【892】 画像で駅名しりとり:12 (220~241)

自分が行った駅、通った駅のうち、画像で駅名標や駅舎が記録してあるものだけで、「駅名しりとり」をしています。 ルールは1回目の記事に書いています。 ・立寄…他の交通手段や徒歩で駅に立ち寄ったことをいう。 ・通過…列車を乗り換えることなく乗車した列車の停車中又は通過時に駅又は駅名標を撮影したことをいう。 ・乗換…同一鉄道会社(JR境界駅でJR他社列車への乗継を含む)の列車に乗り換えたことをいう。 前回は「野尻」で終了しましたので、今回は「り」から続けます。 *********************** 220 りふ(利府・JR東日本東北本線支線 1998.11.21)    東北地方乗り鉄旅で、「利府支線」初乗り後、下車・乗車 221 ふじなみ(藤並・※有田鉄道線2004.3.20)    保存蒸機D511085を見るために下車・乗車   ※撮影場所はJR西日本紀勢線藤並駅ホーム上。この時点で有田鉄道線は廃止されていた。 222 みのし(美濃市・長良川鉄道2015.10.26)    美濃市内観光で立寄り 223 しものせき(下関・JR西日本山陽本線2015.9.27)    前日に関門海底国道トンネル徒歩通過のあと市内に宿泊し、ここから乗車。    関門鉄道トンネルで再び九州へ。    【649】九州乗り物乗りある記(後篇) 224 きたまつもと(北松本・JR東日本大糸線2008.2.9)    蔵元巡りで新酒を購入する…

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【891】 小学生時代に見た旧形客車の記憶 1

昭和40年代前半、中央西線の普通客車列車は、列車によって名古屋客貨車区(名ナコ)と松本客貨車区(→松本運転所 長モト)の基本編成5両で運用されていたと記憶する。 画像は昭和47年に松本駅で撮影したオハ61系で編成された松本運転所所属の客車 中央西線全線を通して運転される列車の多くは、これに荷物車(半室のスハニやオハニを含む)や郵便車を併結し、中津川(一部多治見)~名古屋間では、さらに2等車の付属編成が増結される列車も多かった。付属編成は列車によって名古屋客貨車区(名ナコ)所属オハフ+オハ+オハフの3両と、中津川客貨車区(名ナツ)所属オハフ+オハの2両とで運用され、朝の上り通勤列車には中津川から付属3両と基本5両の8両、多治見以西ではさらに2両の付属編成を増結する列車も見られた。名古屋客貨車区の車両はオハ35系が多く、急行用ナハ10系や、スハ43系のうちオ級軽量車も混入した。松本と中津川の車両は背ズリが板張りで扇風機がないオハ61系主体で組成されていた。通路に折畳みの補助席がある車両に乗った記憶がある。オハ35系だったように思うが形式も所属もわからない。通路床面に真鍮製の痰ツボが埋め込まれていた客車は多かったが、それが何のための穴なのか私にはわからず、靴先を突っ込んだりしたことがある。 あのころは、路上で痰を吐いている人をけっこう見かけた。駅の待合室にも白い琺瑯製で「工」の字が書かれた痰ツボが置いてあった。車内の床にあった痰ツボには後に鉄板で蓋をされていった。 中央西線を走っていた客…

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【890】 画像で駅名しりとり:11 (201~219)

自分が行った駅、通った駅のうち、画像で駅名標や駅舎が記録してあるものだけで、「駅名しりとり」をしています。 ルールは1回目の記事に書いています。 ・立寄…他の交通手段や徒歩で駅に立ち寄ったことをいう。 ・通過…列車を乗り換えることなく乗車した列車の停車中又は通過時に駅又は駅名標を撮影したことをいう。 ・乗換…同一鉄道会社(JR境界駅でJR他社列車への乗継を含む)の列車に乗り換えたことをいう。 前回は「多久」で終了しましたので、今回は「く」から続けます。 *********************** 201 くざかい(区界・JR東日本 山田線 1996.2.3)    東北地方乗り鉄旅で、岩泉線初乗りの帰路に通過    【46】鉄道あちこち訪問記3:山田線・岩泉線1996.2.3 202 いわいずみ(岩泉・JR東日本岩泉線1996.2.3)    東北地方乗り鉄旅で、岩泉線初乗りの後、下車・折り返し乗車     【46】鉄道あちこち訪問記3:山田線・岩泉線1996.2.3 203 みよた(御代田・しなの鉄道しなの鉄道線・2005.7.20)    中山道徒歩の旅(小田井宿→岩村田宿)の往路で下車 204 たけとよ(武豊・JR東海武豊線 1999.10.23)    乗務した出先を再訪問する旅で下車・折り返し乗車 205 よろい(鎧・JR西日本山陰線2005.2.4)    山陰方面乗り鉄旅で通過 206 いわくに(岩…

