【743】 私の鉄道模型遍歴14: 16番の蒸機(前篇)

天賞堂のC型0-6-0タンク機が、私が買った最初の16番の蒸機で、小学生のころは、それが我が家の模型鉄道の主力機関車でした。その後、中学生~高校生になると蒸機を買い増していき、現在も手許に残る16番蒸機は、先日ご覧いただいたC型0-6-0タンク機を含め4両あります。今回は、そのうちの2両をご紹介します。 +++++++++++++++++++ <エンドウ B20> 中学生になってから完成品を買ったエンドウのB20は、いちおう国鉄蒸機のスケールモデルでした。 このB20は、松本吉之著「鉄道模型考古学」(ネコ・パブリッシング刊)によれば、1971年発売で、当時の価格は2600円とされています。ボディ・シャーシーともにダイキャスト製で、たった2軸の超小型機は構造が単純で、故障もせずに活躍してくれました。 のちに、私はご覧のようにロッドとナンバープレートに赤色を差し、前後に警戒色を施し、サイドに白線を入れたことで、専用線で働く蒸機のような外観になってしまいました。 大きなモーターを装備しているので、実車よりオーバースケールで、しかもサイドタンクの高さが異常に高い不自然さはありますが、多少デフォルメされているエンドウの貨車を数両牽かせるのがいちばん似合っているように思います。 +++++++++++++++++++ <中村精密 C12> 高校生になってから、身近だった中央西線と明知線から相次いで蒸気機関車が引退しました。最終期には実車の撮影に出向くことが多く、地元から煙が消…

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【742】 年賀状2: 自動車屋さんの年賀状・郵便屋さんの年賀状

今年、約50年にわたって保管していた年賀状の大部分を廃棄させていただくことにして、そのすべては画像化して保管することにしました。お送りいただいた方々には申し訳ありませんが、画像はいつでも自分が見られる状態で、少なくとも私の生存中は保存させていただいて、そのお気持ちは忘れないようにいたします。 撮影に当たって、それまで保管してきたすべての年賀状の1枚ずつに、目を通させていただきました。 そこに見たのは書いてくださった方のお気持ちと消息のほかにも、自分が生きてきた歴史そのものも見た思いがいたしました。そこで思ったことや気が付いたことを毎週少しずつ綴っております。 ********************* いただいた年賀状を古い方から順に拝見していくと、その時々の交友関係が変わっていったことがわかる。そして年賀状だけのお付き合いになった方も多い。パソコンで年賀状を印刷する時代になると、画像入りの年賀状が増えてきて、家族の集合写真とか、お子さんや、最近はお孫さんの写真が印刷されているのがあって、微笑ましく思う。中には、「もうすぐ家族が増える予定です。」の添え書きがあるご結婚翌年の年賀状から始まって、その翌年以降、ほぼ毎年、20年にわたって、ご家族全員の集合写真を入れた年賀状をくださった方もあった。お子さんはその間に3人になり、一番上のお子さんは20歳になった。たいていはお子さんが大きくなると、こうした家族全員での集合写真を撮ること自体が難しくなるものだが、家族旅行の機会などを利用されたら…

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【741】 私の鉄道模型遍歴13: 16番の電気機関車とディーゼル機関車

身近な鉄道であった中央西線では瑞浪電化時点で、(稲沢~)名古屋~多治見間がD51に代わってEF60 が就役し、約2年後の中津川電化の時点でEF60がEF64に置き換えられました。 16番の模型では、まだEF64が製品化されていませんでしたので、EF64と同じ貫通形電機ということで妥協して買ったのが、見たこともなかったEF65 1000番台でした。 これはデパート店頭でキットの在庫がなく、完成品として購入しましたが、メーカー完成品ではなくお店で組んだもののようでした。中学~高校生になって、模型の構造をひととおり理解できるようになってくると、スケールモデルの塗装済キットを組むようになり、自由形完成品はあまり買わなくなっていました。 組み立てて、それを走れる状態に完成させることに自信が持てるようになって、その過程をが楽しむようになったわけです。 そのあと、比較的安いスケールモデルということで買ったのが、つぼみ堂から発売されていたED17の塗装済キットでした。 実車は飯田線で見たことがありました。カツミ以外のキットを手掛けたのはこの車両が初めてでした。台車枠が3点支持構造でなく固定された台車枠は上下の遊びがなく、線路の状態によっては2軸ある車輪の片側一つの車輪がレールから浮き上がって集電状態が不安定になり、ときには脱線しました。台車と車体の接触によるショートも起き、走行状態を見ながらショートする箇所を探しては、車体裏側にセロテープを貼ったり、塗料を盛ったり、車体やパーツに手を加えて安定した走…

