【918】 私の自動車遍歴7 ネイキッド ターボG

そのまえに9年近く乗っていたスプリンターワゴンは、平均すると年間5000㎞程度しか乗らなかったことになります。年によっては1年間に使ったガソリン代が自動車税額(34500円)を下回ったこともあったほどで、そういう結果を見て思うのは、乗らなくても自動車の維持費はかなりの負担になるという事実でした。折しも家内が自動車運転免許を取得して2年ほど経っていて、買い物とかのチョイ乗りが主体でしたから、小回りが利く軽自動車にしたいという希望もあったので、軽自動車に買い替えることになり、ダイハツネイキッドを選択しました。 子供たちも成長して、家族そろって出かけることなどすっかりなくなっていましたから、2人乗れれば、後席は補助的使用として荷物室の一部という考えかたであれば、軽自動車で不便はなかろうと思われました。 ほかにもう1台乗用車があるならともかく、軽自動車に買い替えるには、多くの人々はたぶん抵抗があるのでしょうが、私はそのころ、会社に出張用として配備されていた複数メーカーの複数車種の最低グレードの軽自動車に、出張時に常時乗っていました。ちょうどこの少し前に軽自動車が新規格になって排気量や車体のサイズが大きくなり、そういう最低グレードの軽自動車でも必要最小限の性能と装備があり、車室内の空間もかなり普通車に近付いた印象を持ちましたから、軽自動車1台だけの生活を始めることに抵抗を感じませんでした。その会社の軽自動車では、さすがに高速走行時の追い越しとか、坂道での加速と速度の維持には余裕がまったくなく、ア…

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【917】 駅弁掛紙に見る国鉄のキャンペーンなどのロゴマーク:前篇

鉄道趣味はほんとうに幅広い分野に広がっているもので、鉄道グッズの収集をしている方も多いことでしょう。対象物はさまざまですが、人があまり集めたがらない不人気なものであっても、年月が過ぎ去っていくことによって、郷愁を感じさせることもあります。国鉄という大組織が解体されて30年以上も過ぎると、国鉄に関する文字が入っているだけで、特に列車や車両にまったく関係のないものでも、「国鉄があったことを忘れるんじゃないぞ」と教えてくれているようにも思えてきます。そんな収集物をこれからご覧いただきます。 今回は、駅弁の掛紙に印刷された国鉄のキャンペーンなどのロゴマークを集めてみました。 *********************** 「DISCOVER JAPAN」 (1976年)4月24日 新宮駅「幕の内御弁当」500円 「DISCOVER JAPAN」は1970年から始まったキャンペーンでした。キャンペーン期間中に私は蒸気機関車の撮影旅などで、いちばんよく出かけていたころなので、駅のポスターやスタンプなどいたるところでこのロゴを見ました。 この駅弁の掛紙、年が入っていませんが日付が4月26日となっており、その日に新宮へ旅行に出た記憶もなく、乗務した記録もありません。このキャンペーンはこの1976年の12月で終了しているようですので、1976年4月であれば見習い乗務中の時期で、しかも乗務記録を取っていなかったので、その見習乗務中に買ったものだとすれば辻褄があいます。 *******…

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【916】 私の自動車遍歴6 スプリンターワゴン Lエクストラ

前車のサニーカリフォルニアには9年近く乗りました。日常生活に欠かせないながらも依存度は多くはなく、その後半は雨ざらしの環境で、洗車も年に1回~2回。さすがにくたびれてきたので、買い替えたのがスプリンターワゴンでした。 . サニーカリフォルニアで、ステーションワゴンの使い勝手の良さを知りましたので、4ドアセダンタイプの選択肢はありませんでしたし、ワンボックス車という選択肢も当時はありましたが、価格差と重量増は避けられず、乗用車的な運転感覚を維持したいこともありました。それ以外に車種の選択に当たっては「目立たない自動車にすること」「子連れで出かけることに支障がない大きさであること」「使用頻度が少なく、どうせ子供に汚されるからグレードは低めで十分」ということを選考基準としました。 もうこのころ私は「自動車は移動ための道具」という考え方になっていました。目立たない自動車にする理由は防犯対策で、前回書いたように、車庫がない環境で、ガラスを割られたりドアのカギ穴を壊された経験をしたからでした。カリフォルニアのウッドパネルは目立ちましたから、単なるいたずらにしても、車上狙いにしても、そういう車種は狙われやすいと思ったからです。 車体色は灰色系の紺色にして、ただの商用車を装いました。その効果かどうか不明ですが、この公営アパートに住んでいた期間は、サニーカリフォルニア時代よりこの自動車に換えてからのほうが長かったのに、そういう被害には一度も遭わずに済みました。それでもこの色は5ナンバーの乗用車仕様だけに…

