【884】 画像で駅名しりとり:8 (142~160)

自分が行った駅、通った駅のうち、画像で駅名標や駅舎が記録してあるものだけで、「駅名しりとり」をしています。 ルールは1回目の記事に書いています。 本文中の用語について。 ・立寄…他の交通手段や徒歩で駅に立ち寄ったことをいう。 ・通過…列車を乗り換えることなく乗車した列車の停車中又は通過時に駅又は駅名標を撮影したことをいう。 ・乗換…同一鉄道会社(JR境界駅でJR他社列車への乗継を含む)の列車に乗り換えたことをいう。 前回は「高蔵寺」で終了しましたので、今回は「し」(じ)から続けます。 *********************** 142 じょうこうじ(定光寺・JR東海中央線・2009.3.26)    貨物列車撮影のため下車・乗車 143 じもくじ(甚目寺・名鉄津島線・2014.2.26)    甚目寺観音参拝の途中に立寄り 144 しゃぐま(舎熊・JR北海道留萌線・1997.9.22)    北海道乗り鉄旅で、留萌線初乗り途中に通過 145 まちだ(町田・JR東日本横浜線・2007.8.4)    小田急線に乗り継ぐため下車 146 たびらひらどぐち(たびら平戸口・松浦鉄道・2003.12.6)    九州乗り鉄旅で松浦鉄道初乗り中に通過 147 ちゅうぶてんりゅう(中部天竜・JR東海飯田線・2009.8.1)    清酒ん18きっぷの旅で佐久間レールパークへ行ったとき下車・乗車  【662】「清酒ん1…

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【883】 昭和40年代前半、中間駅の留置車両…駅、そして家の水事情

とかく交通事情のみならず、日常の生活に対して、当たり前の便利さを享受していると、そのありがたさを忘れてしまいがちな自分を戒めながら、今回も子供のころの鉄道の思い出とともに、そのころの生活に関連することを書いていきます。 ********************* 単線時代の美乃坂本駅には、行違い可能な上下本線に並行して貨物用の側線があった。構内の苗木街道踏切には、踏切警手が配置されていたように思うが、その記憶は曖昧で、アナログのチンチン踏切が自動的に鳴るのが不思議に思ったことは記憶にある。その前には踏切警手が常駐していたことになるが、その曖昧な記憶の裏付けとしては、のちに私が車掌になった時、同じ職場の車掌長氏と話をしていたら、「ああ、あんたの家はミノサカ(部内での美乃坂本駅の通称。通称については「【250】駅の通称名(乗務員編)」で触れています。)かあ。わし、車掌になる前に、あの踏切の踏切警手をやっとったわ」という人に出会ったことがある。ひょっとしたら私の記憶にない幼少時代にお会いしたことがあったのかもしれない。 下の画像は、時代が経過して複線電化された後の苗木街道踏切。通過していくのは、明知線に回送される逆向きのC12で、1973年の撮影である。手前の地面は、側線跡らしい雰囲気が残っている。 下は近年の同じ場所で撮影した画像。 私はこの駅で貨物営業をしていたころの記憶はないから、昭和40年代には美乃坂本駅では貨物取扱が廃止されていたらしく、名古屋方にあった引上げ線と側線は赤…

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【882】 画像で駅名しりとり:7 (119~141)

自分が行った駅、通った駅のうち、画像で駅名標や駅舎が記録してあるものだけで、「駅名しりとり」をしています。 ルールは1回目の記事に書いています。 本文中の用語について。 ・立寄…他の交通手段や徒歩で駅に立ち寄ったことをいう。 ・通過…列車を乗り換えることなく乗車した列車の停車中又は通過時に駅又は駅名標を撮影したことをいう。 ・乗換…同一鉄道会社(JR境界駅でJR他社列車への乗継を含む)の列車に乗り換えたことをいう。 前回は「谷汲」で終了しましたので、今回は「み」から続けます。 *********************** 119 みのあかさか(美濃赤坂・JR東海東海道線支線・2006.4.29)    中山道徒歩の旅(美江寺宿→赤坂宿)で乗車 120 かわらだ(河原田・JR東海関西線・2012.12.22)    関西線・伊勢鉄道線巡りの旅で、関西線から下車、伊勢鉄道に乗車 121 たけなみ(武並・JR東海中央線・2006.2.18)    中山道徒歩の旅(大井宿→)で乗車 122 みのおおた(美濃太田・JR東海高山線・2015.11.12)    多治見へ飲み会へ行く途中に乗換   (名古屋~岐阜~美濃太田経由ICカード使用の大回り乗車) 123 たるい(垂井・JR東海東海道線・2006.5.14)    中山道徒歩の旅(赤坂宿→関ケ原宿)で立寄り 124 いなふくおか(伊那福岡・JR東海飯田線・2004.8.7…

