【790】 安全の願いと殉職者慰霊碑
先日は名古屋車両区へ行く機会を得て、その敷地内にある大金輪神社と成田不動尊にお参りしてきました。輸送業務にたずさわる現場にこういう場所があるのは、多数の乗客の安全を守らなければならないという使命感と、公務災害を失くしたいと思う心、そして過去の過ちへの反省とがあるからなのでしょう。
それほど国鉄の現場は、一つ間違うと命を落とすような危険な職場でありました。私が国鉄に就職が決まったとき、うちの父親は単に喜んでくれるのではなく「カッポレでなければいいがなあ…」という心配をしていました。「カッポレ」とは構内掛のことで、その昔は連結手と言われていました。「Coupler」が語源だと思われますが、正式名称ではなく蔑称ともいうべき言葉で、今風に言えば差別用語でした。ターミナル駅では分割併合に機関車の連結がありましたし、中間駅でも旅客営業のほかに貨物営業も取り扱う駅は多かったですから、危険な貨車の連結解放作業を経験しなければなりませんでした。
それも規模が大きい駅になれば、それが専業になり、明けても暮れても、暑くても寒くても雨でも雪でも、連結、解放。突放された貨車に飛び乗って、ブレーキをかけて飛び降りることが仕事になりました。
今は突放作業は見られず、機関車で押し込む人にやさしい仕事に変わっていますが、そんなやり方では貨物列車が全国ネットで走っていたころには、限られた列車の停車時間内に作業が終われませんし、操車場では次々と到着してくる列車を捌けません。運動神経がよく、そういう作業が得意な者はともかく、一…