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【740】 年賀状1: 3枚の版画

年賀状を書かなくなって5回目の正月を迎えようとしている。 平成24年に義父が、続いてその翌年には実父が亡くなったので、2年連続して年賀状は欠礼とさせていただくことになり、同じ年に自らが勤務先を退職したこともあって、これを区切りとして以後は年賀状を基本的に書かないことにした。喪中だった2年間、連続して年賀状を出さずとも、3年目以降も忘れずにお出しくださった方もあったけれど、折り返し寒中見舞状を出して失礼を詫び、趣旨をご理解いただくよう書いて送っておいたので、次の年(つまり今年)いただいた年賀状は減った。来年以降も方針は変えるつもりはない。 自分でパソコンを使って年賀状を作りながら、昔の手書きの年賀状のような重みがなくなったなあと感じていたし、せめて添え書きの一言を書ければと思いつつ、差出期限の日が迫ってそのまま出してしまうのが通例で、考えてみるまでもなく、何十通もの年賀状に心を込めた添え書きをすることはなかなかできることではなかった。 皆さんは、これまで送られた年賀状をどのように扱っておられるのだろう? せっかくいただいたものだから、永久保存なのでしょうか? それとも翌年発送するために直近の何年分か決めて保管しておくのでしょうか? 私の場合は、これまで自分宛てにいただいた年賀状は、1枚残らずとは言わないまでも、ほとんど全部を年別に区分して段ボール箱に保管していた。保管していたのなら、時には見返したりして近況伺いの手紙でも認めていれば理想的なのだが、まったくそんなことはなく、何十年も段ボール…

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【739】 私の鉄道模型遍歴12: 16番の165系電車

小学5年生のとき、地元中央西線の瑞浪~中津川間の電化が完成し、身近に電車を見るようになり、70系電車が走るようになりました。その中で1日1往復だけ、東海道本線直通の快速があり、その列車だけ大垣区の153系が使用され、クハ165が混入することがよくありました。湘南色で急行を思わせる快速列車は、キハ181系特急やキハ91系急行とともに特別な存在に思っていました。 カツミ模型店からは165系が古くから発売されていたのをカタログで知っていましたし、店頭でも見かけ、リアルな外観は気に入っていました。それまで電車の模型が1両もなかった我が模型鉄道にも電車を導入しようということになり、中学1年生のとき、お年玉と手持ちのお金を全部つぎ込んで165系を買いました。製品はクモハ165・モハ164・サハシ165・サロ165・クハ165の5車種が発売されていましたが、そこまではお金が足りず、まずはクモハ165・モハ164・クハ165の3両を購入しました。 旅客車の3両編成を一気に購入したのは初めてで、1万円を超える買い物になりました。 今ならばネット通販でいとも簡単にポチッと入手できるわけですが、もちろんそんな時代ではありません。家から70㎞離れた名古屋まで出向いても、在庫がなくがっかりして帰ったことを何度も繰り返した経験もありました。母の入れ知恵で発売元のカツミ模型店に直接往復はがきで在庫の有無と送料を確認したうえで、現金書留で現金を郵送して郵便小包(現在のゆうパック)で送ってもらいました。 そのときの納品…

