【831】 乗り鉄12か月…1995年11月 JR五能・津軽・大湊線、下北交通

再就職9年目に入った1995年春の異動で、3つ目の勤務地に転勤し、そこで初めて担当する職種に就いていた。仕事は遅々として進まないしトラブルの種をまく上司もいて、孤立無援で最悪の年であったが、腹いせでどこかに出かけることにした。このころはチマチマと青春18きっぷで日帰り乗り鉄旅をしていたころであったが、私としては非常に珍しく、特急日本海の寝台車で1人で東北に行った。使用した乗車券はミニ周遊券。 出かけるのは金曜日にして、2時間ほど休暇を取って早退し、どこに行くともどんな用事があるとも会社の誰にも言わず、翌々日の日曜日の夜遅くに帰る行程であった。 高蔵寺16:34―(3750M)―16:53金山 金山17:00―(1151M)―17:33大垣 大垣17:59―(2135M)―18:33米原 米原18:36―(161M)―19:24敦賀 万一、どうしても早退できないような事態が起こっても、新幹線としらさぎを使えば特急日本海1号には追いつけるようにしてあったが、仕事のほうは2時間早く片付けて列車に乗りたい。しかしそういう能力もないし、誰の協力もないから仕事は途中でも切り上げて、特急日本海に乗る敦賀駅までは普通列車の乗り継ぎで行った。無駄に新幹線や特急に乗る必要はない。その結果、米原から583系改造の419系電車でくつろぐことができた。 敦賀19:41―(4001 日本海1号▲)―6:25東能代 敦賀から乗った日本海1号は函館行であったが、私は東能代で降りた。できれば寝台…

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【830】 撮り鉄12か月…1982年11月「天竜峡の渓谷を走る飯田線旧形国電」

国鉄で車掌をやっていた1982年。このころは勤務明けや休みの日には、実家から自家用車で峠道を越える日帰り山岳ドライブも兼ねて、よく飯田線に出かけていた。秋、天竜峡は紅葉で染まる。そのなかを走る列車の撮影をしたくて11月2日早朝に家を出た。 天竜峡以南の長野・静岡・愛知にまたがる県境地帯の列車本数は少なく、また人跡まれな谷底を走る飯田線には、秋の低い太陽光は届かず日陰になる時間帯が多い。 <天竜峡~千代>1221M 木々の色付きはこれからといったところ。 <天竜峡~千代>604M 急行伊那4号 少ない列車を待つうちに、時は移ろいサイドに陽が当たらなくなってしまった。 <金野~唐笠>238M この辺りはトンネルが連続する。トンネルとトンネルの間にある短い鉄橋へ一瞬現れる数少ない列車を一人待つ。 金野駅は名勝「天竜峡」の峡谷にある小駅である。金野集落から駅までは2㎞ほどもあり、駅に通じる唯一の道路は林道と大差ない。乗用車1台がやっとの狭い急な下り坂と地形まかせの急カーブが連続する。崖を削っただけの道で、見上げれば岩肌が露出し、道路の下は天竜川をはるか下に見下ろす深い谷間になっている。落石や崩土の恐れが付きまとうような道で、知っていなければ駅に続く道だとは誰もが信じないであろう。その道路は天竜川が蛇行して西へ半島状に突き出た山の斜面を右へぐるりと180度近く回りながら谷底にある金野駅に続く。 その途中から飯田線の列車を見下ろす。 <千代~金野>2…

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