【827】 乗り鉄12か月…1990年9月 東羽衣と和田岬

1990年は、国鉄から転職して3年目の年にあたる。現場ではなんとか仕事も一人前に任されるようになって、気持ちにもゆとりが出てきたころであった。このころは毎シーズン青春18きっぷ(当時は1日(回)につき1枚の5枚セット)を買っては家族旅行で4枚使い、余った1枚を一人で使って日帰り乗りつぶし旅をしていたが、この夏には別に使うあてがあった。しかし先方の希望で予定が変更になり、結果的に青春18きっぷ1回分が余り、会社で誰かに売りつけようにも使用期間が9月10日まででは引き取り手もなく、有効期限ぎりぎりの9月9日の日曜日、近畿圏の枝線未乗線区の乗りつぶしに出かけた。 主要な目的地は山陽本線の支線、通称「和田岬線」で、この年10月には専用車両オハ64・オハフ64が気動車化されることになっていたので、この旧形客車に乗車することにした。しかしこの「和田岬線」は、休日には朝夕の2往復しか運転されていない。朝の1往復は7時台で、名古屋から青春18きっぷで出かけていては間に合わないから、夕方の兵庫16:57発の和田岬行に乗って1往復するしか選択肢がなかった。夕方まで時間があるので、この当時未乗区間であった関西本線の平野~湊町間、阪和線の支線「東羽衣線」に乗ることにした。それだけでは時間が余るので、既乗区間ではあるが、過去の乗車年月日が特定できない桜島線にも乗って、この日を正式な乗車日とした。 名古屋から湊町へ行くのには、やはり関西本線経由がよい。たまたま前月に珍しくも仕事で奈良へ出張する機会があり、2か月連…

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【826】 撮り鉄12か月…1974年9月「岡山電軌・水島臨海・瀬野八」

毎月1回第1月曜日に、その月に行った撮り鉄の話を、そしてその週の木曜日には、その月に行った乗り鉄の話をアップしています。 今回は今から43年前に水島臨海鉄道と山陽本線の瀬野・八本松間の撮影に行ったときのことを書いてみます。 このシリーズで7月に越後交通栃尾線と銚子電気鉄道に行ったときのことを書いたのですが、その同じ年、わずか2か月後に出かけたのが、この山陽行でした。いかに勉強せず、鉄道のことばかりに没頭していた高校生であったのか、今さらながら呆れます。今回は1日目が単独行動、2日目が、7月の旅で往路の一部を共に行動したばかりの友達と合流しました。 1人で新幹線で岡山へ向かいます。 (岡山駅で見た「つばめ」 再掲画像です。) 最初の目的地は岡山電気軌道でした。ここでの目的となる車両は3800形という形式の路面電車でした。【775】撮り鉄12か月…1974年3月 「名古屋市電最後の日」で、この年の春に名古屋市電が全線廃止されたことを書いたのですが、その廃止後に、名古屋市電1550形2両が岡山電気軌道に譲渡され、3800形となったことを知り、新しい仕事先での様子を見たかったのです。 しかし駅前から、車庫がある東山本線の終点まで路面電車に乗っていくうちに、お目当ての3800形には出会わず、車庫を覗くと、敷地内屋外留置線の一番奥に2両が押し込まれていましたので、この時点ではまだ営業運転されていなかったのかもしれません。画像右が3800形です。見慣れた名古屋市電のスタイルは一目でわかり、この…

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