【765】 電車列車での集札

先週は岡多線三河上郷駅で降りた酔っ払い氏のお話をしました。 当時の岡多線の旅客列車は神領電車区の113系4両編成が使用されていて、この三河上郷駅では出口階段がある位置に列車の最後部が停車するようになっていたので、ああいうことができました。これも岡多線が新しい線区であり、元から無人駅では車掌が集札することを前提に停止位置も考慮された結果だったのでしょう。ところが、古くからある本線系の駅は、そんなことは考慮されていませんでした。列車の前の方に出口がある無人駅はいくらでもあって、一人乗務だと物理的に集札ができませんでした。そういう駅では駅出口付近に置いてある集札箱があれば、そこへ切符を入れてもらうわけで、不正乗車が多数あっただろうことは想像に難くありません。武豊線など集札箱さえもありませんでした。画像はJR東海、落合川駅の集札箱です。上下線が停まる島式のプラットホームの名古屋方の端に出口へ続く跨線橋がありますので、塩尻方面へ行く下り列車では集札には好都合でしたが、名古屋方面に行く上り列車ではそうはいきません。 国鉄の本線用の「電車」、たとえば113系や165系では最後部車両の乗務員室でしかドア扱いができませんでした。車掌スイッチを取り扱ってドア開閉をしますが、別に切換スイッチなるものがあって、運転士が切換スイッチを「後位置」にした車両だけでドアの開閉ができたのです。(客車鍵を用いて車掌スイッチをどの車両の乗務員室からでも取り扱うことが可能な電車も一部にありました。) 無人駅では車掌がドアを開け…

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【764】 旅先での宿泊地

11年間の国鉄乗務員時代は、おくのほそ道の「日々旅にして旅を栖(すみか)とす。」という生活でした。そこから足を洗った30年前からは、朝出勤して夜帰るという人間らしい生活に戻れました。しかし、他人から見れば理解できないだろうけれど、旧国鉄線に乗るために全国の鉄道に乗るようなことを始めてしまいました。おかげで、稀にあった仕事上の出張や他の旅行も含めると、ほぼ毎月のように家を空けて旅先の安いビジネスホテルを探して泊まる時期もありましたし、現在ある旧国鉄線に完乗したことに加えて沖縄へ行ったことによって、47ある都道府県の地をすべて踏んだ結果になりました。 画像は、国鉄職員の福利厚生施設の一つであった宿泊施設の看板です。国鉄の車掌時代1981年10月に、列車掛科同期生2人とともに鳥取砂丘と出雲大社に行った折に宿泊したところです。駅からちょっと離れた場所にある古い木造施設だったと記憶します。 先般の熊本地震のあと、熊本のことをブログにアップしたときに、かつてお仕事で広範囲の営業エリアをお持ちであった方から熊本についてのコメントを頂戴し、「夜の街あり、大型スーパーあり、朝食を取りにゆくファーストフードの店あり...、何かと便利な市内中心部」だったとのことでした。私は熊本までの乗務行路はありませんでしたし、プライベートで熊本市内に泊まったことがあったかなと考えるに、そんなことはなかったばかりか、熊本市内をぶらついたりしたことさえなかったのでした。実はそういうことは、私の場合は熊本に限ったことではありません…

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【763】 酔っ払い(>_<)

飲酒に寛容だった昭和の時代、不特定多数の人が集まる駅や列車内では、酒を飲んで、人に迷惑をかける人が、今より格段に多かったように思います。 さて、今回のお話は、私が国鉄岡多線で車掌をしていたころのことで、昭和50年代半ばのことです。岡多線は現在の「愛知環状鉄道」の一部です。このうち岡崎~新豊田間は国鉄線として開業ししておりJR東海時代を経て、新豊田~高蔵寺間の延長と同時に第三セクター鉄道になっています。画像は愛知環状鉄道に移行後、2005年に愛知万博「愛・地球博」開催中にJR東海から助っ人として入線した113系です。国鉄時代はその岡多線も私の乗務範囲で、全旅客列車が113系4両編成で運転されていました。(国鉄末期に165系3両に変更されました。) 岡崎を発車した直後に車内に入ると、酔っ払ったオッサンが大声でからんできました。 「俺は切符を持っとらん。金は一銭もない。ゼニ取れるもんなら取ってみろ」 「お客さんはどこまで行くの?」 「三河上郷」(←そこは無人駅) 「困ったねえ。どこから乗ったの?」 「そんなことは知らん。」 「じゃあ住所と名前教えてくれる?」 「いやだ」 といった調子でお話になりません。 そのうちに 「タバコ1本くれ。」 「あいにくタバコは吸わんもんで。」 などとやっていると、ローカル線のお客さんは親切で、困っている車掌に代わって、 「ほら、わしのタバコ1本やるで、静かにしりん」(「しりん」は三河弁で「しなさい」の意味。なお当時の岡多線は禁煙では…

