【875】 津山での再会:キハ33 1001とキハ40 2134

4月から月曜日には子供のころの鉄道に関わる内容を取り交ぜて書いていますが、今回は子供のころの鉄道とは関係ない内容です。しかし2回続けた「津山まなびの鉄道館」での再会に関係する内容なので、そのまま続けさせていただきます。来週以降はまた子供のころの鉄道に関することを続けて書いていきます。 ********************* 「津山まなびの鉄道館」の保存車両の中で、いちばん地味だなあと思うのはキハ33です。 こうしてキハ181と並べられてしまうと引き立て役のような印象も受けますが、キハ33はJR西日本が国鉄から引き継いだ客車オハ50を気動車化改造した特徴ある車両で、改造されたのはわずか2両。このキハ33 1001がそのうちの1両という希少な車両なのです。 50系客車の一員として当時の国鉄でデビューしたのは昭和50年代前半で、わずか10年足らずで国鉄は分割民営化。機関車が牽引する客車列車は気動車列車へと置き換えが進んだことで、まだ新しいのに用無しになり、エンジンを載せ気動車化改造を受け第二の人生へ。しかし改造車ゆえの特殊事情が邪魔をして特定線区だけで使用される異端車として扱われ、それでも与えられた仕事はいちおう全うして、目立たず引退。気が付けば、国鉄での客車時代より気動車時代のほうが2倍以上長くなってしまっていたという経歴は、まさにどこぞの誰かの経歴に酷似し身につまされる思いがします。こういうところに、現場で厄介者扱いされながらも、表向きは終始特急として華やかな優等生として通し…

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【874】 画像で駅名しりとり:3 (42~60)

自分が行った駅、通った駅のうち、画像で駅名標や駅舎が記録してあるものだけで、「駅名しりとり」をしています。 ルールは1回目の記事に書いています。 <本文中の用語について> ・立寄…他の交通手段や徒歩で駅に立ち寄ったことをいう。 ・通過…列車を乗り換えることなく乗車した列車の停車中又は通過時に駅又は駅名標を撮影したことをいう。 ・乗換…同一鉄道会社(JR境界駅でJR他社列車への乗継を含む)の列車に乗り換えたことをいう。 前回は「静」で終了しましたので、今回は「す」から続けます。 *********************** 42 すがも(巣鴨・JR東日本山手線・2012.12.8)   高岩寺とげ抜き地蔵参拝のため、下車・乗車 43 もじこう(門司港・JR九州鹿児島線・2015.9.26)   九州鉄道記念館へ行くため下車 44 うちなだ(内灘・北陸鉄道浅野川線・2009.9.19)   北陸鉄道乗り鉄旅で浅野川線初乗り後に下車・折り返し乗車 45 たかつか(高塚・JR東海東海道線・2014.7.20)   大井川鐡道へ向かう経路上で通過 46 かごしまちゅうおう(鹿児島中央・JR九州 九州新幹線・2015.9.24)   九州乗り鉄旅で、九州新幹線初乗り後下車  【647】九州乗り物乗りある記(前篇) 47 うつぼ(打保・JR東海高山線・2010.2.4)   高山本線雪見旅で猪谷へ向かう途中に通過 4…

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【873】 「交通科学博物館」のこと~津山で再会した車両たち

先週は、「津山まなびの鉄道館」へ行ったことを書きました。 この中で、D51 2・DF50 18・DD13 638の3両は大阪環状線弁天町駅に隣接した交通科学博物館が閉館した後、ここに移設された車両ですので、自分が最後に交通科学博物館で彼らを見た2008年から10年ぶりの再会となりました。 下が、D51 2・DF50 18・DD13 638の現況です。 そして下が、交通科学博物館時代のDD13 638とDF50 18 2008年の画像で、このころには屋根がかけられていましたが、さらに前には屋根はなく、この2両の展示位置は、バラバラで離れていました。津山に来て扇形庫に収蔵されたことによって、現役時代がリアルに蘇ってきた印象を受けます。とかく車両ばかりが、半分は遊具のような価値観のもとで人気を得ることが多いですが、鉄道の歴史に関わる建築物や施設が、こうして遺されていることに大きな意義を感じさせるものです。 D51 2については後述しますが、こうして10年ぶりに交通科学博物館に展示されていた車両たちに再会すると、交通科学博物館のことを思い出さずにはいられません。 交通科学博物館に初めて行ったのは1967年3月で小学3年生から4年生になる間の春休み中でした。 以前書いた戸倉上山田温泉への家族旅行をした1年後ですから、今から51年前のことになります。このときは日帰りの家族旅行で、言うまでもなく私の希望によって、目的地は「交通科学館」(のちの交通科学博物館)だけで、もう一つ目的があ…

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【872】 画像で駅名しりとり:2 (21~41)