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【738】 北恵那鉄道37: 「保存されたデ2」

北恵那鉄道開業時に梅鉢鐵工所(のちの帝国車輌→東急車両に吸収合併)で4両製造されたデ1形は、後に車体が更新され、足回りも大改造されましたので、廃止時点では製造時の原型をまったくとどめてはいませんでした。こうした改造は自社工場で施工され、更新で載せ替えられた木造車体は北恵那鉄道の大工さんによって手作りされました。そのスタイルは名鉄車が入線した昭和30年代末期まで北恵那鉄道の顔となっていて、4両のうち、デ2号だけは廃線までずっと在籍して、中津町駅の構内入換と国鉄中津川駅との間の貨車の受け渡しに使用されていました。 北恵那鉄道線が廃止された日、NHKテレビでは、朝のローカル番組で北恵那鉄道廃止の話題が取り上げられました。このとき、デ2の車体を作ったという高齢の方がレポーターの問いに答えていました。材料について尋ねられると、 「これは全部木や」 「今みたいにベニヤなんてあらへんでのう。ヒノキとか全部土地の材木で造ったるわけ。」 廃止になるにあたってお気持ちは、との問いには、 「ほりゃあ、しょーないのう。……(あとは一生懸命作ったから子供以上にかわいいという意味のことを言っておられるも、涙声でよく聞き取れない)」 (※「全部木や」とありますが、後に妻面窓から下に鉄板を張って補修されています。) 木曽ヒノキをはじめ、土地の材料で作られたこのデ2こそ、北恵那鉄道の歴史を知る生き証人といえる存在なのでした。廃止後、しばらく中津町駅構内に留置されていましたが、中津川市の手によって沿線に近い「夜…

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【737】 私の鉄道模型遍歴11: 16番の気動車

私が鉄道模型を始めたころ、地元の中央西線は非電化でした。その直後に名古屋~瑞浪間が電化されましたが、中津川まで電化区間が延びて、私が住んでいたところで電車や電気機関車を見るようになったのは、その2年後の小学5年生のときでした。鉄道模型を始めたころには、蒸機が牽く客貨車列車と気動車列車がもっとも身近な存在だったことから、客貨車のほかには、電車より身近な気動車が欲しいと思ったものでした。中央西線ではキハ17系を主体としてキハ25あたりが混入した普通気動車列車が4両程度で走っていて、模型でリアルに再現できそうなのはTER(遠藤商店)のキハ17系でした。 デパートに行くと遠藤商店のキハ17系が置いてあるのをよく見ましたし、ストラクチャーやレールを買うと付属してくる遠藤商店のカタログにも、貨車群やレールバス キハ02などとともに載っていましたので、小遣いが貯まるたびに1両ずつ買っていき、キハ17+キハ18+キハ17の3両編成が揃いました。 これは快調に走り、モーター音が実車のエンジン音にも似ていましたので、長く走りを楽しめました。 モーターを斜めにマウントする不思議なインサイドギアで、酷使してモーターから発煙しダメになったあとも、インサイドギアとモーターをカツミ製の一般的な製品に交換して活躍し続け、そのあとも小編成でまとまることからディスプレーとしても部屋を彩ってくれました。 そのころの中央西線には急行用のキハ58系も走っていましたが、当時はまだエンドウ製品が発売されていない時期で、実車と似ていない…

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【736】 北恵那鉄道36:「廃線後の施設撤去作業」

北恵那鉄道が廃止され、しばらくすると施設の撤去作業が始まりました。 どのように進むのか、ときどき勤務明けや休みに自動車で出かけて様子をうかがっていたある日、旧美濃福岡駅で北恵那鉄道の車両ではない加藤製作所製の小型L形DLが、北恵那鉄道に最後まで残っていた貨車ト107を従えて停まっているのを発見しました。 小型L形DLは、おそらく撤去作業を請け負った業者が持ち込んだものだったのでしょう。こういうときは製造番号を見るとか、素性をはっきりさせなければいけないのでしょうが、22.1㎞もある鉄道の架線や電柱、線路の撤去までは、まだ相当の月日がかかるだろうからという気もあって、何も調べず写真だけ撮りました。 そしてもう一つ、旧美濃下野駅で得体のしれない車両を線路上に見つけました。 無蓋車の側板を取り去ったような車両ですが、こんな車両は北恵那鉄道には在籍していませんでした。これもどこかから撤去作業用に持ち込まれたのかと思ってよく見ると、ト107とともに最後まで残っていたもう一両の貨車ワム301の変わり果てた姿でした。屋根と側板がすべて撤去され、床板と支柱の一部、片側の妻板の一部だけが残されていたのです。 ワムとはいえない姿になってしまったこの車両、実はこのあと、美濃福岡で見た小型L形DL+ト107に連結されて、撤去したレールや架線・電柱などの運搬に使用されました。そのための無蓋車化?だったようです。またしばらくしてから、撤去作業がどうなったか自動車で見に行ってみました。どのあたりで作業が行われ、いつ廃…

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