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【915】 国鉄時代の迂回運転について

先週は西日本豪雨で不通になった山陽本線区間を避けて迂回運転されている貨物列車について、思うことを書きましたが、山陽本線の全線復旧がかなり前倒しで9月30日と発表され、あと少しで元どおりの運行に戻れそうです。被災直後の悲惨な状況を思い返しますと、短期間でここまでたどり着けたことに対して、関係者のみなさんのご努力をたたえたいと思います。 JRではさまざまな輸送障害に備えて運転・営業・施設面などでそれぞれにマニュアル的なものを作成していると思いますが、国鉄でも、災害が起きた場合にそなえて、列車ごとや区間ごとに細かなマニュアルが事前に定められ、必要の都度通達によって施行されることになっていました。乗務員であった私どもにも乗務に関係する列車、関係する区間について抜粋した内容が周知されていました。そこで今回は、国鉄で不通区間が発生した場合の迂回運転について、当時の達示を私の知り得る範囲で振り返ってみたいと思います。あくまでも知りうる範囲ですから、局所的であり、時代は1980年半ば、55.10ダイヤ改正時の主に中部地方に関係する特急・急行列車に関する内容となります。あらかじめお断りしておきますが、元になる資料は、現場にいた車掌が乗務するにあたって必要なことだけを抜粋して知らされた内容ですので中途半端なことばかりになります。ここに書くこと以上の詳細な内容について、私には知識がありませんので、ご質問にもお答え出来かねますのでご容赦ください。 ◆特急「金星」(21M・22M)について 特急「金星」は名古…

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【914】 私の自動車遍歴5 サニーカリフォルニア1500SGL

これまで3台続けて2ドア車を乗り継いできて、初めてステーションワゴンに移行しました。結婚することを前提に購入したのでファミリーユースにシフトした結果でした。 購入したのは車掌をしていたころで、当時の国鉄では貨物取扱いが廃止される駅が続出しており、増収策として遊休地になった貨物ホームを駐車場として賃貸している駅がたくさんありました。いつも乗務していた武豊線半田駅でも、貨物用ホームとその周辺が月極駐車場として利用されていたらしく、そこにいつでも同じ位置に、白にウッドパネルを貼ったサニーカリフォルニアが線路のほうに背を向けて停められていました。乗務中の列車から、その後ろ姿を見て、私は「ステーションワゴンなんて一般にはライトバンと同格に思われがちだけれど、これこそが使い勝手が良いカタチであって、ウッドパネルによって普通のバンとは一味違う個性がにじみ出ている」と思ったのでした。 SGLよりスポーティな装備のSGXが頂点でしたが、両者の違いは、タイヤと内外装の些細な違いがあるだけで駆動系は同じで、少々SGXより安く、やや内装を充実させたのがSGLでした。実際に買って思ったのは、内装のセンスはひと昔前を思わせ、今まで乗っていたカローラのほうが格段に良かったことでした。しかし車体は決して大きくないのに、思ったとおり車室内は格段に広く使い勝手はよく、自分の用途には最適でありました。 これまでは、単独行の峠越えで、けっこうワインディングで一般車の通行が制限された林道や、落石や転落の危険が付きまとうような…