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【881】 鉄道の絵

今は小学生全体の3割ほどがスマホを持っているらしい。そういうことなら、その気になりさえすれば小学生でも写真撮影ができるわけだが、昔は見たものを絵で描くか、文字で記録するくらいしかなかった。明治初期の鉄道開通式を記録した錦絵を見て私は思うのだが、描かれた機関車や客車に、どこか不自然さがある。あれは、列車は動くものなので、絵を描いている間じゅう、その場にとどまっていないから、よく観察できず忠実に写し取れなかったのではないかと、後述する子供のころの経験から勝手に思っている。でもプロが描いた錦絵はそういうことではなく、たとえば伝えたい部分を強調した結果なのかもしれない。 私が子供のころ、父はカメラを持っていたが、フィルムは白黒が主流で、カラー写真は「天然色」といわれた時代で、まだ少なかった。子供の絵本でも、実写された画像でなくて、まさに「絵」本であった。 上の画像は、私が子供に買い与えた昭和末期の絵本であって、私自身が子供のころの絵本ではない。この昭和末期~平成初期ころに発売されていた絵本は、今も複数手元に残してあるが、このころになると、写真を使った絵本が主流になりつつあるように思える。写真にテレビの子供番組のキャラクター画像を合成したものもみられる。 私の子は辛うじて昭和生まれで、蒸機は保存蒸機しか知らない世代である。そんな彼らが親になる時代になった今、「きしゃ」は今の子供たちに通じる言葉なのだろうかと、ふと思う。「汽車」が歌詞の中に登場する昭和時代の歌謡曲は多い。たいていは旅立ちか別れの…

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【880】 画像で駅名しりとり:6 (102~118)

自分が行った駅、通った駅のうち、画像で駅名標や駅舎が記録してあるものだけで、「駅名しりとり」をしています。 ルールは1回目の記事に書いています。 <本文中の用語について> ・立寄…他の交通手段や徒歩で駅に立ち寄ったことをいう。 ・通過…列車を乗り換えることなく乗車した列車の停車中又は通過時に駅又は駅名標を撮影したことをいう。 ・乗換…同一鉄道会社(JR境界駅でJR他社列車への乗継を含む)の列車に乗り換えたことをいう。 前回は「丸森」で終了しましたので、今回は「り」から続けます。 *********************** 102 りくべつ(陸別・北海道ちほく高原鉄道・2004.9.24)    北海道乗り鉄旅で、北海道ちほく高原鉄道初乗り中に通過 103 つるが(敦賀・JR西日本北陸線・2012.2.8)    北陸今庄豪雪旅の途中、食事のため下車・乗車 104 かたまち(片町・JR西日本片町線・1997.3.6)    片町駅廃止前に乗降しておくため、下車・折り返し乗車 105 ちゅうぶこくさいくうこう(中部国際空港・名鉄空港線・2009.3.28)    中部国際空港見物のため、下車・折り返し乗車  ※駅名標に括弧書きで「セントレア」と表記されていますが、無視して「う」へ続けます。 106 うわじま(宇和島・JR四国予讃線・2002.9.14)    JR四国乗り鉄で、予土線~予讃線の列車乗継で下車・折り返し乗車 …

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【879】 幼児期の暮らしと鉄道の記憶(後篇)

幼いころの記憶は、ぼんやりしているものの、毎日汽車を見ていたから多少は残っている。 準急色のキハ55の列車を見たような気がする。もし、記憶が正しいとすれば、時期的には、昭和36年まで多治見機関区で受け持っていた気動車急行「しなの」だったと思う。はっきりと記憶にあるのは、キハ55に代わって登場したキハ57やキハ58だったが、美乃坂本駅には停車しない急行をよく観察することはできなかった。「明るく鮮やかな2色塗りの車体は、かっこよかった」と書くべきかもしれないが、個人的には煤けた車体だった印象がある。中央西線と篠ノ井線にはトンネルが多く、気動車自身の排気のみならず、蒸機列車がトンネル内に撒き散らし残していった煤煙のせいで薄汚れていたのではないかと思う。 ずっとあと、小学生になってからのことになるが、急行にはキハ57とキハ58、キロ27とキハ28の2種類があることを知るが、その違いはさっぱりわからなかった。1等車キロ27は在籍車が1~7の7両しかなく、数字の桁数が少なかったので、7が連続するキロ27 7があったことが記憶に残る。こういうことで覚えやすい特定ナンバーの車両を意識するようになる。急行列車に乗る機会などなかったが、急行形車両は普通列車にも使用される例があったので、わざわざ急行列車に乗りたいという気持ちはなかったし、いつ見ても同じ編成、同じ車体色で現れる気動車急行よりも興味をそそったのはD51が牽く客車列車と貨物列車だった。上の画像は、それからずっとあと、中学生のときに中津川で撮影したもの。 …

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【878】 画像で駅名しりとり:5 (82~101)