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【762】 乗り鉄12か月…2004年1月「名古屋鉄道」

毎月1回ずつ、過去にその月に乗り鉄に行ったときのことと、撮り鉄に行ったときのことを書いています。 今回は、今から13年前の2004年1月10日に名古屋鉄道の電車とバスを乗り継いだときのことを振り返ってみます。 ****************** 年末年始には、ふだんは列車を利用しない人でも、酒を飲む機会が多いし初詣に行ったりしますので・・・というより、冬の閑散期の潜在需要をあてこんで、このようなフリー乗車券が期間限定で発売されることがあります。現在、名鉄では3,100円で「まる乗り 1DAYフリーきっぷ」を通年発売していますが、画像にある切符はそれより安く2,100円で、鉄軌道線だけでなく一般道の名鉄直営路線バスも乗り放題でした。さらに犬山成田山か豊川稲荷で箸を授与していただける引換券付きでしたが、そういう特典は放棄し、乗ったことがない名鉄バス直営路線を経路に組み入れました。私の場合は、通常運賃を払ってまで、私鉄の列車に乗りに行ったりすることがほとんどないので、こういう切符が発売されること自体が乗り鉄に行く動機になります。しかもこの時は、この切符を金券ショップでさらに安く入手しています。 実はこの2年前の同じ時期に同じ切符を購入して、2度にわたって名古屋鉄道の鉄道線と軌道線の未乗線区を乗りつぶし始めていました。2004年は3回目で、未乗線区を乗りつぶしつつ、ふだん乗ることがないバス路線にも乗れる周遊コースを考えました。名鉄の列車とバスだけでは、うまく周遊コースを組めませんでし…

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【761】 撮り鉄12か月…1994年1月 「中央・信越本線」

鉄道趣味を始めて長くなりました。鉄道趣味と言っても、その範囲は広いのでいろんなことに手を出した結果、関わるジャンルは広くなりましたが、それでも決して深くまでたどりつくこともないままに別のことを始めたりして、似たようなことを繰り返し発展のないまま無駄に齢を重ねてきました。はじめは主に地元を中心にした撮り鉄をやり、1990年代までで国鉄形車両の多くが地元から引退していったあと、撮り鉄を引退しました。そして撮り鉄と並行して国鉄退職後には新たに乗り鉄に参入しました。こちらも旧国鉄線を中心に乗ってきましたが、ひたすら乗りつぶすといった乗り鉄からも最近引退しました。ほかに大した趣味もなかったので、これまで春夏秋冬、撮り鉄や乗り鉄を何年間も続けたわけで、年によっては毎月のように家を空けた年もありました。 これから毎月1回ずつ、その月に撮り鉄に行ったときのことと、乗り鉄に行ったときのことを書いていきたいと思います。 (1月は遅くなりましたが、2月以降は第1月曜日に、その月に行った撮り鉄の話を、そしてその週の木曜日には、その月に行った乗り鉄の話をアップしていく予定です。) ****************** 今回は、今から23年前の1994年1月21日~22日に、信越本線の碓氷峠へ撮り鉄に行ったときのことを振り返ってみます。 と言っても、私は撮り鉄として全国を駆け回ったわけではありません。基本的には単独で地元の鉄道を記録することが中心で、地元以外での撮影行は多くありませんでした。どなたかにお誘い…

