【773】 命がけの実地訓練?

ここは中央西線、鶴舞駅。 私が国鉄の車掌時代、この駅のホームでヒヤッとしたことがありました。 それは夜おそく、153系8両編成の普通列車高蔵寺行に乗務していたときでした。乗降終了後、定刻にドアを閉めたのと同時に、階下の改札から最後部車両に近い階段をホームへ上ってきたオッサンが目に留まりました。そしてドアが閉まったのに列車に向って突進してきました。危ない!と思うと同時に、オッサンは列車の前でピタッと立ち止まり、こんどは体の向きを変えることなく、のけぞるように後方にフラフラよろけながら電車から離れていきました。その足取りからして酩酊状態でした。やれやれと思う間もなく、またピタッと立ち止まって、再び勢いよく電車に向かって直角に、走り寄ってくるとも倒れかかってくるともつかないように両手を前に出して列車に向ってきたのです。とっさに私はブザー合図を乱打(合図の取り消し。この場合、取り消す合図は出発合図)しましたが、ほとんど同時に運転士はノッチを入れており、列車はわずかに動き出しました。酔っぱらい氏はこんどは電車の前でピタッと止まってはくれず、まだほんの低速ながら動きだした状態の電車の車体に両手をつきました。電車は低速ながら動いていますから、手だけが列車の進行方向に持っていかれ、酔っぱらい氏はバランスを崩し、ホーム上に倒れ、そのままゴロゴロとホーム上を2回転くらい列車の進行方向へ転がり、電車も同時くらいに止まりました。 現場に走り寄って、「お客さん大丈夫か!」と寄りかかると、酔っぱらい氏、意外にも…

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【772】 駅…

鉄道を利用するにあたっては、必ず駅を利用する。駅は旅の出発の地であり終わりの地でもあるが、通勤や小旅行で駅に見送られる者は、その先に乗るべき列車のほうに思いが行き、逆に帰路に列車から降りた者は家路を急ぎ、駅はただの通過点となる。 旧国鉄の車掌をしていた私にしても、駅員として乗客が旅立っていくのを見ているのは口惜しいし、日々列車で移動している方がいいと思っていたから、駅に対しては罪深い無礼者だ。さらに趣味の面でも車両や列車の写真を撮ったり乗ったりはしても、駅に思いを寄せることはさほどなかった。駅はその街の玄関口であり、趣向を凝らした建築様式が用いられたり、簡素ながらも花壇や生け花に彩られていたりして、旅人の心を和ませてくれていたはずなのに申し訳ない思いさえする。 駅はただ列車に乗り降りする場所ではない。人によっては人生の重要な分岐点として生涯忘れられない場所でもあるのは、駅を舞台にした歌がたくさん作られてきたことでもわかる。 以前“【629】なごり雪の「汽車」”と“【631】なごり雪の駅「津久見」”で記事にした「なごり雪」からは、列車が発車しようとするホームでの情景が伝わってくる。 (歌詩はこちら←「Uta-Net」のサイトに遷移します。) ほかにも、ちあきなおみが歌う「喝采」では、「止めるあなたを駅に残して、動き始めた汽車に一人飛び乗った歌手志望の女」が主人公となっていて、それを止めた「あなた」と今生の別れになった場所が駅になった。 歌詩はこちら←(「歌詞タイム」のサイトに遷移しま…

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【771】 合図の誤認

先週、汽笛合図の記事で、「合図」とは「形、色、音等により、従事員相互間でその相手者に対して、合図者の意思を表示するものをいう。」と書きましたが、機関車牽引列車では、車掌と機関士の間では、車掌が手旗など「形や色」を用い、機関士は汽笛の「音」を用いて相互の意思表示を行うことが多かったわけで、意志は伝わりやすいとは言えませんでしたが、乗務員無線機が併用されるようになって便利になっていきました。電車や気動車では、車内電話やブザーの設備がありましたので、車掌と運転士は車内電鈴合図(ブザー合図)で相互の意思疎通を図ることができました。 以前【553】車掌スイッチの記事で、折り返し時に車掌スイッチを取り扱う場合も、いちいち電話連絡をする必要はなく、「車掌スイッチを閉位にせよ(閉位にした)」という意の「・・」という合図だけで意思疎通が図れました。電話連絡が必要な場合は「電話機にかかれ」という意味の「―・・―」というブザー合図のやり取りをして、お互いが送受話器を取って話をするという手順でした。このほかにもブザー合図の例を挙げると ブザー試験「・・―・・」 ブザー良好「・」 支障あり⇒「・―」 乗降場をはずれた⇒「・・―」 ブザーの取り消し⇒「乱打」 などがありました。 ある日の朝、東海道本線165系8両編成普通列車。 運転士は見習運転士と指導運転士のコンビでした。(画像は分割民営化後の165系。清州駅付近での撮影) 〇〇駅に停車寸前に、ブザー合図がありました。 結果としては「・・―…