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【889】 鉄道趣味を自覚し始めたころ~切符・車両・参考書籍

小学生のころ、最低限の生活必需品は歩いていける駅前商店街で手に入った。子供の買い物にしても、100円未満の駄菓子とかオモチャの類は入手できたが、商店街は日曜が休みであった。そういう時、母の買い物にくっついて隣の中津川や恵那まで列車で出かけることがよくあった。そこまで行けば、半日は潰れてしまうが、まともなプラモなどが入手できた。その行き帰りには、中央西線の普通列車に一区間だけではあったが乗れた。高学年になると、親といっしょでなく、同級生たちと遊びに出かけることもあって、一度に恵那と中津川両方に出かけたことがあった。…と、いうことは自宅最寄駅である美乃坂本をいったん通り過ぎることになる。そういう列車の乗り方がすごく新鮮に思えたし、手にした乗車券の着駅名がいつもと違っていることもまた新鮮に映って、使いもしないのに余分に1枚買ったことがあった。 降りるときに「切符集めているのでください」と言えば,使用済みの切符をもらえたかもしれないが、そんな知恵も度胸もなかった。こういう心理や行動は、当時すでに乗り鉄魂や収集癖があったことを示しているのかもしれない。 車両に書かれた形式番号と所属標記の意味は父が教えてくれた。列車に乗れば車両の外観が見えないが、その代わり車内の様子が確認できた。 母の実家が名古屋市内だったから年に数回ではあったが同行することがあって、乗る車両の違いを意識するようになっていった。 前に書いたが、母が名古屋に行くときは早朝に家を出て、母の実家の最寄り駅である大曽根で下車した。たぶん…

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【888】 画像で駅名しりとり:10 (180~200)

自分が行った駅、通った駅のうち、画像で駅名標や駅舎が記録してあるものだけで、「駅名しりとり」をしています。 ルールは1回目の記事に書いています。 ・立寄…他の交通手段や徒歩で駅に立ち寄ったことをいう。 ・通過…列車を乗り換えることなく乗車した列車の停車中又は通過時に駅又は駅名標を撮影したことをいう。 ・乗換…同一鉄道会社(JR境界駅でJR他社列車への乗継を含む)の列車に乗り換えたことをいう。 前回は「玉造町」で終了しましたので、今回は「ち」から続けます。 *********************** 180 ちゃやまち(茶屋町・JR西日本宇野線・2010.2.24)    四国フェリー乗船のため宇野へ行く途中に通過 181 ちよ(千代・国鉄 飯田線・撮影日不明)    この日は飯田線中部の駅名標を複数撮り歩いている。    自動車での立寄 182 よあけ(夜明・JR九州久大線・2002.12.28)    九州乗り鉄旅で、久大線初乗り中に通過    (翌日・日田彦山線に乗換) 183 げんぶどう(玄武洞・JR西日本山陰線・2005.2.4)    山陰方面乗り鉄旅で通過 184 うめがおか(梅ヶ丘・小田急小田原線・2004.12.10)    故宮脇俊三散歩コースを歩いた帰路に乗車 185 かすがい(春日井・JR東海中央線・2009.7.11)    春日井貨物EF66 27撮影のため下車・乗車 186 い…