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【760】 郵便物の消印あれこれ

昨年暮れから、私あてにいただいた約半世紀にわたる年賀状の話をしてまいりました。その保管してあったハガキの表面の消印にも、さまざまな種類がありました。 官製年賀ハガキには消印に相当するデザインが印刷されていますので、年賀郵便物取扱期間中は消印が押されないですが、切手を貼った私製ハガキには「年賀」と書かれた消印が押されます。(下の画像 左) 下の画像の右側のは、料金別納の年賀状版?なのでしょうか。お店からのダイレクトメール的年賀状でした。 ========================== 正月過ぎに発信された年賀状には消印が押されてきます。現在の郵便局オフィシャルサイトによると1月8日以降は消印を押すそうです。私に言わせると郵便局名が入った消印が押されていたほうが、どこから発送されたかわかるのでうれしいのですが、繁忙期の年賀郵便物取扱期間中は押印を省略して元日配達に全力投球なのでしょう。 消印には、下の例のように県名が入っている例がありますから、聞いたことがない郵便局でも、どのあたりの郵便局なのかがわかります。 ========================== 全国に同一駅名がいくつもあるように、郵便局の場合も事情は同じで、県名を付記して特定することが可能です。 下の画像の上2つは、岐阜県と愛知県の「坂下」郵便局。 下2つは滋賀県と愛知県の「守山」郵便局 2つの「守山」を見ますと、滋賀県のほうには、県名の「滋賀」でなく旧国名「近江」が使われていて…

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【759】 国鉄時代にいただいた挨拶状

昨年まで保存していた年賀状のほかに、転勤・退職、冠婚葬祭などの挨拶状も手元にたくさん残っていた。 そんな中から、転勤・退職に関するもので、国鉄があったころの背景や人事異動の実態がわかるものををいくつか… ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 私が国鉄に就職して、最初に荷扱乗務員を3年やってきたが、荷物営業関係の現場では民間委託化が進みつつあり、国鉄分割民営化前に荷物列車は廃止された。車掌区に配置されても接客の道を選ばない方もあって、荷扱の車掌長や車掌補を定年まで続け、定年退職後に荷扱の受託会社に再就職して、引き続き荷物列車の乗務を続けられた方もあった。下の挨拶状は昭和57年の日付となっていて、乗務基地は熱田となっていた。熱田駅にあった荷物基地では、乗務員だけでなく、地上職として再就職された方もあった。国鉄で荷扱乗務員の仕事を長年やっておられた地上職の方々から、私どもが乗務する荷物車へ積み込まれる荷物はきちんと仕訳され、乗務員の痒い所に手が届く仕事がされていた。この後のことを私は知らないが、おそらく国鉄が荷物営業を廃止した時点で仕事を失うことになったのだろうと思う。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 私が就職したころは、国鉄で車掌になるためには、「普通課程列車掛科」の受験をした。さらなる上級職を目指す方々は、希望する「高等課程」の試験を受けて非現業職や管理職になっていった。仕事を教えていただいた先輩たちで、それらの試験に合格し、車掌や専務…

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【758】 年賀ハガキの半世紀=日本の鉄道の半世紀

昨年暮れから、それまでの51年間に私あてにいただいて保管していた年賀状の話をしてまいりました。51年間とは1966年(昭和41年)から2016年(平成28年)までです。せっかくですから、それまで保管してあった年賀はがきに今年の年賀はがきを加えた52年分の、はがき表面に印刷された郵便料金を示す部分(料額印面)の画像も撮影しました。この間に私自身は、かわいいお子様からハゲオヤジに変貌したのに、お子様のまま変わらず好きなのは鉄道というお恥ずかしい事実に突き当たります。鉄道のほうは、時代とともに大きく変わりました。 その間の日本の鉄道にどんなことがあったか、年賀はがきの料額印面を古い順に6年分ずつ掲載し、日本の鉄道にあったその6年間の出来事を書いていきます。 ※料額印面の画像は、あえてサイズを縮小し解像度も下げています。年賀ハガキは毎年、寄付金付きなど複数種ありますが、掲載した画像は1年に1種だけとして、主として代表的な絵柄の料額印面に限りました。 ※鉄道で起こった出来事は、国土交通省HPで公開している「鉄道主要年表」(H24.11.1更新版・それ以後については新幹線開通日を追加)から抜粋しました。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/  《1966年~1971年》 1966年の年賀ハガキは4円なのがわかります。このころ通常ハガキは5円でしたが年賀ハガキだけが安かった時代でした。来年も同じような料金設定がされるみたいです。1966年7月1日からハガキは年賀ハガキも含めて7円…