自分が行った駅、通った駅のうち、画像で駅名標や駅舎が記録してあるものだけで、「駅名しりとり」をしています。 ルールは1回目の記事に書いています。 本文中の用語について。 ・立寄…他の交通手段や徒歩で駅に立ち寄ったことをいう。 ・通過…列車を乗り換えることなく乗車した列車の停車中又は通過時に駅又は駅名標を撮影したことをいう。 ・乗換…同一鉄道会社の列車に乗り換えたことをいう。 前回は「鵜沼宿」で終了しましたので、今回は「く」(ぐ)から続けます。 *********************** 82 ぐんまやわた(群馬八幡・JR東日本信越線・1991.2.22)   豪雪地乗り鉄の旅で、ガーラ湯沢からの帰路に通過(特急待避) 83 たがわごとうじ(田川後藤寺・JR九州日田彦山線・2002.12.29)   九州乗り鉄旅で、日田彦山線~後藤寺線初乗り中に乗換 84 しなのかわだ(信濃川田・長野電鉄河東線・2011.10.9)   長野電鉄河東線乗り納め中に通過 85 たき(多気・JR東海紀勢線・2008.6.14)   名松線・紀勢線・参宮線の乗り鉄旅で乗換 86 きたおかざき(北岡崎・愛知環状鉄道・2006.10.17)   フレックスタイムでの出勤前に、ユニチカ専用線廃線跡探訪のため下車 87 きたくまもと(北熊本・熊本電気鉄道菊池線・2000.9.2)   九州乗り鉄旅で、熊本電気鉄道初乗り中に乗換  【691】鉄…

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【877】 幼児期の暮らしと鉄道の記憶(前篇)

中央本線美乃坂本駅。特急停車駅である中津川と恵那に挟まれた小さな駅が、永く私と鉄道との接点だった。(画像は近年撮影) そもそも私の両親は瑞浪市内に住んでいたが、私が生まれると共同の水場でオムツを洗うことができなかったという理由で父の実家があった中津川市街地に転居したという。上水道下水道ともなかった田舎では、オムツは川で洗濯していたわけで、半世紀以上前のこととはいっても、都会育ちの人にはわからないことだと思う。その中津川からこの美乃坂本駅に近い借家に引っ越したのが、たぶん昭和35年ごろだった。それから昭和62年までの約27年間に2度転居をしているが、その間ずっと最寄り駅は美乃坂本であった。昭和62年とは国鉄分割民営化と同時に私が国鉄を退職して転職に伴って愛知県内に転居した年で、つまり幼少時から国鉄を退職するまでを美乃坂本駅の利用者として生活していたことになる。 私は国鉄に就職してから自動車運転免許を取得したが、それまで我が家での交通用具は原付バイクと自転車であった。 さすがに昭和50年ころになると、町内で自家用車がない家庭はわずかになっていたが、昭和40年代前半ごろまでは自家用車がない家は珍しくなかったから、このような小さな駅でも人が集まったし、駅前には小規模ながらも商店街があって、別に汽車に乗る目的でなくても日常生活に必要なものは徒歩や自転車で行けば手に入ったから、駅周辺は経済活動の中心でもあった。(画像は近年撮影) しかし隣町の中津川や恵那(昭和38年まで駅名は「大井」)に行けば、比…

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【876】 画像で駅名しりとり:4 (61~81)

自分が行った駅、通った駅のうち、画像で駅名標や駅舎が記録してあるものだけで、「駅名しりとり」をしています。 ルールは1回目の記事に書いています。 <本文中の用語について> ・立寄…他の交通手段や徒歩で駅に立ち寄ったことをいう。 ・通過…列車を乗り換えることなく乗車した列車の停車中又は通過時に駅又は駅名標を撮影したことをいう。 ・乗換…同一鉄道会社(JR境界駅でJR他社列車への乗継を含む)の列車に乗り換えたことをいう。 前回は「上総亀山」で終了しましたので、今回は「ま」から続けます。 *********************** 61 まくらざき(枕崎・JR九州指宿枕崎線・1994.7.2)   九州乗り鉄旅で、指宿枕崎線指宿以西初乗り後、下車・折り返し乗車  62 きそふくしま(木曽福島・JR東海中央線・2014.7.31)   上諏訪へ行く途中に通過(坂下~野尻間災害不通時で383系留置中)   【510】中央本線で原田泰治美術館へ 63 ましけ(増毛・JR北海道留萌線・1997.9.22)   北海道乗り鉄旅で、留萌線初乗り途中に下車・折り返し乗車 64 けいおうたませんたあ(京王多摩センター・京王相模原線・2007.8.4)   多摩モノレール初乗りのため下車  (このシリーズのルール(シリーズ1回目の記事冒頭)で定めたとおり「センター」が長音で終わっているため「せんたあ」と読み「あ」に続ける) 65 あゆかわ(鮎川・…

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