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【913】 JR貨物の迂回運転に思うこと

この7月に西日本の広い範囲を襲った豪雨では甚大な被害が発生し、その後も21号台風、北海道の地震が続きました。被災された方や、関係者の方には心からお見舞い申し上げます。 9月に入りましたが、今も山陽本線には不通区間があります。この不通区間を迂回する目的で、伯備線~山陰本線~山口線を経由する貨物列車が8月28日の名古屋貨物ターミナル発の列車から1日1往復運転されるようになったという報道を耳にしました。この列車に使用されている機関車は、岡山貨物ターミナルから米子までが愛知機関区のEF64で、米子~幡生操車場までが愛知機関区のDD51だそうです。いろんな情報を総合すると、今回、愛知機関区からDD51の857・1802・1804が赴き、その任に当たっているようです。 このうち、1804号機は、8年前に中央西線に入線した機関車で、その日のことは【105】鉄分補給2010.11.27:中央西線へ入線したDD51の記事で書きました。(その記事上にナンバーがわかる画像や表現はありません。また、上の画像は6年前に関西本線の四日市駅で撮影したものです。) 上の画像は、EF65 1091 (新)+DD51 1804(愛)のコンビで、そのとき(2010年11月27日)中央西線の大曽根~新守山間で撮影しています。 上の画像は春日井駅で切り離されたDD51 1804です。今ではワム80000の姿はなくなり、後ろに見えている桜の木は無残にも切り倒され、このあたりには橋上駅舎が覆いかぶさっています。 迂回区間…

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【912】 私の自動車遍歴4 カローラ ハードトップ1500SE

サニー、カリーナと乗り継いで、カーライフも2年半を越えたころ、自分に合うのはどのような自動車であるかが見えてきました。そしてそのころは厳しいと言われていた昭和53年排ガス規制に適合した新車が続々と世に送り出された時期でもあったので、初めて新車を買うことにしました。100万円を超える買い物をするのは、これが初めてでした。カリーナの車内で列車掛になるための勉強をしたからでもないでしょうが、とにかく列車掛になるための試験には合格し、貨物列車に乗務し始めた直後でしたので、わずかなことですが給料がアップしていました。とは言っても当時の基本給額は10万円台に手が届いたばかりでした。 ところで、私は所有権留保で自動車を買ったことは、今乗っている自動車に至るまで一度もありません。車検証の所有者が自分でないと、自分の自動車という気がしないのです。自動車に限りませんが、手元で用意できる現金の範囲内で常に買い物をしていますので、お金が足らないときにローンを組んだり、ボーナス払いにして後払にすることは大嫌いです。マンション購入のときだけは、さすがに無理でしたので抵当権を設定しましたが、返済したあとは、即座に自分で法務局に行って抵当権抹消登記申請をしました。携帯電話も、キャリア契約の携帯電話の場合だと機器代金が分割払いなので、某格安スマホ会社と契約して一括払いで端末を購入しています。 話がそれましたので、自動車の話にもどりましょう。買ったのは70シリーズのカローラでした。最高グレード車にはDOHCエンジンを載せ…

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【911】 昭和40年代:中央西線の気動車普通列車

時刻表の1956年(昭和31年)12月号復刻版を見ると、もう中央西線の名古屋~中津川間に普通気動車列車が運転されていることがわかる。おそらくこのころは多治見機関区に配置されたキハ17系が使用されていたのだろう。そんな古い写真は手元にはないので、今回アップする画像はずっとあとの1971年以降に撮影したものであることをお断りしておく。こちらは中津川で撮影 「鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション7」に収録されている1968年3月31日現在の国鉄車両配置表で確認すると、多治見機関区所属の気動車の全容は キハ52-7両 キハ35-10両 キハ28-3両 キハ25-4両 キハ18-3両 キハ17-13両 小学生になった1964年には日中の急行はすべて気動車列車になっていたし、普通気動車列車はさらに増発されて、運転区間も延長されて名古屋発明科行という列車があった。 この明科行は、午前中の下り列車で、買い物などに出かけるのに便利な時間帯の列車であったから、美乃坂本から中津川までの1区間だけではあったが、母とよく乗った。母も私も明科がどこにあるのかわからず、読み方も知らなかったから「アケシナ行のジーゼル」と言っていた。(正しくはアカシナ行のディーゼル) その列車は4両編成で、中間に必ず運転台がないキハ18が1両連結されていた。 これも当時の画像がないので、1973年12月に後藤寺線で撮影した気動車列車の画像で代用するが、3両編成の列車の中間車をよく見れば運転室がないキハ18である…

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