【839】 JR各社のパンフレット(後篇)

先週アップしたJRパンフレットの続きで、JR東海、JR西日本、JR四国、JR九州編となります。 ~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~ JR東海「JR東海のスキー列車」 1997年1~3月、名古屋から出るスキー列車を紹介する6ページの冊子です。 画像はその表紙部分ですが、内容は「シュプールユーロ赤倉・志賀」「シュプール栂池・八方」「ワイドビューひだスキー」「快速 木曽スキー」について、運転日・時刻・停車駅などが書かれ、「シュプール栂池・八方」「ワイドビューひだスキー」の車内にテレカ専用公衆電話があることが写真入りで紹介されており、ふた昔前であることを感じさせます。 ~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~ JR東海「12月4日“セントラルライナー”デビュー」 1999年に、中央西線にデビューした乗車整理券を必要とする日中の座席定員制快速列車“セントラルライナー”がデビューすることを告知する1枚ものパンフレットです。裏面に列車の概要が書かれています。“セントラルライナー”は2013年に廃止されましたが、この列車のために新製された313系8000番代は現在も快速・普通列車に使用されています。 ~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~ JR東海「9月8日高山本線全線開通」 2004年10月の大雨による災害で最後まで不通になっていた高山本線の角川~…

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【838】 思い出の乗務列車65:高山本線「ひだ1号」「ひだ4号」

タイトルを「思い出の乗務列車」シリーズ記事にしましたが、内容は先週アップした「【836】乗務した車両:80系気動車」の続編になります。特急は「しなの」しか乗ったことがなかった最下位組の専務車掌だった私が、予備勤務のとき、急に高山本線の特急「ひだ号」に1往復乗務した時のことを書いています。 (画像はリニア鉄道館で撮影) 乗務した日の編成表です。 1985年12月27日 5001D「ひだ1号」 運転区間・乗務区間とも名古屋~高山 1 キハ82 94 名ナコ 2 キロ80 44 名ナコ 3 キハ80 102 名ナコ 4 キハ80 133 名ナコ 5 キハ80 136 名ナコ 6 キハ82 84 名ナコ 「名1」 1号車寄りが岐阜方 (岐阜・高山間逆編成) 折り返す5004D「ひだ4号」も同じ編成 画像は1985年10月31日 5003Dひだ3号 (飛騨小坂~渚 列車の後方から撮影) 先週はキハ80系で取扱う機器操作のことを書きましたが、それとは別に、いつも乗務している線区でない場合は、その路線固有の列車運転上の取扱いを把握しておくことが大切です。 この日1往復する「ひだ」の停車駅の中には、以前の乗務で通過した駅や信号場もあったので、そういった駅の信号機の位置やホームの状態のほか、駅員との連携については、チェックしておかねばなりません。 列車を発車させるには、乗務員室からいったんホームに出て自分の列車に対する信号機の現示を確認し、時刻と…

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【837】 JR各社のパンフレット(前篇)

国鉄が分割民営化されてから、私は旧国鉄線に乗ることを目的に、意識してあちこちに出かけた時期がありました。 途中下車したときなど、駅の待合室などに置かれているパンフレットをいただいて、宿泊先のホテルの部屋や、夜間で車窓が見られなくなった帰路の新幹線の中で見るのがいつもの旅のスタイルでした。不要なものは捨てましたが、一部は今でも家にあって、フラットファイルに綴じて保管しています。パンフレットの内容そのものにも、今とは違うなあと思わせるものや、面白いと感じるものがありますので、2回に分けて紹介していきます。 ~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~ JR北海道「より便利に 深名線」 一見「?」なタイトルですが、深名線廃止周知用の2つ折りパンフレットです。 1995年のものだと思われますが、この年に私は北海道には行っていないし、そもそも深名線は私が未乗のまま廃止されてしまったので、記事の中で、このパンフレットだけは、私が北海道に行ったときに持ってきたものではなく、深名線へ乗りに行った方からの戴きものです。以下はすべて自分か旅先で見つけたものです。 ~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~JR~ JR北海道「ドラえもん海底列車」 2つ折りパンフレットで、これは1999年のものです。前年の「ドラえもん海底列車」パンフレットも手元にありますが、装飾は年とともに派手になっていき、新企画も増えていったようです。20…