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【887】 時計代わりになった列車の音

実家があったところは静かで、遠くの林の中で鳴くウグイス、ときにはカッコウなど鳥の声もよく聞こえた。毎日正午を知らせるサイレンもよく聞こえたし、決まった時刻に聞こえてくる音は時計代わりにもなった。隣の「組」に住むKさんが家の前を「原動機付自転車」で通過していくのが平日の毎朝8時であった。「原付」といえば、当時でも「スーパーカブ」などが主流だったが、Kさんのは、ペダルが付いた普通の自転車とあまり変わらない形状の車体後部にエンジンを取り付けた旧型の「原動機付」の「自転車」で、「パタパタパタ」と盛大な音を出したので、音だけで他のバイクとの区別ができた。Tさんが行くと、つまり8時には登校するため私が家を出る時間で、それから学校まで歩く途中でD51に牽かれた木曽福島始発の名古屋行普通列車が駅を発車する汽笛が聞こえ、歩いている場所によっては列車そのものが見えたし、見えないところでも大きな走行音が聞こえた。その列車が通り過ぎるときに自分がどのあたりまで歩いてきたかによって、始業時まで余裕があるのか、慌てなければならないかが判断できた。Tさんの原動機付自転車は、いつも駅前の自転車置き場にあったのを記憶しているから、その名古屋行に乗って通勤していたのかもしれない。 実家のあたりから、中央西線の線路まで最短直線距離で600メートルほど離れていたと思うが、早朝は鉄道の音で時刻がわかった。小学生時代、中津川始発の上り名古屋行一番列車が気動車列車で、美乃坂本駅を発車する「ファ~ン」というタイフォンがよく聞こえた。古い時…

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【886】 画像で駅名しりとり:9 (161~179)

自分が行った駅、通った駅のうち、画像で駅名標や駅舎が記録してあるものだけで、「駅名しりとり」をしています。 ルールは1回目の記事に書いています。 本文中の用語について。 ・立寄…他の交通手段や徒歩で駅に立ち寄ったことをいう。 ・通過…列車を乗り換えることなく乗車した列車の停車中又は通過時に駅又は駅名標を撮影したことをいう。 ・乗換…同一鉄道会社(JR境界駅でJR他社列車への乗継を含む)の列車に乗り換えたことをいう。 前回は「宿毛」で終了しましたので、今回は「も」から続けます。 *********************** 161 もとす(本巣・樽見鉄道・2004.11.20)    樽見鉄道未乗区間(日当~樽見)に乗るまえに自動車で立寄り  162 すみよし(住吉・JR西日本東海道線・2006.12.23)    清酒ん18きっぷの旅で、酒蔵見学に行くため下車    【662】「清酒ん18きっぷの旅」まとめ 163 しんじゅく(新宿・JR東日本山手線・2013.10.29)    新宿駅の変貌を見るために下車・乗車 164 くらもと(倉本・JR東海中央線・2005.10.22)    中山道徒歩の旅(→福島宿→上松宿→)の帰路に乗車 165 とよはし(豊橋・JR東海東海道線・2009.11.1)    佐久間レールパーク営業最終日、そのアクセス臨時列車撮影のため下車・乗車 166 しんせと(新瀬戸・名鉄瀬戸線・…

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【885】 中央西線複線電化工事が行われていたころの記憶

東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)、私は小学1年生になる。1966年には名古屋~瑞浪間が複線電化され、さらに2年後の1968年には中津川まで電化が完成し、一部を除いて複線化も完成した。その工事期間と私の小学生時代が、ほぼ一致する。複線化は部分的に少しずつ工事が行われ、その部分が完成するたびに非電化のまま複線として供用されるということを繰り返し、そのあと電化工事が進められていった。 当時私が住んでいた美乃坂本駅付近では1965年(昭和40年)頃に複線化工事が始まった。家から小学校への通学路には、中央西線の掘割区間に架かる道路橋があった。廃レールを柱として再利用した4トンの重量制限がある華奢な橋で、その上からは複線化工事の進捗状態がよく見え、3台の黄色いブルドーザーによって掘割区間の片側の土砂が削り取られてゆき、その土砂は築堤部分へ運ばれ、それが盛られていく様子が見えた。工事が進むと、単線用の掘割に架かったその道路橋は撤去され、複線用の新しい鉄筋コンクリート製の道路橋が架けられるまで、通学路は近くの踏切道に迂回することになって、踏切では汽車には十分気を付けるように言われた。下は、そのときに架け替えられた複線用の新しい道路橋の現況。 このころには自転車を買ってもらったので、学校から帰ってから、いっしょに遊ぶ友だちがいないときは、線路端の工事現場の近くまで出かけるようになって、単線(現在の上り線)の築堤に腹付で土が盛られ、現在の下り線ができていく工事の様子を観察…

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