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【770】 トレインビュー・ホテル(後編)

【766】トレインビュー・ホテル(前編)は、一昨年末に宿泊した弁天島のトレインビュー・ホテルのお話でした。 これまでにも、列車が見えるホテルに宿泊したことは幾度かありました。別にそういう部屋を指定したことは一度もないのですが、そのとき部屋の窓越しに写した画像を集めてみました。 ************************* 1987年11月11日 山陰本線城崎付近(城崎温泉) いきなりですが、この画像は完全に反則で、泊まったホテル前の道路から撮影したものです。時は国鉄分割民営化から半年後。それぞれバラバラの仕事に就いた国鉄時代の同僚3人で城崎温泉に浸かりに来たとき投宿した線路際のホテル。このときは部屋からまともに列車を撮影できそうもなかったので、181系DCによる特急「あさしお」の時刻に合わせてホテルの前の道路へ出て撮影しました。 ************************* 1994年5月29日 高山本線下呂付近 わが家としては珍しく、私の父母も含め3世代揃って下呂温泉に出かけたときに、温泉旅館の客室から撮影した画像です。もうキハ40系はそこにはいないし、私の父もいません。あれから23年経とうとしています。これから23年後に自分が生きていられるか怪しいけれど、新車で活躍を始めたキハ25はまだ走っているのでしょう。 ************************* 2005年3月6日 飯山線十日町 乗り鉄旅では、常に早起きして一番列車…

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【769】 汽笛合図と60.3ダイヤ改正

近年、鉄道車両の汽笛を聞く機会はあまりありません。 昔は、出発するときには必ず汽笛を鳴らしたものです。汽笛はむやみやたらに鳴らすものではなくて、国鉄では運転取扱基準規程で「汽笛合図」が規定されていました。 「合図」とは「形、色、音等により、従事員相互間でその相手者に対して、合図者の意思を表示するものをいう。」 「汽笛合図」とは機関車、電車、気動車等の汽笛により行う合図をいう」 とされ、いくつか汽笛合図の方式が規定されています。その中から抜粋すると、 運転を開始するとき、ずい道、雪おおい、散火かこい、長い橋りょう等に近づいたとき及び注意を促すとき⇒「‐」(適度汽笛) 車掌を呼び寄せるとき⇒「‐‐―」(適度汽笛×2+長緩汽笛) 危険を警告するとき⇒「・・・・・」(短急汽笛数声) 機関車を2両以上連結した列車又は車両が運転の途中で惰行運転に移るとき⇒「-・・」(適度汽笛+短急汽笛×2) 蒸気機関車マニアの方でしたら、「-・・」の汽笛合図はポピュラーでしょう。 今、汽笛合図がどのように規定されているのかは存じませんが、国鉄時代には今回紹介したほかにも、いくつも合図方式が規定されていました。 このうち名古屋鉄道管理局管内では昭和60年3月14日のダイヤ改正時から、騒音防止の一環として列車が運転を開始するときの汽笛合図で、「停車場から運転を開始する場合の汽笛合図」が省略されることになりました。このときの対象列車は電車列車と気動車列車に限られ、機関車牽引列車は対象になっ…

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【768】 乗り鉄12か月…1990年2月「初めての北海道」