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【836】 乗務した車両:80系気動車

特急は「しなの」しか乗務行路上になかった最下位組の専務車掌だった私ですが、予備勤務のときには変わった列車に乗ることもありました。 1985年(昭和60年)の12月のこと、その日は緊急対応の日勤で、どのような列車に乗務してもよい覚悟をきめて、朝8時30分に車掌区に出勤すると、いきなり助役から「“ひだ”に乗ってもらうで、用意しといてな」と言われました。高山本線の特急「ひだ1号」に乗務予定の専務車掌が何かの事情で乗務できなくなったようでした。 (画像は「ひだ3号」1986年5月1日 尾張一宮で) その行路は 名古屋9:23-(5001Dひだ1号)-高 山12:20 高 山13:24-(5004Dひだ4号)-名古屋16:27 本務2回目の高山本線、そして初めて乗務するキハ80系。高山で折り返して夕方に名古屋まで戻って勤務終了。1日中、車掌区で待機しているよりいいではないですか。まるで一般サラリーマンの定時帰宅みたいな、こんなにいい時間帯の日勤行路など、最下位組の専務車掌には1本もありませんでした。 「ちょっと“しらさぎ”で富山まで行ってよ」と言われれば、仕事がきちんとできる自信が全くないので、たじろぐことになりますが、ローカルな高山本線には、この1か月前に急行「ユーロライナーのりくら」(詳細は「【386】思い出の乗務列車24:臨時急行「ユーロライナーのりくら」(前篇)」で書きました。)で1往復したばかりでした。そのとき停車した駅の信号機や出発反応標識の位置は覚えています。それに予…

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【835】 スチール棚の企画展12:乗務した列車をイメージしてみる

国鉄在職中に乗務した列車のイメージを模型で再現してみようという企画展です。 例によって所有するNゲージ模型には限りがありますので、忠実に再現することはできません。模型を眺めて30~40年前にやっていたことを思い出しながら、その雰囲気だけでも味わえればという程度のことです。そして今回登場する展示車両も、前回同様ほとんど全部が以前このシリーズで出演した模型ばかりです。 スペースの関係もありますので、定期列車を対象にしました。 以下の3枚の画像がその全容です。 ところで、先月まで拙ブログは定期更新の間引きをしながら運転していました。その間にも古い記事に多くのアクセスをいただきました。古い記事にも興味を持ってご覧いただけるとはありがたいことです。改めてお礼申し上げるとともに、今回は展示車両(列車)ごとに、拙ブログで過去に書いた関係記事のリンク集のような形態にいたしました。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ①  381系電車 車掌になってからすぐに、中央西線で回送列車に乗務したことに始まり、専務車掌になってからは「しなの号」で退職間際まで乗ることになった車両です。揺れるせっかく曲線を高速で走れる新技術を取り入れた新型車両だったのに、独特な揺れによって乗り物酔いしやすいことで評判を落としてしまった特急で、私の最終乗務列車にもなりました。 模型は9両編成で国鉄時代を再現しています。 【199】乗務した車両:381系電車 ~~~~~~~~~~~~~~~…

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【834】 思い出の乗務列車64:中央西線489系 回3M…そして京都鉄博

私は、特急「しらさぎ」に本務で乗務したことはなく、専務車掌になったときに名古屋~富山~(回送)~東富山間で1往復の見習乗務をしただけでした。「しらさぎ」の行路は、専務車掌でも上位組でないと交番(乗務ローテーション)に組み入れられず、最下位組の私が乗務する特急はいつも「しなの」でした。 1986年5月1日 2M しらさぎ2号 尾張一宮(後方から最後尾を撮影) しかし、意外なことはあるもので、1986年11月1日に、短区間の回送列車ではありましたが489系電車に乗務する機会が訪れました。 その列車とは、前夜に名古屋に着いて神領電車区で滞泊した「しらさぎ」編成を、名古屋まで回送する列車で、乗務区間は中央西線の春日井~名古屋間、運転時分にしてわずか24分でしたが、いろんな意味でめったにないチャンスでありました。 国鉄時代の神領電車区(1985年5月16日) しなの編成に交じって、夜間には2本の「しらさぎ」編成が滞泊し、翌日の1号・3号として出区していきました。 画像中央が「しらさぎ」編成 乗務した1986年11月1日は、翌年4月からの国鉄分割民営化に先行して行われた国鉄最後のダイヤ改正初日でした。この日から列車ダイヤはもちろんのこと、乗務の基準や勤務時間などが民営化後の新基準に切り替わりました。私は前日の10月31日に出勤して、ダイヤ改正前の中央西線を何往復かして神領泊まり。通常ですと翌日も中央西線のローカル列車で行ったり来たりして乗務終了という行路でしたが、この日だけダイヤ…