自分が行った駅、通った駅のうち、画像で駅名標や駅舎が記録してあるものだけで、「駅名しりとり」をしています。 ルールはこのシリーズ1回目の記事に書いています。 <本文中の用語について> ・立寄…他の交通手段や徒歩で駅に立ち寄ったことをいう。 ・通過…列車を乗り換えることなく乗車した列車の停車中又は通過時に駅又は駅名標を撮影したことをいう。 ・乗換…同一鉄道会社(JR境界駅でJR他社列車への乗継を含む)の列車に乗り換えたことをいう。 前回は「重岡」で終了しましたので、今回は「か」から続けます。 *********************** 21 かがいちのみや(加賀一の宮・北陸鉄道石川線・2009.9.19)   北陸鉄道乗り鉄旅で石川線初乗り後下車・折り返し乗車 22 やいづ(焼津・JR東海東海道線・2006.9.8)   東海道本線乗り鉄旅で、昼食のため下車・乗車 23 つきのき(槻木・阿武隈急行・2004.6.4)   東北地方乗り鉄旅で阿武隈急行線初乗り後下車、JR東日本の列車に乗車   【803】乗り鉄12か月…2004年6月「みなみ東北乗り歩き」 24 きさらづ(木更津・JR東日本内房線・2008.8.3)   東京湾アクアライン定期バスに乗車した帰路に乗車 25 つくみ(津久見・JR九州日豊線・2015.9.26)   九州乗り鉄旅で、「なごり雪」歌碑を見たあと乗車   【631】なごり雪の駅「津久見」 …

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【871】 「津山まなびの鉄道館」での再会:DE50 1

4月に入って、残してあった青春18きっぷの1日分を使って、津山にある「津山まなびの鉄道館」に行ってきました。 ご承知のように、そこには国鉄時代に1両だけ試作され量産に至らなかったDE50の1号機が保存されています。私の中学生時代に中央西線で貨物列車を牽いていたそのDE50 1に再会することが今回の一番の目的でした。 「津山まなびの鉄道館」で保存されている車両は、すべて扇形庫に格納され、庫内への立ち入りは禁止されていますので、平時には車両の全景を拝むことはできません。主に土休日に、庫内の車両を転車台に1日1両だけを引き出して展示することがあって、4月7・8日には保存車両の目玉ともいえるDE50 1が転車台上で展示される日なのでした。 名古屋起点ですと津山はずいぶん遠いですが、時刻表を繰れば土休日に東海道本線の名古屋朝一番の始発下り列車に乗れば、大垣(接続3分)・米原(6分)・姫路(12分)・播磨新宮(5分)・佐用(8分)と乗り継いで12時過ぎに津山に着けることがわかりました。 津山では4月前半が「さくらまつり」の期間中にあたりますが、今年の桜は早すぎて見ごろはすっかり過ぎていましたし、そういうところに一人で行ってもしかたがないので、津山滞在時間は1時間少々あればよいとして、帰路は経路を変えて、岡山(接続18分)・播州赤穂(1分)・野洲(1分)・米原(13分)と乗り換えれば20時台には名古屋に戻って来られます。これなら多少列車が遅れて接続列車に乗れなくなっても、終列車までは余裕があ…

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【870】 画像で駅名しりとり:1 (1~20)

自分が行った駅、通った駅のうち、画像で駅名標や駅舎が記録してあるものだけで、「駅名しりとり」をしてみます。 <ルール> ・鉄軌道であれば会社は問わない。モノレール・路面電車等の駅を含めるがバスは除く。 ・この「駅名しりとり」シリーズ記事を除いた他の記事に使用した駅の画像をしりとりに再使用することは可能とするが、「駅名しりとり」内で同じ駅は1度だけ使用し、重複使用はしない。 ・濁音、半濁音及び清音は相互に同じ文字として扱うことができる ・長音「―」で終わる場合、最後の母音を次の駅名につなげる。例えば「○○センター」は「○○せんたあ」と読み、次は「あ」から始まる駅につなげる。(「た」にはつなげない。) ・「ん」が最後に来たら、そこで終了するのはもちろんだが、それより前に、自分が駅名標や駅舎が画像で記録してある駅がなくなったら、その時点で終了。 わかる範囲で撮影日と駅を特定できる程度の所在情報(撮影日を基準)を付記するとともに、画像を撮影したときに、その駅を訪れた理由や、またはどこへ行く途中に通ったのかなどを、一言コメントしていきます。 <本文中の用語について> ・立寄…他の交通手段や徒歩で駅に立ち寄ったことをいう。 ・通過…列車を乗り換えることなく乗車した列車の停車中又は通過時に駅又は駅名標を撮影したことをいう。 ・乗換…同一鉄道会社(JR境界駅でJR他社列車への乗継を含む)の列車に乗り換えたことをいう。 さて、どこまで続けられるでしょうか。それではスタートしま…

