:「廃線の日」

1978年(昭和53年)9月18日、ついに北恵那鉄道線にとって最後の日が来ました。 中途半端な月半ばに営業を終了することになったのは、先月書いた国鉄下呂線との関係をはじめとする諸事情もからんでいたのでしょうか。 先週アップした「思い出のさよなら電車」として使用されてきたモ565には、廃止前日にさらに装飾が追加され、違和感を持っていた「さようなら560形 鉄道友の会」と書かれていたヘッドマークは側面に移され、「さよなら」と大書された 鉄道友の会による大型のヘッドマークが新たに取り付けられ、17・18日に「さよなら電車」として運転されました。 「さよなら電車」を務め、装飾されたモ565は、これも先月書いたように名鉄から国鉄線を甲種輸送によって北恵那にやってきて5年もたっていない新参者でしたが、レール塗油装置も取り付けられて本線の主力車両として活躍していたので抜擢されたのでしょうか。というよりも、ほかの車両には故障や定期検査期限満了とかの事情があって、モ565がいちばんまともな状態だっただけだったのかもしれません。そうした制限がなかったとしたら、個人的には北恵那鉄道生え抜きで普段は入換専用だったデ2を使った本線運転で最後の花道を飾ってあげたかったと思っていました。 説明はこのくらいにして、最終日の画像をご覧いただきます。 美濃福岡での行き違い。モ563とモ564。 最後の下り列車下付知行。始発駅の中津町発車前にはセレモニーが行われました。 …

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【727】 スチール棚の企画展8:国鉄形普通列車+α(後篇)

先週の続編で、上から順に展示車両をご紹介していきます。 前篇では電車について書きましたので、引き続き気動車と客車列車について書き進めます。 :~*~+~:~*~+~:~*~+~:~*~+~:~*~+~ 5段目の左・キハ35+キハ35+キハ30 朱色の首都圏色で統一したキハ35系の編成です。製造当初の一般色から首都圏色に塗り替えられた気動車には違和感があるのですが、キハ35系には武豊線のほか、関西本線や伊勢線で首都圏色のキハ35に日常的に乗務していた時期があったからか、それとも車体が通勤タイプの切妻のため国電101系や103系の単色塗りに通じる印象を持ったからかわからないのですが、理由はともかく個人的には朱色の首都圏色に違和感をあまり感じない車両といった印象を持ちます。 ここにアップした実車画像には無塗装時代(正面には、この時代には朱色の帯あり)のステンレス車キハ35 900番台が連結されていて、3種類の塗装パターンのキハ35系が写り込んでいます。1976年に八高線で撮影した画像で、気動車の首都圏色を見たのは、この時が初めてだったと記憶します。 その下、6段目左・キハ52+キハ35+キハ36 一般色で統一されながらもキハ20系のキハ52と35系との混成編成となっています。キハ35はかつて非電化時代の中央西線でも使用され、子供のころにはよく見たり乗ったりしていました。しかし中津川の前後で見たのは、キハ35ばかりを連ねるのではなく、キハ35がキハ10系や20系などに混じる編…

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