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【833】 乗り鉄12か月…2002年12月 北関東・みなみ東北

2002年秋から、コンデジを使い始めた。その時点で国鉄分割民営化から15年もの月日が流れていて、国鉄型車両は減少して、被写体とすべきものが少なくなりつつあった。その少なくなった被写体には人々が集中するようになって、群衆の中で写真撮影をすることがストレスになった。「復活○○」「ありがとう○○」のようなJRの増収を目的としたイベントにも近寄りたくなくなった。そして個人的に乗り鉄中心の旅が増えていたこともあり、いつも撮りたいときにちょっと撮れて持ち歩きに便利で軽いコンデジが自分の使い方にもっとも適していた。 カメラは変わっても、新しいカメラを持つとどこかに行きたくなることに変わりはなく、その年の9月にはさっそく2泊の行程で四国へ渡り、四国島内に残っていた旧国鉄線を完乗し、翌10月には「【829】乗り鉄12か月…2002年10月 広島・山口県下の旧国鉄線」で書いたとおり、山陽方面の未乗線区に乗りに行き、その1週間後には、千葉県のいすみ鉄道(旧木原線)・久留里線へも行っている。11月には乗り鉄こそなかったが、日帰りで毎年恒例にしている長野の善光寺参拝に出かけ、12月には、今回書く烏山線・磐越西線・会津鉄道(旧会津線)・野岩鉄道(国鉄としては未開業となった鉄建公団建設線)・日光線・わたらせ渓谷鉄道(旧国鉄足尾線)に乗りに行って、さらにそのあと、九州にも行っている。 家で子供たちに手がかからない年頃になったことで、自由時間が増え、仕事面でも7年ぶりに、国鉄からの転職直後に8年間続けた職種に戻れて余裕があった…

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【832】 撮り鉄12か月…1973年12月「山陰・北九州蒸機巡り」

毎月1回第1月曜日に、その月に行った撮り鉄の話を、そしてその週の木曜日には、その月に行った乗り鉄の話をアップしています。 今回は今から44年前に山陰本線と北九州に蒸気機関車末期の姿を撮影しに行ったときのことを書いてみます。 1973年の夏休みには友達の誘いもあって、8日間に及ぶ九州の蒸気機関車撮影旅に出かけたばかりでしたが、その年の年末にまた出かけました。 【1日目】 翌日から冬休みという12月25日、学校からいったん家に帰った後、夕方の列車で同級生たちとともに出かけました。その夜は「山陰」という列車名がまだなかったころの山陰本線京都発22:04出雲市行普通列車の座席で一夜を明かしました。牽引機関車は初めて見たDD54でしたが、各駅で発車するときの衝撃がひどく眠れませんでした。それはDD54の性能によるものなのか、機関士の技量によるものかはわかりませんでした。 【2日目】 まだ暗く積雪がある未明の倉吉で列車から降り、すぐ接続していた旧倉吉線(1985年廃止)のC11が牽引する混合列車に乗り換えました。この列車では途中駅で入換作業も行っていました。私どもはこの列車の終点である関金駅で下車し、そのあと倉吉線内で場所を変えながら午後までC11が牽く列車を撮影して過ごしました。倉吉線自体は関金のさらに先にある山守が終着駅でしたが、関金から先は列車が少なく、SLも入線せずDC列車しかありませんでしたので、関金から山守の区間には永久に乗れずじまいになりました。 このあと、倉吉からDC急…

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