毎月1回ずつ、過去にその月に乗り鉄に行ったときのことと、撮り鉄に行ったときのことを書いています。 今回は、今から27年前の1990年2月15日から20日にかけて北海道へ行ったときのことを振り返ってみます。 ****************** 私は地に足がついていない乗り物、すなわち航空機や船舶に乗ることが好きではありません。もちろん交通機関として乗ることはあるのですが、できることなら列車に乗りたいと思っていました。最近は考えも多少は変わりましたので、必ずしもそうばかりでもないのですが、そういうことより新幹線以外の長距離列車が激減して、鉄道を利用する選択肢そのものが奪われてしまう場面はかなり増えました。 国鉄が分割民営化されたあとに、皮肉にも日本列島が青函トンネルと瀬戸大橋によってレールで一つに結ばれ、鉄道で北海道まで行けるようになったことで、初の北海道行となったのが、この時でした。そんなわけで、北海道と四国には、国鉄時代に一歩も足を踏み入れることのないままで、私は国鉄を退職しました。 ≪このときの行程≫ 名古屋―(東海道新幹線)―東京―上野―(北斗星3号▲)― ―札幌―(オホーツク3号)―網走***北浜―川湯温泉=川湯♨△ 川湯♨=川湯温泉―釧路―厚岸―根室=納沙布岬=東根室駅=根室―釧路△ 釧路―(おおぞら6号)―札幌―小樽―(倶知安経由)―長万部△ 長万部―函館―(海峡8号)―竜飛海底―(海峡10号)―青森―(日本海2号▲)― ―大阪―新…

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【767】 撮り鉄12か月…1992年2月 「紀勢本線キハ80系」

毎月1回ずつ、過去その月に撮り鉄に行ったときのことと、乗り鉄に行ったときのことを書いています。先月は3週目のアップになってしまいましたが、今月以降は毎月第1月曜日に、その月に行った撮り鉄の話を、そしてその週の木曜日には、その月に行った乗り鉄の話をアップしていく予定にしています。 今回は、今から25年前の1992年2月21日~22日に、紀勢本線へキハ82の撮影に行ったときのことを振り返ってみます。 ************************* このときも、誘っていただいたのは、国鉄時代に同じ車掌区で過ごした同僚たちで、移動手段は自動車でした。この年の3月14日ダイヤ改正で、特急南紀号は、国鉄形キハ80系(キハ82系と表記される場合もありますが、ここではキハ80系という表記にさせていただきます。)からJR東海の新車キハ85系に置き換えられることが確定しており、JR東海のキハ80系にとっては、定期運用を務めた最終末期でした。 このころ名古屋~紀伊勝浦間を直通する列車には、特急南紀4往復と快速みえ1往復とがありました。最初に栃原駅の近くにある鉄橋に立寄りました。 このとき、すでにキハ85系の試運転が始まっていましたが、これが2両編成でした。画像は上り列車で、後方から撮影しています。 快速「みえ」も2両でした。 この快速「みえ」は下り紀伊勝浦行です。名古屋~紀伊勝浦間の快速「みえ」は、特急の補完列車だったのでしょう。ちょうどこの時期までの約2年間だけしか運転されていませんでし…

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【766】 トレインビュー・ホテル(前編)

近年は部屋から列車が見下ろせるホテルはトレインビュー・ホテルと言われ、鉄道ファンやお子さん同伴の旅行に使われます。予約時点でそういう宿泊プランで予約しておけば列車が見えるわけです。しかし基本的に私は列車に乗るばかりで、ホテルのサービス内容や景観とかは二の次であることが大半ですから、わざわざトレインビュー宿泊プランみたいな予約をしたことがありませんでした。 一昨年、現在乗れる旧国鉄線を完乗した私は、もう列車に乗るばかりのプランはやめて、その年の12月に自家用車で家内と2人、ごく普通の一泊ドライブ旅で浜名湖に行きました。某予約サイトで浜名湖弁天島のホテルのプランを見比べていましたら、「浜名湖と大鳥居が見える」ということを売り物にしているらしいホテルを見つけました。そのホテルは私が30年前まで乗務でいつも行き来していた東海道本線沿いにありましたから、車窓から見て知っています。 そのホテルでは、たぶん眺望がよくないほうの部屋を指定したプランを、「新幹線と湖西連峰が見える」プランとしてあり、積極的にトレインビューをアピールしているわけではなさそうでしたが、「浜名湖と大鳥居が見える」プランより同レベルの部屋であっても格安にされていました。弁天島では新幹線だけでなく並行している東海道在来線も見えることは間違いありませんから、宿泊プランはこれだ!!。ということになりました。ちなみに上の湖と鳥居が写った画像は、宿泊客ならだれでも入れる展望露天風呂から撮影したものです。 で、ルームキーを渡された部屋からの眺望は…

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