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【757】 平成29年酉年 謹賀新年:駅弁掛け紙編

新年をいかがお過ごしでしょうか。 こうして人並みに正月を迎えられることを、私はありがたく思っていますが、まったく正月に関係なくお仕事に就いておられる皆様が当然おられるわけで、ほんとうにお疲れ様でございます。【123】年末年始と乗務員で、書いたことですが、国鉄時代の11年間は、私もそういう立場でした。 いまから30年前、国鉄最後の年となる昭和62年の正月、私は元日が公休だったものの、2日~6日までは連日東海道本線のローカル列車に乗務していました。乗務列車の多くが113系で、一部が117系と新型の211系0番台。113系は2000番台以外の乗務員室はとても寒く、30代になるまではズボン下は着用せずにおこうと思っていたものの、20代のうちに寒さに負けました。 就職したころには、今のようにコンビニで弁当が簡単に入手できる時代ではなく、正月に乗務する乗務員の食糧調達には注意が必要で、年中無休の駅弁のお世話にもなりました。その後ホカ弁が少しずつ普及してきたこともあって、仕事中に駅弁のお世話になることは減っていきました。国鉄時代の乗務員の食糧事情については、【260】レチ弁で書きましたが、今回は酉年にちなんで、鶏に関係する駅弁掛け紙をご覧ください。 ◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆ 《左》 名古屋駅 とり御飯 1976年5月11日 《右》 名古屋駅 とり御飯 1987年3月28日 上の画像は、どちらも国鉄の乗務員時代に買った名…

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【756】 平成29年酉年 謹賀新年:日本酒ラベル編

新年をいかがお過ごしでしょうか。 ふだん日本酒を飲まない皆さんも、正月くらいは好き嫌いに関係なく飲まれる機会があろうかと思います。そこで今回は酉年ということで、鳥に関係する日本酒ラベルを特集です。 最初は、正月用ラベルの月桂冠でありますが、これは一回り前、2004年のものです。今年もこういう企画があったのかどうか存じませんが、メーカーサイドでも正月過ぎまで売れ残ったらお困りになるだろうこのラベル。実は12年前の1月も終わりになったころ、店頭で残っていたのを在庫処分価格で入手したお酒のラベルです。 こういうラベルは期間限定商品ですが、そうではなくて、いつでも入手できる日本酒の商標名そのものに入った鳥の名前の代表格といえば、「鶴」があります。お酒に縁が薄い方でも「白鶴」「沢の鶴」「賀茂鶴」などは聞いたことがおありかと思います。このように「〇〇鶴」という名の日本酒は全国にありますので、それは別の機会にご披露するとして、今回は「鶴」以外の鳥類の名前が入った日本酒ラベルをご覧いただきましょう。 ◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆ 「鷹」はこれだけ集まりました。 鷹勇(たかいさみ)……鳥取県東伯郡琴浦町 大谷酒造㈱さん 能鷹(のうたか)……新潟県上越市 田中酒造㈱さん 白鷹(はくたか)……兵庫県西宮市 白鷹㈱さん 鷹正宗(たかまさむね)…福岡県久留米市 鷹正宗㈱さん ほかにも、いろんな鳥があります。 ◆+。・゚*:…

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【755】 平成29年酉年 謹賀新年:国鉄形特急編

謹んで新年のお祝いを申し上げます 昨年は何かとお世話になりまして、ありがとうございました おかげさまで良き新年を迎えることができました 本年も昨年同様よろしくお願い申し上げます 皆様のご健康とご多幸を心よりお祈りいたします                平成29年 元旦        昭和の鉄道員ブログ管理人 しなの7号 誠に勝手ながら、先人がたに習い、例年同様年賀状による年頭のご挨拶はご遠慮させていただいております。ご挨拶は、こちらのブログ記事を通じて申し上げることとしておりますので、なにとぞご理解の上よろしくお願い申し上げます。 画像は大分駅正面にあるニワトリ像 ◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆ 今年は酉年です。ニワトリに関係する鉄道車両は思いつきませんが、鳥の名前を愛称名とした特急列車は、いくつか思い当たりました。 今年は国鉄分割民営化から30年を迎える年にあたります。また、個人的には私がカメラを手にしてから45年経ちました。そこで面白半分で、これまでに撮影した鳥に由来する愛称名の国鉄形車両による特急列車の画像を引っ張り出してみました。車庫や工場で開催された一般公開イベント時の展示車両も含まれますのでご容赦ください。 《左》 EF80ゆうづる(イベント展示車両)  1994.11.12 JR東日本大宮工場(現大宮総合車両センター)  姉妹列車に「はくつる」がありま…

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