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【869】 美乃坂本駅回想

美乃坂本駅は中央西線で名古屋から18番目、営業キロ73.5㎞の地点にある。リニア中央新幹線の岐阜県駅が隣接して建設されることになっているが、現況は田舎の駅である。 子供のころから国鉄を退職するまでの間、この駅周辺は私の遊び場でもあり、高校生のときは通学で、国鉄に就職してからは通勤で利用してきた。 駅舎は内外装ともリニューアル工事がされているが、国鉄時代から建て替えられることなく木造駅舎がそのまま使われている。中央西線の名古屋~中津川間で木造駅舎が残っているのは、この駅のほかには釜戸駅しかない。 上の画像で左側はトイレであるが、未だ水洗式ではないし男女共用になっている。臭気抜きのためなのか、撮影した日にはご覧のように個室も含めて窓が開け放たれていた。国鉄が分割民営化されてから、一般にトイレは改札内に設けられ、乗降客以外は使えない駅が増えたが、この駅は構造上の理由なのか、そのままにされ、改札内にはトイレがない。もっとも数年前にすぐそばにJRとは関係のないきれいな公衆トイレが造られたので、駅のトイレを使う人は少ないと思う。 上の画像は待合室内部の様子(ベンチ側)。 私が小学生のころから、造り付けの木製ベンチは変わっていないが、このように塗りつぶされてはいなかった。そのころ窓や改札口の建具は全部木製だったし、冬には画面中央手前に石炭ストーブが置かれたが、のちに灯油ストーブに変わった。上の画像には天井と窓上の幕板に補修跡が残っているが、そこにはストーブの煙突が通っていた。 こちら…

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【868】 夜の美乃坂本駅

今から8年前、このブログを開設した年に父が病に伏して一時入院したときから、私は週に1回程度、美乃坂本駅を利用するようになった。 仕事を定時で切り上げてから自宅には寄らず、会社の最寄駅から直接中央西線の中津川行列車に乗って実家に近い美乃坂本駅に降り立つころは、夏場以外は日が暮れて、あたりは真っ暗であった。 けれど、マイカーより速くて楽で、実家で一杯飲んでもいいし、そういう気分でない時も帰路の空っぽの列車内で自棄酒が飲める鉄道は、私にとってはベストな移動手段であった。 跨線橋から去っていく列車を見送ると、ホームの照明以外に灯りは少ない。 このあと歩いて、時には自転車で実家へ行って、そのために買って実家に常備した低年式中古軽自動車に乗って、すぐさまスーパーへ出かけ、1週間分の食糧など生活必需品の買い出しをしてから、実家で簡単に食事を済ませたら、帰宅するためにまた美乃坂本駅に戻る。けれど、すっきりした気持ちで実家を後にすることは少なく、複雑な思いのままで、その途中にトトロの森にいつも立ち寄っていた。駅の近くまで来ると田んぼに張った水に映る駅の灯りで癒されたこともあった。 ひっそりとした美乃坂本駅に戻る。そういうことが3年間、父が再び入院して亡くなるまで続いた。 夜間に名古屋方面へ向かう列車は少なく、夜の美乃坂本駅は列車が着いた直後以外はひっそりしていた。 遠くに上り列車のヘッドライトの灯りが見えると、駅に隣接した苗木街道踏切の警報器が鳴り出す。ほかには乗る人も稀なホー…

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【867】 52年前の家族旅行を辿ってみる

私は子供のころに宿泊を伴う家族旅行に連れて行ってもらったことがあまりなく、記憶にあるのはほとんど日帰りで出かけたことばかりである。そんな家族であったが、小学3年生に進級する直前の春休みに、名古屋市内に住んでいた母方の祖母を伴って家族で善光寺参りに出かけ、戸倉上山田温泉で一泊したことがあった。日付は手元にある帰路の乗車券で特定できる。偶然ではあるが、その日付は、この記事をアップした4月2日になっている。 1966年4月1日に出発し、翌日に帰ってきたことになる。 こちらは今年使った乗車券。 今から52年前、中央西線の名古屋発朝一番の長野行普通列車に私ども家族が美乃坂本から乗り、大曽根から一人でその列車に乗ってきた祖母と合流したから、手元にある1965年10月改正の名古屋鉄道管理局のポケット版時刻表からその列車の時刻は特定できた。 825列車 名古屋5:20発 大曽根5:41発 美乃坂本7:44発 長野13:38着 当時の列車本数の少なさは、今からは想像できない。中央西線は全線が未電化で、瑞浪電化の直前であった。手元の時刻表はボロボロになっていて表紙が半分欠落しているが、たぶん父がそのときに持って行ったからではないかと思う。その表紙の残った部分には「九州へその日に着きます」の文字が印刷されていて、名古屋始発の特急「つばめ」熊本行と急行「はやとも」博多行が誕生したころだったことがわかる。    便行?・・・「便利」の誤植か このように列車本数が少ないながらも、時刻表からは、まだ…

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